ラベル 親戚 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 親戚 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年8月22日土曜日

2026年夏の自家用車横浜帰省 4日目 8月13日


 盛りだくさんだった3日目に対し、実家のほぼ最終日となるこの日は簡素なものである。
 ただし子どもたちはそうではない。子どもたちは、いとこらと4人で、よみうりランドに行ったのだった。よみうりランドというメジャーな遊園地が、実家から意外と近いのだということを、今回初めて知った。母によると、僕も行ったことはあるらしい。記憶はぜんぜんない。天候が果たしてどうなのかという不安はあったが、とりあえず大丈夫そうなので、開園時間に合わせるように、途中でいとこらをピックアップして、連れていった。あとはもう夕方の迎えの連絡が来るまでノータッチである。楽になったものだ。来年になれば姪が免許を取っているかもしれず、そうなれば送迎さえいらなくなる。楽すぎるだろ。遊園地そのものにはなんの興味もなく、ぜひ子どもたちだけで行ってくれたまえ、という感じだったが、夏季限定のプールには興味が湧いた。なので送迎の際にプールの様子を窺うことだけでもできないかと思っていたのだが、もちろんそんなことはぜんぜんままならなかった。昨日に続いて、やけにプールの様子を窺いたがる生きものである。「プール覗き界隈」と言うと聞こえが悪いが、有り体に言えばその通りである。でもそれは若い女性の露出過多の濡れた肉体が見たいという、それももちろんあるが、ただそれだけの理由ではなくて、要するに僕は、プールの雰囲気が純粋に好きなんだと思う。
 子どもを送ったあとの帰り道で、ファルマンとコインランドリーに立ち寄った。われわれの帰省によって洗濯物が多いのに天気がぐずついているので、母から乾燥を頼まれたのである。晴れ間がないことで知られる冬の山陰でも、なんだかんだでわが家はコインランドリーを利用せずに暮しているので(洗濯機に乾燥機能もないのに)、なんだか新鮮だった。コインランドリーと言えば、世間で大いに盛り上がっている、われわれ夫婦も愉しく観ているドラマ「Tシャツが乾くまで」を連想せずにはおれず、ドラマに出てくるコインランドリーの100倍くらい野暮ったい店で、少しだけショートコントのように「Tシャツが乾くまで」ごっこをした。愉しかった。この日は木曜日。明日は絶対にホテルの部屋のテレビで放送を観なきゃね、と話した。
 大人だけの昼ごはんに関してはなんの話もしていなかったが、ざるそばが食べたかったので、スーパーでそばと天ぷらを買って帰った。そして午前中だけのデイサービスから帰ってきた祖母も含め、4人で天ざるを啜った。おいしかった。
 午後は、時間があるので今晩の献立として餃子でも作ろうという話になり、それにあたって、いい機会なので僕が子どもの頃から使っているホットプレートをさすがに買い換えようということになって、3人で電器店とスーパーに行った。帰宅して餃子の餡を作っていると、とんでもない勢いで雨が降ってきて、ピカッと光ると、その直後に轟音が響いた。いきなり、ものすごく近い場所に雷雲が湧いたらしかった。果たして子どもたちは大丈夫なんだろうかと不安になったが、特に本人たちから連絡はなく、まあ屋外の遊行施設なのだから、本当に危険なときは係員がいいようにしてくれるだろう、などと考え、餡を作り終えたあとはのんびりと過した。雨はずっと降り続いたわけではなく、雨雲が去ったあとはスーッと晴れたり、しかしそのあとも急に豪雨になったりと、そんな感じだった。
 やがて連絡が来たので、濡れた子どもを車に乗せるの嫌だな、と思いつつ、タオルを大量に携え、迎えに行く。子どもたちは「びしょ濡れになったけどもう乾いた」そうで、たしかに少し湿っている程度だった。それはそれで嫌ではあったけれども。遊園地は、そんな天候もあってか、いとこの話によるといつもより空いていたそうで、存分に愉しめたらしい。ならよかった。
 というわけで、晩ごはんはまた一族が集結し、餃子。僕が餡を作った(包むのは僕が迎えに出ていた間にファルマンがやった)餃子は、当然ながら大好評だった。僕の餃子はいつだって異様なまでに美味しいのである。食べ終えたあとは、8月13日ということで、庭先で迎え火を焚いた。今年は一族が全員集合でできたので、よかったんじゃないかと思う。
 そのあとは恒例のような、でも去年はたしかやらなかったような、数独の同じ問題を全員で一斉にやる、というのをやった。いつの間にかできた変な行事。順位は、1位が姪、2位が叔父、3位がポルガだったか。僕も、アルコールが入っているし耳から汁が出ているという致命的なハンデを背負いつつも、なんとか解ききった(だから実質は1位みたいなもんだと思う)。ファルマンは途中で放棄し、ピイガは最後まで奮闘していたが、最終的に鼻血を出して泣いた。ものすごい負けん気だと思った。
 最後に祖母も含めてみんなで集合写真を撮り、お開きとなった。一族のお盆の集い、というのがしっかりできた感じで、とてもよかったと思う。

2026年8月16日日曜日

2026年夏の自家用車横浜帰省 2日目 8月11日


 起きて世界がぐわんぐわんしていなかったのでとても安心した。血行をよくしたほうがいいはずだという言い訳を頭の中で唱えながら、朝風呂に入った。気持ちよかった。こちらの体調不良、それによる精神不安などはあったが、それでもやっぱりキャッスルイン豊川は快適だった。ちなみに今回で4泊目。なかなかのものである。
 出発時点で空は薄曇り。しかしこれから関東に進んでいくわけで、どこかで崩壊は訪れるのだろうと覚悟しながら、実家に向けて出発する。耳汁は相変わらず出ていたが、運転には支障がなかった。なにしろ運転できるのは自分しかいないのだから、気張らなければならないのだ。
 ちなみに去年はこの日の移動の途中で、清水のちびまる子ちゃんランドに寄った。今年もここにひとつ経由地を計画していた。しかし天候が天候なのでたぶんダメだろう、おとなしくまっすぐ実家に向かおう、と昨晩や朝の時点ではあきらめていた。ところが実際に車を走らせ、空の様子やニュースを眺めるにつけ、どうやら大丈夫そうだぞ、ということになり、やっぱり当初の目的を実行することになった。
 横須賀市は浦賀にある、ペリー公園および記念館である。
 横須賀市は、そのまままっすぐ進めばすぐに横浜青葉ICとなる、ひとつ前の横浜町田ICで降りて南南西方面、すなわち三浦半島を突き進むわけで、よく見るとぜんぜん通り道ではない。純然たる寄り道である。しかしわざわざ実家からペリー公園に行くかと言われたら絶対に行かないわけで、大移動の勢いとしか言いようのない、4時間が5時間になってもそんなに変わった気がしないよね、みたいな謎の理論で実行された。ちなみにリクエストしたのはもちろんポルガである。ポルガ以外の誰がペリー公園に興味を持つというのか。
 そんなわけでたぶん生まれて初めて足を踏み入れた横須賀市は、なんとなくギラついた若者の街のようなイメージがあったのだが、実際はわりと色彩の少ない、地味で落ち着いた印象だった。たどり着いた浦賀には海岸があり、実際にそこなのかは知らないが、いまから173年前の1853年に、このあたりに黒船が来たんだなー、そうかー、浦賀って本当にあったんだー、思ってたより近かったんだなー、横浜の教師ってぜんぜんそういう臨場感とかを伝えなかったんだなー、という感想を抱いた。砂浜から道を挟んですぐの所にペリー公園はあり、その敷地内に大きな石碑と記念館が建っていた。ちなみに記念館の入館料は無料で、つまりそこまで力の入った施設ではなさそうで、はっきり言って全体的になかなか渋いスポットだった。それゆえにディープだし、それでいてネームバリューだけはあるので、「浦賀のペリー公園に行ったことがある」というのはなかなか貴重な称号かもしれない。もっとも来年の大河ドラマは小栗忠順なので、多少はこのエリアも盛り上がる可能性がないことはないかもしれない、とも思う。ポルガは行けて満足したようだったので、まあ行ってよかったかな、と思った。
 浦賀を後にして、実家へと向かう。1時間くらいだった。マジかよ、実家とペリー来航の地は、車で1時間なのかよ。
 実家には母と祖母、そして甥がいた。中学2年生である甥は、去年よりもだいぶ成長していた。身長は8cmくらい伸びたと言っていたか。ただし本人の気性か、令和はそういうものなのか、あるいはそれはまだ先なのか、思春期男子特有の「はあ? ちげえし」的な、朴訥で生意気なあの感じはぜんぜんなかった。と言うか、いとこ一家を出迎えるために祖母の家にひとりで先に来ている、という時点でそのモードに入っているはずがないのだった。
 やがて叔父も来て(母が迎えに行って)、そして姉夫婦と姪もやってきて、初日ながら一族が揃った。「来年はもういない」としきりに言う97歳の祖母も含め、みんな相変わらずだった。なによりなことである。晩ごはんは定番の手巻きずし。おいしかった。
 夜、敷いた布団の上に、持ってきたマットを乗せた。去年、実家の布団のあまりの硬さを嘆き、絶対に折り畳みのマットを調達して持っていこうと心に誓ったが、本当に購入し、実行したのだった。子どもは別にぜんぜん平気だというので、ファルマンと僕、2枚分である。これがすごくよかった。厚さ3cmほどの、ごろ寝用低反発マットみたいなものなのだが、あるとないとでは大違いだった。特に今回、耳の不調で眠りが浅かったり、体がいつもよりダメージを負っていたので、あって本当に助かったと思う。いい買い物をした。