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2026年7月25日土曜日

夏放言


 とても暑い。嘘だろ、と思う。2026年、ここまで気候はわりと平穏で、ここ数年の荒れたOBたち(2024年とか2025年とか)と違い、このまま平和に卒業(大晦日)までいってくれるのではないかと期待していたのに、ここに来てきちんと荒れた。荒ぶった。信頼関係を築きかけていただけに余計ショックが大きい。
 7月に入って一気に暑くなったことで、プールにもぜんぜん行っていない。記録を見ると、なんとここまで2回しか行っていない。先日も書いたことだが、3連休で行こうと試みたが、その際は混み過ぎていて断念した。夏休みに入り、プールは毎日活況なのだろう。なんだか不思議だ。男らしさ・女らしさは相対的なもので、要するに社会における男女の主導権の取り合いだ、という話があるけれど、僕のプールと、いまプールを混ましている輩のプールというのも、なんかしらの形をした一個のパイの取り合いなのかもしれない。
 そう言えば6月に、プール用のボディーソープを新しくするタイミングがあり、このときメントールが配合された涼しげなやつにして、これから始まる夏に向けての期待が高まったのだけど、いざ蓋を開けてみたら夏の間、斯様にぜんぜんプールに行かないものだから、このままだとあのボディーソープは大量に余ってしまう。そして涼しくなってようやくプールに足が向くようになったら、そのときはメントール配合のボディーソープには寒気を覚えることだろう。なんか毎年こんなことをしている気がする。めんとおる配合そうぷ秋廃棄。たしか芭蕉の句だっただろうか。一茶だったかもしれない。季語は「秋廃棄」。6月にメントール配合のボディーソープを買うときの僕は、夏がそこまで暑くならないと思っているわけではなくて、夏は暑くなるけど、自分はそれに打ち克って溌溂と爽やかに生きられると思っているのである。そう考えるととても切なくなってくる。ごめんね。無理だよ。
 プールに行かないことに加え、そもそもの生きる上での余力が乏しいわけで、もちろん筋トレもままならない。快適な時期に蓄えた筋肉貯金を、夏は食い潰すのみである。夏こそプールで鍛え上げた肉体美を披露する時期なのではないのか。とかくままならないな。
 プールに行かず、筋トレもせず、家でどうしているかと言えば、チューハイを飲んでいる。チューハイというポーションをせっせと飲むことで、なんとか日々の回復に努めている。ちゆうはいはあもうるの水なつのよい。たしかこれは子規だったか。季語である「夏の宵」と「酔い」が掛かっているのがさすがだ。アモールの水というマイナーな回復アイテムを出してくるのも、子規の人間性がよく出ていると思う。
 ちなみにだが、プールと筋トレがそんな感じで、性欲のほうはどうなのかという話だが、記録を改めて確認したところ、これもまた実績が芳しくない。よくない! プールに行く気が起きないのは仕方ない。筋トレをする気力が湧かないのも仕方ない。それでもちんこは積極的に勃てていこうよ、と思う。そこまで失ったらいよいよおしまいだろ、と。めんとおる配合あもうるの水ちんぽ。これは俺の句。季語はない。季語はないが、ちんぽ語を入れているので、ちんぽ句としての要件は満たしている。

2026年6月28日日曜日

ボックス!


 年末年始に極北ボックスパターンを完成させて、ほぼ半年。この間、せっせとそれを作り続けてきた。通し番号をつけるようにしたので分かりやすいが、出品している現在の最新作は137番。極北ボックスは101から番号をスタートさせているので、37枚ということになる。ちなみにだが、縫製がほぼ終わり、あとはジョニファーに穿かせて撮影するだけ、みたいな状態のものが実は9枚あるので、146番まで行くのは確実だ。
 でもそこで極北ボックスはおしまい。
 突然の爆弾発言。説明をさせてほしい。
 ブログは収束と拡散を繰り返す、という例の理論があるでしょう。水着作りにもそれと同じような波があるのだという真理に到達した。すなわち、
『水着作りは枯渇と飽和を繰り返す』
 である。
 今からひと月ほど前のことなのだが、実は極北ボックスのパターンを少し修正した。同じものを何十枚も作っていると、ネジの頭がなめるように、自分の中のなにかが摩耗してくる。そして摩耗することで、行けていた地点に行けなくなるかと言えば、実はその逆で、別にこじ開けようともしていなかったエリアのドアが、勝手にこじ開いてしまうのである。そういうときというのは、物質ではない、思念的なものでドアをこじっているのだと思う。超感覚的知覚。言わばエスパーである。
 極北は、極北だから極北なのに、エスパーなのでその先の世界に行ってしまった。あんなにも苦心して到達した脇の幅を、さらに削ってしまったのだ。このひと月に製作した、すなわち出品前の9枚は、それで作っている。出品時にこれまでのものと区別をするつもりはないが、実は一線を超えている破滅の子たちである。
 そう、破滅。力の暴走は破滅をもたらすのである。だって極北の先なんてないんだもの。
 思えばいつもこんなふうにしてステージは幕を閉じる気がする。マンネリ化し、停滞して、それを打破するために暴走して、破綻する。たぶん地球も最後、こうやって終わるんだと思う。でも地球が終わっても世界は終わらない。物質のカスが集まって新しい星になるように、新しいステージの幕は開く。
 話が飛ぶが、最近になって平泳ぎに強い関心を持っている。これまでクロール一辺倒だったのだが、先日NHKでやっていた水泳の日本選手権を眺めていて、自由形の選手よりも平泳ぎの選手のほうが理想の筋肉の感じに近い気がすると感じ、そう意識して平泳ぎをやってみたら、腕を広げて水を抱えながら前方中心まで持っていく動作は、ダンベルフライのそれに似ているのではないかと気づき、泳ぐことと筋トレを同時に叶えるという願望をなんだかんだで未だに捨てきれずにいるのだが、もしかすると平泳ぎはわりと筋トレになり得るのかもしれないと考え、これからはクロールと並行して平泳ぎも積極的にやっていくことにしたのだけど、それにあたり極北ボックスというのは、それこそ昨年末の苦心の果ての産物なのだが、脇の幅を狭めるためにずいぶんなハーフバック仕様になっていて、それは基本的に膝から下を上下に動かすだけのクロールならば別に問題ないのだけど、根元から大開脚する平泳ぎとなると、さすがにその露出は少し差し障りが出てくる感じがあり、居心地の悪さを抱く原因となっていた。この半月ほどプールから足が遠のいていたのも、そのあたりのことが少なからず要因になっていたかもしれない。
 すなわち、飽和の瞬間はさまざまな方角から、じわじわと忍び寄っていたのである。
 というわけで、極北ボックスに代わる、新しいパターンを作ることにした。
 これまでの話の流れから分かるように、今回は面積を削ることが目的ではない。逆に増やすのである。平泳ぎで大開脚しても大丈夫なように、尻はしっかりと蔽う。そうなれば脇の幅もどうしたってこれまでよりも太くなる。それでいて野暮ったくない形状を目指したい。
 コンセプトは回帰。
 昨年の秋口、『観測者によってビキニかボックスかが定まるシュレディンガー水着』として、つまるところビキニ型だった水着を15枚ほど作り、そこから少し面積を増やして極北ボックスへと帰着したという経緯はあったにせよ、基本的にこれまでの水着パターンの進化の歴史は、面積縮小の歴史であった。「初期→新パターン→新々パターン→(シュレディンガー→)極北」と、徐々に布の面積は小さくなっていった。それは言い換えれば枯渇の歴史であった。
 しかし今回は違う。確固たる理念の下、面積を増やすのである。
 であれば、それはつまり逆戻り、すなわち極北が飽和したというのなら、新々パターンに戻せばいいのではないか、と思われるかもしれない。もしそれでも足りないというのなら、新パターンだってあるだろう、と。
 しかしさすがにそういうわけにもいかない。僕は来た道をそのまま戻るのではない。山を登ったとして、登ってきた斜面をそのまま下りるのではなく、頂上は単なる通過点として、その先の地平を行かなければいけない。たとえ新パターンや新々パターンと、標高的には同じでも、それは新しい未知なる世界であるべきだ。
 もちろん参考にはした。まっさらの画用紙に、極北ボックス、新々パターン、新パターンと、歴代の3つのカットゲージのラインをそれぞれ書き込み、そしてそのどれとも異なる新しい線を引いた。
 思い描いているのは長方形である。ボックスの名に悖らない、穿いたとききちんと箱の形になるようにしたい。
 こんなふうに。


 対話型生成AIに頼んで作ってもらった画像なのだが、まあまあいい線いっている。構造的に股下の、蟻の門渡りの部分は、画像のようにいくらかは下に出っ張る感じになるが、それ以外の部分では水平を保っている。長方形である。なるほどボックスだな、と思う(ちなみにだが、肌との対比を考え紺色を指定したせいもあるかもしれないが、脚ぐりの水平を求めるということはすなわちローレグであるということもあり、なんとなくスクール水着を連想させ、また画像をよく見ると腰周りを蔽うスカート部分と股下部分でパーツが分かれているようにも見え、だとすればこれはいわゆる旧スク水の一大特徴である、水抜き穴を持つ仕組みになっているのかもしれないと考えると、今回の製作のコンセプトとはぜんぜん異なるけれど、また新しい扉がこじ開けられる気配を感じないでもない)。
 ということで、そんな理念の下、できあがったのがこちらである。


 イメージ画像では肌との対比のことを考え紺色にしたくせに、実際の試作ではこんな生地を使うものだから少し分かりづらいが、見てのとおり、だいぶ水平である。だいぶ長方形である。
 ちなみにこの生地では、かつて新々パターンを製作し、出品していた。今回の新作は、極北ボックスよりも新々パターンとの比較で捉えたほうがいい。それがこちらである。


 新々パターンは脇の幅が今回の新作よりも短く、かつ脚の内側の裾が少しだけ長いため、それを繋ぐために、どうしてもラインが斜めになっている。この問題を解決したのが今回のリニューアルである。
 少なくともぱぱぼとるよりも上の陰毛は剃ることを前提としたローライズ仕様で、かつ正面から着用姿を見たとき、なるべくただの長方形に見える水平を目指すとき、望むことのできる最小限の幅は、陰茎の付け根のすぐ上から、陰嚢の下部側の付け根までの、立体感を無視した上での直線の長さである(下図、矢印)。


 これが何cmだったか。
 それは8cmだったのです。つまり目指すべきは縦が8cmの長方形。平面として眺めたときそう見えるようなパターンを希求した。
 横から見るとこう。


 水平である。少しフロントのあたりが下がってV字のようになっているのは、股間部に入れたスライムの重みのせいであり、実際はここまでのことにはならないと思う。
 後ろはこう。


 後ろはさすがに水平じゃありませんよ。この1年以上囚われていたハーフバックの呪縛から解放され、尻たぶはきちんと蔽うことにしたのだ。尻というのはフロントよりも縦幅が長くできている。後ろの布も8cmにしようと思ったら、上からは尻の割れ目が覗けるだろうし、下は尻たぶを今まで以上に晒すことになるだろう。そういうわけにはいかない。しかし脇の幅が、極北ボックスはもちろんのこと、新々パターンよりも長い8cmなので、尻をしっかり蔽っても、まったく無理のない自然なラインとなっている。なるほどこれは、着実に山を登ってきたからこそたどり着けた、頂上の向こう側の世界なのだな、と改めて思う。
 というわけで前述の極北ボックスの残りの9枚を出品したあとは、このパターンが新しい主力商品となってゆくものと思う。ただしそちらを片付けて、改めて裁断からなので、本格的な始動はまだもう少し先のことになるだろうと思う。でもちょうどいい。なぜなら、商品名が思いついていないからだ。ボックス水着というものの原点回帰を目指して作ったパターンだが、「ザ・ボックス」ではダサいし、ましてや「シン・ボックス」など目も当てられない。これについてはおいおい考えていこうと思う。
 ちなみにだが、今回の新しいパターンに関し、実はもう一点、これまでの流れを断ち切る大きな変化をした部分があるのだが、それについて語るとさすがにこの記事だけが長大になりすぎるので、それについては別で語ろうと思う。
 とりあえず半年の区切りのところで、いい展開を起すことができ、とても満足している。

2026年6月13日土曜日

続・逆ゆっこ話


 逆ゆっこ現象について書いた際、男にとってのちんこと女の子にとってのおっぱいがそれぞれ対応するが、さすがのゆっこもあかりのヴァギナには手を這わせない、だからヴァギナはすごいのだ、ということを書いたが、それでは女の子にとってのヴァギナに対応する男の体の部位はどこなのか、ちんこが既に出てしまっているのにそんな部位は果たしてあるのか、と考えたとき、ひとつだけその存在に思い至った。
 それは勃起したちんこである。
 これはとても据わりのいい考えで、なんてったって勃起したちんことヴァギナというものは、男女のそれぞれの体の部位の立ち位置みたいな概念以前に、切っても切れない、とても密接な関係性で繋がっているものだからだ。すなわち、成り成りて成り余れるところと、成り成りて成りあわざるところ。対応という意味ではここまで深く対応する部位は他にない。
 おっぱいに対応するのがちんこで、ヴァギナに対応するのが勃起ちんこというのは、ちょっととんちのきいた考え方で、なにしろ男のそれは、厳密にはひとつのものでしかない。ただ状態が変化しているだけである。そんなの答えとしてはズルいのではないか、という意見もあるだろう。
 しかしここで思い出してほしいのは、やはり逆ゆっこのことである。逆ゆっこはプールの更衣室で、友達の脚の間にぶら下がるちんこを触った。でもそれは勃起していないから触ったのだし、そもそも逆あかりとしても、仮に勃起をしていたらさすがに更衣室でふざけてぶらぶらさせないだろう。ただのちんこは同性しかいない場では普通に開示されるが、勃起したちんこはそうではない。ここには明確な分断がある。つまり平常ちんこと勃起ちんこは、存在する世界線が異なっているため、別物として扱うことに十分な妥当性がある。
 そしてゆっこがあかりのヴァギナに手を這わせない、あかりのヴァギナは常にあかりの脚の間に存在するが、ゆっこにとってそれは存在しないも同然であるように、逆ゆっこにとって逆あかりの勃起ちんこは、認識の埒外にある。分かりやすく言えば、基本的に男は、他の男の勃起ちんこを目にしないということである。
 ただしここまで考えたとき、次に議論の争点になってくるのは、ゆっこがあかりのおっぱいを揉むとき、それはあかりのバストの発育を調べるという大義名分があるわけだが、そのサイズ計測的な概念というものは、男の場合、僕が「Seventeen Centimeterian」というTシャツを着ていることが象徴するように、勃起した状態のちんこのものに他ならないだろう、ということだ。これが、長年にわたり数学者たちを悩ませてきた、「あいつのちんこはデカい」「あいつのちんこは小さい」などと男たちは語り合うが、男たちが互いに見せ合うところの、平常時のちんこに関してそんなことを言っても意味がないのではないか問題である。これについては前々から疑問を抱いていた。男は、(基本的に)男の観察下でフル勃起をすることはできないので、勃起の、ひいては男性器のサイズというものは、結局のところ自己申告に頼るしかないのに、それでも男たちはそれの大小について熱心に語り合う。かくいう僕も、気が遠くなるくらい前からずっと語り続けている。ここに男の悲哀がある。女の子のおっぱいのサイズは、日常の暮しならばまだしも、プールの更衣室においては細工のしようがない。それに対し男のちんこは、永遠にサイズの真実が定かにならない。
 そうか、だから女は得てしてリアリストだし、男はいつまでもモラトリアマーなのだな、と少し世界の仕組みが分かった気がした。俺はいつまであの日の逆ゆっこの出来事を引っ張り続けるのだろう。

2026年5月9日土曜日

股間周りの話3選


 GWに陰毛をすべて剃るということをした。頭髪のほうは、いまやけに伸ばしていて、外出時は結ぶというところまでまた来ているのだが、こと陰毛に関しては、気温の高まりを受けて、素直に全剃りしたのだった。作って穿いている水着が大変なローライズにつき、気を抜くと上端から陰毛が覗けてしまうので、これまでも上部のほうは剃り、全体のボリュームも抑え目に調整していたのだが、ここに来ていっそなくしてしまえと、やってしまった。ざっと目を通しても記述を見つけられなかったが、たしか去年もおととしも、こんなような時期に同じことをしたように思う。ちなみにだが、いちど剃ると濃くなるなどという伝承は真っ赤な嘘である。
 生えていることに鬱陶しさを感じたから剃ったわけで、なにもない状態に対し、身軽さや爽快感を得るのだけど、それと同時に、陰毛が生えていることへの憧憬もまた芽生えていて、我ながらなんだかすごいな、と思う。単に僕の精神がすごいのか、あるいは僕のぱぱぼとるというものが特別そうなのか、いつまでも飽きさせることなく、貪欲に高みを希求し続ける。満足することはいつまでもない。嘘だ。射精したあとはしばらく落ち着く。

 アイロンプリントをデザインしたオリジナルTシャツを着ていて、胸元に大きく「CFNM」と書かれたものは、あらかじめ「どういう意味か」と訊ねられたときの言い訳として、「ケーキ、フルーツ、ナッツ、ミルク」というのを用意していたのだが、「Seventeen Centimeterian」に関してはノーマークで、文字数が多いから、「なんかしらのフレーズなんだろうな」と適当に受け止められるだろう、Tシャツのデザインって得てしてそういうもんだろうと楽観視していたところ、ピイガが「それはどういう意味だ」と訊ねてきたので、答えに窮してしまった。「お前のパパは17cmあるほうの種族なんだよ。だから(そこを乗り越えてきた)お前も誇りに思いなさい」というのが実際の答えだが、さすがにこの春からJCになった娘にそんなことは伝えられないので、仕方なく、「……い、いつまでも17歳の心を持ち続けているってことだよ!」と、センチメータリアンとセンチメンタルをない交ぜにした、よく解らない弁明で切り抜けることに成功した。42歳の父親が、「俺の勃起は17cm」とアピールするのは問題外だとしても、いつまでも17歳の心だということを標榜するTシャツを着るのは果たしてどうなのか。僕は切り抜けられたのだろうか。切り抜けられたのだとして、いったいなにから僕は切り抜けたのだろう。そして切り抜けた先に、どんな景色が広がっているというのだろう……。

 先日プールの更衣室で、中学生くらいの男子のグループがいて、自分の頃もそうだったから実感を伴って解るのだけど、裸になること、すなわち仲間内でぱぱぼとるをさらけ出すことに、抵抗のあるグループと、ぜんぜん抵抗のないグループというのがあるだろう。その日のグループはそれで言うと完全に後者で、特にそのうちのひとりは、裸でガニ股になってぱぱぼとるをぶらぶらさせていた。すげえなこいつ、と思った。でもさらにすごかったのはそのあとで、それを見てゲラゲラ笑っていた仲間のひとりが、「お前やめろよ(笑)」みたいな感じで、彼の股から垂れ下がって揺れるぱぱぼとるを、ぺいっとビンタするように手で払ったのである。JCとJKの娘を持つ、ノビタットレと呼称するオリジナルの水着を作って穿く42歳男性、その一連を無言で眺めながら、内心かなりの嵐が吹き荒れていた。
 ちんこ芸って、要するにちんこという小道具を使ったモノボケだが、しかしその、笑いを誘発する爆発的な力を持つチートアイテムは、あくまで自分専用で、他者は不可侵なものだと思っていた。他人のふんどしで相撲を取るではないが、人のちんこは、触っちゃダメだと思う。本人が腰を揺らしたり、あるいは触って形を変えたりしている間はチートアイテムだが、他者が触ると、それはもうその瞬間に、笑いのアイテムではなくなるのだ。発見だった。「男が別の男のちんこに手をかける」という場面を、そう言えばBL漫画などではなく現実では生まれて初めて目にしたかもしれなくて、そういう意味で清新な心の動きがあった。
 更衣室で同性のプライベートゾーンを触る、というので思い出すのは、あかりのおっぱいを着替えの際すかさず揉んでくるゆっこのことだが(具体的な作品があるわけではないが、こういうとき胸を揉まれるのはどうしたって「あかり」だし、揉むのは確実に「ゆっこ」である)、今回の出来事は男版ゆっこ、言わば逆ゆっこ現象だったと言える。いったいなにが逆なのか。本来は女同士でやるものを男同士でやっていたから逆なのか。それって果たして逆なのか。ゆっこがあかりのおっぱいを揉むやつの男ver.がぱぱぼとるになってくるのは、それはまあ理に適っているとは思う。何度も言うけど、まりもっこりの女性ver.は胸がもっこりしているのだ。男のちんこが女のおっぱいなのだ。そしてゆっこもさすがにあかりのヴァギナには手を這わせない。そう考えるとヴァギナってすげえや。
 ヴァギナってすげえや、という結論に至ったお話でした。

2026年3月25日水曜日

持続的な催淫効果


 ふたつ前の記事、「ブランド理念」で触れた本に書いてあったのだけど、水着業界にはオーダーメイドというものが基本的に存在しないのだという。陸上のスパイクとかのイメージで、一流の選手というのは、メーカーに面倒を見てもらって、本人の体型に極限まで合わせた水着だとか、そういう金のかかったものを使っているものだと思っていた。そうではないのだ。それというのも、speedo社の高速水着の一件から水泳の国際連盟は反省をし、「道具で争うのではなく選手個人の能力で争う」という思想の下、ルールを厳格化したのだという。
 そのことを知ると、「オリジナルの水着を作って穿いて泳いでいる」という自分の行為が、ますます特別な意味を帯びてくるような気がする。この世に、「自分用に誂えた水着」というものは、どうやら思っていた以上に少ないらしい。一流の選手でさえ、水着は既製品を使うのだ。もしかすると僕は、これまで人類がほとんど掘り進めていない坑道を突き進んでいるのかもしれない。
 それにしても「道具で争うのではなく選手個人の能力で争う」という思想はいいな。しかしいいなと思うと同時に、みんな一緒の水着で包む肉体には、それぞれの異なった出っ張った部分があるわけで、それも含めて能力と言ってしまえばそれまでだが、男ならぱぱぼとるの大きさ、女なら乳房の大きさが、ハンデとなる場合だってあるわけで、真の意味での厳密さってなんだろう、ということも思う。ぱぱぼとるが大きい人間は、それだけ水の抵抗が大きくなるのだから、少しタイムを優遇してくれないとフェアじゃない。フィニッシュタイムに巨根係数を掛けてほしい。
 ……ちょ待てよ! あいつにだけ巨根係数が掛けられて、俺に巨根係数が掛からないのはおかしいだろ、もう1回採寸してくれよ。絶対俺のほうが巨根係数が大きくなるはずだろ。……いや、ちげえよ、今はプールで泳いだあとだから! これはちげえから! マジで水で冷やされる前はヤバかったから。もはや水の抵抗とかじゃねえから。俺の股間が水門みたいになってたから。流れ、堰き止めてたから。それなのに泳いだんだし。マジ半端ねえから。もはや係数とかじゃねえし。これ抱えて泳いだってだけで金メダル級だから。なんも言えねえ……。チョー気持ちいい……。北島さんを手ぶらで帰すわけにはいかない……。あー、もしかすると僕は、水に怒張を愛撫されて、泳ぎながら果てたのかもしれませんね。だから今こんなに小さくなって、そしてとても穏やかで清々しい気分なのかもしれません。だとしたらもうそれ以上に望むことはありません。もとより、僕は規定違反のオリジナル水着を穿いているので、はなから失格ですしね。え、この巨根専用水着ですか? NOBITATTLE製です。違います、speedo社じゃありません。speedo社製ならぬ、スピード射精です。
 このダジャレ、もう20年くらい前の、speedo水着を着た女の子のグラビアの煽り文句で目にして以来、ずっと大切にしている。我ながら物持ちがいいな。グラビアの話が出たついでに、女の子の乳房の場合の係数については、そこは巨乳係数ならぬボイン係数でお願いしたいと思う。時は令和。もはやなかなか聞かないボインを、あえて使ってみようじゃないか。勇敢だな。

2026年3月21日土曜日

ブランド理念


 この2ヶ月くらい、Yahoo!フリマでの水着販売がわりと活況だった。こんなに売れちゃったら在庫が寂しくなっちゃうな、と一瞬だけ思ったが、やっぱりそうは言っても生産のほうがよほど上回るのだった。購買者、もっとがんばれ!
 生産と言えば、これはとても個人的な話になるのだけど(いったいいつ僕がここで個人的じゃない話をしたというのか)、水着用の生地を主に買っているお店というのがあって、これまでそこのアウトレット生地というのを使用していたのだが、つい先日それが販売終了になってしまい、アウトレット品ではない通常の2way生地だと、これまでに較べてそこそこ値段が高くなるので、嫌だなあ、嫌だけど仕方ないなあと思いながら、先ごろ初めてそちらを発注したのだが、届いたものは、プラシーボかもしれないが、思っていたよりもアウトレットよりもだいぶ質感がいいように感じられたので、売れはじめたNOBITATTLEが今よりも一段上に行くためには、ちょうどよかったのかもしれないな、などと思った。
 ところで数日前の出来事なのだが、フリマのほうに一通のメッセージが来た。その内容はと言うと、「素敵な商品ですね」とまず褒めてくれたあと、「ところでフロントがフラットになっている商品の開発予定はありますか?」という問い合わせで、これには虚を突かれた。
 僕自身が地元のプールで穿いているそれを出品するにあたってのリスク回避策として、販売ページでそこまで股間の立体造形については高らかに謳っていないけれど、実際のところの製作コンセプトは、はっきり言ってその部分に意識が集中しており、言わば製品のアイデンティティに他ならない。なんてったってブランド名はNOBITATTLEである。息子にのびのび育ってほしいという願いを込め、名前の通りに育ち、そして担任からは頻繁に「立っとれ!」と叱られる、そんなぱぱぽとるのための水着。それがNOBITATTLEである。
 であるからして、作ろうと思えば簡単なことではあるだろうが、「現在のところ考えておりません。ご希望に沿えず申し訳ありません」と返事をし、今回のやりとりは終わった。
 やりとりを終えたあと、虚を突かれた部分から、こまごまとした思いが湧き上がってきた。水着を作りはじめて3年か4年くらいになるのだが(正確なタイミングを探ったが、はっきりしなかった。日々せっせと日記を書いているのに、それでもあとから振り返ったとき、知りたいことがきちんと記載されていなかったりする。きりがないのだと思う)、NOBITATTLEというブランド名はあとから設えた(しかしとてつもなく秀逸な)ネーミングであるにせよ、男性器のための膨らみを持たせるという理念は前提としてまずあり、それを成立させるためにそれ以外の部分を考えていると言ってもいいわけで、そのためフロントをフラットにするという、発想そのものが、これまで本当に微塵もなかった。しかし男性用の水着、特にハーフパンツ型ではない、ボックス型やスパッツ型というのは、よほどこだわりを持って選ぼうとしなければ、手近な選択肢はほぼ黒か紺の二択になってしまうわけで、もしかすると、「さまざまな柄の生地で作られた男性用水着」という、その部分だけで価値を見出す層もいるのかもしれない、そしてその人にとっては、股間の膨らみというのは不必要な、むしろ志向的にはあると厄介なもの、というパターンもたしかにあるのかもしれない、今回の問い合わせはつまりそういうことだったのかもしれない、と思った。男だったらいつだって、どちらかと言えばそこは強調したいと考えるものだと、これまで信じて疑わなかったが、その確信が少し揺らいだ。股間がフラットな水着の需要、もしかしてあるのか? 作ったら売れたりするのか? 
 しかしその一方で、やはりこんなことも思った。もうずっと前、それこそおもひでぶぉろろぉぉんで読んでいるような時代の話だが、練馬で友達夫婦を家に招くにあたり、たこ焼きを企画して、そのために前日にアメ横へ行って蛸を買おうとしたのだが、店に並んでいるのは1匹丸ごとの蛸ばかりで、たこ焼き用に脚だけが欲しかった僕は、威勢のいい店主に、脚だけのものは売っていないのかと訊ねたのだが、返ってきた答えは、「そういうのはスーパーに行きな!」という苛烈なもので、今よりもっと繊細だった20代の僕の心は大きく傷ついたのだった。今回の問いかけでそのエピソードを想起したということは、やはり心のどこかで、「そういうのはアリーナにでも行きな!」という、あの店主と同じ微かな苛立ち、略して微苛(びか)があったということだろう。思わずこれまでなかった熟語を作ってしまったが、わりと汎用性が高い気がするので、これからみんなもぜひ使ったらいいと思う。
 アリーナと言えば、先日ちょうどアリーナの水着の開発の人が水着について説明する記述を読み(原功著「子どもが水泳を始めたら読む本」(ベースボール・マガジン社))、いろいろと興味深かったのだが、その中に、水着に使われるポリウレタン繊維はプールの塩素と相性が悪い、という話があって、特に女性の場合、胸や尻の部分は生地が伸ばされやすく、水が通りやすくなるので、特にダメージが強く、生地が薄くなり、場合によっては透けるリスクが高まるのだそうで、これを読んで、ふたりの娘の父親でもある僕はどういうことを思ったかと言えば、透けてほしい部分がちゃんと透けてくれる稀有なパターンだなあ、ありがたいなあ、プールはやっぱり尊いなあ、と思ったのと同時に、女子がそんなリスクを負って泳いでいるんだから、男子もまたその心意気に答えなければならない、女の子のおっぱいの膨らみ、そしてそのせいで生地が薄くなってしまうという、もはやハレンチ学園的な恩恵に、男はいったいどんなアンサーソングを返せばいいのか。
 ということを考えると、やっぱりNOBITATTLEは、めいっぱいにNOBITATTLEでないとダメなんだ、男子だけそこをフラットにしようだなんて虫のいい、卑怯な話があるか、と改めて思う。確固たる理念である。NOBITATTLEのあそこに収まっているのは、ぱぱぼとるであると同時に、確固たる理念なのだと気づいた。

2026年3月10日火曜日

42歳男子


 実家から現在まで、女とばかり、もとい女としか暮していないのに、なぜか異様なほど女に幻想を抱き続けているし、女性性への理解度が低い。われながらこれはすごいと思う。とにかく家族と女性というものを、完全に別物として捉えているのだろう。それは自然なことだとも思うし、そこまで完全に分離して初心なままでいられるものなのか、とも思う。
 月経というものがあるじゃないか。実家にいるとき、その気配を感じたことは一切なかった。まだオープンな性教育という時代でもなかったので、完全に世界の埒外であった。ファルマンと暮しはじめてからはそういうわけにもいかなくなり、女には毎月、つらい数日間があるのだということをぼんやりと理解するようになった。そして女が月経の期間であるということを知った場合、必ず「女子って大変なのな」と口にするようになった。どうやら女子の生態に理解のある、思いやりのあるイケてる男子は、そのときそういうことを言うらしい、ということをどこかで見知り、本当は理解していないくせに、言葉だけ真似するようになったのである。でもしばらくすると面倒になって、「じょしたいなのな」と略すようになって、ファルマンにムッとされるようになった。配慮の呼びかけを面倒臭がって略したらダメなのだ。
 そんなわけで、ぜんぜん本質的には月経のことを理解していなかった僕なのだが、先日ファルマンから、「想像してごらんなさい。月に一回、性器から血が出るんだよ」と改めて伝えられ、それを自分のぱぱぼとるに置き換えて想像したら、すさまじい絶望の淵に立たされ、「……今生が終わった」という気持ちになったので、そこでようやく僕は女性の大変さが真に理解できたように思う。女子って毎月そんなことをしていたのか。めっちゃつらいじゃん。女子って大変なのな。

2026年3月6日金曜日

とうとう喋りはじめた水着


 作る前から、これはすごいことになるんじゃないかという予感はあったのだが、完成させてみたらやっぱりすごかった。
 だって、これだぜ?


 もともとがアフリカンプリントの派手な柄なのだが、柄取りが我ながらすごい。よくもまあ、と思う。
 だって、これだぜ?


 ぱぱぼとるの、てっぺんの部分に、この円のデザインの中心を据えて、左右で柄合わせをピタリと決めたら、たぶんすごいことになるぞ、という確信があった。果たしてだった。
 「マジンガーZ」に出てくる女性型ロボットで、アフロダイAというのがいるだろう。あれの有名な武器で、おっぱいミサイルというのがある。乳房の部分が、大昔のコイルで形を作っていたブラジャーのように円錐状になっていて、そこに装填されたミサイルが、発射されるのである。この水着を見て、なんとなくあれを思い出した。そう言えばアフロダイAはおっぱいからミサイルを出すのだから、そのアンサーソングとして、マジンガーZは手が飛び出すロケットパンチなどではなく、きちんとここが飛び出すべきだったのだと気づいた。思えばまりもっこりはきちんとそれをやっている。まりもっこりの女ver.は、乳房がもっこりしているのだ。あれはとても理に適った造形であると思う。
 そして、ぱぱぼとるのその部分にばかり目が行きがちだが、これ、よく見ると、ちょっと顔みたいに見えませんか。中央のそれが(立体的な)鼻で、目もあれば、口もある。すごい! マジですごい! とてつもないものを作ってしまったかもしれない。
 しかしあまりの衝撃作ゆえに、なかなか穿いてプールに繰り出す勇気が湧かない。自制心が働いてしまう。それでもこいつ自身は「穿け!」と強く求めてくる。う、うるさい! 俺の股間で勝手に喋るんじゃない! そ、そんなに突き出るな! いかんせん、突き出しすぎだろ! 仕方ないけど! 収まらないのだから仕方ないけども! 俺のカイロス3号機は発射成功だけども!

2026年2月16日月曜日

悪質なタックル大学付属デジタルタトゥー高校


 髪がツートンになっていたので、ファルマンにブリーチを施してもらう。無事に全体が金色になった。去年の秋、気の迷いで黒髪にしたのは、返す返すもよくなかった。人生が急に色褪せた気がした。ファルマンも配偶者として強くそう感じたようで、今回のブリーチもどちらかと言えばファルマンが、「黒が目立つようになってきたからやったほうがいいよ」と話を持ち掛けてきたところがある。そんなにもよくなかったのだ。
 2月ももう半ばで、春はもう輪郭が見えてきたし、プールの再開に関してはもう間近と言ってもいい。というわけで、毛髪つながりで、半月にいちどくらいのペースで行なっている、体毛報告をしたいと思う。日課だった剃毛をしないわりにあまり繁らなかった体毛だが、ここに来て、陰毛に関してはまあまあ生えたような気がする。すね毛やわき毛はもう早い段階で打ち止めということに相成ったようで、前回の報告時点から変化らしい変化はないのだが、陰毛だけはまだ伸びしろがあるらしい。そうなんだ、とも思うし、そうだよね、とも思う。
 以前、「ヒゲはちょうど24時間が経過すると安心してきちんと外に出てくる」という発見について書いたが、それで言うと陰毛は40日間くらいを要するらしい。だいぶ慎重派だな。重たい慎みと書いて慎重。たしかにそうかもな、と思う。ぱぱぼとるって、言い換えれば重たい慎みのことなんだよな。
 しかし時間をかけてようやく心を開きかけているところ申し訳ないが、陰毛はあと2週間あまりの命である。全部というわけではないが、2ヶ月かけて伸びた分だけ剃ることになる。そう考えると少し切ないな。せめて剃る前に、写真だけ撮っておこうかとも思う。だけどアップはしない。野球部じゃないのでデジタルタトゥーは生み出さない。

2026年2月3日火曜日

むいむい


 先日の気にしない短歌で「3本で250円するようなそんなバナナなパパバナナだな」というものを詠んだのだが、これは実体験がもとになっているのだった。というのも、僕はこれまでわりと小ぶりなバナナを選んで買う傾向があり、それはフットワーク軽く小刻みに食べれたほうが都合がいいという考えからそうしていたのだけど、あるときスーパーで、3本しか入っていない袋を目にし、5本も6本も入っている袋に較べ、その3本の立派なことと言ったらなく、実はそのときは買わなかったのだけど、目と同時に心も奪われていたようで、その日から1週間ほど悶々として、翌週末、同じスーパーに行って、今度こそ購った。1週間思いを募らせていたこともあり、手に取ったときの充足感と言ったらなかった。巨大なバナナを手にしたときの充足感というのは、たぶん本能的なものだと思う。帰宅して長さを測ったら、20cmになんなんとする大きさで、バナナというのは本当に、ちょうど当て嵌まるのだな、と感心した。6本くらい入っている小ぶりなバナナが中学生のそれだとしたら、3本しか入っていないそれは紛うことなき巨根で、4年前の僕ではないが、なるほどこれは憧れの対象になるなあ、と思った。
 ちなみにだが、短歌は後半ずっと母音が「あ」が続くという趣向を凝らしているのだが、たぶん誰にも指摘してもらえないので自分で言った。
 あとパパバナナという言葉は、もちろん「バナナのおやこ」という童謡から取っているのだけど、パパバナナとコバナナは分かるとして、ママバナナとは一体なんだろう。ママにもバナナがあるのだろうか。ママのバナナは、それはパパバナナなのではないか。あるいはパパバナナのバナナは、ママ専用のママバナナであるという意味だろうか。どちらにせよ淫靡な歌詞だな。
 これを機に、今後は巨根バナナ派に鞍替えしようと思っている。持ち重りする巨根バナナには、フットワークとかの利便性を凌駕する、圧倒的な精神的充足感があると知った。

2026年1月8日木曜日

山陰毛


 年が明けて以降、プールに行かない日々である。
 もちろん行きたいと思う瞬間はあるのだけど、下手に会員になったら、寒くて暗くて正直あまり行きたくないのに、ちょっと無理して行くときも出てしまうだろうと考えたら、やっぱりトータルで考えて、にわかに湧くその気持ちは抑えるのが賢明かな、とも思うのだった。
 このまま2月に突入すれば、2ヶ月もの間プールに行かないことになるわけで、水泳という趣味から遠ざかる自分に、その代わりのご褒美というか、救済を与えることにした。
 体毛を剃らないことにしたのだ。
 プールで自作の面積が小さめの水着を穿くのが趣味だということもあり、日々、毛の処理には気を配っていた。顔から下の毛は基本的に剃るというスタンスで、ただし陰毛に関しては、独自のこだわりで剃るべき部分は剃り、残すべき部分は残すということをしていた。もう何年もそれを続けてきたので、一切の手入れをしなかったとき、自分がどれほどの毛量なのか、どの部位がどの程度まで伸びるのかというのが、分からなくなっているのだった。
 なのでこの機会に、きちんとそれを確認しようと思う。ただ、脛毛や腋毛はまあ想像がつくとして、結局のところ関心は陰毛に集中している。陰毛、放っとくと僕はどういう感じになる人なんだったっけ。陰毛が野放図に生えている男性器というのは、自分のものではなく他人のものという印象があるので、自分の股間にこれからそれが現出してくるのだと考えると、なんだか不思議な、少し淫猥な気持ちにもなってくる。僕はいったい何を言っているんだろう。陰毛を剃らないことが自分へのご褒美? なにその思考。ゼロから無限を生み出している。めっちゃエコじゃん。サステナブルディベロップメントちんこじゃん。
 などと言いつつ、3連休もあり、案外ころっと誘惑に負けてプールに足を踏み入れる可能性も捨てきれない。もっともプールに行く以上は剃毛をしなければならないという道理はない。それは道理ではなく、ただの自戒。自戒なんて我慢すればいいだけのことだ。

2026年1月5日月曜日

オートメーションチンコマシーン


 左の腰骨のあたりの皮膚が痒い。見ると湿疹のようになっている。数日前から薬を塗っているが、いまいち効果がない。
 ファルマンに相談したところ、出てきた言葉はやはりこれだった。
「裸で寝てるからや」
 もはやフジモンの「顔デカいからや!」みたいになっている。年末「hophophop」にも書いたが、ありとあらゆる身体の不調が、裸で寝ているせいにされる。こちら陣営の言い分としては逆である。裸で寝る健康法を謳った書籍では、ありとあらゆる身体の不調は、裸で寝ることで解決していた。こんなに互いの主張が正反対にぶつかり合うことがあるかよ、と思う。
 しかし昨晩に関しては、こちらも痒みを早く治めたいという思いがあるので、ファルマンの主張を聞き入れることにした。また今回に関しては、ファルマンもいたずらに、夫が全裸で寝ることへの忌避感だけで言っているのではなく、「あなたは寝るとき左を向いて寝ることが多い。だから左の腰骨のあたりがシーツと触れる。そして最近は冬用のあったかいシーツだから、それで夜中に汗をかいて、そこがあせものようになっているのだ」と、わりと論理的なことを言ってきたのだった。悔しいがそれは一理あるような気もしたので、仕方なく、ゴムのあまりきつくない、ニット生地のトランクスを穿いて寝ることにした。
 ものすごく久しぶりのことだった。夏の帰省の時などを除き、家の布団で寝る際に下半身になにかを身に着けて寝たのはいつ以来だろうか。なんだかぞわぞわした。
「でもさー、俺さー、寝てるときすげえちんこ触るからさー、パンツとか穿いてると、ウエストゴムが手首に当たって、起きると手がめっちゃ痺れてるんだよね」
 慣れない下半身の感覚にぞわぞわしながら僕がそうぼやくと、
「触んなや」
 とファルマンは一蹴した。
 僕だって、意識的に触るわけではない。もちろん意識的に触る場面もあるが、睡眠中の行動は無意識だ。無意識だが、夜中、目が覚めると、確実にちんこを触っている、という話なのだ。なので明日の朝、起きたら手が痺れてるかもなー、嫌だなー、と思いながら寝た。
 そして夜中、ふと目が覚めた。もちろんちんこを触っていた。ちんこを触っているなあとまず思い、その少しあとでハッとした。
 トランクスがなかったからだ。
 下半身が、いつものように、素っ裸だったのだ。
 穿いて寝るなんて違和感だ、や、手首が痺れてしまうかも、といった葛藤はなんの意味もなかった。僕というマシーンは、もはや就寝時に下半身になにかを身に着けていることを、現象として受け付けないのだ。そういう仕組みがない。なのでそれに逆らってパンツを穿いて寝ると、脱ぐとか脱がないとかじゃなく、オートメーションに排除される。本当にそんな感じだった。だって「パンツを穿いて寝るなあ」と「パンツ穿いてない!」の間に、本当に一瞬もなんの意識もなかった。それくらい無機質に、下半身からパンツが消えていた。寝ながらパンツを脱ぐのって、脚を縮めたり、前屈みになったり、それなりに入り組んだ動作が必要だと思う。それをまったくの無でやっていることになる。さすがにちょっとおそろしい。
 しかしこのままだとあせもはなかなか治らないので、対策が必要だ。パンツはもうあきらめたので、今晩は腰の位置にバスタオルを引くという作戦でいこうと思う。手のかかる子。手のかかる子ほど愛おしい。なるほど愛おしくて、僕はひと晩じゅう愛でるのかもしれない。