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2026年9月7日月曜日

娘がアイドルに嵌まる


 ピイガが5人組ボーイズアイドルグループに嵌まった。
 グループ名は「げっPO」(げっぽ)。
 そしてこのアイドルグループ、実はピイガのオリジナルだという。
 最初は紙にペンでメンバーの顔などを描いていたのだが、それを元に対話型生成AIにメンバーのビジュアル作成を依頼したところ、げっPOは一気に実在のアイドルとなった。
 対話型生成AIが作成する、とりあえず目鼻立ちだけは異様に整っている、象徴的で無個性な相貌というものは、要するに現実のボーイズグループの組員が一様に目指し、メイクや加工などでそう仕立てている、そのまんまのものなのだと、げっPOの作成イメージを見て悟った。
 かつて僕は、AIで作成されたグラビア画像をやけに見ていた時期があって、そのときは「もうグラビアは架空の理想の女の子でいいや」と、罰当たりなことを思ったりもしていたが、しかしそう感じていた期間は意外と短く、今はまた現実の、理想に対してドンピシャではない顔だったり肉体だったりする女の子のグラビアを、それぞれの個性を尊重して、むしろその部分をこそありがたく眺めているのだけど、その点、いまどきのボーイズアイドルグループというのは、各人が追い求める見た目というのが本当に統一されている感があるので、対話型生成AIが「こういうことやろ?」と半笑いで出力した画像は、なんかもう、本当に、実在の彼らが必死に作り上げている見た目そのものなのだった。
 なので、ピイガと対話型生成AIが作り出したげっPOは、ぜんぜんいる気がする。俺はこいつらを先週のカウントダウンTVライブライブで観たよ、と思う。本当にはもちろん観ていないのだが、本当に観たやつらと、げっPOの、区別がつかない。そういう意味で、げっPOはやっぱり実在するんだと思う。
 しかしここまでなら、たぶんいまどきは大勢の輩がやっていることなのだろうと思う。オリジナルアイドル創作界隈というものが、実際にあるのかないのかは、そんなジャンルを探ったことがないので知らないが、あまりにも簡単にできることなので、ある程度の人数は既にやっているんじゃないかな、と思う。
 ただしここから先がピイガのすごいところで、誰に似たのか、ハンドメイドというか、小物作りというか、そういうことをするのがとても好きな性分であり、そういう性質の人がオリジナルアイドルを作ったら次にどういうことをするかと言えば、そのオリジナルアイドルの、オリジナルグッズを、次々に作りはじめたのである。シール、うちわ、ステッカー、缶バッジなど、わが家にはどんどん、げっPOグッズが増殖してきている。思春期の娘が、ボーイズアイドルグループに嵌まって、グッズを集めている、というのはよくある風景だが、わが家の場合、グッズは手作りだし、さらに言えばそのアイドル自体もまた手製なのだった。
 もちろんピイガは、げっPOを自分の理想のアイドルとして作っているわけではない。本当に自分好みに仕立てているわけではなく、詳細は彼女の創作物なので勝手には語らないが、その設定はだいぶウケ狙いに走っている。つまり欲求から来る創作ではなく、半笑いで、対話型生成AIのそれと同じく、「こういうことやろ?」の気持ちでやっているのだ。オリジナルグッズ製作も、もともとそういう手作業が好きだという実利はありつつ、当然その悪ふざけの一環だと言える。
 そう考えるとなかなか手の込んだ嫌がらせだ。なにに対する嫌がらせかと言えば、いまの、ボーイズアイドルグループ隆盛の時代そのものに対してだろう。思えばピイガは、これもまた誰に似たのか、人の好きなものは好きじゃない、という性分があり、1年前のちびまる子ちゃんランドでは、盛況するコジコジグッズ売り場で、顔を真っ赤にして憤怒していた。またボーイズアイドルグループと言えば、当世はなんと言ってもM!LKということになるが、そもそもわが家で最初にM!LKに注目したのはピイガであったのに対し、それからファルマンと世の中がド嵌まりしたことで、いまも一緒にM!LKの出演している番組などを観てはいるが、ゲヘゲヘ言いながら観ているファルマンに較べ、ピイガの反応は明らかに冷めているのだった。
 そう考えればこの、げっPOというオリジナルアイドルの創作は、ファルマンをはじめとした、その界隈に対する皮肉であると同時に、誰にも侵されない、誰とも競合しない、絶対にひとり占めできる敬愛の対象を持つ行為であるとも言え、なるほどなあと深く感じ入るのだった。省みれば僕には、MAXファンという設定があるのだけれど、なんでMAXなんかのファンをやろうとしているかと言えば、それは誰とも競合しないからに他ならず、しかし誰とも競合しないということは、それだけ対象とするものの地力がないわけで、ここが同担拒否勢の悩ましいところなわけだが、娘が現代技術を利用して実現した、オリジナルアイドル創作というのは、その命題を見事なまでに解決しているのではないかと思った。
 だから僕も、娘に倣って同じようなことをはじめようと考えている。たぶんピイガのようにうまくいかない。僕の創るガールズアイドルグループには、きっと個人的な欲求が投影される。そういう意味で、純粋な創作からは逸脱する。その結果は目に見えている。でもせっかくなのでやろうと思う。

2026年9月5日土曜日

年度


 夏ってほら、終わったじゃないですか。
 よく9月もまだぜんぜん暑いからまだ夏だ、なんてことを言う人がいて、他ならぬ僕自身も「9月19日までは夏、20日から秋」なんて発言を繰り返していたけれど、でもまあ、8月が終わった以上、夏ももう終わったということでいいのだと思う。
 今年の夏は御せなかった。
 夏が本格的に始まる前、昨年の反省を生かし、今年はどうにか食欲を減退させまいと、「ファルマンと口に入れる物の話はしない」という方策を取った。これは成功だったと思う。食欲ルンバに食欲を吸い取られることなく、ごはんは夏を通してしっかり、意欲的に食べることができた。ただし今年は、近年稀に見るほどに、冷麺というものを食べない夏だった。毎年夏を中心に冷凍庫に常備する、鶏ささみをほぐしたものに軽く味を付けたものも、ほとんど作ることがなかった。なぜそうも食べなかったかというと、僕以外の家族はみな冷麺が好きではないということが、今年になって判明したからだ。もともとポルガは、冷麺を食べたあとは腹を壊しがちであった。これはアレルギーとかではなく、早食いのせいに違いないのだが、そのためこれまではポルガが部活でいない昼食を狙いすまして冷やし中華を作ったりしていた。しかしあるときピイガもまた、冷やし中華はあまり好きではないという話になり、そうなるとあとはもう、この世のあらゆる食べものに関し、「嫌いなもの」と「無」しか感想がない食欲ダイソンしかいないので、なんかもう、すっかり冷麺に関して気持ちが白けてしまったのだった。そして、食べなければ食べないで、別に構わないのだ、冷麺というものは。冷たい麺くらいしか食べる気が起きない、という言い回しがあるけれど、言い回しがあるからそういう気になるだけで、本当はそんなことないのである。夏でもあったかいうどんを啜ればいいのだ。だって冷房を効かせているのだからして。そして、もしかするともしかすると、こんなことを言ったらシマダヤとかに怒られるかもしれないが、冷麺をあまり食べなかったことで、僕の今夏の食欲は護られた部分があったのかもしれない、とも思う。ポルガの腹を壊すではないけれど、冷たい食べ物によって、恒温動物たるわれわれの、保たなければならない大事なバランスが崩れる部分が、ないこともない気がする。知らんけども。
 食欲は大丈夫だったが、身体が大変だった。その最たるものはなんと言ってもお盆休み期間中に発生した耳爆ぜなのだが、それ以前から、7月のスイミング回数が2回だったという時点で、なんのことはない、だいぶ参っていたのだ。本当に、近ごろの夏の暑さというのは、いったいなんなのだろう。人類の経済活動のせいで地球温暖化が加速しているのなら、その結果としてのこの異常な暑さの夏の期間、人々はあらゆる経済活動を停止し、服もろくに着ないで、ただセックスだけをしたらいいと思う。2ヶ月で世界はだいぶめちゃくちゃになるだろう。でもそれについては9月に入ってから考えよう。残りの10ヶ月で態勢を整えればいい。この2ヶ月間を、ちゃんと文明人として生きるのは、無理があるだろ。僕が綿棒を深追いさせすぎて外耳炎になったのも、きっとそんな衝動の発露なんだと思う。ルール無用のセックスワールドを夢見ながら、僕は耳の穴に綿棒を突っ込んでいたのだと考えると、いじましくて涙が出そうになる。でも実際に出たのは耳汁だ。アミノ酸的な、なんとも言えないにおいを発するやつ。
 耳鼻科通いは、先日の診療で無事に終了した。左耳の聞こえは、どこかで劇的によくなるのかと思いきや、知覚できないほどグラデーションで回復したようで、「治った……ん、だと、思う、よ?」みたいな、微妙な感じだ。前はこの位置からあれが見えたのに、みたいな、視覚のような分かりやすい指標がないので、これが従来通りなのかどうなのか、いまいちよく分からない。今回、俺の左耳の鼓膜には穴が開いているという衝撃事実を知ったことで、逆プラシーボ、逆プラシーボって要するに呪いということだが、その作用によって、変なコンプレックスを抱えてしまった感じはある。俺の左耳の聞こえが十全であるはずがないんだよ、だって鼓膜に穴が開いてんだもん、とイジけている。イジけているので、全力を出せていない。誰か更生してやってほしい。山下真司とかが熱血指導をしてくれたらいい。俺は今からお前たちを殴る! サウスポーの山下真司。そして左耳の鼓膜はいよいよ破裂する。
 えっと、なんの話をしていたんだっけ。そう言えば耳鼻科の最後の診察を受けた数日前、体中に発疹が起ったのだった。赤いプツプツが出るだけで、かゆみや発熱は一切なかったのだが、大いに驚き、すぐに点耳薬の投与をストップした。趣味的にも仕事的にもやけに薬剤に詳しいファルマンの話によれば、抗生物質がすぐではなく、投与から2週間くらいしてから抗体ができることでそういう症状が現れることはあるらしい。ただしこれの話のややこしいところは、この発疹が出た前の晩、晩酌で大量のシジミの酒蒸しを食べたという点で、僕は大好物なのに貝類に関してちょっとアレルギー的な気配がなきにしもあらずなので、そっちのせいかもしれないのだった。それで耳鼻科の医者に、発疹が出たので点耳薬をそこでやめたのだが、と伝えたところ、もう炎症は治ってるからやめて問題ない、発疹の原因は分からない、発疹の8割から9割は原因不明だ、という言葉が返ってきて、そのときにはもう発疹も引いていたので、まあそんなもんか、そんなもんだな、と納得した。ファルマンは家族の体調不良に関し、いつもとても派手な反応をし、それは冷たくされるよりもちろん嬉しいことではあるのだが、とは言え「騒ぎ立て」という表現が頭に思い浮かばないこともなく、本人と対話型生成AIの二人三脚で次々に繰り出される、発疹の考え得る要因の羅列よりも、この世の発疹の9割は原因不明、の一言のほうが、すとんと腑に落ちたりもする。もっともそれは結局のところ、「お医者様」の言葉だからか。たとえば僕が「寝れば治る」などと言っても、誰の臓腑にも落ちず、むしろ逆流して嘔吐することだろう。早く病院に行けよ。
 耳爆ぜ(外傷)と発疹程度でそんなことを言うなんて逆にめっちゃ健康だな、という話なのだが、数え年ではなく満年齢ではあるのだけど、言っても42歳なので、もしかするとこれが厄年ということなのかもしれないな、などと思った、今夏の体調不良だった。
 でも書き出しでも述べたように、そんな夏ももうおしまい。耳鼻科医のお墨付きも出たので、昨日の退勤後、満を持してプールに立ち寄った。記録によると8月7日以来、約1ヶ月ぶりのプールである。水着が毎回新しいのはいつものことだが、今回からは心機一転、ゴーグルと耳栓も新仕様となり、どうやら僕のプールライフはグローバル志向があるようで、9月から新年度に切り替わるらしい。新しい耳栓はたぶんこれまでよりも強固で、嵌めると館内で流れている音楽がほとんど聴こえなくなったので、それだけ穴をちゃんと塞いでくれているんだろうと思う。久しぶりの水泳は、夏場のブランクによるものだろう、だいぶ体が重たいというか、泳ぐという動作に対して距離ができてしまっている感があったが、定期的に通っているうちに、軽やかに気分よく泳げるようになるだろう。もちろん泳いだあとは、指導されたように軽く耳の入口にタオルをあてる程度にとどめ、そのあと左耳に違和感などは発生していない。よかった。本当によかった。
 体調不良もなくなり、プール生活も新年度になったので、それはもう必然的に季節も移ろったということだ。まだまだ気温が35度近くなるとか、そういうことじゃないんだ。陽を見ろよ。短くなっただろ。もう夏至から2ヶ月以上経ってるんだぜ。いつまでも夏気分でいるなよ。現実を見ろよ。2ヶ月間の獣欲の日々を終えて、これからはまっとうな社会を再構築していかなきゃいけないんだから。朦朧とした意識の中で、さんざん愉しんだだろ。最後は体調を崩すほどだっただろ。やりすぎだよ。これからは地に足のついた暮しをしよう。俺は水中で浮遊するけど。

2026年8月22日土曜日

2026年夏の自家用車横浜帰省 4日目 8月13日


 盛りだくさんだった3日目に対し、実家のほぼ最終日となるこの日は簡素なものである。
 ただし子どもたちはそうではない。子どもたちは、いとこらと4人で、よみうりランドに行ったのだった。よみうりランドというメジャーな遊園地が、実家から意外と近いのだということを、今回初めて知った。母によると、僕も行ったことはあるらしい。記憶はぜんぜんない。天候が果たしてどうなのかという不安はあったが、とりあえず大丈夫そうなので、開園時間に合わせるように、途中でいとこらをピックアップして、連れていった。あとはもう夕方の迎えの連絡が来るまでノータッチである。楽になったものだ。来年になれば姪が免許を取っているかもしれず、そうなれば送迎さえいらなくなる。楽すぎるだろ。遊園地そのものにはなんの興味もなく、ぜひ子どもたちだけで行ってくれたまえ、という感じだったが、夏季限定のプールには興味が湧いた。なので送迎の際にプールの様子を窺うことだけでもできないかと思っていたのだが、もちろんそんなことはぜんぜんままならなかった。昨日に続いて、やけにプールの様子を窺いたがる生きものである。「プール覗き界隈」と言うと聞こえが悪いが、有り体に言えばその通りである。でもそれは若い女性の露出過多の濡れた肉体が見たいという、それももちろんあるが、ただそれだけの理由ではなくて、要するに僕は、プールの雰囲気が純粋に好きなんだと思う。
 子どもを送ったあとの帰り道で、ファルマンとコインランドリーに立ち寄った。われわれの帰省によって洗濯物が多いのに天気がぐずついているので、母から乾燥を頼まれたのである。晴れ間がないことで知られる冬の山陰でも、なんだかんだでわが家はコインランドリーを利用せずに暮しているので(洗濯機に乾燥機能もないのに)、なんだか新鮮だった。コインランドリーと言えば、世間で大いに盛り上がっている、われわれ夫婦も愉しく観ているドラマ「Tシャツが乾くまで」を連想せずにはおれず、ドラマに出てくるコインランドリーの100倍くらい野暮ったい店で、少しだけショートコントのように「Tシャツが乾くまで」ごっこをした。愉しかった。この日は木曜日。明日は絶対にホテルの部屋のテレビで放送を観なきゃね、と話した。
 大人だけの昼ごはんに関してはなんの話もしていなかったが、ざるそばが食べたかったので、スーパーでそばと天ぷらを買って帰った。そして午前中だけのデイサービスから帰ってきた祖母も含め、4人で天ざるを啜った。おいしかった。
 午後は、時間があるので今晩の献立として餃子でも作ろうという話になり、それにあたって、いい機会なので僕が子どもの頃から使っているホットプレートをさすがに買い換えようということになって、3人で電器店とスーパーに行った。帰宅して餃子の餡を作っていると、とんでもない勢いで雨が降ってきて、ピカッと光ると、その直後に轟音が響いた。いきなり、ものすごく近い場所に雷雲が湧いたらしかった。果たして子どもたちは大丈夫なんだろうかと不安になったが、特に本人たちから連絡はなく、まあ屋外の遊行施設なのだから、本当に危険なときは係員がいいようにしてくれるだろう、などと考え、餡を作り終えたあとはのんびりと過した。雨はずっと降り続いたわけではなく、雨雲が去ったあとはスーッと晴れたり、しかしそのあとも急に豪雨になったりと、そんな感じだった。
 やがて連絡が来たので、濡れた子どもを車に乗せるの嫌だな、と思いつつ、タオルを大量に携え、迎えに行く。子どもたちは「びしょ濡れになったけどもう乾いた」そうで、たしかに少し湿っている程度だった。それはそれで嫌ではあったけれども。遊園地は、そんな天候もあってか、いとこの話によるといつもより空いていたそうで、存分に愉しめたらしい。ならよかった。
 というわけで、晩ごはんはまた一族が集結し、餃子。僕が餡を作った(包むのは僕が迎えに出ていた間にファルマンがやった)餃子は、当然ながら大好評だった。僕の餃子はいつだって異様なまでに美味しいのである。食べ終えたあとは、8月13日ということで、庭先で迎え火を焚いた。今年は一族が全員集合でできたので、よかったんじゃないかと思う。
 そのあとは恒例のような、でも去年はたしかやらなかったような、数独の同じ問題を全員で一斉にやる、というのをやった。いつの間にかできた変な行事。順位は、1位が姪、2位が叔父、3位がポルガだったか。僕も、アルコールが入っているし耳から汁が出ているという致命的なハンデを背負いつつも、なんとか解ききった(だから実質は1位みたいなもんだと思う)。ファルマンは途中で放棄し、ピイガは最後まで奮闘していたが、最終的に鼻血を出して泣いた。ものすごい負けん気だと思った。
 最後に祖母も含めてみんなで集合写真を撮り、お開きとなった。一族のお盆の集い、というのがしっかりできた感じで、とてもよかったと思う。

2026年8月17日月曜日

2026年夏の自家用車横浜帰省 3日目 8月12日 前編


 結局台風15号に関し、まみえたな、という感触はないまま終わったのだけど、ニュースでは宇都宮駅の大木が根元からぽっきり折れたりしていたので、おそろしかった。ちなみに世にも珍しい東から西に向かう逆走台風の特徴として、台風一過的なものは一切ない、というのがあるそうで、台風の本体が関東を通り過ぎたはずのこの日も、あまりすっきりしない空模様だった。
 そしてこの日はわりと書くことが多い。なぜなら家族がだいぶ別行動をしたからだ。
 まずポルガは、だいぶ前から宣言していた、ひとり東京社会科見学を実行した。具体的に言うと、国会議事堂と靖国神社に行ったそうである。だいぶ思想が強いセレクトで、親ながらびっくりするが、どうやら最近、近代世界史・政治史みたいなものにハマっているようで、本当は市ヶ谷の東京裁判の見学ツアーにも行きたかったらしいのだが、予約がうまいこといかず、仕方なく靖国神社にしたらしい。1年の中で、だいぶピリピリ感の強いタイミングの靖国神社なんじゃねえかなー、という気はしたし、そもそも東京の電車や町をひとりで大丈夫か、という不安はあったが、本人のついてくるなオーラがすごかったので、あざみ野駅までの見送りだけした。ポルガは出発前に電車の時刻表を調べようとしたので、田園都市線は時刻表を調べなくていいんだよ、と説明した。目の前の電車を乗り逃しても、5分以内に次の電車が来るんだよ、1時間後とかじゃないんだよ、と。あと国会議事堂なら永田町駅なので、渋谷から半蔵門線直通で1本なのだが、どんなに説明しても、半蔵門線直通というのがピンと来ないらしく、最後まで「渋谷駅で半蔵門線に乗り換えるの?」などと訊いてくるので、どうしたって不安は募った。こんな島根の大自然の中でのびのび育っている子を、ひとりで東京なんかに解き放っていいのだろうかと。結果としては、予定していたふたつの施設はもちろん、それらのエリアにあるいろいろな建物も目にしたそうで、とても満足した様子で無事に帰ってきた。よかったよかった。まあポルガはすっかり田舎ナイズされているが、実は東京生まれだったりするし。
 どうして急にそんなことを言い出したかと言えば、残された3人は、他ならぬポルガ生誕の地である練馬に行ったからである。帰省前の日記にもチラッと書いたが、去年、いきなり声を掛けて、慌ただしく再会した友達と、今年こそはきちんと態勢を整えて会おうということになり、落ち合う場所をどこにするか、直前にやりとりしたのだけど、うまくまとまらず(横浜駅という案を僕が拒んだというのもある)、とりあえずわれわれが、向こうの居住地である練馬まで行き、そこから先のことは会ってから決めようという、結局1年前とあまり変わらないフワッとした事の運びとなったのである。
 そしてこれは、同時に僕の耳鼻科行きという用件も兼ねているのだった。復路の長い運転のこともあるし、とにかく悪化させるわけにはいかないので、暦の上では平日であるこの日(13~15日はお盆として)に、絶対に医者にかかったほうがいいという話になり、僕はそういうのがとにかく苦手で、ファルマンが調べてくれたのだけど、実家の近くの耳鼻科という耳鼻科は、既に夏休み期間に入りどこも休みであるのに対し、練馬区にはわりとやっている耳鼻科があるということで、ならば友達との待ち合わせ時間に先んじて練馬に入り、僕は耳鼻科へ行き、その間ファルマンとピイガには周辺で適当に過してもらおう、という算段になった。そんなわけで待ち合わせは午後だったが、9時くらいに実家を出発する。ちなみに車である。僕は僕ですっかり田舎ナイズされているので、なるべくなら公共の乗り物に乗りたくないのである。実際この1年間で、昨夏の池袋練馬ツアーでしか、電車というものに乗っていない。だから練馬へももちろん車という発想になる。そもそもあざみ野から練馬というのは、副都心線を使ったとしてもあまりアクセスはよくないのだ。
 練馬へは1時間あまりで着いた。練馬にファルマンと住んでいた当時、実家に顔を出したとき(帰省という言葉を使うような距離感ではなかった)、帰りは荷物が多くなるので母が同乗して車で練馬の住まいまで戻る、ということを何度かやった。今回、十数年ぶりにやった実家から練馬までの道程は、もちろん道など覚えていないので、Googleに丸投げだったのだけど、たぶんほとんど違う道で、残念ながらおもひではぶぉろろぉぉんしなかった。
 耳鼻科の予約時間まで少し余裕があったので、ファルマンとピイガを中村橋まで送った。ふたりはここで練馬区立美術館に行ったそうだ。ちなみにだが、開催されていた企画展は、だいぶ高尚すぎる現代芸術的なやつだったそうで、ぽかーんとしたそうである。
 そして僕はひとり耳鼻科へ。短い問診ののち、僕の左耳の中を覗いた60代くらいの女医は、「きたなっ」と驚きの声を上げた。耳鼻科の先生が思わず「きたなっ」と言ってしまう俺の耳の穴。なんか、傷とか膿とか、とにかくだいぶエグい感じの、外耳炎になっているらしい。とりあえず液体を吸引してもらい、点耳薬を処方してもらった。「島根に帰ったらそっちでも診てもらいなさい」とも言われた。「実家はどこなの?」とも訊かれ、「横浜です」と答えたら、「島根に住んでて、横浜の実家に帰省してて、それで練馬の耳鼻科に来てんの? なんで?」とツッコまれた。自分でももうよく分からない。いろいろあるんだよ。とりあえず医者に診てもらったという、その一点でだいぶ安心感が得られたのでよかった。
 薬を受け取ったところでファルマンに連絡を入れると、友達と連絡を取り合った結果、既に来ていることを知った友達が早く出てきてくれて、ちょうど合流したタイミングとのこと。それでこれからどうするのかと訊ねたところ、友達の案内で今日は飯田橋界隈の街巡りをすることになった、という答えが返ってきた。
 飯田橋! ぜんぜん馴染みがないが、練馬よりも都会であるということは察せられた。たぶん、車で行くような街ではない。地図で確認すると、同じ画面に靖国神社が表示されたのでおもしろかった。ポルガとニアミス! と思うと少しワクワクした。
 しかし飯田橋。飯田橋の街巡り。どうしよう。俺はいったいどうすべきだろう。駐車している車の中で、しばしの間、僕は思案した。
 後編へ続く。

2026年7月15日水曜日

ほとばしるパピロー愛


 僕しかいない島を作っている「トモコレ」で、とうとうすべての年齢の僕が出揃った。
 集合した写真がこちらである。


 20歳から41歳まで、総勢22人。でもすべて僕なので、22人という表現がふさわしいのかどうかはよく分からない。人生ってなんだろう。命ってなんだろう。
 顔の基本ベースは全員もちろん同じだが、その時期ごとの、この当時は主にこんな髪型でこんな眼鏡だったよな、というイメージで個性を出しており、この22人を実際に傍で見てきたファルマンからは、「たしかにこういう感じだったかも」と、なかなかの再現度であるというお墨付きをもらっている。
 始めたころは本当に毎日せっせと作業をしていたが、最近はさすがに毎日はやっていない。誰だっていつかは遊ぶのをやめるし、僕にだってその日はやってくるはずだが、ファルマンおよび娘たちからは、「せめて誕生日まではやめないで」と言われている。キャラクターを作る際に誕生日を設定するのだが、僕の島の22人のパピローの誕生日は、もちろん全員が9月20日なので、その場合、島民の誕生日当日にゲームを起動した場合に行なわれるお祝いイベントが、22連続で行なわれるのか、興味があるらしい。ゲームの性質上、たぶん行なわれるんだろうが、22連続ともなると完全に作業になってしまい、7人目くらいからは飛ばす感じになるに違いないと思う。ちなみにだが、誕生日を迎えたところで、年は取らない設定にしている。
 誕生日は、これまでの22人のお祝いと同時に、42歳のこの僕が島民になる日でもある。ゲームには、島民たちの面倒を見る立場の存在、すなわちプレーヤーがいて、僕の島の場合それは(年齢)のつかないただの「パピロー」なのだが、正確に言うと、今年の9月19日までは、それは「パピロー(42)」なのである。その「パピロー(42)」は9月20になったら、大きな手に掴まれて島に放り出される。その大きな手は誰のものかと言えば、言うまでもなく「パピロー(43)」のものである。こうしてゲームと人生は進行する。気持ち悪い。
 というわけで今後は島民は1年にひとりしか増えていかないことになり、島民は最大で70人まで作れるのだが、僕の場合そこまでいくには、自分自身が90歳にならなければならないことになり、なかなか荷が重い。まだほぼ半世紀もある。俺の人生、まだまだ続くんだな! と、とても意外な、説明がとても面倒なルートで、希望のある地点にたどり着いた感がある。
 娘たちからは、「20歳以前も作ったらいい」と言われるのだが、なんとなく気乗りしない。20歳の頃に何があったというわけでもないが、区分として、大人になってからの自分だけでやったほうがすっきりすると思う。童貞を喪失したのがたとえば17歳とかであれば、そこからスタートでもよかったかもしれないが、残念ながらそんなことはない。それでももしも無理やりに、20歳以前のパピローを作るとすれば、その場合は9歳がいい。9歳のパピロー少年は、もちろん信じられないくらいの美少年だが、どことなく顔に憂いがある。それはなんの憂いかと言えば、両親が離婚した憂いだ。そんな「パピロー(9)」を、島民のみんなで慰めてやりたい。特に27歳以降、父親になったパピローたちが抱きしめてやってほしい。気持ち悪い。

2026年7月4日土曜日

中山・吉沢・柳家


 週末の朝、平日の細かく定まったモーニングルーティンとはまるで違う、漫然とした時間を過しながら、テレビはなんとなくいつも「シューイチ」に合わせている。その日の起きた時間によって見る時間帯はまちまちだが、「ズームインサタデー」時代から続くジャイアンツ偏重のコーナーを除けば、だいたいそれなりに不愉快なく眺められる。しかし何ヶ月か前、司会の中山秀征が休暇かなにかで番組を欠席したとき、番組に対して無性に居心地の悪さを感じた。とても物足りない、寄る辺ない気持ちになったのだ。これには自分でも驚いた。えっ、俺はそんなに中山秀征に依存していたの? と。でも意識し出したらどうやらそうらしかった。先日、サッカーW杯に合わせて、中山秀征はメキシコとアメリカに行っていた。中山秀征はサッカーになんて興味ないだろ、と思っていたら、やっぱりぜんぜんなさそうで、VTRのほとんどはアメリカの単なる観光ロケだった。その中で中山秀征はナッシュビルのバーでエルビス・プレスリーの曲を唄い、地元のアメリカ人と盛り上がっていた。そのさまを見た瞬間に、疑念は確信に変わった。俺はどうやら秀ちゃんのことが好きらしいぞ、と。そしてそれは秀ちゃんのパーソナリティがどうこうということではなく、俺は秀ちゃんから、テレビがハラスメントとかで臆病になる前の、豪放磊落で大雑把で身勝手で、でもギラギラと輝いていたあの時代、その時代の最期のほうにテレビっ子だった自分が愛していた世界の残り香のようなものを嗅いでいるらしい、と思い至った。秀ちゃん自身にその自覚があるのかどうかは判らない。たぶんないと思う。そういうのって、本人が自覚してやるもんじゃないんだと思う。周囲のさまざまな思惑や事情が折り重なって、結果として中山秀征がそういう存在になったのだと思う。まあナベプロだし、アメリカのバーでノリノリでエルビス・プレスリーを唄えてしまうという本人の資質的にも、順当なところだよな、と得心がいく。加えて思い出されるのは、僕はMAXのファンであるという事実だ。中山秀征とMAX。結局あの時代がいちばん愉しかったよね……、と言いそうになったが、いや待てよ、中山秀征とMAXだぞ、お前ほんとにそれでいいのか、と思いとどまった。思いとどまったが、しかし今もまだタイトロープの上に立っている気がする。5年後くらいには本気で言っている気もしている。

 プライムビデオで「国宝」を観た。3時間あるというので、どうやって観たものか、一気に観るのはどう考えても無理(ピイガが寝たあと22時半から観はじめても寝るのが2時とかになってしまう)なので、土日の2晩に分けて観るか、などとファルマンと話していたが、結局それさえままならず、なんと3度の土曜日の晩に分けて、ようやく観終えることができた。つまり3週間かけて観たのだ。そのような視聴をした人間が感想を述べる権利などないように思うので、なにも言うつもりはない。ただファルマンによる、「曽根崎心中」のお初(を演じる吉沢亮なり横浜流星なり)のモノマネがおもしろかった、ということだけ記録しておく。学のない夫婦。

 ポルガが学校の授業の一環で落語の鑑賞をするとのことで、誰が来るんだと訊ねたら、「えっとね、この人」と言って見せてくれた、学校からの知らせに記された名前が、柳家喬太郎だった。えええっ、となった。柳家喬太郎? あの柳家喬太郎? マジで? なにそれ! めっちゃうらやましいんだけど! と大興奮した。なにを隠そう、柳家喬太郎と言えば、ここ数年、いちばん好きな落語家だ。CDやYouTubeでたびたび聴いている。すごく好き。そんな柳家喬太郎を、僕よりも娘が早く、生で体験するという。ずるい! ずるいずるい! いいないいな、サイン貰ってきてくれよー、などとわがままを言った。
 そうしたら本当にもらってきてくれたのでおののいた。


 この場合の「サイン貰ってきてくれよー」は、発表会などの際の「横断幕を持って応援するね!」と同じ類の、一種のジョークと言うか、常套句みたいなもので、まさか本当にもらってきてくれるとは思っていなかった。ポルガは公演のあと、先生に取り次いでもらって、ひとりで楽屋を訪問し、父親がファンであると柳家喬太郎に伝え、サインを描いてもらったのだという。マジかよ! お前すげえな! なんか物怖じとかぜんぜんしない、サイコパスタイプの人だなあ、自己肯定感の化け物だなあ、とは前々から思っていたけど、本当にすごいな! って言うかお前、柳家喬太郎と一対一で会話したのかよ! うらやま! もちろんそんなことをした生徒はポルガだけだったそうで、見てのとおり、とても丁寧に描いてくださっている。さらに右上には僕の名前も書いてくださっている(ポルガはスマホで表示して漢字を伝えたらしい)。柳家喬太郎が俺の名前を書いてくれた! たぶんきちんとした柳家喬太郎の独演会とかだったら、こんなの観客みんなが欲しいに決まっているので、楽屋訪問もできないし、これほど丁寧なサインも望めないんだと思う。こういう機会だから得られたのだ。めっちゃ嬉しい。大事にしようと思う。早速ハードケースを買ってきて収めた。持つべきものは物怖じしない娘である。ポルガの好物のマーブルチョコ(明治)を10個買って帰った。

2026年6月10日水曜日

爆売れ・充電・なに


 このところ水着がよく売れた。合計で俺の作った水着を40枚買ってくれた人がいる、ということを少し前に書いたが、あの人がそのあとさらに10枚買ってくれ、それとは別の人もまた、ブームなのか10枚のまとめ買いをしてくれたのだった。
 これまで水着がぽつぽつ売れるたびに、「いやー、在庫が少なくなっちゃったなー、張り切って作らなきゃいけないなー」とぼやき、ファルマンに「ぜんぜん減ってねえだろ、溢れてんだろ」とツッコまれるのが一連の流れだったのだが、20枚、10枚、10枚と来たので、さすがに在庫は目に見えて減った(まだたくさんあるけれど)。商品がYahoo!フリマへの出品数の上限に迫ったので仕方なく4枚でひとつのページにまとめることにした、ということを書いたのが5月9日なので、ちょうど1ヶ月前のことである。それから一気に波が来た。あるいはまとめ買いを促すような商法が奏功したということなのだろうか。
 ちなみに今回の波で、これはいついつまでも売れ残りそうだな、と思っていた、2024-2025ウインターコレクションの3枚、雪の結晶やノルディック柄の、思いっきり冬っぽいデザインのものも完売した。これにはびっくりした。作って販売しておいて何だが、買う人がいるんだな、と思った。それも6月に。ほとほと商売というのは、あきないものですね。おあとがヒュイゴー。

 先日ファルマンとピイガと買い物に行き、会計の際、ピイガのスマホに入れているアプリが必要で、というかそれが目的で連れてきたみたいなところがあったのだが、いざ使うときになって、「あ、充電がない」とピイガが言い出し、電源を入れると「0%」みたいな表示だけが出て、使えなかったのだった。思わず「役立たず!」と口に出して言ってしまった。娘に言ったのか、娘のスマホに言ったのか、どちらかと言えば、9:1で娘自身に向かって言ったのだと思う。だって俺、出発するだいぶ前から、その算段について本人に話していた。普通、充電を気にするだろう。どういう思考してんねん、と文句を言いたくもなる。
 そもそもスマホの充電が0になるという事態が、僕は信じられない。高校生でシティフォンを持って以来、使用している携帯電話およびスマホの充電を0にしたことは、たぶんこれまでいちどもない。車がガス欠で道路の真ん中で立ち往生、などという体験がないのと同じで、それは完全に空っぽにしてはいけないものだという認識がある。
 それに対し、ファルマンはよく充電が切れるし、よく「あと2%しかない」などとのたまったりする。ほぼ家から出ないし、リビングのソファに寝転がって延々と対話型生成AIと話し込んでいるのだから、そのとき充電ケーブルを繋ぎながらやればいいじゃないかと思うのだが、決してそうはせず、「あ、充電が切れた」などとホザく。そして慌ててケーブルを差す。
 そんな生きものはこの世でファルマンだけだと思っていたら、ピイガもそうであるということが今回判明したし、なんならポルガもまたそっち側だ。もしかするとスマホをこまめに充電しない性質は、顕性遺伝なのだろうか。家族がいつかガス欠で大変な目に遭わないか心配だ。

 『トモコレ』は、相変わらずやっているのだけど、熱は少し冷めてきて、「これっていつまでこんなことを延々と続けるの?」という疑問を抱いてしまった。敵を倒したり、問題を解決したりするわけではない、食べて、着替えて、交遊して、漫然と続く、暮し。
 それってこの世界じゃん、と気づいてしまった。
 中にいるのは各年齢の僕で、前回の記事で書いたが、42歳の僕もまた、僕が42歳を卒業した瞬間にこの中に入ることになるのだけど、じゃあ逆に今の俺ってなに? ゲームの中にいない、各年齢のパピローと友好を深めない、せっせと勤労して日々をこなす俺は、いったいなんなんだ? ゲームってなに? 人生ってなに? などと、分裂気味なことに苛まれ始めた。やる前から抱いていた印象で、また僕のコンセプトが特にそうなのかもしれないが、このゲームは、とても薄気味悪い趣味のものだと思う。精神においてとても薄情な部分がないと、このゲームを本心からは愉しめないのではないか。
 そんなことを思いながら、もうしばらくは続けようと思う。なに行為なんだろう。

2026年6月5日金曜日

島の名前は「MARIMOCCOTOPIA」


 あんなに「やる奴の気が知れない」とのたまっていた『トモコレ』を、始めてからは毎日きちんと欠かさずにやっている。パピローってそういう人。
 住人の数は現在16人。インターネットで日記を書きはじめた20歳を最年少としているので、2026年6月現在、作れるパピローの数は最大22人ということになる。もういっそぜんぶ出し切っちゃえよ、そのほうがいちいち新たな家の配置とか気にしないで済むだろ、という気もしないでもないが、なんとなく小出しにしている。
 新しい住人、すなわち新しい年齢のパピローを作成するとき、その当時の自分の境遇にきちんと思いを馳せ、丁寧に性格診断をする。この頃はいま思えばとても生真面目に生きていたな……、とか、このときはわりとイケイケだったよな……、などと情感に浸りつつ、項目を選ぶ。すると意外なくらい、パピローたちの性格の型は分かれる。性格は大きく4系に分類されるのだが、現在の16人の構成はというと、ナゴミ系4名、ノリ系4名、クール系3名、ドライ系5名と、ほぼ均一の配分になっている。子どもたちからは、「なぜひとりの人間なのにそんなに性格が変わるのか」と不思議がられるのだが、これが人生の蓄積というものだ。ティーンにはとても解らないだろう。
 人生の蓄積。
 当初のコンセプトとしては、俺ばっかりの世界で俺と俺と俺が仲良くしてハッピー、くらいの軽い気持ちだったのだが、住人を年齢別にしたことで、軽く人生の振り返りのようなことになり、望外の感慨深さのようなものを得てしまっている。最年少のパピロー(20)と最年長のパピロー(41)(42はまだ未作成なのである)が触れ合っている場面などを見ると、この間には20年余りの歳月があるのだなあ、僕はなんとか生き抜いてきたのだなあ、などと思う。『トモコレ』ってそういう感動をするためのゲームだったっけ。
 ちなみに現在、島で唯一の恋人関係にあるのは、これもかなりの年少と年長であるパピロー(22)とパピロー(40)で、先日はどちらかがプロポーズをしたいと相談してきたので、それはちょっと待て、と止めた。恋人関係までは覚悟ができていたが、結婚となるとさすがに理解が追いつかないというか、世界観がよく分からなくなってくるので、しばらくは控えてもらうつもりである。こんな世界にいまさら破綻もなにもないだろう、という気がしないでもないけれど。
 島の言葉や住人たちの口ぐせを設定するのもおもしろく、歴代のキーワードの選り抜きとしてはこれが最適だろうと、puropediaのcozy ripple名言・流行語大賞のページを印刷した。そして印刷したそれを片手にプレイに臨もうと思ったのだが、ちんこ関係の言葉があまりにも多いため娘の目に触れさせるわけにいかず、仕方なくそこから穏当な言葉を抜き出し、手書きのメモにして、それを傍らに置いてやっている。娘からは「なにそのメモ。なにそのプレイスタイル」と呆れられている。ファルマンからは、「普通はスマホとかで推しの顔を表示させながらMiiの似顔絵を作ったりするのにお前は自分の考えた言葉の手書きメモて」と丁寧にツッコまれた。速水真澄とチャン・ドンゴンとブラックジャックを作っている人になにか言われてもぜんぜん気にしない。
 島の言葉をいろいろ入力すると、たとえばこんなことになったりする。


 たしかになあ、と思う。たしかに密接に関係している。無自覚な欺瞞からの逃避とかって言う奴に友達がいるはずがない。本当にそうだと思う。
 でも前回『トモコレ』について触れた際にも書いたが、この世界だとこうなる。


 虚数友達。現実には存在しない理屈の友達。しかしそもそもがタイムパラドックスで同時に存在できるはずがないものが無数に存在している世界なので、そんなこともある。
 ちなみに初めて画像を載せた。switchの画像をパソコンに転送するのってどうやるのか、わざわざ検索して作業した。我ながらマメである。ブログの集積が『トモコレ』になり、そして『トモコレ』がまたブログになる。まるで自らの尾を喰らうウロボロスのようだと思う。
 パピローたちが着ているTシャツは、話しかけなくてもひと目で年齢が分かるようにするための工夫で、アイテム工房でわざわざ1枚1枚作っている。なんだかゲームの中でも現実とおんなじようなことをやっていることだ。
 ちなみに現在の集合写真がこちら。


 赤いスカーフと年齢Tシャツがこの島の制服。あと赤いビキニパンツがつい先日ショップに並んだので喜び勇んで大量購入し、いま順々に穿かせていっているところである。本当はビキニパンツを愛好するようになるのは30代半ば以降に限られるのだが、そこは創作的な部分として許容していただきたい(いったい誰に請うているのか)。
 それにしても多彩な顔触れである。愛しい。顔のパーツは基本的に一緒で、身長ももちろん一緒。本当は38歳以降くらいからは、それまでのふわふわした体から、それなりにがっしりとした体格になっているはずなのだが、残念ながらそういう項目はない。痩身か肥満かしかないので、そこは操作していない。
 今年の9月20日になったら、42歳であるこの僕も大いなる存在であるパピローの手によって掴まれ、こちらの世界に連れてこられるのだろう。いまから愉しみだ。

2026年5月17日日曜日

記録・冊子・おもひで島

 3月から再開された今年度のプールライフで、「いちど穿いた水着はもう穿かないチャレンジ」をしている。つまり毎回ちがう水着で泳いでいるということだ。
 製作された水着は車内に置いてある専用のバッグに入れられ、プールに行く際はそこからその日の気分で1枚を選ぶ。そして遊泳に用いられると、その水着はもう車内には戻されず、家で待機となる。そういうシステムでやっている。これでいちど穿いた水着をもういちど穿いてしまうミス(たぶん世界で俺だけにとってのミス)は防げるが、さらに予防策として、遊泳後の着用姿を写真に撮り、その記録も残してある。これにより、どの日にどの水着を穿いたかというのも、必要になるかどうかは別として、明確にできる。
 ついでに言えば、月間記録表みたいなノートに、数年前から射精と水泳のふたつのデータを記録しているのだが、この水泳の書き込みに関して、その都度それが今年何回目の水泳であったかを記しておけば、それがすなわち穿いた水着のバリエーションということにもなるし、年末にわざわざ総計を数える手間が省けるのだと気づき、先日からそうしている。ちなみに今日現在までに、24回泳いでいる(つまり24通りの水着を穿いた)。3月1日から約75日でその数字なので、ほぼほぼ3日に1回のペースということになる。まあまあだな。
 射精に関しても、同じことをやろうと思えばできるのだが、もちろんしない。毎年とても盛り上がり、もはや年末年始の日本の風物詩と言っても過言ではない年精数の発表が、これをしてしまったらぜんぜんおもしろくなくなってしまうからだ。自分が何度射精したのか分からなくなるところに、射精の情趣はあるんだと思う。

 ファルマンの出身校に今春入ったポルガは、なんとファルマンのかつて在籍していた部活に入部したのだった。もちろん憧れの母の背中を追って、ということではなく、本人のやりたいことがたまたまそうだったというだけの話である。
 そんな部活動で、新入部員にとある冊子が配られた。初心者のための練習マニュアル的な、手書きのコピーをホチキスで綴じた素朴なものである。受け取ったそれを開いて内容を眺めていたポルガは、途中で「……おや?」と思ったらしい。
 これってもしかして……?
 そこで先輩部員に、これはいつ頃からあるものなのか訊ねたところ、2年生の、16歳のその先輩の答えは、たぶん何年か前じゃない? という不確かなものだったという。
 その日、帰宅して母にその冊子を見せたところ、母は「ひっ!」と言葉を失くした。
 それは今から約四半世紀前、ファルマンが上級生だったときに、主体的に作った冊子だったからだ。そのため文字やイラストは、ファルマンのものが数多くあった。だからポルガも気付いたのである。これはたぶん私の母が作ったものである、と。
 それが先月の下旬くらいの話で、ちょうど衣替えのタイミングだったため、押し入れにストーブを仕舞い、代わりに扇風機を取り出す際、ファルマンは奥深くに眠るパンドラの箱を開け、「これが元々のもの」と、見せてくれたのだった。なにをか。部に四半世紀に渡って代々伝わる冊子の、初版をだ。
 ふたつを見較べると、25年の間にある程度のブラッシュアップはなされたことが窺えるが、ファルマンの担当したページはけっこう残されていて、万感の思いが込み上げた。この万感は、エモさとキモさが、本当にちょうどハーフハーフで構成されている万感であった。25年の時を経て同じ学校の同じ部活に所属した娘にそれが届いたというのは、エモく仕立てようと思えばだいぶエモくなる気もするし、その一方でやっぱり絶対的にこれは気持ち悪い種類の話だろ、という気もする。簡潔に、思考停止気味なコメントを述べるとするならば、「さすがファルマン」というところになるだろうか。
 自宅で確認を取ったポルガだが、部活でこのことは打ち明けていないらしい。それはそうだろう。四半世紀、いまの上級生の先輩の先輩の先輩の先輩も、ずっとそれで練習してきたマニュアルの、作者の娘なのである。重すぎる。サラブレッドすぎる。隠しておいたほうがいい。そして上級生になった暁には、ポルガが主体となってこの冊子を刷新(ダジャレみたいになった)すればいいと思う。こういう伝統って、後の世代になると由来が不明だから誰も変えられなくなるわけで、それを気兼ねなくできるのは、この世でポルガだけだ。
 そしてそれがまた四半世紀受け継がれたりとか。

 なんと「トモコレ」を始めてしまう。趣向は、以前このブログに書いた通り、年齢別の僕ばかりがいる世界にした。それ以外のコンセプトでやろうとは思わない。
 昨日、最初に「パピロー(20)」を作り、今日「パピロー(25)」を作った。呼び名は、本名にしようかとも思ったが、もしかするとこのブログに画像などをアップすることもあるかもしれないという打算が働き、パピローとした。20歳のパピローは大学生なので金髪で髪が長めで、25歳のパピローは社会人なので髪は少し短めで黒い。ふたりは既に友達になった。友達になるにあたり、ふたりでどういう内容について話すかと問われたので、悩んだ末に「ファルマン」とした。それで意気投合した。ただし島にファルマンが現われることは決してない。完全に僕しかいない島にするつもりだ。もちろん誕生日はみんな9月20日だし、性別は男。そして恋愛対象は男性と女性の複数選択。さてこれからどうなっていくだろう。とりあえずなるべく1日にひとりずつ作っていこうと思う。しかし30代の自分がどういうキャラだったか、自分でよく思い出せない。おもひでぶぉろろぉぉんが間に合わない!

2026年5月9日土曜日

股間周りの話3選


 GWに陰毛をすべて剃るということをした。頭髪のほうは、いまやけに伸ばしていて、外出時は結ぶというところまでまた来ているのだが、こと陰毛に関しては、気温の高まりを受けて、素直に全剃りしたのだった。作って穿いている水着が大変なローライズにつき、気を抜くと上端から陰毛が覗けてしまうので、これまでも上部のほうは剃り、全体のボリュームも抑え目に調整していたのだが、ここに来ていっそなくしてしまえと、やってしまった。ざっと目を通しても記述を見つけられなかったが、たしか去年もおととしも、こんなような時期に同じことをしたように思う。ちなみにだが、いちど剃ると濃くなるなどという伝承は真っ赤な嘘である。
 生えていることに鬱陶しさを感じたから剃ったわけで、なにもない状態に対し、身軽さや爽快感を得るのだけど、それと同時に、陰毛が生えていることへの憧憬もまた芽生えていて、我ながらなんだかすごいな、と思う。単に僕の精神がすごいのか、あるいは僕のぱぱぼとるというものが特別そうなのか、いつまでも飽きさせることなく、貪欲に高みを希求し続ける。満足することはいつまでもない。嘘だ。射精したあとはしばらく落ち着く。

 アイロンプリントをデザインしたオリジナルTシャツを着ていて、胸元に大きく「CFNM」と書かれたものは、あらかじめ「どういう意味か」と訊ねられたときの言い訳として、「ケーキ、フルーツ、ナッツ、ミルク」というのを用意していたのだが、「Seventeen Centimeterian」に関してはノーマークで、文字数が多いから、「なんかしらのフレーズなんだろうな」と適当に受け止められるだろう、Tシャツのデザインって得てしてそういうもんだろうと楽観視していたところ、ピイガが「それはどういう意味だ」と訊ねてきたので、答えに窮してしまった。「お前のパパは17cmあるほうの種族なんだよ。だから(そこを乗り越えてきた)お前も誇りに思いなさい」というのが実際の答えだが、さすがにこの春からJCになった娘にそんなことは伝えられないので、仕方なく、「……い、いつまでも17歳の心を持ち続けているってことだよ!」と、センチメータリアンとセンチメンタルをない交ぜにした、よく解らない弁明で切り抜けることに成功した。42歳の父親が、「俺の勃起は17cm」とアピールするのは問題外だとしても、いつまでも17歳の心だということを標榜するTシャツを着るのは果たしてどうなのか。僕は切り抜けられたのだろうか。切り抜けられたのだとして、いったいなにから僕は切り抜けたのだろう。そして切り抜けた先に、どんな景色が広がっているというのだろう……。

 先日プールの更衣室で、中学生くらいの男子のグループがいて、自分の頃もそうだったから実感を伴って解るのだけど、裸になること、すなわち仲間内でぱぱぼとるをさらけ出すことに、抵抗のあるグループと、ぜんぜん抵抗のないグループというのがあるだろう。その日のグループはそれで言うと完全に後者で、特にそのうちのひとりは、裸でガニ股になってぱぱぼとるをぶらぶらさせていた。すげえなこいつ、と思った。でもさらにすごかったのはそのあとで、それを見てゲラゲラ笑っていた仲間のひとりが、「お前やめろよ(笑)」みたいな感じで、彼の股から垂れ下がって揺れるぱぱぼとるを、ぺいっとビンタするように手で払ったのである。JCとJKの娘を持つ、ノビタットレと呼称するオリジナルの水着を作って穿く42歳男性、その一連を無言で眺めながら、内心かなりの嵐が吹き荒れていた。
 ちんこ芸って、要するにちんこという小道具を使ったモノボケだが、しかしその、笑いを誘発する爆発的な力を持つチートアイテムは、あくまで自分専用で、他者は不可侵なものだと思っていた。他人のふんどしで相撲を取るではないが、人のちんこは、触っちゃダメだと思う。本人が腰を揺らしたり、あるいは触って形を変えたりしている間はチートアイテムだが、他者が触ると、それはもうその瞬間に、笑いのアイテムではなくなるのだ。発見だった。「男が別の男のちんこに手をかける」という場面を、そう言えばBL漫画などではなく現実では生まれて初めて目にしたかもしれなくて、そういう意味で清新な心の動きがあった。
 更衣室で同性のプライベートゾーンを触る、というので思い出すのは、あかりのおっぱいを着替えの際すかさず揉んでくるゆっこのことだが(具体的な作品があるわけではないが、こういうとき胸を揉まれるのはどうしたって「あかり」だし、揉むのは確実に「ゆっこ」である)、今回の出来事は男版ゆっこ、言わば逆ゆっこ現象だったと言える。いったいなにが逆なのか。本来は女同士でやるものを男同士でやっていたから逆なのか。それって果たして逆なのか。ゆっこがあかりのおっぱいを揉むやつの男ver.がぱぱぼとるになってくるのは、それはまあ理に適っているとは思う。何度も言うけど、まりもっこりの女性ver.は胸がもっこりしているのだ。男のちんこが女のおっぱいなのだ。そしてゆっこもさすがにあかりのヴァギナには手を這わせない。そう考えるとヴァギナってすげえや。
 ヴァギナってすげえや、という結論に至ったお話でした。

2026年4月26日日曜日

プチ頑固エピ3

 
 ChatGPTのことをチャッピーと呼ぶ界隈があるじゃないか。
 信じられない。
 恥ずべきセンスだと思う。露悪的なことをして炎上するTwitterの投稿のことをバカッターと世間が呼んでいた時期があったが、あれと同等か、あるいはそれ以上のひどさだと思う。いい加減にしてくれよ、と思う。
 僕はチャッピーという呼び方を知るまでは、ChatGPTのことはChatGPTと呼んでいたけれど、知って以降は、必ず「対話型生成AI」と呼ぶようになった。ChatGPTのことをチャッピーと呼ぶ輩がこの世に存在したせいで、僕とChatGPTの間には生まれる必要のない距離が生まれてしまった。
 でもそれでいいんだと思う。この世のすべてに心を開かず、あらゆることと一定の距離を保って生きていきたい。心地よく生きようと思うと、自然とそうなると思う。

 子どもたちが「トモダチコレクション」の最近出た新しいやつを購入し、やっている。不可解な気持ちで、僕はそれを眺めている(リビングにコーヒーを淹れにいったときとかに目にする)。マリオカートとかを見ていて、そのあまりのガチャガチャさに、これはもう僕ができるゲームではないな、と思うことはあっても、ゲームとしての情趣は理解可能である。子らにとってはめくるめく愉しさなのだろう、と思う。しかし「トモコレ」に関してはそれが本当にない。なんかキャラクターを作って、それの面倒を見たりするようである。目的が本当に解らない。解らなすぎて、もはや不安になる。僕に人間としての大事ななにかが欠損しているから、こんなにも解らないのだろうか。ファルマンに訊ねたところ、「これはおままごとみたいなものだから、女は好きなんだよ」と説明してくれた。なるほどな。
 ちなみに最初の「トモダチコレクション」がニンテンドーDSから発売されたのは2009年の6月ということで、ちょうど「おもひでぶぉろろぉぉん」をやっているような時期である。25歳である。その時代からこのゲームは自分の意識の埒外にあったが、2026年の最新作になって、娘らが遊ぶようになった。隔世の感がある。先日ピイガに「パパの顔でもキャラクターを作っていいか」と問われたので、「パパは似顔絵とか嫌いだし、自分がモデルのキャラが変な動きをして笑われたりするのも嫌だからやめて」と断った。狭量。

 もう口にも出さなくなったInstagramやるやる詐欺だが、Instagramをやらないまま、今度はにわかにXに関心を抱き、半ば衝動的にアカウントを作成してしまった。以前、papapokke名義と、あとそれとは別に短歌をアップするだけのアカウントを持っていたが、今回それとは別に、新しく登録した次第である。
 なんでにわかに関心を抱いたかと言えば、ファルマンがよくXを眺めていて、いったいXにはなにをそんなに読むものがあるのかと訊ねたところ、自分の興味のあることに「いいね」とかフォローとかをしていると、どんどんそれに関連した投稿ばかりを表示してくれるようになるのだという答えが返ってきて、それは魅力的だなあと思ったからである。ちなみについ先日の、2026年の話である。15年くらい僕は冬眠していたのだろうか。
 しかしアカウントを作成したはいいが、じゃあ自分の興味のあることと言ったらなんだろうと考え、筋トレであるとか、競パンであるとかで検索を掛けるが、自己顕示欲の強そうな中年男の決してきれいじゃない体の画像とかが出てきて、すぐに嫌気が差した。
 そして気付いたのだけど、僕は、この世のすべてに関心がないわけではなく、興味そのものはいろいろなものに対してあるけれど、ただ自分の興味のあることについて他人が言及することをあまり好まないので、その気質ってXにもInstagramにも、致命的に向いていないのだと思う。寂しい。#同じ寂しさを抱えている人と繋がりたくない。

2026年4月25日土曜日

パピロウの娘のスラックス


 子どもたちのそれぞれの新しい学校生活が開始したのだが、実はうちの子たちはふたりともが、制服でスラックスを選択したのだった。
 3年前のポルガの中学入学時は、まだ男子は学ラン、女子はセーラー服だったのだけど、ポルガの代(かあるいはその1個下)が、その伝統の記念すべき最後の世代となり、既にポルガが3年生のときの1年生なんかは男女ともにブレザーに切り替わっていたそうで、まあもとよりポルガの着倒したセーラー服はお下がりで使えるはずもなかったのだが、ピイガの制服は新しい、男女共通のブレザーに、ボトムスはスカートとスラックスが選択可能というスタイルになった。令和である。ポルガの中学入学時も元号は令和だったが、島根の片田舎にもいよいよきちんと令和の波が来たのである。そして選択肢を与えられたピイガは、迷う素振りも一切なく、「じゃあスラックス」という選択をした。制服の採寸には僕が付いていったので、そのときの感じは実際に目にしたのだが、公民館的な施設で催された採寸および注文会では、業者が何人もの子どもを捌くために、まあまあオートメーションに、女の子にはとりあえずスカートをあてがおうとするのである。やはりそっちのほうが圧倒的多数なのだ。それをピイガは制し、「スラックスがいい」と主張したのである。本人の中で、それほど絶対的にスラックスなのか、と少し驚いた。
 ポルガの通う高校は、ファルマンの時代からブレザーはブレザーだったのだが、こちらも最近になって女子もスラックスを選べるようになったらしい。ピイガの中学からのスラックスを恨めしそうにズルいと言うポルガもまた、当然のごとくスラックスを選んだ。
 なんでだ、と思う。
 いや、本人たちの親なので、娘たちの性分からすれば「そうだろうなあ」という納得はもちろんあるのだけど、客観的に考えると、プロペ★パピロウの娘であるJCとJKがふたりともスラックスって、それってなんかおかしくないか、という気持ちがある。どういう客観的な気持ちなのか、あまり自分でもよく解らず言っている。でもなんか、たしかにある。あんなにJCとかJKとかずっと言ってて、挙句の果てには宇佐木学園というオリジナルの全寮制中高一貫女子校まで生み出したパピロウの娘がふたりともスラックス。紺屋の白袴的な、医者の不養生的な、なんかそういうままならなさがあるのかもしれない。
 女の多い家庭でずっと生きてきたのに、いつまでも女に対する幻想が打ち砕かれないのは、家族と女というものを完全に別物だと捉えてきたからで、しかしさすがに娘たちがJCとJKになったらば、そのときは僕の積年のJCとJKに対する夢や希望が、とうとう瓦解するのではないか、みたいな、恐怖半分期待半分の心構えをしていた部分があったのだが、どうやらそれは免れ、僕のJCとJKに対するカルマは、今後もつつがなく醸成され続けるようだ。よかったと安心する部分もあるし、少し残念な思いもある。父親の心ばかりが、箱ひだプリーツのようにかわいらしく揺れ続けている。

2026年4月8日水曜日

さくら(独唱)


 子どもたちの春休みが長いのなんのって。なんかずっと家にいる。それぞれの卒業式が遠い過去のようだ。次女一家(もとい母と娘ら)が先週、1週間ほどこちらに来ていて、その間はまたいつものように実家に日参して遊んでいたが、それももう帰ってしまい、いよいよあぐねている。姉妹ふたりでやっている桃鉄(ワールド)は、もう90年目くらいになったという。まあそれぞれ中学と高校が始まったら、部活にも入ることだろうし、ここまで姉妹で長く過すことはなかなかないだろう。節目が同じ3歳差というのは、慌ただしくもあり、都合よくもある。
 ファルマンの誕生日の時期は、すなわち花見の時期であり、次女一家もいた先週の土曜日に計画をしていたのだが、この土曜日というのが、今年のこの国のGDPをだいぶ押し下げたんじゃないかというくらい、絶望的な悪天候で、あえなく取り止めとなり、しかしその前日の金曜日はぜんぜん大丈夫だということで、勤め人を除いて(仕事が立て込んでいたファルマンも不参加で)、老夫婦と孫たち(と次女)というメンバーで、まあまあ近場の公園にお弁当を持って行ったらしい。たしか去年もそんな感じだった。僕は2年連続で、花見らしい花見にありつけなかった。家族と姻戚での花見が、やったらやったでそんなに愉快か、と言われれば、たぶんそうでもないのだけど、できないとなんとも言えない喪失感があるのだった。
 そう言えば先日、ポルガがひとりで岡山に行ったのである。去年わが家に泊まりに来た、岡山時代の友達と、中学卒業記念ということで、倉敷在住時代はついぞ行かなかった鷲羽山ハイランドへ行き、遊んできたそうだ。きたそうだ、と他人事のように言っているが、朝は4時半に起きて始発の特急やくもに乗せるために駅まで送ったし、夜も21時台に迎えに行った。実はだいぶ面倒を見てやったのだ。特に朝は、改札の所で見送るくらいでいいかと思っていたら、電車に慣れない田舎の子なので、「乗り場がどこか分からない」などと、上りと下りしかない駅でお前なんでだよ、じゃあ渋谷行ったら即死だろ、みたいなことを言い出すので、仕方なく入場券を買って、ホームまで一緒に行ってやった。もとい、やってきた特急やくもに、せっかくなので僕も一緒に乗り込むということをした。そしてポルガが指定席に座るのを見届け、降りた。去年リニューアルした、新型車両の特急やくもである。移動手段としては乗っていないし、今後も当分その予定はないが、乗るだけ乗る、という少し珍妙な体験をした春の午前5時台。まるで夢の中の出来事のようだと思う。
 そんな感じで生きている。子どもたちもさすがにそろそろ、それぞれ入学式を迎える。そして僕はJCとJKの父親になる。自覚がない。自覚が圧倒的に足りない。嘘だろ。JKの親て。JKの。あのJKの、俺が親? 嘘だろ? JKの親って、あれだろ? 今日は帰りが遅いやつだろ? それが俺? 俺がそっち側? マジで?

2026年3月22日日曜日

春とスケート


 春分の日の3連休なのだった。今年は子どもたちの春休みが長く、わりと持て余し気味のようなので、ここらでひとつ大型レジャーでも、とも思ったのだが、そう思い立ったのが2日前くらいのことだったので、ぜんぜん態勢が整わず、結果的にどうなったかと言えば、アイススケートということになった。場所はもちろん湖遊館である。なにしろ山陰でスケートリンクはここしかない(ちなみに余談だが、あと1週間ほどで松屋が出雲に山陰初出店するので、非常に愉しみにしている)。スケートは冬のはじめ頃からピイガに「行きたい」とせがまれていたが、いちおう受験生がいたので行くわけにもいかなかった。そのため、このたびようやく思う存分に滑りに来ることができた、というわけなのだった。過去の日記を確認したところ、前に来たのは2022年の年の瀬だった。なので3年3ヶ月ぶりくらい。それがスケートというレジャーに一家で繰り出す頻度として、順当なのかどうなのかはよく分からない。その際にはこのような記述をしている。

 靴を履いて誰よりも先にリンクに足を踏み入れたのはピイガで、その場で見事に転倒した。世の中、テレビで観るアイススケートは、フィギュアにせよスピード競技にせよ、とてもうまく滑れる人ばかりが映し出されるので、滑るのが難しいというイメージがピイガの中にまるでなかったらしかった。そして最初の派手な転倒によって自らの誤解を悟る、ということもなく、ピイガはいつまでも自信満々に進み続け、そして転び続けた。自信がすごすぎて、現実でぜんぜんうまく滑れていないことなど、ピイガの中では些末事のようだった。すごい現象だな。一方でポルガは慎重派で、壁の手すりに掴まりながら、そろりそろりと足を進めていた。やがてだんだんとコツが分かってきたのか、壁から手を離す場面も増えたのだが、しかしそのコツというのはあくまでポルガの中のコツであって、その滑り方は、右足は固定したまま左足だけを動かすという異様なもので、前傾することなくすらりと伸ばされた上半身は終始不動で、トレーニング器具のスカイウォークのようだった。自分以外の人間のやっている様を完全に見ずに、独力で独自の方法を編み出し飄飄としている感じが、実にポルガらしいと思った。斯様にタイプは違うが、しかしふたりに共通しているのは、絶対に自分が正しいと確信していることだ。こいつらの自己肯定感の鋼っぷりは、一体どうしたことなのかと、今日のアイススケートに取り組むさまを見て、改めて不思議に思った。
(「おこめとおふろ」2022年12月30日)

 三つ子の魂のやつで、今回のアプローチも、両者ほぼこのときと同様だった。ピイガは来る前から、「ピイガは絶対にスイスイ滑れる。オリンピック観たから。だから絶対に滑れる」と言い張っていたが、リンクに立った途端、転倒こそしなかったにせよ、思い描いていたスムーズな滑走というわけにはいかない現実に、「あぁ?」と憤っていた。氷にすごんでどうなるというのか。ピイガは基本的にムーブがチンピラっぽい。そしてポルガはやはり手すりにすがりながら、黙々と足を動かしていた。この歳になってくると、家族とのレジャーなんか愉しんでくれているんだろうか、嫌々付き合っているんじゃないかという不安がこちらにはあって、まるではしゃぐ感じのないそのさまに、思わず「大丈夫? 愉しんでる?」と問いかけたところ、やはり難しい顔で、へっぴり腰になりながら、「めっちゃ愉しい」という答えが返ってきたので、ああこの子はこういう子だったな、と再認識した。
 休憩を挟みつつ、2時間弱ほど場内にいただろうか。だいぶ滑った。子どもたちも、滑りはじめよりはそれなりに上達したが、4人の中で誰がいちばんうまく滑れるかと言えば、それはどうしたって僕なのだった。前回も思ったが、僕はわりと上手に滑る。スケートは、ただスイスイ滑る分には、そこまで筋力を使わないものだ。じゃあ大事なのはなにかと言えば、それはやっぱり運動神経、すなわちセンスということになるのだと思うが、そういう点で僕という人間はやっぱりだいぶ秀でているんだろうな、と思った。
 3連休のトピックスと言えばだいたいそんなもので、買い物だったりプールだったりでちょこちょこ出た以外は、ずっと部屋にいて、水着を作ったり、本を読んだり、筋トレをしたりしていた。ちなみに、3連休ということになると絶対にキーワードとして出さなければならないという縛りでもあるかのようなおろち湯ったり館は、今春も20日から2階の露天が開放されたということで、いつもよりだいぶ行く機運が高まったが、ChatGPTに例の岩と木について訊ねたところ、男湯は木風呂(だろうと思われる)とのことだったので、うーん、と思案した末にやめた。春のどこかのタイミングで行けたらいいなあとは考えている。しかしそれはそれとして、総評として決して悪くない3連休だった。そして明日からは平日かー、と思っているのは、しかしわが家で僕だけだという事実。子どもたちふたりとも、長めの春休みという事実。じゃあ3連休におけるレジャーに対する気概とかも、ぜんぜん違ってくるんじゃん、とだいぶ終盤で気付いた。ずっちーな。

2026年3月18日水曜日

ピイガの小学校卒業


 ピイガが小学校を卒業した。(ほぼちょうど)3歳差なので、小中高の節目が同時なのだ。
 小学校の卒業式はバリバリの平日で、もちろん僕は不参加である。ファルマン曰く「お父さんもたくさん来ていた」とのことで、ふうん、と思った。ファルマンのこの発言に、(なのにあなたはぜんぜん休みを取って来ようとしなかったね)という含意があるのかどうかは知らない。
 たくさんの子育て熱心なインスタパパたちと違って卒業式には参加しなかったが、式で娘が着る服は作った。こちらである。


 セレモニーワンピースとボレロ。あとリボンも手作りである。
 ワンピースはピイガの好きな緑色で、ボレロはそれに合わせた色を選んだ。素材はどちらもツイルで、なかなか上品な仕上がりになったんじゃないかと思う。売り場で見たら、往時のAKB48みたいなやつが、ずいぶんな値段で売られていたので、作ってよかったなあと思った。リボンは、ネットで買ったのだけど、色や太さなど、だいぶ模索し、これひとつを作るために、合計で30m分くらい買うはめになった。結果、これにたどり着いたのはよかったが、余った29m30cmくらいのリボンは、果たしてどうすればいいだろう。
 どうすればいいかという意味では、小学校の卒業式用に作ったこの衣装、本当に小学校の卒業式以外で着る場面がなさそうで、これ自体、今後いったいどう扱えばいいのかと思う。もう決して着ることがないのに、まさか棄てられもしない。いったいどうしたものか。
 ちなみにだが、ボレロに使ったこの生地は、未活用食材を使用して布を染めるという、環境に優しい、サステナブルな謳い文句のものだったりする。もちろん意識が高い僕のことなので、その点に魅力を感じて選んだのだが、そんなサステナブルな生地を使って作ったものを、一生のうちにたった1日しか着ないというのも、なんだか落語のような話だな、と思う。いったいエコとはなんなのか。
 なにはともあれ、ピイガも小学校を卒業し、春からはJCだ。なんと小さいJCなのか。友達の女の子数人とともに撮った写真を見せてもらったが、うちの子だけ天才で、飛び級で小学校を卒業したのかと思った。なので、まだあまり実感が湧かない。狭義での子ども、すなわち児童がわが家からはいなくなったのだと、まだぜんぜん信じていない。

2026年3月16日月曜日

高校受験というもの


 ポルガが志望校に無事に合格した。
 自分がそういうことをしなかったし、そもそも年代も土地も違うので、あまりにも高校受験というものの勝手が分らず、合否について、中学校の教師も、塾の講師も、「成績的にまず間違いない」とは言うらしいのだが、とは言え試験なのだから足元を掬われることだってあり得るだろ、と発表までは内心ハラハラしていた。どうやら田舎の、公立を主軸にした高校受験というものは、なるべく落ちる子が出ないよう、そもそもあらかじめ受験する先が振り分けられるようで、当日の試験というのももちろん重要ではあるのだろうが、そこに至るまでの中学校での評価こそが大事であるらしい。いわゆる内申点というもので、これまでこの言葉をとても忌み嫌っていたし、今でももちろん好もしくは思わないが、一か八かの一発勝負でだけ選抜し、その結果として志望校に落ちてしまう子を、なるべく出さないようにするシステムという意味では、なるほど理に適った部分も大きいのだな、と親の立場になってようやく理解した。
 あとこれも親の、特に女の子の親の立場になって初めて実感を伴って思ったことだが、数年前に、どこかの医学部で男子の成績に下駄を履かせていた、というニュースがあっただろう。純粋に成績で合格者を選んでいたら女子が多くなりすぎてしまい問題があるから、慣例としてずっとやっていた、という。ポルガがこのたび通うことになった学校は、わりと勉強ができるタイプの子が行く学校なのだけど、もしかしてここにも男子への下駄が存在するんじゃないの、ということを思った。だって中学生なんて、絶対に女子のほうが聡明で、意識が高くて、勉強をたくさんして、成績がいいに決まっている。だから普通に考えたら、偏差値の高い公立高校は女子の比率が高くないと嘘だ。そこのところはいったいどうなっているのか、と卒業生でもあるファルマンに訊ねたところ、「そうだよ」とあっけらかんと答えられた。ポルガの通う学校は、女子のほうがだいぶ多いそうだ。「でも」とファルマンは続け、
「私のときは男女がほぼ半々だったけどね」
 という、ちょっとブラックなオチをつけた。件の医学部のニュースも影響しているのか知らないが、いつのタイミングからか、しれっと軌道修正したらしい。かつてはやっていたのだ。それで誰も文句を言わなかったのだ。昔というのは本当にざっくばらんだな。現在に較べ、人権というものがだいぶ大雑把に扱われていたな、としみじみと思う。
 ちなみにだが、中学時代にまったく勉強をしなかった僕は、地元に行ける高校がなく、東京の私立高校に入学した。地元に行ける高校がなかった僕が、なぜか推薦で入学できたその高校は、なるほど男子校であり、理屈に合っているようにも思う。まじめに勉強をせず、しかも反抗的な生活態度をとっていたら、男子校に行くはめになるんだよ。それが嫌だったら死に物狂いで勉強するしかないんだよ。そして死に物狂いで勉強をして、男子なのに偏差値の高い公立高校に行けたら、そこには夢のような、男女比3:7くらいの世界が広がっているんだよ。さ、3:7! 3:7ってことは、必然的に3Pということになってくるし、鶴亀算的には、4Pの可能性さえ出てくる。マジかよ、俺も日能研で鶴亀算とかやってたら、高校時代4Pだったのかもしれないのかよ。先に言えよ。42歳になってからじゃ遅えよ。
 話が脇に逸れた。なんの話だったか。ああ、愛娘が志望校に合格した話だった。なにはともあれ、ひと息ついた。部活動から受験まで、中学時代はなかなか激しかった。卒業式を終え、合格発表も済み、ポルガは今、とても暇している。いいんじゃないかと思う。

2026年3月7日土曜日

ポルガの中学卒業式


 ポルガの中学の卒業式に、ファルマンとともに参加した。娘が中学校を卒業し、春から高校生になるということについての感慨は、別に中学校の卒業式なんぞに誘発されなくとも、日頃から自分のタイミングで抱いているので、あくまで卒業式というイベント、その体験報告を記そうと思う。
 そもそも参加するにあたり、僕は中学の卒業式にふさわしい衣装を持っているのかという不安があり、不安がありつつ、確認したのは本番前夜のことだったのだけど、なんだかんだでそれっぽい色のスーツがあったのでことなきを得た。それにしてもスーツ。入学式には参加していないので、スーツを着たのは、今の会社の面接に行ったとき以来だろうか、などと思ったが、実は先週三回忌を行なっていたファルマンの祖母の葬式のときに着ているな、とこの日記を書いている今、思い出した。とにかくそのくらい着ていない。着ないでいられる日々が尊い。そんな境遇なので、着るとどうしてもコスプレのようになる。ネクタイを締めながら、「今日もゼネコンのお偉方と接待だぜ……」とつぶやいてみた。僕の、すさまじく貧困な、スーツを着ている人のイメージ。ゼネコンが具体的になにをする人たちなのかはよく知らない。たぶん談合とかをするんだと思う。そしてド金髪のボリューミーなマッシュルームなのである。我ながらすさまじい違和感であった。
 学校へは、ファルマンとふたりで車で行った。ポルガは「学校の近くの家の友達に髪をやってもらうから自転車で行く」と言ってひとりで行ってしまった。そういうものなのか。こういうときって、校門前の「卒業式」の立て看板の前で写真を撮ったりするものじゃないのか。次にポルガを目にしたのは、会場となる体育館に入って席に座り、きちんと式が始まって、卒業生が拍手とともに入場してくる、その瞬間だった。少し変な歩き方で現れたポルガの髪は、なんかかわいらしく編み込まれていた。ファルマンにはドライヤーさえさせないのに、友達にはめちゃくちゃ編み込ませるんやん、と思った。
 式は、まあ式だった。校長先生の話がきちんと長く、退屈で、つらいなあと思いながら睡魔と闘ったのだけど、でもこういう思いって本当に久々だな、とも思ったので、いまの暮しはまあまあ快適ということなのかもしれないな、と変な再認識をすることができた。同じく送辞と答辞もなんだかひどかった。別に奇を衒ったことを言えと言っているわけではない。そんなものに付き合わされたらたまったもんじゃない。内容は、今日の各人のそれがたぶんそうであったように、対話型生成AIに考えてもらったんだろう、当たり障りのないものでいいのだ。しかしとにかくもっと短くしてくれよ、と思った。あるいは文面が表示されるリンクページへ飛ぶ二次元バーコードを提示してくれればそれでいいよ、とも思った。歌は、校歌ともう1曲、あまり聴きつけない歌があって、男子と女子のパートに分かれ、交互に唄い、やがて合一する感じが、「ちんぽ唱歌」を連想させて笑いそうになった。思わずファルマンに「「ちんぽ唱歌」みたいだね」と話しかけそうになったが、パイプ椅子の座席間は狭く、周囲の親に聞こえてしまうかもしれないと思って止した。さらに言えば、目元をハンカチで押さえている人もちらほらいたので、「ちんぽ唱歌」などと口に出していいはずがなかった。しかしいったい、あの式のどこに泣き所があったのだろう。僕の姉ならこう言っていると思う。「あなたはなにかに感動して泣いているんじゃなく、ただ泣こうとして泣いているのだ」と。僕は多様性の時代だから決してそんなことは思わないけど、姉ならそう言うに違いないと思う。
 式を終えたあとは、各クラスに戻って最後のホームルームという段取りで、親も担任と生徒(わが子)によるそのさまを眺め、そしてやはり泣いたりするものらしかったが、もう昼も近かったので、まあいいか、という話になって、帰ることにした。苦労して残ったところで、ポルガがわれわれと並んで写真に映るとは思えず、そもそもあいつは自転車で来ているのだから終わったら勝手に帰ってくるだろう、ということで夫婦の意見がまとまったのだった。そんなわけで、子どもとは本当に絡まずじまいだった卒業式であった。おかしいな。こんなことあるかな。まあ今日に限っては写真撮影用に3年生がスマホを学校に持ってくることは黙認(あくまで「許可」ではなく「黙認」だそう)とのことで、ポルガも持っていったので、子どもたちは親に撮ってもらわずとも、自分たちでいくらでも撮り、共有しているんだろう。「卒業式写真」はもうそれでいいんだな。
 しばらくしてからポルガは帰宅した。卒業証書とともに、家の中のなんでもない場所で写真を撮った。「チラ見せじゃなくてちゃんと見せてよー」と声を掛けるのも忘れなかった。たぶんそういうことを言うから、中学生は親をウザいと思うに違いないな。

2026年3月5日木曜日

フェーズとプレース ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 2009年7月。3月に結婚式を済ませた、25歳と26歳の、新婚夫婦である。

 短めの労働を終えたあと、最寄駅まで帰ってきてファルマンと合流した。正午から美容院で縮毛矯正をやってもらっていたファルマンが、こちらがちょっと待ってようやく終わる。4時間もよくやるものだ。仕上がりは「ほほう」という感じ。縮毛矯正直後っていつも「ほほう」という感じになる。
 帰宅して、ふたりともお腹がぺこぺこだったので、半端な時間だが冷やし中華を作って食べる。ビールが冷やしてなかったので飲めなかったのが残念だったが、麺はおいしかった。
 食べたあとちょっと昼寝をして、起きてから都議選の投票に行く。
 直前まであんまり行く気がなかったのだけど、起きたら頭がちょっともったりしている感じがあったので、じゃあ散歩ついでにせっかくだから行くか、となる。
 家から5分ほどの場所にある小学校が会場だった。投票をつつがなく終えて帰る。
(「KUCHIBASHI DIARY」 2009年7月12日)

 子どもがいなかった当時は、ファルマンはまだ縮毛矯正とかやっていたのだ。隔世である。ちょうど昨日、ファルマンと子どもたちはショッピングモールに出かけ、子どもたちはドラえもんの映画を鑑賞し、その間にファルマンはモール内にある簡易な理容院で髪をちゃちゃっと整えてもらって帰ってきた。そして近々白髪染めをする予定らしい。
 フェーズというのは、こうも変化するものか。そして縮毛矯正をするとかしないとか、そういう次元の話以前に、いまのファルマンは、もう美容院という空間に4時間い続けることが、精神的にできないだろうとも思う。ファルマンは出産後から家で働くようになって、本当に外の世界が苦手になった。もうその印象が長いので、ずっとそういう人だったような気がしていたが、OLだった当時は縮毛矯正をする意欲があったし、そのためならば美容院に4時間い続けることもできたのだ。
 そしてフェーズも違うが、プレースもまた大きく異なる。都議選! そうか、かつて我々は都民として、都議選の投票に行ったことがあったのか! 都議選なんぞ、いったい誰に投票したのだろう。都議会のなにを知っていたというのだろう。ちなみにだが、2009年当時の東京都知事は、石原慎太郎であった。石原慎太郎! 名前を聞いただけで、ぶわっと昭和の香りが立ち込める。しかし石原慎太郎は2012年まで都知事だったそうなので、ポルガが練馬で生まれた際の首長は石原慎太郎だったのだ。令和の申し子のような顔をしているが、お前だってまだまだ昭和の、大橋巨泉とか、山城新伍とか、そういうものの気配が残っている時代に生まれたんじゃないか。あまり大きな顔をするもんじゃないよ、と思った。
 それにしたって25歳。17個下。現在のポルガが15歳。その10個上。なんかおかしい。なんか捻じ曲がってないか。俺、30代あったっけ? 30代の日記、ちゃんと10年分、あるのかな。おもひでぶぉろろぉぉん、これから愉しみだな。

2026年2月15日日曜日

令和バレンタイン


 昨日は少しバタバタしていたので、今日がわが家のバレンタインデーだった。どういう意味でバレンタインデーかと言えば、ピイガがドーナツを作ったからだ。ホットケーキミックスを使ったドーナツに、湯せんで融かしたチョコレートを塗り、カラフルなスプレーを散らしたもの。そのできあがったものがパットに並べられ、冷蔵庫に入っていたので、「これもう食べていいの?」というお伺いを立て、許可が下りたので、おやつにひとつ食べた。それがわが家のバレンタインデー。
 そういうものか。娘と父という間柄におけるバレンタインデーとは、そういうものだったろうか。そういうものだったのである。どうした、なにか幻想でも抱いていたのか。箱とか袋とかに入れられ、さらにはメッセージカードなんかも付されているとでも思ったか。甘い。ホットケーキミックスを使ったドーナツよりも甘い。
 そもそも相手は令和人である。メスからオスへチョコレートをプレゼントするという、そもそもその観念が通用するはずないのである。ピイガはただ、バレンタインという日にかこつけて、休日の過し方としてお菓子作りを、あくまでしたかったからやったまでであり、そこにイベント的な気負いは一切ない。
 それなのにこちらは、冷蔵庫に入っていたドーナツをひとつ、掠め取るようにいただいただけだが、それでも来月の14日はお返しをしなければならないなあ、などと思ったりする。その思いが古い。それはサザエさんの時代の発想。向こうは、作って贈ったという気がないので、もちろんお返しをもらおうという気もない。とにかくバレンタインデーに対する身構えというものが、このひと世代、四半世紀くらいの隔たりで、異様なまでに変化している。多様性を認め合おうという教育は、とてもきちんと次世代に浸透している。
 などと言いつつ、なにか表面的な部分で巧妙に取り繕われているだけで、肝心なところではむしろ昔以上に残酷だということも知っている。令和ってそう。俺は知っている。令和ってそういうもんだと、いろいろ勝手に決めつけて、これからの後半生を生きていこうと思う。

2026年2月13日金曜日

ホザいて


 ポルガが「これ解ける?」と言いながら数学の問題集を両親に向かって見せてきた。 もちろん親に助けを求めているわけではない。お前らのような下等生物では絶対に太刀打ちできないだろ、ということを知らしめるための行為である。問題を見る前からその意図は分っているのだが、それでもワンチャンあるかもしれない、と思って目をやる。もちろんワンチャンなどない。数学の図形問題にワンチャンはない。公式とか、法則とか、そういうルールをなにも知らないのだから、そもそも試合にならない。「絶対に太刀打ちできない」のだ。
 それでもファルマンは中学時代、頭の中に強引に勉学を詰め込んだタイプなので、問題を見て「あー、これ。こういうやつ。あれでしょ、あの定理を使うんだよね」などとホザく。ホザくだけで、定理そのものを憶えているわけではないので、もちろん問題が解けるわけではない。でもホザけてはいた。
 僕はホザくことさえできない。立体の、なんでそこで割るの、みたいな部分で一刀両断した面の、それも曲線になっていたりする1周の長さとかを訊いてくるのだ。とてもホザけない。そんなことするのやめなよ、誰も望んでないよ、と諭すことしかできない。でも相手はぜんぜん諭されない。僕がどんなに切々と諭しても、加点は0だ。なんと無情なのか。普通、言葉を弄して諭したら、多少なりともほだされるものではないのか。僕はそうやってこれまで生きてきた。それだけでここまで生き抜いてきたと言っていい。
 そんなふうにして生きてきた僕の娘が、無情の世界で格闘しているのだと思うと、無性に哀しくなってくる。中学生の娘の、難しすぎる数学の問題を眺めていると、万感の思いが込み上げてきて、泣きたくなるのだった。いままさに高校受験の渦中にあり、さらにはこの先の3年間もこの世界でサバイバルしていかなければならない長女、そして春から中学生で、たぶん姉ほどは勉強に適性がないだろう次女、それぞれの前に立ちはだかる、勉強という激しい外圧のことを思うと、親として心がちぎれそうになる。がんばれ、とも思うし、がんばらなくていいよ、とも思う。子どもには、誰にも話せない悩みの種があるだろうが、大人の僕に、傷ついて眠れない夜は、基本的にない。労働を終えて家に帰ったら、ごはんを食べて、お酒を飲んで、水着を作って、エロ小説を読む。それはとても淡々とした暮しのように感じていたが、数学の問題集を見たら、数学の問題集を解かなくていい暮しのなんとしあわせなことか、と思った。
 切に、娘たちがなるべく心地よい時間の長い人生を送ってくれたらいいと思う。だから、勉強をしなければならないとされる学生時代は、やれる限りはやったらいいし、どうしてもやれないな、と思ったら目をつむって耳をふさげばいいと思う。僕はそうしていた。だから数学の問題集を見て、定理についてなにもホザけず、こうしてひたすらピーターパンシンドロームな文章をブログに書くことになった。問題は解けなかったけど、この弄した言葉により、この世のどこかで、なにかが少しだけほだされたらいい。妖精なんていない、って誰かが言うたびに、妖精はひとりずつ消えてゆく、という定理。