ポルガの中学の卒業式に、ファルマンとともに参加した。娘が中学校を卒業し、春から高校生になるということについての感慨は、別に中学校の卒業式なんぞに誘発されなくとも、日頃から自分のタイミングで抱いているので、あくまで卒業式というイベント、その体験報告を記そうと思う。
そもそも参加するにあたり、僕は中学の卒業式にふさわしい衣装を持っているのかという不安があり、不安がありつつ、確認したのは本番前夜のことだったのだけど、なんだかんだでそれっぽい色のスーツがあったのでことなきを得た。それにしてもスーツ。入学式には参加していないので、スーツを着たのは、今の会社の面接に行ったとき以来だろうか、などと思ったが、実は先週三回忌を行なっていたファルマンの祖母の葬式のときに着ているな、とこの日記を書いている今、思い出した。とにかくそのくらい着ていない。着ないでいられる日々が尊い。そんな境遇なので、着るとどうしてもコスプレのようになる。ネクタイを締めながら、「今日もゼネコンのお偉方と接待だぜ……」とつぶやいてみた。僕の、すさまじく貧困な、スーツを着ている人のイメージ。ゼネコンが具体的になにをする人たちなのかはよく知らない。たぶん談合とかをするんだと思う。そしてド金髪のボリューミーなマッシュルームなのである。我ながらすさまじい違和感であった。
学校へは、ファルマンとふたりで車で行った。ポルガは「学校の近くの家の友達に髪をやってもらうから自転車で行く」と言ってひとりで行ってしまった。そういうものなのか。こういうときって、校門前の「卒業式」の立て看板の前で写真を撮ったりするものじゃないのか。次にポルガを目にしたのは、会場となる体育館に入って席に座り、きちんと式が始まって、卒業生が拍手とともに入場してくる、その瞬間だった。少し変な歩き方で現れたポルガの髪は、なんかかわいらしく編み込まれていた。ファルマンにはドライヤーさえさせないのに、友達にはめちゃくちゃ編み込ませるんやん、と思った。
式は、まあ式だった。校長先生の話がきちんと長く、退屈で、つらいなあと思いながら睡魔と闘ったのだけど、でもこういう思いって本当に久々だな、とも思ったので、いまの暮しはまあまあ快適ということなのかもしれないな、と変な再認識をすることができた。同じく送辞と答辞もなんだかひどかった。別に奇を衒ったことを言えと言っているわけではない。そんなものに付き合わされたらたまったもんじゃない。内容は、今日の各人のそれがたぶんそうであったように、対話型生成AIに考えてもらったんだろう、当たり障りのないものでいいのだ。しかしとにかくもっと短くしてくれよ、と思った。あるいは文面が表示されるリンクページへ飛ぶ二次元バーコードを提示してくれればそれでいいよ、とも思った。歌は、校歌ともう1曲、あまり聴きつけない歌があって、男子と女子のパートに分かれ、交互に唄い、やがて合一する感じが、「ちんぽ唱歌」を連想させて笑いそうになった。思わずファルマンに「「ちんぽ唱歌」みたいだね」と話しかけそうになったが、パイプ椅子の座席間は狭く、周囲の親に聞こえてしまうかもしれないと思って止した。さらに言えば、目元をハンカチで押さえている人もちらほらいたので、「ちんぽ唱歌」などと口に出していいはずがなかった。しかしいったい、あの式のどこに泣き所があったのだろう。僕の姉ならこう言っていると思う。「あなたはなにかに感動して泣いているんじゃなく、ただ泣こうとして泣いているのだ」と。僕は多様性の時代だから決してそんなことは思わないけど、姉ならそう言うに違いないと思う。
式を終えたあとは、各クラスに戻って最後のホームルームという段取りで、親も担任と生徒(わが子)によるそのさまを眺め、そしてやはり泣いたりするものらしかったが、もう昼も近かったので、まあいいか、という話になって、帰ることにした。苦労して残ったところで、ポルガがわれわれと並んで写真に映るとは思えず、そもそもあいつは自転車で来ているのだから終わったら勝手に帰ってくるだろう、ということで夫婦の意見がまとまったのだった。そんなわけで、子どもとは本当に絡まずじまいだった卒業式であった。おかしいな。こんなことあるかな。まあ今日に限っては写真撮影用に3年生がスマホを学校に持ってくることは黙認(あくまで「許可」ではなく「黙認」だそう)とのことで、ポルガも持っていったので、子どもたちは親に撮ってもらわずとも、自分たちでいくらでも撮り、共有しているんだろう。「卒業式写真」はもうそれでいいんだな。
しばらくしてからポルガは帰宅した。卒業証書とともに、家の中のなんでもない場所で写真を撮った。「チラ見せじゃなくてちゃんと見せてよー」と声を掛けるのも忘れなかった。たぶんそういうことを言うから、中学生は親をウザいと思うに違いないな。