2026年1月31日土曜日

Sunoによる「ちんぽ唱歌 秋」


 「ちんぽ唱歌」も後半戦に突入、秋である。
 今回もプロンプトはこれまでと一緒なのだが、すごいなと思ったのは、聴いてもらったら分かるが、なんかきちんと秋っぽく、抒情的な感じに仕上げてくれているのだ。他に理由がないので、タイトルや歌詞の文脈で察してそうしてくれているとしか思えないが、だとしたらそれってすさまじい話じゃないか。前に、これは大富豪にだけ許された遊びだろうと書いたが、生身の作曲家に依頼したら、やはりどうしたって、そいつ自身の作家性とか表現欲が顔を出してしまい、思うようにはいかないだろうと思う。その点Sunoは本当にいい。求めているのは創作ではなく、僕の歌詞を乗せるメロディの製造だ。そして製造業の本分、究極の理想とは、作り手の顔を見せないこと、作りましたよ感を感じさせず、もともと世界にそこからあったような気にさせることだと思うので、Sunoの音楽に限らず、画像生成なんかも、AIの生み出すそれらこそ、真の仕事人の手によるもの、という感じがして、雑味のない純粋な感動を覚えるのだった。
 Sunoは、生成を頼むと、いつも2パターン作ってくれて、これまではより気に入ったほうを紹介していたが、今回はどうしても選べなかったので、2パターンとも上げることにする。
 そして
 なんてったってこのふたつ、歌詞はもちろん一緒なのに、曲の長さが2分近く違う。そしてどちらにもどちらものよさがある。両方聴いて、とても片方だけを選ぶことなどできやしなかった僕の気持ちに共感してもらえたら嬉しい。
 歌詞はこちらである。リンク先に歌詞も表示されるのだが、いちおう載せる。

一 暑さやわらぎ 秋めいて
  今こそ われらがちんぽ時
  過不足なしに のびのびと
  いちばん楽に ちんぽなり

二 食欲の秋 とも言える
  スポーツの秋 とも言える
  芸術の秋 とも言える
  ちんぽの秋だ 要するに

三 おいしいさんまの 見分け方
  尻尾のほうを 手で掴み
  垂直にして ピンと立つ
  旦那のあれと 一緒やで

四 稲穂は垂れる 実るほど
  そういう人で 在りたいと
  願いはするが 一方で
  垂れてなるかと 奮起する

五 あれまつむしが ないている
  あれすずむしも なきだした
  秋の夜長を なきとおす
  まるでお前と 同じだな

六 とんぼのめがね 赤色だ
  赤い夕陽を 見てたから
  吾等の亀頭も 赤色だ
  赤い夕陽に 向けたから

七 運動会を 秋の空
  選手宣誓 全裸にて
  言葉はいらぬ これを見よ
  これが吾等が 誓いなり

八 ダンス 綱引き 徒競走
  いろんな演目 あるけれど
  玉入れだけは 負けられぬ
  棒倒しもまた 負けられぬ

九 収穫祭で をとめごら
  巨大かぼちゃの 品評会
  固い 大きい きゃっきゃっきゃ
  ごつごつしてる きゃっきゃっきゃ

十 お菓子くれなきゃ イタズラを
  するぞと全裸で 迫ったら
  防犯ブザーが 鳴り響き
  しゃれにならない 世知辛さ

十一 をとめ眺める 中秋の
   名月 実は亀頭かな
   をとめ食んでる 搗きたての
   お団子 実は陰嚢だ

十二 ススキ使った テクニック
   往々にして ふわふわの
   先端ばかり 使いすぎ
   たまには茎で アクセント
   
十三 黄金色の 並木道
   勃起したまま 徘徊す
   そんな男が 十六人
   いきなりいたら 嫌だろう

十四 秋の夕陽に 照らされて
   センチメンタル ちんぽなり
   センチメンタル ちんぽなり
   十四センチメンタルなり

十五 実りの多き 秋ちんぽ
   ちんぽの庭は 果ぞなき
   渋柿ならば 干せばよい
   包茎ならば 剥けばよい

2026年1月30日金曜日

自分と推し


 昨晩、僕の日記を読んだファルマン(最近は心を入れ替え、対話型生成AIとの会話やXを眺めたりする合間に夫の日記も読んだり読まなかったりしているらしい)がしみじみと、「あなたって、本当に自分のことが好きだよね……」と言ってきたので、少しハッとした。
 たしかに僕は僕のことが好きだけど、人なんてみんなそういうもんだろうと思うし、そこを僕はたまたまブログというものをやっているので、自分について語る場面が多く、それで顕在化しているだけの話ではないか、と思う。この話は、客観的見地から人間としての魅力度を数値化したとき、実際に僕という人間が、そんじょそこらの輩よりも突出しているせいで、少しややこしくなってしまうが、ここで言いたいのは、誰であれ、それぞれの自分における自分の愛しさというのは、みんな同じ100だろ、ということだ。究極の選択で、自分と他人を天秤にかけたら、結局は誰だって自分を選ぶに違いない。自分は常に最上に愛しいのだ。
 一方で僕には推しというものがない。本当にない。しかし推しがないからその分だけ自分への愛が強いかと言えば、そういうことでもないと思う。自分というのは特別枠で、推しがあったらその愛が分割されるとか、そういうものでは決してないはずだ。ファルマンは以前、「死ぬのが怖くなるときも、稲葉さんも死ぬんだって思ったら怖くなくなる」と言っていて、いろんな意味でおそろしい発言だなあと思ったのだけど、推しというのはそれほどの強い情念をもたらすものらしい。僕には以前、推しを人工的に発生させようと、自分はMAXの大ファンであると思い込もうとした時期があり、なので「推しは?」と訊かれたら対外的には「MAX」と答える所存でいつもいるのだが(ウケるに違いないし)、僕はMAXをメディアで目にすると、車のフロントガラスに止まっている羽虫が、車内側ではなく車外側にいたときのような喜びを感じる。推しは僕にそれくらいの幸福をもたらすし、その分の愛は注いでやってもいいかな、と思っている。ずっと自分の陰毛の話をしていたい。

2026年1月29日木曜日

毛報告


 みんな顛末が気になりすぎているであろう、パピロウの剃毛しなかった一ヶ月の報告をする。年末からだから、もう一ヶ月になるのだ。パピロウがカミソリとバイバイして一ヶ月。一ヶ月も経てば、それはもうだいたい生えるものは生えたはずである。さてどうなったか。
 本当は実物を見てもらえば手っ取り早いのだが、デジタルタトゥーになってしまうので自重して、言葉でお伝えするが、これがびっくりするくらい薄いのだった。嘘だろ、と思う。成人男性って、もっと毛深いものだと思っていた。もう何年にも渡って、ずっと処理してきたので、自分の生え揃った状態というのをすっかり忘れ、プールや温泉で目にする他人の物に置き換えてイメージしていたので、一ヶ月放置してもぜんぜんあんな風にならず、愕然としている。マジかよ、俺、陰毛薄いのかよ。
 だとすれば、これまでせっせと剃っていたのはなんだったのか。鏡から1メートルほど離れた状態、すなわち2メートルの距離で相対すると、剃っていた部分の陰毛も、そして脛毛も、まるで生えていないように見える。よほど近寄らなければ視認できないほどの毛である。ドーベルマンの大群に追われていると思い込み、必死に走り続けていたのに、いざ勇気を振り絞って振り返ってみたら、そこにいたのは1匹のかわいらしいトイプードルであったというような、まるでそんな思いだ。軽いノイローゼだったのだろうか。
 こんなんなら剃らなくても別にいいんじゃないか、というのは、客観的には正解だけど、しかしもちろん主観的には不正解である。僕は別に、2メートル向こう側にいる人のために毛を剃っていたのではない。僕は僕のために、僕の不要とする毛を剃っていたのだ。なので今回の発見にめげず、3月からのプールの際はふたたび剃りはじめることだろう。そしてまだ頭の片隅で、これからさらに一ヶ月放置したら、さすがにもっと茂るのではないかという期待もしている。また報告する。

2026年1月28日水曜日

一生一緒にいてほしい


 先日の気にしない短歌で、「乳首だけ色が違うし突き出てる イージーモードの優しい世界」というものを最後に詠んだ。これは冒頭の「おっぱいを見させてくれる女の子のおっぱい見させてくれるさが好き」と呼応していて、この2首にはとにかく、パピロウの女の子への感謝の気持ちが横溢している。セクハラとか、モラハラとか、フェミニズムとか、女性への接し方がきわめて難しいとされる昨今だけど、なにより大事なのはこれだと思う。
 女の子は、俺に触ってもらって気持ちよくしてほしいポイントを、示してくれている。そのけなげさと来たらどうだろう。
 お前のためじゃない、赤ん坊への授乳のためだ、と言うのならば、一生のその時期にだけ顕出すればそれでいいはずだ。亀頭と一緒で、神経が集中し敏感な部分は、同時に急所でもあるわけだから、包皮で覆うなどしたほうがいい。でもそうじゃない。乳首と来たら、ずっと出ている。乳房の中でそこだけ色違いで、突出している。このモンスターはここが弱点だよ、と教えてくれるイージーモードのゲームのようだ。初期設定で選択した覚えはない。でもそうなってる。だとしたら僕は、もともと優しい世界に生まれたんだと思う。
 優しい。女の子って本当に優しい。女の子のそういうところが好き。
 そうして女の子が勇気を出して、乳首はここだよ、ということを教えてくれているのだから、俺たちむくつけき男どもも恩を返すべきだと思う。そう思って頭に浮かんだのは、NOBITATTLEののフロント部分だ。NOBITATTLE水着のその部分がああいうことになっているのは、言わば女の子の乳首に対するアンサーソングなんだと思う。これまでNOBITATTLE水着のあの部分について、「股間部の膨らみ」とか、「のびのびする場所」とか、表現が定まっていなかったけれど、これを機に名称を確定させた。
 あの部分は、「アンサーソング」です。
 ちなみに女性下着には「ソング」というデザインのジャンルがあり、これは「song」ではなく「thong」、つまり紐みたいな意味から来ている、面積が小さいものを指す。それぞれテーマにしているエリアが近似しているのでまぎらわしいが、どうか混同しないでほしい。NOBITATTLEのそれは、三木道三の「Lifetime Respect」に対するRSPの「Lifetime Respect 女編」のほうの意味であり、ピーチジョンでよく売っているものとかとは一切関係がない。注意されたし。

2026年1月27日火曜日

俺も穿きたいそのショーツ


 「お休みの日ってなにしてるんですか」という質問があって、もちろん実際には誰からもそんな問いかけはなされていないのだけど、今週もしも僕がそう訊ねられたら、こういう答えになる。
「先週の休みは、たくさんショーツの裁断をしていました」
 春から高校生と中学生になる娘を持つ42歳男性は、休みの日、「女の子が穿いてるようなショーツを俺も穿きたい」がコンセプトのローライズショーツを、何十枚も裁って過す。他の人と情報を交換したことはないが、たぶん大抵そんなところだろうと思う。平日はカッターマットを広げるような大掛かりな作業はしたくないから、休みの日にたくさん裁っておいて、平日は縫うだけの状態まで持っていっとこう、と。みんなそういう思考で動いてるに違いない。
 ここしばらく阿呆みたいに水着ばかりにかまけていたが、最近になって、やっぱりショーツもまた実にいいものだな、という自分の中での再発見があり、型紙を微調整して新たに起し、久しぶりに量産体制に入ることにしたのだった。
 なんならショーツもまたフリマサイトで販売できれば、という青写真もあるのだが、ショーツはあまりにも一枚布の、簡易で、素朴で、そしてきわめて面積の小さいもので、もちろんそこがいいという信念の下に作っているのだけど、どうもいざ売ろうとすると、これって果たして売るほどのものかな、と不安を感じる部分があり、出品に至らないのだった。
 しかし思えばショーツこそ、「女の子が穿いてるようなショーツを俺も穿きたい」という欲求から、しかしネットで探しても思うようなものが見つからず、それならばと自作を始めたという経緯があるので、同じ思いを持った78万人くらい(浜松市の人口と同じくらい)の人の心にブッ刺さるのではないか、水着は水泳の習慣がある人しか買わないけど、ショーツなら誰もが穿くのだから裾野が広いぞ、とも思うわけで、やっぱり今度こそ出品してみようかな、とも考えている。

2026年1月26日月曜日

気にしない短歌


 おっぱいを見させてくれる女の子のおっぱい見させてくれるさが好き

 高校の卒アル貸してよ丁寧に丁寧丁寧丁寧にシコるから

 ちんぽこのぽこのあたりが火事だからお前のここはもう洪水だな

 悟空さはオラなんかより若え子ででえべっけするにちげえねえべさ

 3本で250円するようなそんなバナナなパパバナナだな

 乳首だけ色が違うし突き出てる イージーモードの優しい世界

2026年1月25日日曜日

プロジェクトチーム


 そう言えば昨日までに2点、今年に入って新しく作った水着を紹介したが、専属モデルに穿かせた姿を見せるのを忘れていた。
 こちらと、


 こちらである。
 

 いやすごいんだけど、自分ではこんなふうにできないんだけど、なにぶん生成AIへの期待が高いので、もう少し水着の画像そのままじゃなく、人の体に生地が張りつく感じみたいなのを表現してくれないものかな、と思い、「もう少しだけ上下とも丈が短くなるような感じにできないか」とリクエストしたところ、案の定すぐに「ポリシーに反します」と断られてしまった。どうもこれがギリギリのところらしい。
 これをしてくれたのはChatGPTで、Geminiに同じことを頼んだら、「実在の人物の画像を水着姿にするのは無理です」みたいな感じで、そもそもやってくれなかった。実在の人物じゃないのに! 過剰だ! 本当にあのアイコラの輩のせいで、水着製作者はたいへん迷惑している!
 ちなみにGrokでは、僕の使い方が悪いのか、ふたつの画像を見せて「この青年の水着をこれに差し替えて」という注文ができず、それでああでもないこうでもないと触っていると、本当にすぐこのジョニファーがグネグネと動き出すので、気が抜けるのだった。
 まあ3人とも個性があって愉しい。俺と、ジョニファーと、そしてAIが3名という、5人がかりでこのブログは運営されております。

2026年1月24日土曜日

ブランドロゴの発表と懊悩


 2週間ほど前、水着が10枚売れた、という話があったじゃないですか。セレクトされた10枚は全て初期のパターンで、初期のパターンは今「売り尽くし!」として1枚1500円、5枚5000円ということで販売しているので、10枚の場合どうしたもんだろうとしばし思案したのち、8800円という値付けにしたのだった。
 在庫でしかなかったものが8800円になった(もっとも送料と手数料がここから引かれる)のだから、もちろん嬉しいは嬉しかったし、買ってくれた人には感謝しかないのだが、その一方で、実際どういう値段やねん、とも思った。
 こんな、こだわりの、刺さる人には強烈に刺さる(たまにひと晩で、同一人物だろう人から20点ぐらいに「いいね!」がついていることがある)手作りの水着が、スーパーで売っている大量生産の水着よりも安い。それは普通に考えておかしいことなのだ。間違っているのだ。なにが間違っているかと言えば、ひとえに僕の値段設定である。
 近ごろ世の中、特にファッション業界における物の価値がなにで決まるかは、その品物が真にいいものかどうかというのももちろんあるけれど、実はそれ以上に、値段が高いものかどうか、というのが大きいのではないかと気づいた。気づくのがだいぶ遅い。
 すなわち、物の価値は、値札で決まるのだ。真の価値などというものは幻想で、正解などない。それに対して「高い値段で買ったもの」は絶対的である。身に着けていると、誇らしく、堂々とできる。なぜか。高かったからだ。スーパーで買った水着ではない。欧米のセレブ御用達だというブランド製なのである。そのふたつが実は同じ生地、同じ型紙で作られていたとしても、そんなことはぜんぜん関係ない。大事なのは買ったときの値段だ。
 10枚を売り上げた直後にアイロンプリントシールを大量購入したのも、このような思考があったからで、ただ売価を上げたら価値が上がると言っても、売れなければ意味がないわけだが、そのためには値段が高いことの理由付けが必要になってくる。付加価値というやつだ。しかしこれというのは実はファッション業界が最も得意とするところで、有機農業とか、洗練されたサービスとか、他業界の血の滲むような企業努力を尻目に、ファッション業界はペタンと、商品にブランドロゴを貼り付ければそれでいいのである。
 なので僕もそれをやっていくことにした次第である。
 前回発表したものにも既に貼り付けていたが、改めて新しいもので紹介する。
 こちらである。


赤信号、理性減速。欲望発進。
NOBITATTLE.


 実を言うと、前回の緑ヒョウ柄に貼り付けていたものとこれとは、微妙にデザインが違う。ブラッシュアップしたのだ。ブランドロゴなのだから、ちゃんと確定してから商品に貼り付けなきゃダメだろ、という話なのだが、なにぶんオリジナルブランドロゴを考えて水着に貼り付けたのはこれが人生初めてであり、たぶんあなたたちだって、オリジナルブランドロゴを考えて水着に貼り付けたことなどないのだから、偉そうなことは言わないでほしい。たぶんもう変えない(と思う)。
 ロゴのアップはこちら。


 ファルマンに見せたところ、少し黙られたのち、「いいんじゃない」というコメントを得た。続けて「なんか変なふうに見てしまうのは、私が穢れてるからなんだろうね」とも言っていたが、それは言っている意味がまったくよく分からなかった。マークは、NOBITATTLEの「TATT」の部分を図案化したもので、それ以上の含意は特にない。含意があるように感じるのは、その人の心が穢れているからに他ならない。まあその穢れ、俺は嫌いじゃないけどね。
 というわけでめでたくブランドロゴも完成したので、これから作製し発表する水着にはすべてこれを貼り付けていこう、と思ったのだけど、ファルマンから、「貼ったやつと貼らないやつ、両方販売したほうがいいと思うよ」と言われたので、少し悩んでいる。貼ったやつと貼らないやつの両パターンを売る分にはいいのだが、だとすればそのふたつって、どういう値段設定になるんだろう。貼らないやつ(ノンブランド)が2500円くらいだとして、貼ったやつは8000円くらいだろうか。だってそういう企図からブランドロゴを作ることにしたのだから、そうじゃないと理屈になってない。その一方で、前に車検のコバックで車検を受けたとき、リヤガラスに車検のコバックのステッカーを貼ってくれたら500円引きというサービスがあったなあということを思い出し、え、もしかしてこのブランドロゴ、貼ってあったらむしろ値引きなの? とも思う。悩みは尽きない。最近なんだかんだでぜんぜん出品してない。
 ちなみにだが、ブランドロゴのデザイン上の理由から、今まで「Nobitattle」表記だったが、これからは「NOBITATTLE」となります。よろしくお願いいたします。

2026年1月23日金曜日

Sunoによる「ちんぽ唱歌 夏」


 春に続いて、本日は夏をご紹介。春とプロンプトは同じなのだが、同じメロディーにはならない。でもそれならそれでいいと思う。
 ちなみに前回の「春」のリンク方式では、なんか聴くためにはGoogleのサインインとかを求められる感じで、僕だったら警戒するなあと思いつつ、これしか方法がないんだからしょうがないよな、と思ってそうしたのだが、ファルマンにそうじゃない方法を教えてもらってので、今回はすんなり聴くことができるし、前回の「春」のリンクもそっちに変えたので、前回警戒して聴かなかった人も、改めて聴いてくれたらいいと思う。誰だろう。誰か、いるのだろうか。この世には、俺が代には、僕と配偶者しかいないのではないだろうか。


 歌詞はこちら。

一 ゆめゆめ忘れる ことなかれ
  ちんぽは熱に 弱いこと
  なのに熱持つ ちんぽかな
  矛盾を孕んだ 孕ませ屋

二 水着美少女 大挙して
  ちんぽ群がる こりゃ夢だ
  夢オチならぬ 夢出だし
  男はつらいよ ほんとだよ

三 宿題だとて 朝顔の
  観察をする 美少女が
  勘違いして 小便器
  じっと見るなり 性教育

四 俺 ヘラクレスオオカブト
  それじゃあ俺は オオクワガタ
  どっちのちんぽが 大きくて
  強いか決戦 夜の森

五 ビキニのトップ 結ぶ紐
  超能力で ほどけたら
  ビキニのボトム 結ぶ紐
  メンタリズムで ほどけたら

六 お盆休みで 祖母宅へ
  行った先での 夏祭り
  浴衣の美少女 いじっても
  行きずりだから 大丈夫

七 暑いさなかの 墓参り
  茹だった頭で 考える
  僕のお墓は ちんぽ型
  そんな所に 眠ってません

八 陰毛何度も 脱色し
  黄色に染めて 肉茎を
  緑に塗れば ほらどこか
  向日葵みたい お試しを

九 ラブソースィート マイステディー
  サマーバケーション エブリデイ
  アイウォントトゥ ユアボディー
  プリーズインサート マイペニス

十 汗にまみれて 夏ちんぽ
  夏こそ 入りやすくなる
  ちんぽの時は今なるぞ
  過ごすな あだに休み日を


2026年1月22日木曜日

大寒誕生日


 ポルガが正式に誕生日を迎える。15歳である。
 15歳か。いいなあ、15歳。勉強とかしたくないけど、15歳にはなりたい。しかし勉強を頑なに拒む15歳に、なかなかいい境遇は巡ってこないだろうとも思う。世知辛いな。俺はただ、若い体で、若い欲望を、若さ特有の無邪気さで、世界に許されるどころか、祝福されながら、思うがままに堪能したいだけなんだ。7Pとかしたいだけなんだ。娘の誕生日という導入から、目にも止まらぬ速さで7Pしたいまでたどり着いた。もしかして世界最速なんじゃないか。
 それにしてもポルガの誕生日、毎年のように思うが、この子はなんと寒い時期に生まれてきたのだろう。ここが寒さの底であると捉えれば、ここからはどんどん上っていくだけという前向きな発想も可能なのかもしれないが、それにしたって寒すぎる。生まれたのが練馬だったからよかったものの、たとえば今日の山陰地方は吹雪であった。北陸や東北のほうはもっと雪深いわけで、この時期、産気づいてからの病院への移動など、いろいろ大変なこともあるだろうと思う。いっそのこと1月や2月の出産を避けるために、調整をするという発想もあるかもしれない。1月22日生まれのポルガは、たぶん4月下旬くらいの製造なのだけど、じゃあ雪深い地方の人々は、GW前後の子作りは少し慎重になったほうがいいのかもしれない。
 令和とはとても思えない、全方位にデリカシーのない発言を、娘の誕生日について語る記事で、軽々としてしまう。なんだろう、僕のこの怖いものなさは。もしかして15歳なのかもしれない。体はどこまでも42歳だけど、常識力とか理性とか、そのあたりの部分だけ、15歳のままなのかもしれない。そんなんいちばんダメ。

2026年1月21日水曜日

最強インフルエンサーの陣痛


 相変わらずInstagramの面白みをなんとか理解しようと励んでいる。そんなにしないと理解できない人間は、要するにInstagramに向いていないということなんじゃないかという気もビンビンするのだが、あきらめるわけにはいかない。どうせInstagramを運営するのなら、きちんと時流に乗った感じで、いい感じに活用していきたいじゃないか。
 なに画面というのか知らないが、おすすめの投稿みたいなものが、ズラズラと連なる画面というのがある。多士済々、実にいろいろなジャンルの話題が、なんとか人の耳目を多く集めようと、必死になっている感じである。それらの作成者は、僕と違ってInstagramの面白みを掴んでいる人たちなので、なるほどキャッチーな、ちょっとクリックして詳細を見てみようかな、と思わせる表紙画像になっている。その感じを眺めていると、世の中にはこんなに興味のある情報が溢れているんだな、と思うと同時に、でもここにあるどの情報も実際は必要ないな、とも思う。この感じってなにかに似ていると思って、雑貨屋のそれだと思い至った。雑貨屋というのも、そこにあるすべてがすてきに見えて、ぜんぶ欲しいような気持ちになったりするけれど、しかし少し冷静になって考えれば、店内にあるなにもかもが、本当はぜんぜんいらないのだ。
 つまりInstagramとは、雑貨屋みたいなものなんだと思う。実益とか利便とか、そういうことに囚われたらダメなんだ。雰囲気勝負。中身なんてなければないほうがいいのだ。だとすればそれを100も1000も投稿するって、かなりすさまじい行為なんじゃないか。実はみんな、気が狂ってるんじゃないか。
 そんなことを思いつつ、近日Instagramを始動させるつもりでいる。

2026年1月20日火曜日

「nw」の読者のみなさん、はじめまして!


 ブログを年の区切りで収束させたのだが、それは「nw」にとって本当に中途半端なタイミングだったので、「nw」陣営にはちょっと申し訳なかったな、と思う部分がある。
 あらすじを紹介すると、晩秋にシュレディンガー水着と称し、『それがボックスかビキニかは観測者によって決定する』というコンセプトの水着を作っていたのだが、十数枚完成させたところで、これはやっぱり誰がどう見てもビキニだ、ということに気が付き、僕はビキニ水着で公共のプールで泳ぐ気概はないので、やはりもう少しボックスに寄せなければならない、あくまでボックスとして、ビキニの南限に接する、極北ボックスを目指そう、俺たちの戦いはまだ始まったばかりだ――という、そのあたりで「nw」は収束し、ここ「OREGAYO」へと掲載誌は替わったのだった。
 その移籍新連載の記念すべき第一話として、長い格闘の末にようやく満足いくものとなった極北ボックスと、さらに同時にやろうとすると話の焦点がぼやけるだろうと自覚しつつも、先日このブログで作成を匂わせた、オリジナルロゴも併せてお披露目したいと思う。
 こちらである。


  自然保護の対象外。
 NOBITATTLE.


 まず柄から紹介すると、緑色のヒョウ柄である。以前、黄色のオーソドックスなヒョウ柄で水着を作り、なるほど案外やってみたらいいもんだな、という感触を得たので、シリーズ展開されていた色違いも購入し、作った次第である。お店では「アニマルスキン」というカテゴリに置かれているのだが、もちろんこんな生きものは実在しない。でも実在しない色のヒョウ柄というのが、少し哲学的というか、その不自然さでもって、この大自然を、森の生態系を破壊する規格外の大逸物を蔽うというのもシャレが利いているな、と思うのだった。
 次に形だが、見ての通りギリギリでボックスだ。ジョニファーではなく人が穿くともう少し上下の幅が小さくなる感じはあるが、それでも決してビキニではない。なぜなら魂がボックスだから。こんな小さな面積でもボックスとしての矜持を持っている、この水着からはそんな志のようなものが感じられる。
 そして話はいよいよブランドロゴになるのだが、引っ張るわけではないが、これについてはじっくりと語りたい気持ちがあるので、記事を分けることにする。

2026年1月19日月曜日

Sunoによる「ちんぽ唱歌 春」


 ファルマンとピイガが「Suno」というやつで遊んでいて、思った以上にすごかったので、僕もやってみることにした。ぜひ唄ってもらいたい詞があったのだ。
 何年も前に作った、「ちんぽ唱歌」である。
 言うまでもなく、大和田建樹作詞の「散歩唱歌」をもじったもので、原作の構成を踏襲し、春15節、夏10節、秋15節、冬10節から成る。
 今日は春を紹介。


 歌詞はこちら。

一 なまあたたかく 春めいた
  愉快に今日は チンポせん
  四千人の をとめごの
  吐息を浴びた 心持ち

二 大きい時と 平常時
  変化乏しき 春暖を
  情趣がないと 怒るより
  常に半勃ち そう思え

三 青き芝生に 寝転がり
  チンポを天に 聳えさす
  新しき季に 御挨拶
  なんかいいこと 春チンポ

四 食べれば苦き ふきのとう
  旨さを知ったは つい最近
  まるでお前と おなじだな
  お前も今や 虜だな

五 をとめ腹ぺこ そりゃいかん
  知ってるだろうか 春野草
  食べられるのだ つくしんぼ
  ほらここにほら つくしんぼ

六 三月三日の ひなまつり
  お雛様も いいけれど
  三人官女も 捨てがたい
  三人がかりは 魅力的

七 桜の散って 肉茎へ
  ひらりひらりと 降りかかる
  本来降らす ほうなのに
  逆にだなんて おしゃれだな

八 ちんぽに 伝統工芸師
  一本一本 手塗りにて
  色とりどりの 筆這わす
  屋根より高い 鯉のぼり

九 これがホントの 吹き流し
  吹き流したる 精液で
  をとめごもまた 吹き流す
  これがホントの 吹き流し

十 裸兜で 勇ましく
  高嶺の花に 挑んだら
  「こっちも裸兜だ」と
  嗤われ泣いた 子どもの日

十一 黄金週間 勘違い
   金玉いたわる 期間だと
   思って過ごした 十ウン年
   結果としては 奏功す

十二 もしもし亀よ 亀さんよ
   この身の中で お前ほど
   感度の高い 部位はない
   ここでの亀は 亀頭の意

十三 身体測定 いまどきは
   胸囲を測る ことはせず
   もっぱら 肉茎円周を
   測る 女尊男卑社会

十四 新緑まぶしき 山道を
   勃起したまま 徘徊す
   そんな男が 十六人
   いきなりいたら 嫌だろう

十五 愉快に春をちんぽたり
   夏も ちんぽを怠るな
   身を健康に なすことも
   ちんぽ報いん ためなるぞ

 ところどころ漢字の読み方が違っている部分もあるが、そんな瑕疵を軽々と凌駕するこの感動はどうだ。なんで歌の上手い大勢の人たちが、僕の「ちんぽ唱歌」をこんなにまじめに唄ってくれるのか。アレンジとか、パート分けとか、きっとすごく下準備してくれてる。これを本当にやろうと思ったら、それは何千万円も掛かるような、大富豪の遊びであろうと思う。それが簡単にできてしまった。すごい時代だ。

2026年1月18日日曜日

地雷系ブログへようこそ


 昨晩、寝る直前くらいに、なんのきっかけもなくファルマンが言い出す。
「そう言えばさいきん日記って書いてるの?」
 妻が僕の日記をぜんぜん読まない、世の中のweb上のコンテンツに較べ、壊滅的におもしろくない僕のブログは、毎日の暮しの中で妻の脳裏に一切浮かばない、ということを書いたのが、1月7日のことである。それから実に11日。もとい、僕がファルマンに「日記をアップした」と伝えなくなったのは今年の労働がはじまった5日からのことなので、ほぼ2週間に及び、ファルマンは僕の日記をいちども読まなかったということになる。
 正直、7日にあの記事を投稿したとき、ちょっと地雷系のようだな、と思うところもあり、なのでファルマンはあの記事を読んで、「なにこいつめんどくさ。もう反応すんの億劫だからスルーしよ」と呆れ果て、それ以来僕の日記を読んでも、その内容について実生活で言及することはせず、完全に放置することにしたのではないか、と勘繰っていた。そして僕に対してそんな制裁を科したわりに、人格に対する疑いや屈託みたいなものは別になさそうなので、女というのはつくづくおそろしいものだな、などと思っていた。なんというひとり相撲だろうか。この思考の切ないところは、それでもまだ伴侶に対し、どう考えてもそんなに書いていないわけないだろう伴侶の日記を10日以上に渡って読もうという発想がまったく浮かばないなんてことはあり得ない、という前提で考えているところだ。あり得なくなかった。妻はわざと呆れて無視していたのではなかった。それだったらどんなによかったか。そうではなく、7日の記事で書いた通り、対話型生成AIとの会話やXばかりが愉しくて、エンターテインメント性に乏しい、心の琴線にまるで触れない僕の日記が、長年の経験則として、無意識的に優先順位のきわめて下層にあるがために、ぜんぜん、もう本当にたまたま、半月にいちどくらい訪れる、昨晩のような僥倖がない限り、ただ単に顧みられなかったという、本当にそういう話だったのだ。
 ファルマンはそこで2週間分の日記をまとめて読み、その内容について、「あははは」「本当だよね」「もうなに言ってんの」「えー、そうなんだ」「たしかに」などと感想を述べていて、それは僕の心の乾いた大地に水を沁み込ませるような気もしつつ、しかしこの人は2週間ぶりに僕の日記のことを思い出して読んでいるのだ、妻なのに、とも思って、どうやら僕ばかりがブラックホールのように、周囲にある屈託を吸い込んで生きているのかもしれないと思った。屈託ブラックホール。やっぱり両親が離婚したからだろうな。

2026年1月17日土曜日

待望のサイゼ飲み(ポルガ15歳の祝い)


 クリスマスに引き続き曜日の並びが悪いので、この週末にポルガの誕生日を祝うことにした。去年は回転ずしに行き、そこでケーキも食べ、「来年もこれでいい」と言っていたが、今年の希望を訊ねたところ、「サイゼリヤがいい」とのことで、そうなった。ちなみにだが、島根県にサイゼリヤは2店しかない。われわれが行ったのは、ゆめタウン出雲内にある店舗。たしか2年くらい前にやっとできたんだったと思う。東京を離れて以降、サイゼリヤに行ったのはこれが初めてのことだ。岡山にも、われわれが住んでいた頃はほぼ進出していなかったんじゃなかったか。東京に住んでいた当時は、ファストフードとファミレスの狭間のような印象で、あまり魅力を感じていなかったが、ここ10年くらいで、「サイゼ飲み」などと話題になり、やけに評価が高まっている感じがあって、また自分がワインを飲むようになったこともあり、いつかやってみたいものだとひそかに思っていた。そうしたら今回のポルガのリクエストだったので、喜んで受け入れることにしたのだった。
 というわけで、帰りの運転はファルマンに託し、僕だけワインをいただく。本当は4人でこまごまといろんなものを頼むスタイルにしたかったが、子どもというのはそういうことができないものなので(僕だって酒を飲むようになる前はそんな発想なかった)、それぞれ自分のものとして、ミックスグリルやハンバーグを注文していた。僕はチョリソーであったり、肉の串焼きであったりを肴に、ワインを飲んだ。ファルマンはピイガが「これも食べたい」と言ったコーンのピザを頼み、ピザカッターでぜんぜんピザが切れないという、相変わらずのムーブをし、僕が代わりに切ってやったあとは子どもたちがひと切れずつだけ食べたコーンピザの残りをひたすら食べ、さらにはピイガが頼んだものの量が多くて食べ切れなかったライスを、コーンピザをおかずにして食べていた。おかん、なんか違う、と思った。食事のあと、子どもたちはデザートを注文し、僕もそのつもりだったが、子どもたちに触発されて最後にハンバーグも注文してしまったせいで、とてもデザートが入らなくなってしまい、あきらめた。とにかく4人ともすごく満腹になり、そして支払いはかなり安上がりだった。なるほどこれが人気のサイゼリヤというものか、と納得した。
 そしてポルガの誕生日の祝いというのは、これでおしまいなのか。楽だが、なんとなく寂しい感じもある。ポルガも15歳なので、家族とのイベントなどなるべく簡素に済ませたいのかもしれない。寂しい。娘が大きくなってしまう。本当に寂しい。

2026年1月16日金曜日

最強インフルエンサーの臨月


 Instagramと格闘している。僕もみんなみたいにInstagramの波に乗りたいのだが、これがなかなか難しい。どちらもいちども行ったことがないが、ライブや、クラブのようだと思う。そこにいるみんなは、いつもより少しテンションが高く、そして愉しそうなのに、僕はいつまでも馴染めず、むしろどんどん心が冷え切ってゆく。いちども行ったことがないけれど、そんな思い出がまざまざとよみがえってくる。
 俺ライブとか行ってもうまくはしゃげないんだよね、変わってんのかな、ということを言いたいわけではない。もうそういう年じゃない。昔の日記を読んでいると、かつての僕はスマホをやけに忌避していた。今だってスマホを人並みに活用しているとは言い難いが、それでもスマホを持つこと自体に対する抵抗感はもはやない。スマホが世に出てから、僕がスマホを持つまで、たぶん10年くらいの年月を要したが、果たしてその10年は要する必要があったのか、と今になって思う。年を取るということは、もうそれだけで頑迷さを増すということだから、全体の中で同じ位置に在ろうと思ったら、意識の上では少しずつ柔軟にならなければいけないと思う。同じ場所に居続けるためには、走り続けなければならないのだ。
 だからInstagramも、謙虚な気持ちで、突破口を模索している。ここだ、と思うポイントが、必ずあるはずだと思う。そうでなければみんながこんなにやるはずない。Instagramは誰も拒まない。その拒まなさが嫌なんだよね、などとひねくれたことは、心の中では思っても、こうしてブログには書いても、口には出さない。Instagramではキャプションに記さない。Instagram上での俺は、社交的な陽キャだから。
 年末に「72時間」の毎年恒例の特番をやっていて、すべて録画したのでコツコツ観ているのだが(本放送でだいたい観ているのだけども)、スタジオには「72時間」の熱烈なファンという人々が来ていて、その人たちを見ると、「72時間」という番組に対する熱がスーッと冷えていくのを感じるのだった。そういうところがダメ。そういう人はInstagramに向かない。現実の僕はたしかにそういう部分はある(変わってんのかな)。でもInstagramでは別人だから大丈夫だと思う。同好の士でつるむのがなによりも好き。
 フォローとフォロワーというのはすごい仕組みで、フォローをすると、フォローされた側の画面に、フォロワーとしてアカウントが表示されるのだ。であるならば、ものすごい有名人をフォローしたら、ものすごい有名人のページはものすごい数の人が見るので、それだけフォロワーの所にもたくさんの人が来てくれるのではないかと思う。もしかしたら僕はすごいことに気付いたのではないか。Instagramの裏技を発見してしまったのではないか。さらにはコメントとかして、そのコメント文面に、自分の所に誘導するようなキャッチーなフレーズなどを入れたら、それはもう効果抜群すぎて、世の中がひっくり返るのではないかと思う。実際に始動したらぜひやってみよう。

2026年1月15日木曜日

健康診断2025


 年末に健康診断があり、その結果が届く。しかし実に特筆すべき部分がない。γ-GTPとコレステロールという定番のコンビが今回も引っ掛かったが、しかしその数字もギリギリアウトというくらいのわりと穏当なもので、要するに今回の検査の限りでは、特に問題らしい問題はないのだった。ありがたやありがたや。
 ちなみに検査の前日は、夜9時以降は飲食禁止で、その前に食べた晩ごはんの時も、もちろん酒を飲まなかったりしたのだが、それよりも強く気に掛けたのは、尿にたんぱく質が混ざらないようにする、ということで、「尿にたんぱく質が混ざらないようにしないと!」とひと晩で3回くらい口に出したと思う(もちろん子どもがいない、ファルマンしかいない状況でだ)。ただし尿検査は、朝いちばんのを自宅で採るとかではなく、職場で検診が始まってから10時くらいに採るので、たとえ前日にやんちゃなことをしていても、よほどのことがない限りはたんぱく質が混ざることはないと思う。そもそも尿にたんぱく質が混ざる話というのは、どこまでが真実なのだろう。道々に残っていた精子の残滓が尿と一緒に排出されるというのは、出口がひとつしかないので普通にあるんだろうと思うが、本当にそれで尿検査がままならず再検査ということになるんだろうか。もしかして都市伝説なのではないか。しかし都市伝説なのかもしれないが、印象には深く刻まれていて、もはや僕の中では尿検査=たんぱく質が混ざるという式が完全に成り立っている。僕は寝る前、布団の中でエロ小説をひとしきり読んで、心身ともに満ち足りた状態になって眠りに就くというのがいつものスタイルなのだけど、なのでこの日はそれを自重した。隣で寝るファルマンに、「尿にたんぱく質が混ざらないようにしないといけないからね!」と言いながら。こんな無邪気でわんぱくな42歳っているんだな。さては妖精なのかな。γ-GTPとコレステロールの値がギリギリアウトの、文字通り妖しい精なのかもしれないね。しれないよ。

2026年1月14日水曜日

最強インフルエンサーの胎動


 そういうのはきちんと始めてから発表したほうがいいよ、とは思うのだが、なんとなく毎日投稿を続けているので、始める前の準備段階のことを、こうして綴ることにもなる。
 思うところあって、Instagramを、再始動させようと思っているのだ。
 Instagram、ショーツをひたすら作っていた時期にjonifer_robin名義でやっていたが、いまいち情趣が解らないまま、そもそもあったのかどうかも微妙な熱が冷め、いつしか完全に放置してしまっていた。いつしかと言ったが、時期は正確に把握している。130週間前だ。なんだろう、Instagramのこの、頑なな1週間単位での時間の捉え方。
 再始動するにあたり、そもそもInstagramとはどういうツールなのかというのをきちんと理解しておこうと、先ほどから少し眺めている。眺めれば眺めるほど、よく分からない。外国人による「だからなんやねん」みたいな動画が次々に表示され、それってTikTokの領分かと思っていたのだが、どうやら競合する部分があるようだ、などと認識を新たにしている。我ながら、すっかり現代文明に乗り遅れてしまっているな、と思う。
 「お知らせ」を開くと、公式から「○○さんはあなたの知り合いかも?」という案内が定期的に送られてきていたのだが、そこに表示されているのはあまりにも接点がなさそうな外国人で、もしかするとInstagramは、これを本当にあてずっぽうに、ランダムにやっているのではないかと感じ、だとしたらそれはなかなかおもしろいな、と思った。Instagram、ユーザーはたぶん世界に何億人もいるんだろう。その中で無作為で紹介されたアカウントは、何億分の一の確率で選ばれているわけで、だとすればそれはもはや知り合いなどという関係性を超えて、運命的ななにかで結ばれているような気さえする。そう思ったら、もうその人は無条件でフォローしてもいい気がする。
 そう、フォローだ。再始動するInstagramでは、フォローとかをちゃんとしていこうと思っている。まさにそれが前回の失敗要因だが、Instagramは決して表現の場ではない。あれは他者と繋がって、喧伝をするためのツールだ。そのことを理解した上で、近々2回目のInstagramデビューを行なうつもりでいる。

2026年1月13日火曜日

光と毛


 三連休をつつがなく乗り越えたので、どうやら僕は本当にプールを、1月中は自主休館とし、このまま2月の休館月間へと突入するようである。2ヶ月間も泳がないんだな、と意外に思う一方で、こんなに寒いのに泳ぐはずないよな、とも思う。
 水泳という趣味から離れる自分への心の救済として、体毛を剃らないということをやってみる、と前に書いた。年末からなので、ぼちぼち半月ほど経つことになる。半月剃らないでいて、体毛はどうなっているかと言うと、これが意外なほどそんなに生えていない。日々せっせと剃っていた頃は、3日くらいサボると脚の毛が目立つ感じになるので腐心していたが、それは毛としても最初だから勢いがある(ように見える)わけで、3日の5倍剃らなかったら、毛が5倍の長さになるかと言えば、決してそんなこともないのだった。
 性器に生える毛も同じくである。性器の毛に関して平素、生やす部分は生やす、剃る部分は剃る、というスタンスを堅持していたのだが、半月ほどではまだほとんどその頃のままである。陰毛ってもっと伸びが早いような気がしていた。あるいは長年の剃毛により、当該の部分の毛根は意欲を失くしたのだろうか。だとしたら残念だ。せっかくの機会なので、加工していない、自分自身のデフォルトの状態というのを知りたいのである。俺、どれくらいボーボーなんだったっけ。
 まあ、あと1ヶ月半ある。3月、木の芽時。枝の先につぼみが膨らむ時期、果たして僕の陰毛はどうなっているか。それも愉しみだし、なにより、3月のプールのことを思うと、その希望を胸に生きていける、と思う。3月の陽の光の中、僕は泳ぐのだ。そして果たしてそこに、冬眠から目覚めた熊もかくや、というくらいの、野放図な陰毛はあるのかないのか。乞うご期待。

2026年1月12日月曜日

だいぶ特殊なタイプの怖い話


 だいぶおそろしい出来事があった。
 まず、水着が売れたのである。しかも10枚いっぺんにである。これ自体はとてもめでたい。売れただけでも嬉しいのに、10枚だなんて。ちなみに買ってくれたのは初めての人で、初めてなのにいきなり10枚も買って大丈夫かな、という思いは多少あった。
 この導入から、なんかフリマアプリ特有のトラブルの話かな、そういう話は心がクサクサするから嫌だな、と思うかもしれない。安心してほしい。そういう分かりやすい話ではない。
 ちょうど3連休中の購入だったので、すぐに出荷準備ができた。在庫入れのケースから注文の10点を抜き出し、改めての検品を行なった。いつもなら続いて梱包だが、なにしろこれまで10枚などという発注はなく、想定もしていなかったので、そんな体制ができていない。水着が2枚まで入る、ゆうパケットポストminiの封筒しか用意していないし、封筒にプリントされたQRコードを読み取って投函するだけのこれと違い、箱の場合はどういう発送の段取りになるのか、さっぱり分からないのだった。
 仕方なく休日もやっている中央局まで行き、そこで窓口の人に相談してやり方を教えてもらう。おすすめされた箱を言われるがままに購入し、その場で箱詰めを行なった。しかし水着10枚(実はおまけで1枚つけたので11枚)の体積というのはなかなかのもので、箱はかなり不格好に膨らんだ。ふたたび窓口に戻ってそれを見せたところ、膨らんだ分の厚みで配送料金が変わってくるギリギリのところらしく、向こうもそのサイズの箱を僕に買わせた負い目があるのか、「ちょっと収まるようにこちらで詰め直してもよろしいですか」と提案されたので、「ぜひお願いします」と託した。ちなみに窓口の職員、女性。これはなかなかニッチな性癖に突き刺さるタイプのセクハラかもしれないな、などと思った。
 そんなてんやわんやもありつつ、なにはともあれ送ることができ、あとは注文者さんのもとに無事に届いて、受け取り評価をしてもらえたら、なかなかに嬉しい金額が入金されるなあ、と思っていた。しかし3連休だし、全国的に荒れた天気のようだし、もちろん匿名配送なのでどこの人かは知らないが、届くのは週の半ばくらいになるかもな、と。
 ところがである。
 先ほど見たら、到着の連絡とともに、売上金が入金されていた。
 速すぎる。だって日曜日と祝日だ。これはさすがにちょっと速すぎると思う。ではなぜこんなにも速かったのか。考えられる理由はひとつしかない。
 近いのだ。
 県内、いやもしかすると同市内でさえあるかもしれない。そしてそう思った途端、初めての注文なのに10枚まとめての注文であったという事実が想起され、ぞわりとした。
 注文者さんは、この水着を、知っているのではないか。
 だからこんな注文ができたのではないか。
 なぜ知っているか。いるのである。Nobitattleの水着を、実地で、まるで周囲にプレゼンするかのように、毎回のように異なる柄のものを穿いてプールに現れる男が。それで、直接その男に訊ねたわけではないが(やけに話しかけるなオーラを出しているので)、あんな水着も世の中にはあるんだなあ、どこで売ってるのかなあ、と気になったので、少しキーワードを挙げて検索したら、まんまとヒットしたので自分も買って穿いてみようということになったのではないか。
 いや、それはだいぶ自意識過剰な、そして世界をとてつもなく狭く捉えている人間の暴走した妄想だ、とも思うが、それにしたってこの速さはないだろう、そしていきなり10枚注文はないだろう、という反論にも一定の説得力があるのだった。
 答えはいつの日か、ホームプールで明らかになるかもしれない。しかしホームプールに自分以外でNobitattleの水着を穿いている人が現われたら、いったい僕はどんな顔をすればいいのだろう。「毎度ありがとうごぜーやす」って言えばいいんだろうか。

2026年1月11日日曜日

カレンダー・コソコソ・ご褒美


 今年の自分の部屋用のカレンダーを買い逃してしまった。
 昨年末、何度となく100円ショップには行ったというのに、2025年中は、2025年のカレンダーさえあれば用が足り、2026年のカレンダーの必要性に駆られなかった。そのため売り場で2026年のカレンダーを見ても、ぜんぜん手が伸びなかった。しかし2026年に突入した途端、2025年のカレンダーではダメで、どうしたって2026年のカレンダーを手に入れなければならなくなった。しかし三が日を終えて4日とかに店に行っても、もうまともなカレンダーは売り切れてしまっていて、クセの強いのしか残っていなくて、なにも買えなかった。それからまた1週間ほど経ち、もはや季節商品の売り場は節分とバレンタインデーに移行し、カレンダーは完全に消え去った。今となっては、あのクセつよカレンダーでも買っておけばよかったと後悔している。想像力や決断力の欠落により、後悔の連続である。
 新しいものがないものだから、部屋の壁にはいまだに2025年の最後の1枚、12月のカレンダーが掲げられている。日付のことで目をやるたびに、「あっ……」と思う。もういっそのこと、自分への戒めとして、1年間ずっと掲げたままでいようか。いや、そういうのウザいな。いま取った。

 まさに昨日やったように、二次元ドリーム文庫の神楽陽子作品を読み返すという企画を、「CRITIQUE OF PURE REASON」から引き継いで、もちろんこちらでもやっていくのだけど、その進度について忸怩たる思いを抱えている。本当はもっと、速いペースで読みたいのだ。しかし通勤は公共交通機関ではないし、家のリビングでは読めないしで、なかなか日常の中でエロ小説を読める場面というのが多くないのが実情だ。特に今は寒いので、本当はリビングのこたつにあたりながら、ぬくぬくとエロ小説を読みたい。しかし4月からはJKとJCとなる娘がいる環境で、リビングでそれを読むことは、たぶん虐待とかになるんだろうと思う。だから部屋でコソコソ読んでいる。思えば人生の大半、エロいものは部屋でコソコソ摂取している気がする。切ないものだな。

 昨年末からずっと悩んでいた、2025年がんばって駆け抜けたご褒美が、ようやく決まった。
 アイロンプリントシートをたくさん、になった。
 実はここ何日かで、奥にしまい込んでいたステカを引っ張り出し、埃を拭いたり油を差したりして復活させ、作動確認をしていた。その結果、ありがたいことにぜんぜん無事だったので、何年かぶりにステカによるアイロンプリントを再開することにしたのだった。
 そして今回のさしあたっての目的は、Tシャツではない。なにか。そんなの僕のブログを読んでいる人なら十分に想像がつくだろう。そのとおり。水着である。日々作っているNobitattleの水着に、とうとうオリジナルブランドロゴをプリントしていくことにしたのだ。それで水着生地にも対応する、伸びのいいシートを探し出し、それを何色か見つくろって買うことにした。去年からの課題が、いい形で解決してよかった。
 ちなみにブランドロゴも、実はもう完成している。自分で言うのもなんだが、とてもいい出来である。近日中に、新作水着とともに発表できればと考えている。

2026年1月10日土曜日

「魔法少女の育て方 お兄ちゃんはハイポーション」を読んで


 9冊目。2009年4月刊行。通し番号は123。
 前回よりは短い期間での刊行となった。ちなみに神楽陽子作品的には今作からということになるが、レーベル全体のブックデザインがこのあたりの時期で少し変更されていて、カバーを外した本の本体の表紙が、これまではカバーのイラストと同じものが単色でプリントされていたのだが、リニューアル後はイラストを置かず、たとえばこの作品ならば「MAHOUSYOUJO NO SODATEKATA」というふうに、タイトルをそのままローマ字で表記したものだけが、とてもシンプルにデザインされるようになった。これは、カバーさえ外せば街中で読んでいてもバレないし恥ずかしくない、という狙いであると、なぜか知っているが、僕はいったいなにで読んだのだっけ、と考えて、それでようやく思い出したが、二次元ドリーム文庫を刊行しているキルタイムコミュニケーションの公式ホームページには、かつて編集者ブログというものが存在し、そこで語られていたのだった。このレビュー企画をやるようになってから、公式ホームページを頻繁に開くようになったが、これまですっかりその存在を忘れていた。なぜ長らく忘れていたかと言えば、今はもうブログの影も形もないからだ。たぶん途中でTwitterに移行したんだろうが、それにしたってそれまでのブログを完全に消滅させることはないじゃないかと、これまで完全に忘れていたわりに、少し憤りもする。あともうひとつリニューアルによる大きな変更点として、カバーのそでの部分に、これまでは本文の一部抜粋が載っていたのだけど、これ以降は著者およびイラスト担当者のメッセージが置かれるようになった。著者のメッセージ! すなわち、神楽陽子の、創作ではない、いわばオフショット的な部分ということである。もしかすると「二次元ドリームマガジン」とかではそういう欄は前からあったのかもしれないが、単行本一辺倒の僕からすれば、それは初めての作者の生の声ということになる。その内容はこうである。

 この作品が本に仕上がる頃には、新しいパソコンをいじっているハズ。七百円程度で内臓のHDDに容量200ギガも追加できる、とはすごい時代になりましたね。……こんな大容量、使った経験も必要もないんですけど。

 どうでもいい。めちゃくちゃどうでもいいが、それでも感慨深いものがある。
 とても前置きが長くなった。本作の内容についての感想に移る。あらすじはこうである。

 魔法少女のティナとリゼット、そしてそのお世話をする瀬戸秀一。修行しながら学院に通う彼らの前に、なんと未来のティナとリゼットが現れる!! とびっきりの美女に成長した妹たちは過去の自分と秀一をくっつけようとエッチに誘惑してきて!?

 魔法少女という設定ありきで考えられたようだが、主人公の名前は思いきり日本人だし、そこまでファンタジー世界というわけでもない。学院にいる魔法使いは主人公と少女ふたりの3人きりで、あとは普通の現代日本の学校といっていい。これはかつての「なりきりプリンセス」と較べると、設定の構築の力の入れ具合に雲泥の差があるが、しかし「なりきりプリンセス」を読んだときに強く思ったこととして、エロ小説にそこまで練った設定はいらない、というのがあるので、だからこれでぜんぜんいいんだと思う。ロッドを肛門に突っ込んだりする魔法少女プレイをするにあたり、魔法の要素が必要になるのは主人公と少女たちだけであり、別に他の人間まで魔法使いである必要はないし、ましてや世界全体がファンタジーである必要もまるでない。設定の構築に割く労力やページ数の分だけエロに注力してくれたほうが、こちらとしてはよほどいい。これは予算の都合で大掛かりなセットなど作れるはずもないAVとかでもそうだろうが、エロを盛り立てるだけの最低限のお膳立てさえしてくれれば、その狭いエリアを包んでいる全体の世界観は、むしろ下手なものを出されて白けるより、こちら側でなんとなくいいように解釈するよ、という、一種の見立てにも通じる奥ゆかしい文化がここにはあるような気がする。
 ところで今作の出色しているポイントとして、ヒロインは4人なのだけど、その4人は実はふたりで、未来から来た数年後のそれぞれの少女である、というのがある。これはかなり斬新な試みではないかと思うのだけど、僕が知らないだけで先行作品があるのだろうか。この試みの利点は、4人が本当に別の4人だと、そのぶんキャラクターを紹介しなければならず、作者としても読者としても作業が必要になってくるが、ティリスは数年後のティナだし、リズエルは数年後のリゼットなので、だいぶ煩雑な説明が省ける。そしてティナとリゼットが中学生くらい、ティリスとリズエルは大学生くらいという年齢設定もいい。胸が小さいキャラ、胸が大きいキャラという区別ではなく、胸が小さかった時代、胸が大きくなった時代という区分。ここになんと言うか、ティナとリゼットが未来に対して抱く希望や、逆にティリスやリズエルが過去に対して抱く愛しさみたいなものが、ない交ぜになって、得も言われぬ多幸感があるのだ。
 ただしティリスとリズエルがどうして過去にやってきたのかと言えば、それは不幸な理由からで、ここもこの作品のすごいところなのだが、実を言うとこのふたりの生きていた未来は同一の世界ではなく、ティリスのいた世界では、秀一はリズエルと結ばれていて、ティリスはふたりの行為を見て悔しさが募り、そしてリズエルのいた世界では、逆に秀一はリズエルと結ばれていて、リズエルは寂しさに身を焦がしていて、それゆえにふたりはそれぞれ過去に戻って、幼い自分と秀一の既成事実を作ってしまおうと画策するのである。このように、パラレルワールドという、ちょっとSF的な要素も出てくるのだが、しかしこのSF的な要素は、なんのために存在しているかと言えば、分かりますか、ここが本当にすごいんですよ、それはつまりですね、それぞれ秀一と結ばれなかった未来世界のティリスとリズエルは、処女だってことなんですよ。未来から来た豊満な肉体に発育した少女たちはすっかり誰かのお手つきかと思いきや、どっこいそんなウルトラC的な技法により、ふたりとも、いや4人ともが処女という状態がこれにより完成し、結局この時代の秀一は4人ともの処女を奪うのです。ティリスとリズエルの謀略により、ティナとリゼットの破瓜が先に行なわれ、ティリスとリズエルのそれは物語の終盤になるのだが、じゃあその場合、ティナとリゼットがこの時点で処女を喪失しているのなら、自動的にティリスとリズエルの処女膜も失われるのではないか、とも思うのだが、そこはまあ、なんかパラレルワールド的な部分がいい感じに作用して、処女のままだったんだと思う。まあ俺はね、俺自身は別に、女の子のヴァージンに重きを置くような器の小さい男じゃないからね、別にどっちでもいいんだけどね、でも人によってはすごく大事なところのようだからね、だからこれはやっぱり画期的な設定だったんじゃないかと思う。ムーブメントが起ったら類似作品がうようよ出てくる世界なのに、「幼かった過去」と「発育した未来」のヒロインを同時攻略する話って、あまり聞かない気する。なんでだろう。すごい可能性を秘めている気がするのに。

2026年1月9日金曜日

Nobitattle専属モデルの紹介


 ほら、あの問題があったじゃないですか。
 ジョニファーに作った水着を穿かせるけど、ボディが硬いので生地がめり込まないし、そもそもジョニファーはLサイズなので、実際の生身の着用姿とはちょっと違ってくる問題。
 昨年末、型紙の微調整を繰り返したが、ジョニファーに着せた写真では、いまいちその作業の意義が伝わっていない感があり(誰に? なんのために?)、どうしたものか悩んでいた。もういっそのこと自分の着用写真をワールドワイドウェブにアップしてしまおうかとさえ思い詰めた(寸でのところで思いとどまった)。
 2年越しのこの問題の解決法を、午年だけに、あるとき急に思いつく(なんとなく「午年だけに」と言ったが、特に何にも掛からなかった。ウマいことはなにも言えなかった)。
 対話型生成AIに、水着を着用している人の、自然な感じの画像を作ってもらえばいいのだと。
 ふとした瞬間にアイディアが降りてきたふうに言ってみたが、おそらくここ1週間くらいの、Grokによるアイコラ行為のニュースを目にして、そこから着想したのだと思う。あのニュースには蒙が啓かれたと言うか、じゃあクラスの集合写真とかを使って、自分と女子だけ抽出してしかも全員を下着姿にするとか、そんな二次元ドリームも可能なのかよ、と衝撃を受けたのだった。その画像が作れてしまったら、もう青少年の抱える苦悩の大半は雲散霧消するのではないかと思う。それで満足できるので、みんなスッキリ。なんて清らかな世界だろう。
 それはともかく、アイコラのニュースをきっかけに水着の画像を作ることにしたのはいいのだが、世間で叩かれたことでポリシーの許容ラインを緊急で下げでもしたのか、なかなかすんなりと画像を作成してくれなくて往生した。すぐ「ポリシーに反する」って言う! と何度憤ったことか。こっちは! こっちは別に! 性的な、人権無視的な! そういうことをやろうとしているんじゃなく、ただ陰毛が覗けそうなほどローライズの、股間部にゆとりがある仕様の水着を穿いた青年の姿を求めているだけなのに! すぐ! 「性的・挑発的テーマに関する安全基準に違反している可能性」って言う! と。
 対話型生成AIマスターのファルマン(夫の日記を読まないことで有名な)に相談したところ、「それぞれに許容する部分が違ったりするから、複数のAIを駆使して作ればいいんだよ」という、この人ふだん対話型生成AIでどんなことしてるんだろう、とそら恐ろしくなるテクニックを教えてくれたので、それを参考になんとか奮闘し、2日ほどかけてようやく作り上げた。
 それがこちらである。


 顔は、最初はもっといまどきのシュッとした若者だったのだが、せっかくなのでジョニファーに寄せた。「CHANT! GEE/MEE/CHEE」の背景画像にもなった、あのジョニファーである。この青年だってMサイズじゃなくてLサイズなんじゃないかという話だが、マネキンのアップの画像よりもだいぶイメージが掴みやすいのではないかと思う。


 柄の差し替えも楽ちん。これはいい。いいものが出来上がった。
 Yahoo!フリマの販売ページでは、最後の1枚あたりに、イメージ画像という注釈付きで載せてもいいかもな、と考えている。
 ちなみにGrokでは、やけに動画を作らせようとしてきて、こちらも操作が不慣れなものだから、画像の編集を求めるつもりが、何度も動画の作成をスタートさせてしまい、するとこの青年がそれはもうグニングニンとすぐに動き回り、もちろんおもしろくもあったが、同時にだいぶ恐怖も感じた。かつて宮崎駿のドキュメンタリーで、グロテスクなシステムを開発した川上量生に激怒しているのを見たことがあるが、たった数年で現実が突き抜けてしまったな、と思った。

2026年1月8日木曜日

山陰毛


 年が明けて以降、プールに行かない日々である。
 もちろん行きたいと思う瞬間はあるのだけど、下手に会員になったら、寒くて暗くて正直あまり行きたくないのに、ちょっと無理して行くときも出てしまうだろうと考えたら、やっぱりトータルで考えて、にわかに湧くその気持ちは抑えるのが賢明かな、とも思うのだった。
 このまま2月に突入すれば、2ヶ月もの間プールに行かないことになるわけで、水泳という趣味から遠ざかる自分に、その代わりのご褒美というか、救済を与えることにした。
 体毛を剃らないことにしたのだ。
 プールで自作の面積が小さめの水着を穿くのが趣味だということもあり、日々、毛の処理には気を配っていた。顔から下の毛は基本的に剃るというスタンスで、ただし陰毛に関しては、独自のこだわりで剃るべき部分は剃り、残すべき部分は残すということをしていた。もう何年もそれを続けてきたので、一切の手入れをしなかったとき、自分がどれほどの毛量なのか、どの部位がどの程度まで伸びるのかというのが、分からなくなっているのだった。
 なのでこの機会に、きちんとそれを確認しようと思う。ただ、脛毛や腋毛はまあ想像がつくとして、結局のところ関心は陰毛に集中している。陰毛、放っとくと僕はどういう感じになる人なんだったっけ。陰毛が野放図に生えている男性器というのは、自分のものではなく他人のものという印象があるので、自分の股間にこれからそれが現出してくるのだと考えると、なんだか不思議な、少し淫猥な気持ちにもなってくる。僕はいったい何を言っているんだろう。陰毛を剃らないことが自分へのご褒美? なにその思考。ゼロから無限を生み出している。めっちゃエコじゃん。サステナブルディベロップメントちんこじゃん。
 などと言いつつ、3連休もあり、案外ころっと誘惑に負けてプールに足を踏み入れる可能性も捨てきれない。もっともプールに行く以上は剃毛をしなければならないという道理はない。それは道理ではなく、ただの自戒。自戒なんて我慢すればいいだけのことだ。

2026年1月7日水曜日

いわおとなりて


 にわかには信じがたいことなのだけど、どうも僕の妻は、僕の日記を、ぜんぜん読もうとしない。前からうすうすそんな気はしていたのだが、去年までは1ヶ月に10記事書ければいいよね、というくらいの不定期投稿だったから、そういう感じになるのも仕方ないと看過していた。しかし新年になり、ブログが収束し、今のところ毎日なんとか記事を投稿している。それがずっと続くかは分からないが、なるべくはそうしたいと考えている、ということは3日前に書いた。そしてその翌日あたりから、僕の平日が始まり、妻と一緒にいる時間が減り、「日記を書いたから読んでよ」という声を掛けたりしなくなったことで、妻はたぶん普通に、僕の日記を読まなくなっている。本当に。普通に。
 なんて哀しいことだろう。別に妻に向けて日記を書いているわけではないが、ただでさえ人に読まれているのかどうかまったく判らないのに、とうとう妻にまで読まれなくなってしまったら、もういよいよこのブログというものは、読まれず、ただ書かれるだけの、ならば書いたそばから消え去ってもなんの問題もない、白い紙に白いペンで書いても、あるいはエア紙にエアペンで書いてもなんら支障のない、幽玄すぎる存在になってくる。
 こういうことを言うと、妻は心底めんどくさそうに、「私が読まなくても誰かが愉しく読んでるよ」などと適当なことを言うのだけど、他ならぬ配偶者である。好き合って婚姻関係を結んでいるのである。その配偶者が、配偶者の日記に興味を持たないのだとしたら、いったい誰が持つというのか。持つはずない。そんな者がいるはずない。どんな低レベルの内容でも配偶者だけは褒めてくれる、なぜなら配偶者だからだ、というふうに考えたとき、ならば配偶者にさえ見限られた日記は完全に無価値だということになる。それがこれだ。
 たとえば妻が、文盲であったり、あるいはネットとかを一切しないタイプだというのなら納得もいく。しかしもちろんそうではない。僕の妻はかつてブログマザーと崇められるほどのブロガーだった。今はもうブログはしていないが、もちろんネットはしている。生成AIとか、Xとか、ずっとやってる(ずっとやってる、と言うと怒る)。生成AIやXがよほど愉しくて、それらに較べると本当に、ただシンプルに、配偶者のブログは見劣りするので、それで読むほうに意識がいかないのだろうと思う。幸か不幸か、ここに特別な恣意はない。毛嫌いとかをされているわけでは決してない(と信じたい)。たぶんただ単に、生成AIやXのほうがおもしろいから優先するという、それ以上でもそれ以下でもない理由で、妻は僕の日記を読まないのだと思う。そんなにも哀しいことが人生に他にあるだろうか。
 この記事は一種の実験である。妻はこの記事に対していつリアクションをするか。もしかすると、苔が生すまでしないかもしれない。

2026年1月6日火曜日

ゆるぎないものひとつ


 久々に大きい揺れを体感した。
 前回がいつだろうと振り返ったら、岡山時代、鳥取県中部が震源地の地震で、まあまあ揺れたことがあった。調べたら2016年10月だそうだ。当時の住まいや職場の震度は4。今日の地震は、そのときよりもだいぶ震源地に近かったが、震度は同じく4ということになるらしい。それより前だと、やはり東日本大震災になり、あのときは板橋区の店舗にいて、震度は5強。今日の地震は、最大震度が5強だそうだから、そう考えると東日本大震災マジやべえ、という感想にどうしてもなってしまうのだけど、とは言え9年ぶりの震度4は、なかなかにショックだった。立っている所が揺れる恐怖というのは、高所恐怖症のそれに通ずるところがあるのだと気づいた。地面というものを、世界の前提として捉えているので、そこが危うくなってしまうと、なにも成り立たなくなるような、圧倒的な恐怖を感じるのだ。だから宇宙の壮大な話も苦手なんだと思う。地面が、地球が、ぜんぜん確固たるものではないということを思い知らされてしまうから。久々の地震で、そんなことを思った。
 人が死ぬような規模の地震ではなかったが、死の恐怖だけはきちんと味わった。最初の揺れから、少しして大きな揺れになったので、これ以上大きくなったらやばいと思った瞬間、死ぬかもしれない、という気持ちが頭をかすめた。そして、いま生き埋めになったりして死んだら、僕が最後に書いたブログの記事は、「オートメーションチンコマシーン」になるのだな、とも思った。あんなにいっぱいいろんなことを書いてきたのに、最後の最後が「オートメーションチンコマシーン」か、そうか、と。幸い揺れはやがて収まり、ファルマンとも連絡を取って、子どもは怖がっているが無事だと伝えられ、ほっとした。
 そしていまこうしてそのことを日記に書いている。「オートメーションチンコマシーン」は人生最後の記事にはならなかった。よかった。じゃあなんならいいのか、という話であり、別にこれというものは浮かばないが、それにしたって「オートメーションチンコマシーン」はさすがに、という思いがある。じゃあそんな記事書くなよ、一日一日を死ぬ気で生きろよ、とも思うが、そんな暑苦しいブログは決して読みたくないとも思う。まあ日々を精いっぱい、精子いっぱいに生きていこうと思う。そんな結論になるのか。

2026年1月5日月曜日

オートメーションチンコマシーン


 左の腰骨のあたりの皮膚が痒い。見ると湿疹のようになっている。数日前から薬を塗っているが、いまいち効果がない。
 ファルマンに相談したところ、出てきた言葉はやはりこれだった。
「裸で寝てるからや」
 もはやフジモンの「顔デカいからや!」みたいになっている。年末「hophophop」にも書いたが、ありとあらゆる身体の不調が、裸で寝ているせいにされる。こちら陣営の言い分としては逆である。裸で寝る健康法を謳った書籍では、ありとあらゆる身体の不調は、裸で寝ることで解決していた。こんなに互いの主張が正反対にぶつかり合うことがあるかよ、と思う。
 しかし昨晩に関しては、こちらも痒みを早く治めたいという思いがあるので、ファルマンの主張を聞き入れることにした。また今回に関しては、ファルマンもいたずらに、夫が全裸で寝ることへの忌避感だけで言っているのではなく、「あなたは寝るとき左を向いて寝ることが多い。だから左の腰骨のあたりがシーツと触れる。そして最近は冬用のあったかいシーツだから、それで夜中に汗をかいて、そこがあせものようになっているのだ」と、わりと論理的なことを言ってきたのだった。悔しいがそれは一理あるような気もしたので、仕方なく、ゴムのあまりきつくない、ニット生地のトランクスを穿いて寝ることにした。
 ものすごく久しぶりのことだった。夏の帰省の時などを除き、家の布団で寝る際に下半身になにかを身に着けて寝たのはいつ以来だろうか。なんだかぞわぞわした。
「でもさー、俺さー、寝てるときすげえちんこ触るからさー、パンツとか穿いてると、ウエストゴムが手首に当たって、起きると手がめっちゃ痺れてるんだよね」
 慣れない下半身の感覚にぞわぞわしながら僕がそうぼやくと、
「触んなや」
 とファルマンは一蹴した。
 僕だって、意識的に触るわけではない。もちろん意識的に触る場面もあるが、睡眠中の行動は無意識だ。無意識だが、夜中、目が覚めると、確実にちんこを触っている、という話なのだ。なので明日の朝、起きたら手が痺れてるかもなー、嫌だなー、と思いながら寝た。
 そして夜中、ふと目が覚めた。もちろんちんこを触っていた。ちんこを触っているなあとまず思い、その少しあとでハッとした。
 トランクスがなかったからだ。
 下半身が、いつものように、素っ裸だったのだ。
 穿いて寝るなんて違和感だ、や、手首が痺れてしまうかも、といった葛藤はなんの意味もなかった。僕というマシーンは、もはや就寝時に下半身になにかを身に着けていることを、現象として受け付けないのだ。そういう仕組みがない。なのでそれに逆らってパンツを穿いて寝ると、脱ぐとか脱がないとかじゃなく、オートメーションに排除される。本当にそんな感じだった。だって「パンツを穿いて寝るなあ」と「パンツ穿いてない!」の間に、本当に一瞬もなんの意識もなかった。それくらい無機質に、下半身からパンツが消えていた。寝ながらパンツを脱ぐのって、脚を縮めたり、前屈みになったり、それなりに入り組んだ動作が必要だと思う。それをまったくの無でやっていることになる。さすがにちょっとおそろしい。
 しかしこのままだとあせもはなかなか治らないので、対策が必要だ。パンツはもうあきらめたので、今晩は腰の位置にバスタオルを引くという作戦でいこうと思う。手のかかる子。手のかかる子ほど愛おしい。なるほど愛おしくて、僕はひと晩じゅう愛でるのかもしれない。

2026年1月4日日曜日

連休最終誕生日


 三が日明けで、連休最終日で、日曜日で、ピイガの誕生日で、いったいどう捉えるのが正解なのかよく分からない日だった。とにかく明日から始まる平日のためにも、大々的な買い出しをしなければならないのは確かなので、午前中はひとりでたくさんの店を回った。ピイガのお祝いのケーキは、オーソドックスな苺のショートケーキにすることになったのだが、やはり苺の値段の高さは常軌を逸していて、本当に買うのが嫌だった。この時期いつも思うが、苺はどうして安くて丈夫な品種が開発されないのだろう。甘さはもう現状維持で構わないから、ひたすら生産性の向上を目指してほしいと切に思う。
 昼ごはんはピイガの好物のうどんにし、3時のおやつのあとケーキを仕立てる。晩ごはんはなにがいいか前日に訊ねたら、「餃子の皮を使ったたらこのピザ」以外の答えが出なかったので、それと鶏の唐揚げにした。ファルマンも手伝ってくれたので、わりと効率よく準備が整う。今日はピイガのお祝いで1日が終わるだろうと思っていたので、得をした気持ちになった。余った時間で、部屋で自分の作業をした。
 自分の作業、主に水着の生地の裁断と、筋トレ。年末年始の連休は、したかったことが思う存分にできたような、ちょっと悔いが残る出来だったような、微妙なところだ。
 ピイガが小学校の卒業式で着る服を作ろうと思っていて、型紙も生地も休みに入る前に調達してあったのだが、いざ始めようとしたところで、やっぱり本番用の生地でやる前に1着お試しで作りたいと考え、しかし手持ちの布ストックの中に、意外とまとまった面積のある布帛がなく、仕方なくネットで注文することにしたのだが、もちろん年末年始で発送してもらえないので、結局この期間中にはぜんぜん作業ができなかった。まあ卒業式まではまだ2ヶ月もあるので、別に焦っていない。
 水着は、「nw」の最終回で告知した極北ボックスの、納得いく型ができたので、それで裁断をたくさんした。縫って完成させた数はそんなにない。これもまあ、ゆるゆるとやっていこうと思う。新しい水着が完成したら、「nw」でしていたような、コレクションとしてまとめての発表ではなく、なるべくこまめにジョニファーに穿かせて写真を撮り、ここで紹介もし、そしてYahoo!フリマに出品していきたいと思う。そういう形でやっていこうと思う。
 晩ごはんとケーキは、首尾よく行なえた。ケーキはせっかくなので3段仕様にしたのだが、おいしくて全員ペロリだった。苺の値段の高さは忌々しいが、悔しいかな、苺のショートケーキってやっぱりおいしいのだった。
 それにしても、あのピイガが12歳なのか。3ヶ月後には中学生なのか。信じられない。早さという意味でも、実際の本人のキャラクターという意味でも、本当に信じられない。やっぱり2年くらい遅れてるイメージで、来年度から5年生と言われたほうがしっくり来る気がする。ゆっくり育ってくれて、親孝行な末っ子だな。
 そんなこんなで、年末年始の連休が終わる。そう言えば、成果という意味では、なによりブログに大きな変化があった。「OREGAYO」も今日で4日目である。今日までのところは4日連続で書いたが、毎日投稿なのかどうかというのは決めていない。なるべくならそのほうがいいとは思うが、日々の暮しでそれができるか、やってみないと分からない。負担にならず、救いになるように、ブログと生きていく。

2026年1月3日土曜日

妹の夫(たち)との交歓と出雲大社参拝


 まだ三が日であるという気持ちと、あとはもう普段の土日と同じボリュームしかないのだな、という気持ちがせめぎ合う、アンニュイな日だった。山陰の空模様もちょうどそんな感じで、雪はたまにチラホラ舞うくらいだったが、ただただ薄暗く、ただただ薄ら寂しく、そしてただただ寒かった。
 果たして兵庫に帰れるかと危ぶまれた次女一家は、米子道の閉鎖もなんとか解除され、今日の午後に出発していた。わが家も実家に赴き、見送る。そして今年もまた、次女の夫との仲は一向に深まらなかった。次女の夫は、こちらが地元なのだから、ジモトモとの交流があってもおかしくないのに、こちらにいるときはいつも暇そうにしている。30日にひとりおろち湯ったり館に行ったのも、暇を持て余してのことのようである。案外そういうものか、とも思うし、意外とそういう奴なんだな、とも思う。姉妹のそれぞれの夫という間柄で、それぞれそれなりにサウナを嗜むのだから、こんなときくらい一緒に繰り出せばいいだろう、などと思ったりもするが、いざ本当にふたりで、たとえばおろち湯ったり館に行くとしたら、30分あまりある行きと帰りの道中、いったいなにを話せばいいのか、などと考え出すと、やはりとても実行には移せないのだった。かくしてわれわれはいつまでも距離が縮まらない。このことについて考え出すと、いつも実在しない三女の夫に思いを馳せることになる。三女の、実在しない、めちゃくちゃ快活な夫。コミュニケーション能力がとにかく高くて、誰の懐にも上手に入り込み、人を、そして場を、ものすごく明るくさせる。いちばん年下の彼が、ねだるように「サウナ行きましょうよー」などと言ってくると、姉たちのそれぞれの夫はもちろん断れず、気付けば流されるまま3人で車に乗り込んでいる。そしてその車中の愉しいこと愉しいこと。三女の夫が次々に放つ、今年あった愉快な出来事のエピソードトーク。それに誘発されて、あんなに寡黙だった長女の夫と次女の夫も、自分でも覚えていなかったような話が口からついて出てくる。盛り上がる車内。気持ちいいサウナ。そして3人の中で俺がいちばん巨根……。そんな夢を思い描く。そんな日はいつかやってくるだろうか。
 次女一家を見送ったあと、一念発起し、出雲大社に参拝に行くことにする。地元民はいつでも行けるのだからわざわざ混んでる正月に行かなくてもいいよ、などと口では言いつつ、とは言えできることならやっぱり年の初めに行っておきたい気持ちがあり、天候の悪さのためか、昨日行ったという次女の夫いわく「わりと空いていた」とのことだったので、じゃあもう行っちまおうぜ、済ましちまおうぜ、という感じで行った。結果、混み具合はほどほどといったところで、無事に参拝できた。できたのはもちろんよかったが、それにしたって寒かった。本当に山陰の冬らしい空模様で、というかこの年末年始の休み、思えばずっとこんな天候のような気がする。去年末「swimming pooling」で、仕事終わりの暗くなってからのプールに行く気が起きない、俺は光の中で泳ぎたい、年末年始の休みに期待だ、ということを書いたが、12月29日に意地で行ったときも曇りだったし、スカッとした陽射しをしばらく味わっていない。それもこれも、三女のめちゃくちゃ快活な夫が、実在しないせいかもしれない。早く実在しろよ。
 ちなみに今日の出雲大社では、一家全員でおみくじを引いた。それによると僕の今年の運勢は、「本年は、隆盛大幸運の年であり、営利上もっとも利益が多い年である」とのことで、どうやら水着がだいぶ売れるようである。「隆盛大幸運」という生まれて初めて目にする語句の、心強さったらない。死ぬほど縁起よさそうだな。ただ、「しかし家内不和合、親戚朋友と争論に至ることがあり、注意を要する」ともあり、どうやら今年、僕の水着製作販売は、親類縁者も巻き込んだビジネスへと発展するようだ。なかなか激しい1年になりそうである。一方でファルマンは、まず「善良なるしつけは、まず家庭に始まるべし」といきなり注意を受け、さらには「本年は正鬼門にあたっており、運勢は決して良い年ではない。いかに工夫工面をしても、とかく為す事は失望に終わることが多い」ともあり、つまりシンプルにとても悪い内容だった。このおみくじは括りつけて持って帰らないと言うので、写真だけ撮らせてもらった。そしてこうしてブログに記した。夫婦のおみくじを併せて考えるに、今年はとにかく家内安全に留意する必要があるらしい。肝に銘じて生きようと思う。
 帰宅後は、冷え切った体をストーブで温め、のんびりと過した。ちなみに今日からホームプールは今年の営業を開始している。しかし行く気はもちろん起きなかったし、先日ちらっと言ったように、去年末で切れた会員は再開させず、このまま2月の休館月間まで突入してしまおうかな、と今のところ思っている。実際どうするかは分からない。しかし1月5日に月間会員になったら3月5日まで、1月20日に会員になったら3月20日まで会員になるというだけの話なので、1月のあるとき、どうしても泳ぎたくなったら申し込めばいいのだ。
 ああ、今日は土曜日の夜なのか。つまり夜更かしができる夜は、これが最後なのか。信じられない、とは言わない。信じられなくなく、理解しているが、それゆえに切ない。明日は休みの最終日。そしてピイガの誕生日である。ピイガの誕生日、毎年のことながら、なんとも言えないタイミングであると思う。逆に三が日であれよ、とさえ思う。

2026年1月2日金曜日

降り積もるおもひでぶぉろろぉぉんとブログの夢


 目が覚めたら一面の銀世界であった、というほどではないけれど、ほどほどに白くなる程度には雪だった。幸い、別に用事はなにもない。大掛かりな買い物は明日や明後日に行けばいいので、家でおとなしく過すことにする。ちなみに初夢は、なんかしら見て、本式に起きる前の明け方、布団の中で、あれが初夢かー、地味だなー、という感想を抱いたのは覚えているのだが、あまりに地味すぎたのか、もうぜんぜん覚えていない。
 昼ごはんはおにぎりと味噌汁と少々のおかずという、地に足のついたもの。大みそかと元日のあとは、いつもこういうものが食べたくなる。4日ぶりくらいにごはんを炊いた。
 午後、子どもたちがやはりいとこと雪で遊びたがったので、実家に連れていく。ファルマンは雪道の運転に不安があるということで、送迎だけしてやることに。
 戻ったあとの自宅ではひとり、裁縫や、おもひでぶぉろろぉぉんをして過した。最終回を宣言できていないブログもいくつかあるものの、最近ちゃんと活動していたものを中心に、基本的にブログは全て収束させたわけだが、ただし「おもひでぶぉろろぉぉん特設サイト ~フレーズで振り返る20年の歩み~」に関しては、これはもともと「プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ」の報告対象外であったし、性質上どうしてもこの「OREGAYO」と一緒にするわけにはいかないので、このままの形を継続していくことになる。もとよりあれはブログというより、自分の作業のためのデータ置き場的なものだ。
 ちなみに今日読んだ「KUCHIABSHI DIARY」の2009年6月の記事の中で、雑誌「SEVENTEEN」の水着特集について触れている箇所があり、それによるとこのときの、2009年7月号の水着ページのモデルは、桐谷美玲、波瑠、武井咲という3人だったそうで、いま考えるとなかなか豪華なメンツだと思う。もちろんもう手元にないのだが、2026年のいま、ずいぶん価値が出ていたりするのではないかと検索したら、あまりそんなこともなかった。ついでに、綾瀬はるかが表紙モデルだった「電撃姫」(2002年7月号)はどうかと見てみたが、これも思ったほどではなかった。そういうものか。
 夜になって、今回の収束で最終回を迎えた各ブログに、「(ブログ名)は「OREGAYO」に収束しました」という記事を投稿する。そんなのはぜんぜんするつもりでいなかったのだが、ファルマンに「絶対にしなければダメだ」と言われ、やった。やってから、そうか、僕は拡散した各ブログへは、誰もが必ず「プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ」を経由して来るものだと思っていたから、そこにさえ新ブログのリンクを貼っておけばそれで済むと思っていたが、それは想像力の足りない自分勝手な考えで、全ての人が作者の思い描くシステムどおりに動くはずはなく、「おこめとおふろ」だけをブックマークしている人もいれば、「nw」にweb検索でたどり着く人もいる。その人たちは、「プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ」に行かないことだって十分に考えられる。だから各ブログの最上部に新ブログへの案内は絶対に必要なんだ、と気づいた。まったくブログに造詣の深い妻はありがたい存在だな。

2026年1月1日木曜日

年明けと年精数


 年が明ける。去年の紅白はなんだかつまらなかったな。
 年が明けた瞬間、ポルガのスマホがメッセージの受信音を発したので、なんだか感慨深かった。そうか、そうだよな。中学生って、たぶんいちばんそうだよな。「パパとおかには来ないの?」と訊ねてきたので、「こんな時間に連絡が来るとしたら訃報くらいのもんだよ」と答えた。ファルマン爆笑。これが今年の初笑い。
 そのあと、寝る前に集計作業をした。なんのか。もちろん年精数である。1年間の射精回数。23年が108回、24年が109回と来ていて、しかし24年に関しては、10月終了時点でそれまでの回数を計上するという不正をし(当時はルールが確立していなかったので悪意があったわけではない)、それによって残りの2ヶ月間の振る舞いが影響を受けることになってしまった。それが2025年においては一切ない。純粋に、1年間が終わって初めて、年始からの数を計上したのだった。これはとてもドキドキした。怖すぎて数えたくない、とさえ思った。もっとも「BUNS SEIN!」で述べたと思うが、射精を頻繁にすればそれすなわち精力旺盛なのかと言われると決してそんなこともなく、射精をしなければしないほど悶々と、エロい頭でいる期間は長くなるわけで、そう考えれば年精数は多いのがいいのか少ないのがいいのか、よく分からなくなってくる。歴史上、たぶんどの男も答えにたどり着いていない。とは言え数えているときはやっぱり、去年よりも数字が下がったら嫌だなー、と思いながら数えているのだった。
 そんなわけで、いよいよ発表に移りたい。
 2025年の年精数、結果は…………(ドラムロール)…………ドンッ!
 112回。
 会場から「おー」と低い声が何層も聞こえてくる(女子禁制ではないのに、客席には男しかいない)。あちこちでさざなみのように始まった拍手が、呼応するように高まり、やがて力強いものになってゆく。ありがとう。みんな、どうもありがとう。一切の不正行為なく、1年前よりも2年前よりも多い112回という数字は、とりあえず純粋に喜んでいいのではないかと思う。ちなみに月ごとの内訳は、11+8+10+6+8+8+10+11+7+11+10+12で、112である。8月は暑さに参っていて、そのうえ一週間近くに及ぶ旅行があったというのに、蓋を開けてみれば11回ということで、おいおーい、なんやかんや言ってやることやってんじゃーん、と肘で小突きたい気分だ。あと12ヶ月で最も多い12月の12回というのは、正直言って最終盤、年末年始の休みに入ってから、年精数を意識しての不安感から半ば意図的に回数を重ねた部分があり、実際このおかげで前年の数字を上回ったとも言えるわけで、今年も今年でなかなか劇的な結末となった。とは言え今年は前年よりも3も数を乗せてしまったわけで、いよいよ来年以降が厳しくなってきた。いつかは下回るときが必ず来る。覚悟だけはしておこうと思う。などと言いつつ、やはり年の瀬になるとジタバタするのだろうとも思う。
 眠って起きて、雑煮を食べ、届いた年賀状(ほぼ親戚のわずか数枚)を眺め、初詣に行く。毎年行くいつもの神社なのだが、境内にいくつか社があり、それぞれ部門が分かれている。なので今年は学業部門のところで、ポルガの合格をしっかり祈願しておいた。おみくじは細かいお金がなかったので、子どもの分しか引けなかった。しかし神社に来た際、鳥居のそばにある数台しかない駐車スペースがちょうど1台分空いていてそこに停められた(ここに停められない場合、すれ違い困難な細くて険しい道を通った先にある神社裏手の駐車場に行かなければならないのだ)ので、それだけで今年の幸先は明るいと思うことにした。
 そのあとは実家に行って、新年の集い。豪華なおせちと鮨をつまみながら飲む。子どもたちが喧しい。中3と小6と小5だけなら、もうそこまで喧しくはなくなっていたのではないかと思うが、ここに3歳児が入ることで、全体がそっちに引っ張られるのか、喧しさがいつまでも収まらない。まあ子どもたちが賑やかにしてくれなければ、大人たち(特に男性陣)はぜんぜん盛り上がらないわけで、助かるのだけども。
 あとこの際、次女の夫はおととい、ひとりでおろち湯ったり館に行ったということが判明し、わりとショックを受ける。おろち湯ったり館に行きたいという気持ちは、いつだって心の中でくすぶっていて、そしてそれはことあるごとに表明しているので、知らないはずはないのに、いったいなぜ声を掛けてくれなかったのか、と思う。そう思う一方で、果たして次女の夫とのふたりきりでのおろち湯ったり館に、僕は本当に行ったかな、なんだかんだで行かなかったんじゃないかな、とも思うわけで、その気配を感じ取って、次女の夫もわざわざ声を掛けなかったのかもしれないな、と思った。寂しがり屋なのに人と交流したくない、モザイク模様の複雑な心。2026年の僕も引き続き愛しいな、と思った。
 かくして新しいブログが始まった。新年に新しいブログを始めるなんて、まるでこれまで日記の習慣を持っていなかった人のやることのようで、少し面映ゆい。
 新しいブログは、ご覧のとおり、8年ぶりに収束した大ブログである。
 思えば前回の拡散時、たぶんこの拡散は長く続いて、もしかしたら二度と収束することはないのではないかと思っていた。ところがこうしてブログは収束した。そしていまはこの形こそがまっとうだと確信している。ただし前回よりも精神的に成長したと思うこととして、今回の僕はこれがずっと続くとは思っていない。いつかまた拡散するに違いない。だが、収束と拡散は、実は別に大したことではないのだ。どちらにせよ僕は日記を書くし、そしてどんな形でどこに書かれたものでも、いつか「おもひでぶぉろろぉぉん」で振り返る。すべては大きな流れに収斂し、ひとつになる。だから流れてさえいれば、清流だろうと、ドブ川だろうと、なんでもいいのだと思う。なんだ、この境地。