2026年2月13日金曜日

ホザいて


 ポルガが「これ解ける?」と言いながら数学の問題集を両親に向かって見せてきた。 もちろん親に助けを求めているわけではない。お前らのような下等生物では絶対に太刀打ちできないだろ、ということを知らしめるための行為である。問題を見る前からその意図は分っているのだが、それでもワンチャンあるかもしれない、と思って目をやる。もちろんワンチャンなどない。数学の図形問題にワンチャンはない。公式とか、法則とか、そういうルールをなにも知らないのだから、そもそも試合にならない。「絶対に太刀打ちできない」のだ。
 それでもファルマンは中学時代、頭の中に強引に勉学を詰め込んだタイプなので、問題を見て「あー、これ。こういうやつ。あれでしょ、あの定理を使うんだよね」などとホザく。ホザくだけで、定理そのものを憶えているわけではないので、もちろん問題が解けるわけではない。でもホザけてはいた。
 僕はホザくことさえできない。立体の、なんでそこで割るの、みたいな部分で一刀両断した面の、それも曲線になっていたりする1周の長さとかを訊いてくるのだ。とてもホザけない。そんなことするのやめなよ、誰も望んでないよ、と諭すことしかできない。でも相手はぜんぜん諭されない。僕がどんなに切々と諭しても、加点は0だ。なんと無情なのか。普通、言葉を弄して諭したら、多少なりともほだされるものではないのか。僕はそうやってこれまで生きてきた。それだけでここまで生き抜いてきたと言っていい。
 そんなふうにして生きてきた僕の娘が、無情の世界で格闘しているのだと思うと、無性に哀しくなってくる。中学生の娘の、難しすぎる数学の問題を眺めていると、万感の思いが込み上げてきて、泣きたくなるのだった。いままさに高校受験の渦中にあり、さらにはこの先の3年間もこの世界でサバイバルしていかなければならない長女、そして春から中学生で、たぶん姉ほどは勉強に適性がないだろう次女、それぞれの前に立ちはだかる、勉強という激しい外圧のことを思うと、親として心がちぎれそうになる。がんばれ、とも思うし、がんばらなくていいよ、とも思う。子どもには、誰にも話せない悩みの種があるだろうが、大人の僕に、傷ついて眠れない夜は、基本的にない。労働を終えて家に帰ったら、ごはんを食べて、お酒を飲んで、水着を作って、エロ小説を読む。それはとても淡々とした暮しのように感じていたが、数学の問題集を見たら、数学の問題集を解かなくていい暮しのなんとしあわせなことか、と思った。
 切に、娘たちがなるべく心地よい時間の長い人生を送ってくれたらいいと思う。だから、勉強をしなければならないとされる学生時代は、やれる限りはやったらいいし、どうしてもやれないな、と思ったら目をつむって耳をふさげばいいと思う。僕はそうしていた。だから数学の問題集を見て、定理についてなにもホザけず、こうしてひたすらピーターパンシンドロームな文章をブログに書くことになった。問題は解けなかったけど、この弄した言葉により、この世のどこかで、なにかが少しだけほだされたらいい。妖精なんていない、って誰かが言うたびに、妖精はひとりずつ消えてゆく、という定理。