2026年7月26日日曜日

「僕の妹は怪盗に変装しているつもりです。」を読んで


 13冊目。2011年6月刊行。通し番号は190。
 どういう風の吹き回しなのか、当時なにか神楽陽子のキャンペーンでもあったのか、前作「スクみこっ」からの2ヶ月連続刊行であり、通し番号も連なっている。編集者ブログも閉鎖されてしまった今、どうして急にこんなことになったのか、探りようもない。もっともそれぞれの内容に関連性はまったくなく、そう考えると特に趣向があったというわけでもなく、巡り合せでたまたまそうなっただけなのかもしれない。
 あらすじはこちら。

 学園内を賑わせる謎の怪盗・えっくすキュートの正体は生徒会長でもある妹・美宇!? 普段のクールな様子とは違うデレデレぶりに戸惑うが、所構わずエッチに迫る彼女の誘いは断れない。正体を暴いてしまうとこの関係は終わってしまいそうで……!?

 いつにも増してよく分からないあらすじなのだが、とにかく確かなのは、女の子はひとりだということだ。ひとりかよー、とまず思う。そして読みはじめる。すると、その情報でハードルが下がっているためか、おや? となる瞬間がある。女の子はひとりのはずなのに、意外といけるぞ? と。
 美宇は主人公とは長く離れて暮らしていた実の妹であり、同じ学園に通うようになった今も兄に対して心を開いていない。でもそれは(とても意表を突く設定だが)、兄への激しすぎる好意の裏返しであり、わざと冷たく接しているだけなのである。そんな美宇だが、学園に突然現れては、教師に没収された生徒の私物を取り返す義賊、えっくすキュートに変身しているときだけは、兄に対して素直に甘えることができる。えっくすキュートの変装は、スクール水着の上に改造セーラー服を羽織り、小さいシルクハットを頭に乗せ、仮面とも言えない目元だけを蔽うゴーグル程度のものを付けただけのもので、主人公はもちろんすぐに妹だと気づくので本人に向かって言及するのだが、もちろんえっくすキュートこと美宇は否定する。そして否定して、美宇ではないから、思う存分にデレることができる。これはそういう画期的なシステムのお話である。エロ小説に出てくるツンデレの少女は、最初の7ページくらいしかツンツンせず、ほとんどデッレデレのグッショグショじゃねえか、という問題を、神楽陽子はこの設定によって見事にクリアしてみせた。
 これにより、単独ヒロインなのに、なんとなくそうではないような感触が発生し、リーダビリティが画期的に上昇している。えっくすキュートに対してシャワー室で挿入しながら放尿させるようなハードなプレイをしたのち、校内でばったり会った美宇に冷たくあしらわれると、そこには独特の背徳感が生まれる。これは新鮮な発見であった。
 もちろん最終的には、えっくすキュートの正体が実は美宇であるということはバレる。保健室のベッドで行為に及ぼうとしている際、人の気配に慌てて布団の中に隠れたときに、えっくすキュートの仮面は外れてしまう。しかし本人はそのことに気付かず、美宇の素顔を晒したまま、えっくすキュートとして行為を続行してしまう。途中で仮面が外れていることに気付いた美宇は恥ずかしさに打ちのめされる。

「教えてほしいな。美宇はどうして、変装して僕に近づいてきたの?」
けれども素直になれない妹は、そう簡単に真意を教えてはくれない。だったら、落ちているアイマスクをかぶせてやればいい。
「だ、だって……兄妹だと結ばれないし、んくふ、美宇ちゃんね、お兄ちゃんに嫌われてるんだと、お、思ってたから……」
「……じゃあ、美宇は僕のこと好きなの?」
 最後の問いかけには、恥ずかしそうな、照れるような間があった。
「兄妹なのに、好き……だなんて、言っても、受け入れてもらえるわけないもん。だからきゅーと、こおやって変身すれば、お兄ちゃん、付き合ってくれるかなって」
この妹はお兄ちゃんに恋をしてしまったらしい。けれども、それは実の兄妹では許されないこと。そこで「えっくすキュート」の姿を借りて、兄と恋愛関係を築こうとした。
 表向きは距離を置いていたのも、悠を意識してのことだったのかもしれない。
「言ってくれればよかったのに。僕が美宇のこと、拒むとでも思った?」
 アイマスクを外しても、実の妹はもう抵抗しない。
「ですから、私たち……あん、兄妹で、こういうことは」

 よかったよかった。美宇ちゃん、よかったね。このあと主人公と美宇は怒濤のアナルセックスへと突入し、背面駅弁の状態でスタンドミラーの前まで運ばれ、そこで放尿までさせられる。ふたりの輝かしい未来を象徴する、感動のシーンである。
 この中にこんな一節がある。

 可愛い妹をふたりも手に入れた気分だった。怪盗えっくすキュートも、実妹の美宇も、お兄ちゃんの欲張りで節操なしのオチンチンに恋をしてしまっている。

 そうなのだ。単独ヒロインのはずなのに、普通の単独ヒロインの物足りなさをあまり感じないのは、キュートと美宇、まるでふたりの女の子を同時に攻略しているような気になるからだ。実際はひとりなので、もちろんダブルフェラなど3Pとしてのプレイは不可能だが、それを感じさせない読み応えがあった。ものすごい離れ業だと思った。この手法、著者本人としても手応えがあったのか、同じような趣向の作品がこのあとも登場する。神楽陽子はいつまでも引退しなければよかったのになあ、そうすればエロ小説業界はまだまだ活況だったのかもしれないのになあ、としみじみと思う。

2026年7月25日土曜日

夏放言


 とても暑い。嘘だろ、と思う。2026年、ここまで気候はわりと平穏で、ここ数年の荒れたOBたち(2024年とか2025年とか)と違い、このまま平和に卒業(大晦日)までいってくれるのではないかと期待していたのに、ここに来てきちんと荒れた。荒ぶった。信頼関係を築きかけていただけに余計ショックが大きい。
 7月に入って一気に暑くなったことで、プールにもぜんぜん行っていない。記録を見ると、なんとここまで2回しか行っていない。先日も書いたことだが、3連休で行こうと試みたが、その際は混み過ぎていて断念した。夏休みに入り、プールは毎日活況なのだろう。なんだか不思議だ。男らしさ・女らしさは相対的なもので、要するに社会における男女の主導権の取り合いだ、という話があるけれど、僕のプールと、いまプールを混ましている輩のプールというのも、なんかしらの形をした一個のパイの取り合いなのかもしれない。
 そう言えば6月に、プール用のボディーソープを新しくするタイミングがあり、このときメントールが配合された涼しげなやつにして、これから始まる夏に向けての期待が高まったのだけど、いざ蓋を開けてみたら夏の間、斯様にぜんぜんプールに行かないものだから、このままだとあのボディーソープは大量に余ってしまう。そして涼しくなってようやくプールに足が向くようになったら、そのときはメントール配合のボディーソープには寒気を覚えることだろう。なんか毎年こんなことをしている気がする。めんとおる配合そうぷ秋廃棄。たしか芭蕉の句だっただろうか。一茶だったかもしれない。季語は「秋廃棄」。6月にメントール配合のボディーソープを買うときの僕は、夏がそこまで暑くならないと思っているわけではなくて、夏は暑くなるけど、自分はそれに打ち克って溌溂と爽やかに生きられると思っているのである。そう考えるととても切なくなってくる。ごめんね。無理だよ。
 プールに行かないことに加え、そもそもの生きる上での余力が乏しいわけで、もちろん筋トレもままならない。快適な時期に蓄えた筋肉貯金を、夏は食い潰すのみである。夏こそプールで鍛え上げた肉体美を披露する時期なのではないのか。とかくままならないな。
 プールに行かず、筋トレもせず、家でどうしているかと言えば、チューハイを飲んでいる。チューハイというポーションをせっせと飲むことで、なんとか日々の回復に努めている。ちゆうはいはあもうるの水なつのよい。たしかこれは子規だったか。季語である「夏の宵」と「酔い」が掛かっているのがさすがだ。アモールの水というマイナーな回復アイテムを出してくるのも、子規の人間性がよく出ていると思う。
 ちなみにだが、プールと筋トレがそんな感じで、性欲のほうはどうなのかという話だが、記録を改めて確認したところ、これもまた実績が芳しくない。よくない! プールに行く気が起きないのは仕方ない。筋トレをする気力が湧かないのも仕方ない。それでもちんこは積極的に勃てていこうよ、と思う。そこまで失ったらいよいよおしまいだろ、と。めんとおる配合あもうるの水ちんぽ。これは俺の句。季語はない。季語はないが、ちんぽ語を入れているので、ちんぽ句としての要件は満たしている。

2026年7月20日月曜日

バンドゥボックス型水着の出品


 3連休でやれたらいいと思っていた、極北ボックスの次の、例の新しいパターンの出品が、無事に成った。めでたい。その名もこちら。


 である。リンクを開いてもらえば分かるように、とりあえず3点を出品した。
 こちらと、


 こちらと、


 こちらである。


 「真正面から見たときただの長方形に見える」がコンセプトなので、今回のパターンの表紙画像は、これまでの少し左斜めから撮ったものではなく、正面からのショットにした。
 名称のバンドゥは、すなわちバンド、フランス語の「帯」という意味で、肩紐のない、チューブトップ型のセパレートタイプの女性用水着のことをバンドゥビキニと呼ぶが、そこから取った。ちなみにバンドゥボックスで検索をかけたところ、まだそんな言葉はこの世にないらしかった。なので俺が提唱者だ。
 価格は悩んだ末に2400円とした。これまで極北ボックスを2800円で出品していたのだが、あんまり売れず、バンドゥの出品に先んじて、半月ほど前に全品2000円に値下げした。それよりは高く、しかし2800円というのはどうやら高すぎるようなので、2400円である。なかなかいいところを突いているのではないかと思う。
 既に完成したが、まだ出品していないものが何点かある。裁断だけして、まだ作っていないものも何点かある。これからせっせと作業していこうと思う。
 ちなみに作ったものは、もちろん1枚だけを作ったのではなく、自分用と出品用、2枚を作っているわけで、この3連休で、また自分用の水着がどっと増えた。どっと増えたが、結局この3連休ではいちどもプールに行かなかった。実は中日の夕方に行くだけ行ったのだが、駐車場が満車で、すごすごと退散したのだった。世間の学生は夏休みに入り、年間会員はプールから足が遠のき、いよいよ生産に対して消費が追いつかない。この場合の消費とは、「いちどでもプールで使用すること」である。僕はなんかそういうことになっているが、もちろんこれは使い捨ての製品ではない。購入した人はぜひ永く愛用してほしいと思う。

2026年7月19日日曜日

エアコン・60・3連休


 エアコンが直る。結局ファルマンに電話してもらい、業者に修理に来てもらったのだった。
 業者の人は慣れたもので、電話でエアコンの症例を聞いたら、「それはガスが漏れて減ってるんですね」とすぐに断定し、翌日にはその処置に来てくれたのだった。
 かくして復活した部屋のエアコンは、部屋が西日に照らされる夕方も、しっかりと稼働してくれている。基本的な効きもよくなったようで、夜などは28度の微風設定でも寒さを覚えるほどである。であれば、これまでの空回りのような効率の悪い稼働に較べ、電気代も抑えられるものと思われ、安い修理代ではなかったのだけど、まあ踏ん切りをつけて依頼してよかったのかな、と思っている。ちなみにだが、業者によるとエアコンガスというのは数年の使用で漏れてしまうようなものではなく、こういうのは大概の場合、はじめの設置のときの不手際が要因なのという。でもそれは決して証明できないし、設置業者も絶対にそんなことは認めないので、不運と思ってあきらめるしかないのだそうだ。そうなのかよ。今後の人生、新しいエアコンの設置の際は、上下白いジャージとか着て、威圧的に作業を凝視することにしようかな。まあそんなことを言い出したら、エアコン設置に限らず、あらゆる対外的なやりとりの場面、上下白いジャージを着て威圧感を出した者勝ちなんだよな、とも思う。きれいに生きてゆきたい。

 10枚の人がまた水着を買ってくれた。もちろん10枚である。
 これまでは旧作のほうだったので10枚で8800円という値付けだったが、今回は最新の極北ボックスだったため、10枚で17000円という価格を提示したのだけど、無事にご購入いただけた。嬉しい。金額も嬉しいし、なにより訴求が嬉しいじゃないか。これによりこの顧客は、僕の作った水着を60枚(プラスおまけで5枚くらい)保有していることになる。ろ、60……枚? と、製作者ながら、販売者ながら、少し震撼している。ど、どういうこと? と。
 普通には販売されていない感じの、自分にとっての理想を追い求めて作ったということは、極めて限られた少数の人にとっても、「これを待ってた!」と心に深く突き刺さるものになり得るかもしれないという、そういう期待があって出品しているわけだが、それにしたって60枚である。いよいよただの「よほど気に入ってくれたのだな」では説明がつかなくなったきた感がある。
 もしかすると、少し前の段階からその疑いは持っていたのだが、これは未来人の仕業かもしれない。将来、創始者本人が製作した伝説のNOBITATTLEとしてとんでもないプレミア価格がつけられるものを、過去にタイムスリップして買い漁っているのかもしれない。だって、だって60枚だぜ?

 3連休の中日の夜である。明日も休みである。
 6月には祝日がないので、GWからここまで、2ヶ月あまり3連休から遠のいていた。あるいは大味のGWには逆に3連休としての効能が失われていると捉えた場合、それはなんと3月の春分の日まで遡る。だとすれば4ヶ月ぶりだということになる。
 4ヶ月ぶりの、3連休の中日の夜というものを迎えて、日々の、平日で擦り減ったゲージを、週末でなんとか回復させるという繰り返しとは別に、平素は動きがないため表示としては消えてしまっているけれど、実は存在している隠しゲージが、満たされるのを感じる。それは3連休でしか得られない、回復できない、専用のゲージ。2日休んだあと、さらに明日ももう1日休みなんだという幸福感が発生させる、特殊な物質にしか反応しない性質を持っている。それが今、グイングインみなぎってきている。みなぎっているのだから、これはつまり、活力なんだと思う。みなぎったものを、なるべくほとばしらせず、長くたぎらせ続け、暮していきたい。なんかとても中年っぽい発想だな。

2026年7月18日土曜日

母の日2026


 くすぶり続けていた母の日の贈答品だが、ようやくケリをつけることができた。
 リクエストされたのは「トップスとワイドパンツ」で、「上下で着ても、別々に着ても使えるみたいな」、そして「生地、デザイン、お任せ」というもので、最初にイメージしたのは、共生地で作る、すなわちセットアップの上下だった。これは、それならば上下での色の相性などを考えないで済む、という打算によるものだった(たぶん世の中のセットアップというものは全てこの打算から生まれている)。そしてこれまでの経験則から、「ボトムスの柄物はヤバい(すぐにピエロかチンドン屋のようになってしまう)」ということは分かっていたので、とにかく落ち着いた生地がいいだろうと思い、グレー無地の涼しそうなものをチョイスした。
 それでまずボトムスを作った。作っている途中で気づいた。


 これは手作りする意味が本当にないやつ。複合スーパーとかでいくらでも売ってるやつ。途中(かなり序盤)でそれに気づいてしまってから、そもそも低かったテンションはさらに下がり、製作は停滞した。


 トップスも当然こう。もはや画像を載せる意味がないとさえ言える。
 そもそも上下のワンセットのみとも思っていなかったが、さすがに「母の日のやつ」と言って箱が届いて、その中にこの、トライアルで買ってタグだけ取ったやつみたいのが入ってたら、古希オーバーの母の腰が砕けてしまうと思ったので、慌てて手芸屋に行って、「なんかしら華やかさのある生地」を求めた。なんかしら華やかさのある生地でもう1枚トップスを作り、それでなんとか帳尻を合わせることにしたのだ。


 それがこちらで、なんとなく救われたような気もするが、逆にものすごくババアっぽいのではないかという疑念もあり(世の中のバアさんって冷静に考えたらとんでもない派手な生地の服を着ていたりする)、デザインって難しいなあ、ととてもシンプルな感想を抱いた。
 こうして考えると、水着の生地って許容が広い。なんでもありである。なんで水着の生地はなんでもありなのに、古希の母が着るセットアップの生地はこんなに幅が狭いのだろう。両者の違いはいったいなんだろう。
 しかしまあ、これ以上あぐねても仕方なさそうなので、この3点で送ることにした。
 パターンとしては悪くないと思うので、来年以降も特別なリクエストがない限りは同じものを、生地選びにこそ重点を置く感じで作って送れたらいいかな、と思う。ふう。

2026年7月15日水曜日

ほとばしるパピロー愛


 僕しかいない島を作っている「トモコレ」で、とうとうすべての年齢の僕が出揃った。
 集合した写真がこちらである。


 20歳から41歳まで、総勢22人。でもすべて僕なので、22人という表現がふさわしいのかどうかはよく分からない。人生ってなんだろう。命ってなんだろう。
 顔の基本ベースは全員もちろん同じだが、その時期ごとの、この当時は主にこんな髪型でこんな眼鏡だったよな、というイメージで個性を出しており、この22人を実際に傍で見てきたファルマンからは、「たしかにこういう感じだったかも」と、なかなかの再現度であるというお墨付きをもらっている。
 始めたころは本当に毎日せっせと作業をしていたが、最近はさすがに毎日はやっていない。誰だっていつかは遊ぶのをやめるし、僕にだってその日はやってくるはずだが、ファルマンおよび娘たちからは、「せめて誕生日まではやめないで」と言われている。キャラクターを作る際に誕生日を設定するのだが、僕の島の22人のパピローの誕生日は、もちろん全員が9月20日なので、その場合、島民の誕生日当日にゲームを起動した場合に行なわれるお祝いイベントが、22連続で行なわれるのか、興味があるらしい。ゲームの性質上、たぶん行なわれるんだろうが、22連続ともなると完全に作業になってしまい、7人目くらいからは飛ばす感じになるに違いないと思う。ちなみにだが、誕生日を迎えたところで、年は取らない設定にしている。
 誕生日は、これまでの22人のお祝いと同時に、42歳のこの僕が島民になる日でもある。ゲームには、島民たちの面倒を見る立場の存在、すなわちプレーヤーがいて、僕の島の場合それは(年齢)のつかないただの「パピロー」なのだが、正確に言うと、今年の9月19日までは、それは「パピロー(42)」なのである。その「パピロー(42)」は9月20になったら、大きな手に掴まれて島に放り出される。その大きな手は誰のものかと言えば、言うまでもなく「パピロー(43)」のものである。こうしてゲームと人生は進行する。気持ち悪い。
 というわけで今後は島民は1年にひとりしか増えていかないことになり、島民は最大で70人まで作れるのだが、僕の場合そこまでいくには、自分自身が90歳にならなければならないことになり、なかなか荷が重い。まだほぼ半世紀もある。俺の人生、まだまだ続くんだな! と、とても意外な、説明がとても面倒なルートで、希望のある地点にたどり着いた感がある。
 娘たちからは、「20歳以前も作ったらいい」と言われるのだが、なんとなく気乗りしない。20歳の頃に何があったというわけでもないが、区分として、大人になってからの自分だけでやったほうがすっきりすると思う。童貞を喪失したのがたとえば17歳とかであれば、そこからスタートでもよかったかもしれないが、残念ながらそんなことはない。それでももしも無理やりに、20歳以前のパピローを作るとすれば、その場合は9歳がいい。9歳のパピロー少年は、もちろん信じられないくらいの美少年だが、どことなく顔に憂いがある。それはなんの憂いかと言えば、両親が離婚した憂いだ。そんな「パピロー(9)」を、島民のみんなで慰めてやりたい。特に27歳以降、父親になったパピローたちが抱きしめてやってほしい。気持ち悪い。

2026年7月11日土曜日

42の夏


 梅雨が明けて、しっかり暑くなった。6月が梅雨で、7月に入ってすぐに梅雨明けし、そしてそれを境にきちんと暑くなるって、なんか健全すぎて逆に違和感がある。そんなサザエさんみたいな世界線でいいのか。俺らの時代の地球って、もっとパンクなんじゃなかったのか。
 去年から発生していた、部屋のエアコンの調子がどうもトボけている問題は、全体的に涼しかった6月の、珍しく気温が高まった日に冷房を入れようとして、でもやっぱりあまり効かなくて、今後の夏のことを思い気を重くしたのだが、どうにかならないものかとリモコンをいじっていたところ、実はエアコンの設定がずっとパワーセーブモードになっていたということが判明し、それを解除したら軽快に稼働しはじめたので、なんてこったい、と思うと同時に、やあよかった、これで夏も安泰だ、と胸を撫で下ろしたのだけど、しかしいざ梅雨が明けて、猛暑日になんなんとするフェーズになってみたら、やっぱり部屋のエアコンは「もう無理です」と音を上げたので、どうしたもんだろうなあ、と苦悩している。この症例の悩ましいところは、エアコンが冷房の匙を投げるのは、午後の、おそらく室外機とかにガンガンに日の当たる、14時から18時くらいの間だけで、それ以外の時間は普通に使えるというところだ。そしてその時間帯、平日はこの部屋には誰もいないわけで、休みの日のその時間くらい、リビングとかプールとかに避難すればそれでいいんだよな、という気も大いにするわけで、なかなか業者を呼ぶモチベーションが上がらないのだった。そしていつまでも小骨のようにこの問題は引っ掛かり続ける。それにしても暑さがピークになる、本当にエアコンが活躍してほしい肝心なときにギブアップをするってどういうことだよ、という憤りの気持ちはある一方、無病息災ならぬ一病息災というか、少しの瑕疵くらいあったほうが逆にまっとうに生きられるのかもしれないな、などと、別にエアコンに対してしなくてもいいと我ながら感じる達観もしている。要するに業者を呼ぶのが面倒くさいんだと思う。
 ちなみに食欲は今のところまだ減退していない。なによりビールが美味しいし、チューハイもおいしい。夏のいいところは、どんなに酒を飲んで、つまり水分を取っても、寝ているときに尿意を催さないところだ。だから飲んじゃう。そして食べちゃう。でもそれでいいんだと思う。イートウェルリブウェル。溌溂と生きようと思う。

2026年7月5日日曜日

明かされた極北ボックスの正体と新型水着のもうひとつの飽和ポイント


 真正面から見たとき本当に長方形に見えるボックス水着を作ろうとしていて、パターンはほぼ完成した。前回の記事の時点では定まっていなかった商品名も、先日やっと決まった(まだ明かさない)。
 しかし新展開がそうやって水面下で進行している一方で、実はまだ製作中で出品できていない極北ボックスが9着ある、ということも書いた。この週末でそれは自分用・出品用ともども縫い上げ、撮影も完了したので、あとは出品をしていくだけなのだが、縫い上がったそれらを試し穿きするにつけ、我ながら自分にはそういう、無慈悲で冷徹な部分があるとしみじみと思うのだが、心はもうすっかり新型水着へと移ろってしまっているため、この上半期あんなにも僕を陶酔させていた極北ボックスがやけに色褪せて見えてしまい、この世に誕生したばかりのそれらに対し、果たして俺はいちどでもこれを穿いて泳ぐものかな、と疑わしさを抱いてしまうのだった。シュレディンガー水着の際は、サイド巾がサイド巾だったので気付くのが早かった(それでも15枚くらい作った)が、極北ボックスというのはそこからサイド巾を太くしての結果だったという来歴もあり、発覚するまでに半年を要したが、ボックスの極北と謳いつつ、やっぱりこれもボックス水着の範疇からは外れていたんじゃないかと、いまさらながら思うのだった。だってこれだぜ。


 脚ぐりが、明らかに斜めじゃないか。じゃあビキニかと言われると、サイド巾がまあまああるので決してビキニという感じではないのだけど、だからと言ってボックスでもない。じゃあなんなのかと言われたら、ボックスとビキニのあいのこで、ボッキニだったのかもしれない。そしてボッキニという名称が繰り出されたところで、前回の記事の最後のほうに匂わせた、次の新型から施行されるもうひとつの大きな変化の話に自然と繋がるのだが、それはなにかと言えば、画像を見てもらえば分かりやすい。
 まずボッキニの横から見た画がこうである。


 それに対して、新型の横から見た画がこちら。
 

 おわかりいただけただろうか。そのとおり。NOBITATTLEの象徴であるフロント部分の出っ張りが、だいぶ飽和したのである。もともと生身の人間が穿いた場合、もちろん状態にもよるが、ここまで突き出すことはないものと思われるが、それにしたって少し枯渇の追求が過ぎたのではないかと感じる部分もあり、サイド巾を太くする進化が訪れたこのタイミングで、フロントも併せて飽和させておこうと思ったのだった。サイド巾に負けず劣らず、これもNOBITATTLEからするとずいぶん劇的な転換である。だってここはNOBITATTLEブランドの名が示すように、まさに象徴的な部分であり、だからこそロゴもその立体性を利用して配置していたのだ。そのためフロントの高さが、実に1cm以上低くなった新しいパターンでは、これまで通りのロゴシートが収まるかどうか心配だったのだが、まあなんとかなったので、このあたりで手を打つことにした。ただしこれに関しては、新型をどんどん作っていくうちに、悪い虫が騒ぎはじめ、どうせまた徐々に枯渇していくんだろうと思う。でもヤドカリは生きて身体が大きくなるにつれ、背負う貝殻を大きくしていくわけで、それは仕方のないことなんだと思う。そしてイソップ童話の「牛とカエル」のように、俺はこのくらい大きいんだぜということを誇示した果てに、いつかまた破裂が起るのだろうと思う。収束と拡散、枯渇と飽和、誇示と破裂、そして勃起と賢者タイムを我々は繰り返して生きてゆく。
 近ごろは買った生地で自分用と出品用の2枚しか作らなかったりして、まだもうあと2枚ほど作れる余りがあったりするのだが、せっかく新型を華々しくスタートさせるのなら、以前別のパターンで使用した生地ではなく(それでもいつかは作ったらいいが、あくまでスタート時は)、新しく手に入れた生地でやりたいという思いがあり、それにあたって発注するデザインの選定など、なんだかリスタート感があって、今とても愉しい。華々しいスタートってなんだろう。この道、華々しいのか。人通り、ぜんぜんないんじゃないか。

2026年7月4日土曜日

中山・吉沢・柳家


 週末の朝、平日の細かく定まったモーニングルーティンとはまるで違う、漫然とした時間を過しながら、テレビはなんとなくいつも「シューイチ」に合わせている。その日の起きた時間によって見る時間帯はまちまちだが、「ズームインサタデー」時代から続くジャイアンツ偏重のコーナーを除けば、だいたいそれなりに不愉快なく眺められる。しかし何ヶ月か前、司会の中山秀征が休暇かなにかで番組を欠席したとき、番組に対して無性に居心地の悪さを感じた。とても物足りない、寄る辺ない気持ちになったのだ。これには自分でも驚いた。えっ、俺はそんなに中山秀征に依存していたの? と。でも意識し出したらどうやらそうらしかった。先日、サッカーW杯に合わせて、中山秀征はメキシコとアメリカに行っていた。中山秀征はサッカーになんて興味ないだろ、と思っていたら、やっぱりぜんぜんなさそうで、VTRのほとんどはアメリカの単なる観光ロケだった。その中で中山秀征はナッシュビルのバーでエルビス・プレスリーの曲を唄い、地元のアメリカ人と盛り上がっていた。そのさまを見た瞬間に、疑念は確信に変わった。俺はどうやら秀ちゃんのことが好きらしいぞ、と。そしてそれは秀ちゃんのパーソナリティがどうこうということではなく、俺は秀ちゃんから、テレビがハラスメントとかで臆病になる前の、豪放磊落で大雑把で身勝手で、でもギラギラと輝いていたあの時代、その時代の最期のほうにテレビっ子だった自分が愛していた世界の残り香のようなものを嗅いでいるらしい、と思い至った。秀ちゃん自身にその自覚があるのかどうかは判らない。たぶんないと思う。そういうのって、本人が自覚してやるもんじゃないんだと思う。周囲のさまざまな思惑や事情が折り重なって、結果として中山秀征がそういう存在になったのだと思う。まあナベプロだし、アメリカのバーでノリノリでエルビス・プレスリーを唄えてしまうという本人の資質的にも、順当なところだよな、と得心がいく。加えて思い出されるのは、僕はMAXのファンであるという事実だ。中山秀征とMAX。結局あの時代がいちばん愉しかったよね……、と言いそうになったが、いや待てよ、中山秀征とMAXだぞ、お前ほんとにそれでいいのか、と思いとどまった。思いとどまったが、しかし今もまだタイトロープの上に立っている気がする。5年後くらいには本気で言っている気もしている。

 プライムビデオで「国宝」を観た。3時間あるというので、どうやって観たものか、一気に観るのはどう考えても無理(ピイガが寝たあと22時半から観はじめても寝るのが2時とかになってしまう)なので、土日の2晩に分けて観るか、などとファルマンと話していたが、結局それさえままならず、なんと3度の土曜日の晩に分けて、ようやく観終えることができた。つまり3週間かけて観たのだ。そのような視聴をした人間が感想を述べる権利などないように思うので、なにも言うつもりはない。ただファルマンによる、「曽根崎心中」のお初(を演じる吉沢亮なり横浜流星なり)のモノマネがおもしろかった、ということだけ記録しておく。学のない夫婦。

 ポルガが学校の授業の一環で落語の鑑賞をするとのことで、誰が来るんだと訊ねたら、「えっとね、この人」と言って見せてくれた、学校からの知らせに記された名前が、柳家喬太郎だった。えええっ、となった。柳家喬太郎? あの柳家喬太郎? マジで? なにそれ! めっちゃうらやましいんだけど! と大興奮した。なにを隠そう、柳家喬太郎と言えば、ここ数年、いちばん好きな落語家だ。CDやYouTubeでたびたび聴いている。すごく好き。そんな柳家喬太郎を、僕よりも娘が早く、生で体験するという。ずるい! ずるいずるい! いいないいな、サイン貰ってきてくれよー、などとわがままを言った。
 そうしたら本当にもらってきてくれたのでおののいた。


 この場合の「サイン貰ってきてくれよー」は、発表会などの際の「横断幕を持って応援するね!」と同じ類の、一種のジョークと言うか、常套句みたいなもので、まさか本当にもらってきてくれるとは思っていなかった。ポルガは公演のあと、先生に取り次いでもらって、ひとりで楽屋を訪問し、父親がファンであると柳家喬太郎に伝え、サインを描いてもらったのだという。マジかよ! お前すげえな! なんか物怖じとかぜんぜんしない、サイコパスタイプの人だなあ、自己肯定感の化け物だなあ、とは前々から思っていたけど、本当にすごいな! って言うかお前、柳家喬太郎と一対一で会話したのかよ! うらやま! もちろんそんなことをした生徒はポルガだけだったそうで、見てのとおり、とても丁寧に描いてくださっている。さらに右上には僕の名前も書いてくださっている(ポルガはスマホで表示して漢字を伝えたらしい)。柳家喬太郎が俺の名前を書いてくれた! たぶんきちんとした柳家喬太郎の独演会とかだったら、こんなの観客みんなが欲しいに決まっているので、楽屋訪問もできないし、これほど丁寧なサインも望めないんだと思う。こういう機会だから得られたのだ。めっちゃ嬉しい。大事にしようと思う。早速ハードケースを買ってきて収めた。持つべきものは物怖じしない娘である。ポルガの好物のマーブルチョコ(明治)を10個買って帰った。