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2026年8月17日月曜日

2026年夏の自家用車横浜帰省 3日目 8月12日 前編


 結局台風15号に関し、まみえたな、という感触はないまま終わったのだけど、ニュースでは宇都宮駅の大木が根元からぽっきり折れたりしていたので、おそろしかった。ちなみに世にも珍しい東から西に向かう逆走台風の特徴として、台風一過的なものは一切ない、というのがあるそうで、台風の本体が関東を通り過ぎたはずのこの日も、あまりすっきりしない空模様だった。
 そしてこの日はわりと書くことが多い。なぜなら家族がだいぶ別行動をしたからだ。
 まずポルガは、だいぶ前から宣言していた、ひとり東京社会科見学を実行した。具体的に言うと、国会議事堂と靖国神社に行ったそうである。だいぶ思想が強いセレクトで、親ながらびっくりするが、どうやら最近、近代世界史・政治史みたいなものにハマっているようで、本当は市ヶ谷の東京裁判の見学ツアーにも行きたかったらしいのだが、予約がうまいこといかず、仕方なく靖国神社にしたらしい。1年の中で、だいぶピリピリ感の強いタイミングの靖国神社なんじゃねえかなー、という気はしたし、そもそも東京の電車や町をひとりで大丈夫か、という不安はあったが、本人のついてくるなオーラがすごかったので、あざみ野駅までの見送りだけした。ポルガは出発前に電車の時刻表を調べようとしたので、田園都市線は時刻表を調べなくていいんだよ、と説明した。目の前の電車を乗り逃しても、5分以内に次の電車が来るんだよ、1時間後とかじゃないんだよ、と。あと国会議事堂なら永田町駅なので、渋谷から半蔵門線直通で1本なのだが、どんなに説明しても、半蔵門線直通というのがピンと来ないらしく、最後まで「渋谷駅で半蔵門線に乗り換えるの?」などと訊いてくるので、どうしたって不安は募った。こんな島根の大自然の中でのびのび育っている子を、ひとりで東京なんかに解き放っていいのだろうかと。結果としては、予定していたふたつの施設はもちろん、それらのエリアにあるいろいろな建物も目にしたそうで、とても満足した様子で無事に帰ってきた。よかったよかった。まあポルガはすっかり田舎ナイズされているが、実は東京生まれだったりするし。
 どうして急にそんなことを言い出したかと言えば、残された3人は、他ならぬポルガ生誕の地である練馬に行ったからである。帰省前の日記にもチラッと書いたが、去年、いきなり声を掛けて、慌ただしく再会した友達と、今年こそはきちんと態勢を整えて会おうということになり、落ち合う場所をどこにするか、直前にやりとりしたのだけど、うまくまとまらず(横浜駅という案を僕が拒んだというのもある)、とりあえずわれわれが、向こうの居住地である練馬まで行き、そこから先のことは会ってから決めようという、結局1年前とあまり変わらないフワッとした事の運びとなったのである。
 そしてこれは、同時に僕の耳鼻科行きという用件も兼ねているのだった。復路の長い運転のこともあるし、とにかく悪化させるわけにはいかないので、暦の上では平日であるこの日(13~15日はお盆として)に、絶対に医者にかかったほうがいいという話になり、僕はそういうのがとにかく苦手で、ファルマンが調べてくれたのだけど、実家の近くの耳鼻科という耳鼻科は、既に夏休み期間に入りどこも休みであるのに対し、練馬区にはわりとやっている耳鼻科があるということで、ならば友達との待ち合わせ時間に先んじて練馬に入り、僕は耳鼻科へ行き、その間ファルマンとピイガには周辺で適当に過してもらおう、という算段になった。そんなわけで待ち合わせは午後だったが、9時くらいに実家を出発する。ちなみに車である。僕は僕ですっかり田舎ナイズされているので、なるべくなら公共の乗り物に乗りたくないのである。実際この1年間で、昨夏の池袋練馬ツアーでしか、電車というものに乗っていない。だから練馬へももちろん車という発想になる。そもそもあざみ野から練馬というのは、副都心線を使ったとしてもあまりアクセスはよくないのだ。
 練馬へは1時間あまりで着いた。練馬にファルマンと住んでいた当時、実家に顔を出したとき(帰省という言葉を使うような距離感ではなかった)、帰りは荷物が多くなるので母が同乗して車で練馬の住まいまで戻る、ということを何度かやった。今回、十数年ぶりにやった実家から練馬までの道程は、もちろん道など覚えていないので、Googleに丸投げだったのだけど、たぶんほとんど違う道で、残念ながらおもひではぶぉろろぉぉんしなかった。
 耳鼻科の予約時間まで少し余裕があったので、ファルマンとピイガを中村橋まで送った。ふたりはここで練馬区立美術館に行ったそうだ。ちなみにだが、開催されていた企画展は、だいぶ高尚すぎる現代芸術的なやつだったそうで、ぽかーんとしたそうである。
 そして僕はひとり耳鼻科へ。短い問診ののち、僕の左耳の中を覗いた60代くらいの女医は、「きたなっ」と驚きの声を上げた。耳鼻科の先生が思わず「きたなっ」と言ってしまう俺の耳の穴。なんか、傷とか膿とか、とにかくだいぶエグい感じの、外耳炎になっているらしい。とりあえず液体を吸引してもらい、点耳薬を処方してもらった。「島根に帰ったらそっちでも診てもらいなさい」とも言われた。「実家はどこなの?」とも訊かれ、「横浜です」と答えたら、「島根に住んでて、横浜の実家に帰省してて、それで練馬の耳鼻科に来てんの? なんで?」とツッコまれた。自分でももうよく分からない。いろいろあるんだよ。とりあえず医者に診てもらったという、その一点でだいぶ安心感が得られたのでよかった。
 薬を受け取ったところでファルマンに連絡を入れると、友達と連絡を取り合った結果、既に来ていることを知った友達が早く出てきてくれて、ちょうど合流したタイミングとのこと。それでこれからどうするのかと訊ねたところ、友達の案内で今日は飯田橋界隈の街巡りをすることになった、という答えが返ってきた。
 飯田橋! ぜんぜん馴染みがないが、練馬よりも都会であるということは察せられた。たぶん、車で行くような街ではない。地図で確認すると、同じ画面に靖国神社が表示されたのでおもしろかった。ポルガとニアミス! と思うと少しワクワクした。
 しかし飯田橋。飯田橋の街巡り。どうしよう。俺はいったいどうすべきだろう。駐車している車の中で、しばしの間、僕は思案した。
 後編へ続く。

2026年6月21日日曜日

父の日と散髪と26歳


 梅雨前線なのだか台風の影響なのだか分からないが、空気がとてももったりしていて、気分がまるで上がらない、そんな父の日であった。思えば筋トレもしなかったし、プロテインも飲まなかった。あ、裁縫もしていない。僕はいったいなにをしていたのだろう。プールも、そろそろ行ってもいいような気持ちがあったが、やっぱりもう少しゲージが貯まってからのほうが効果的なような気がして、この週末は足が向かなかった。もちろんワールドカップの試合も観ていない。
 このところ週末がいまいち堪能できていない感じがあり、よく野球のニュースなどで、「悪くない当たりでしたが、もう一歩伸びが足りず、ライトフライに倒れます」という言い回しがあるが、そんなもどかしさを抱き続けている。GW以来、3連休的なものとしばらくご無沙汰だからだろうか。もしそうなのだとしたら、僕はずいぶんと変わってしまったことだ。いま読んでいる26歳当時の日記では、僕は2010年の年始、3日から労働をし、4日の勤務ののち新幹線に乗り込み、深夜に出雲に到着して、そして6日の朝には練馬に戻るために特急やくもに乗り込んでいた。今だったら絶対にしない弾丸スケジュール。そして7日からはもちろん出勤である。サービス業だった当時は、あまり疑問にも思わずそういうことをしていた。あまつさえ1月7日付の日記には、『実質2日休んでいただけなのに、1週間くらい休んでいたような気持ち。』という記述さえある。なんだか胸が締め付けられる思いだ。愛しい。愛しいし、そして申し訳ない。2日程度の休みでは伸びが足りずライトフライ、ではない。お前が悪い。そうだ、俺が悪いのだ。
 そんな自省の気持ちが高まり、そしてなにより、もったりした気候にいよいよ音を上げたというのもあって、冬から伸ばし続け、日中は結んで過していた髪を、とうとう切ることにした。こう書くとまるで理性的にそういう判断をしたかのようだが、実際は先ほど、夕飯後にシャワーを浴びて、髪を洗い、さらにはコンディショナーまでした段階で、まるで「エウレカ!」と叫ぶような感じで、「もう髪、切る!」というほうに針が振れ、すぐにコンディショナーを流し、浴室から出て、ファルマンに「今から髪を切ってくれ!」と頼んでやってもらったのである。そのくらい突然訪れた。今回はこの訪れまでに時間が掛かった。このところずっと「もう見苦しいから切れ、切らせろ」と言い募っていたファルマンは、「やっとか、よしきた」という感じで切ってくれた。そして再び髪を洗った。これまでの長い髪では、なんだか内側のほうは洗えていないような感覚があったのだが、短くなり体積の減った髪ではそんな心配もなく、とてもすっきりした気持ちになった。なにより鏡に映った姿が格段に若々しい。「もっと早く本気でたしなめてくれればよかったのに」とファルマンに言ったら、「ずっと言っとったじゃろがい!」みたいな感じでキレられた。人からの忠告って、どんなに正しいことでも、自分自身がピンと来るまで、本当に耳に入らないよね。
 まあそんなわけで、最後に心機一転できて、最終的に前向きな気持ちになれた週末だった。父の日ということで晩ごはんは鰻丼にしたし、明日から元気を出していこうよ、という感じ。誰がそんな言葉を僕にかけてくれたのか。それはたぶん26歳の僕なんだと思う。ああ愛しい。

宇佐木学園ぴょんぴょんブログを読み解く(2) ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 前回の記事で触れたように、「宇佐木学園ぴょんぴょんブログ」は3つ存在したのである。
 大神版、中埜版、をとめごら版である。
 3ブログともすべて時間軸は同じで、宇佐木学園を舞台にした、6月1日から8月31日までの日々を描く。異なるのは視点である。
 まず大神版は、学園唯一の男性教諭である大神を主人公に、彼と生徒である少女たちとの交歓が描かれる。大神先生が何歳で、専門の教科は何で、そしてなぜ彼だけが唯一の男性として学園に存在しているのか、という説明はない。それは特に定める必要はないものと判断したのだろう。きっぱりしている。その代わりにこういう設定がある。
『大神先生の陰嚢に触るとしあわせになれる』
 宇佐木学園の少女たちの間では、何代にも渡ってそんな伝説が語り継がれてきたという。この設定があることで、大神と少女たちがそういう行為をすることに合理的な説明がつく。ただし少女たちが本当にしあわせになりたくて大神を求めるのか、あるいは大神を求める言い訳としてこのような伝説を捏造したのかは定かではない。たぶんどちらも真実なのだ。ちなみに大神はもちろん精力絶倫の成人男性なのだが、それでも全校で約1200人いる少女たちが無作為に殺到しては収拾がつかないため、少女たちの自治により協定が組まれ、朝に大神の部屋に入って朝一番の陰嚢の恩恵を得る生徒は、事前の予約申し込み制となっており、その競争率はかなり高いという。
 次に中埜版は、1年まごころ組に在籍する中埜新が主人公なのだが、実はこの中埜新、歴とした男の子である。そんな新がなぜ女子校である宇佐木学園に通うことになったか。その理由は、「なぜか」である。これもまた、特に説明していない。多少、「名前が中性的であるのに加え、顔も美少女のようにかわいらしい」という取って付けたような言い訳もあったが、基本的にそんなことはどうでもいいと思っていたのだろう。同感である。エロ小説の主人公が女子校のたったひとりの男子生徒である理由は、彼がエロ小説の主人公だから、以外に存在しない。そして新が男の子であることは、学園および大神という大人側には絶対に知られてはならない秘匿事項なのだが、しかし少年のルームメイトである南野みちるはもちろんのこと、ほぼすべての生徒には知れ渡った事実である。それはなぜかと言えば、中埜新には「すぐに服を脱いで裸になってしまう」という悪癖があるからである。記事を読むと、たしかに新は本当によく裸になっている。そして全寮制女子校唯一の男子である13歳の少年が寮内で裸でいるとどういうことになるかと言えば、それはもう当然の帰結として、主に年上となる無数の少女たちから、だいぶ気さくにちんこをいじられることとなる。これは本当に当然の帰結である。ちなみにだが、僕がCFNMという性的嗜好の名称を知り、それをロゴにしてTシャツに仕立てることまでしたのは今年に入ってからのことだが、実はこの頃から明確にその嗜好は持っていたということになる。
 これが大神版と中埜版ということになるが、なぜふたつが必要だったのか、ここまでの説明で理解していただけたと思う。触れるとご利益があるとさえ言われる神聖な巨根を誇る大神と、少女のような見た目でカジュアルにおちんちんを出してしまう新、僕のちんこは、そのどちらのちんこでもある。まったくベクトルが異なるそのふたつの願望は、ひとりの主人公では決して叶わない。だから視点を分けなければならなかった。
 ちなみにだが、作中にいちどだけ、大神と新が直接絡むシーンがある。中埜版7月18日の身体測定の場面である。宇佐木学園のすべての生徒の胸囲を計測するのは大神の担当であるため(熟練のテクニックによってものすごいスピードで少女たちを捌いてゆくのだ)、生徒のひとりである新もまた、どうしたって大神による計測から逃れることはできない。

「次」
 気が付くと目の前には誰もいなかった。大神先生がつまらなそうな顔でこちらを見下ろしている。
 新はおずおずと大神先生のほうに歩み寄った。
 その瞬間、前に並んでいた少女たちがされていたように、左肩を抱き止められ、右手が背中に回される。背中を突かれる感覚はほとんどなく、スワッとした感覚がしたかと思うと、既に新の胸からはブラジャーが姿を消していた。遠目に見ていたときから感心していたが、いざ実体験してみて改めてすごいと思った。なんというテクニックだろうか。それからメジャーが胸に這わされる。メジャーは冷たいのかと思いきや、朝からずっと少女の胸に巻きつかれているためだろう、むしろ温かかった。
「70.2」
 大神先生が無感動な口調で計測値を読み上げた。

 ふたりの邂逅が描かれたのはこれきりなのだが、このあとさらに物語が紡がれていたら、ふたりはどういう関係性になったろう。たぶんどこかで大神は新が男の子だということを知るだろう。そのとき大神はどうするか。新、おまえだったのか、いつもくりとりすが異様に大きかったのは。みなさんもこのときの大神兵十の気持ちになって、物語の続きを考えてみましょう。
 さて大神版中埜版と来て、最後はをとめごら版である。これは特定の主人公を置かず、宇佐木学園の少女たちが代わる代わるに主役となる趣向のバージョンである。実を言うとこれは最初はなかった。大神版と中埜版をしばらくやったところで、女の子から見た宇佐木学園の風景も描かれるべきだな、と思い約2ヶ月遅れで開設された。
 しかしあとから理屈によって創設されただけあって、衝動的なエネルギーに欠ける感は否めない。ふたりの男の視点からでは描けない宇佐木学園を補完し、物語としての厚みを増やすという意義は解るが、下半身に直接作用しないのである。下半身に直接作用しないのならば、大神の人物詳細がないように、新が女子校に通うことになった説明がないように、それは不要なものだったということになる。エロ小説というものは、一言一句、すべてがひたすらにちんこを高めることにのみ捧げられるべきだからだ。
 しかし当時たしかに存在したものを、いまさらなかったことにはできない。これはこれで、おもひでぶぉろろぉぉんで振り返られる、僕のブログの記録である。をとめごら版も含めた3つのブログのそれぞれの性質を解説したところで、いよいよ次回からは記事内で綴られた宇佐木学園の風景について語っていきたい。

2026年6月20日土曜日

宇佐木学園ぴょんぴょんブログを読み解く(1) ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 26歳になった僕の日記を、こつこつと読み返している。
 26歳になった僕は、日々「宇佐木学園ぴょんぴょんブログ」の世話に追われている。25歳の僕がこの世からいなくなる直前に生み落とした「宇佐木学園ぴょんぴょんブログ」を引き取り、自らが育てることにしたのだった。(「トモコレ」をそういう趣向でやっているせいで、年齢に対する捉え方が少し変容してきているのを感じる)。
 宇佐木学園。振り返れば、なかなかすさまじい企画であった。
 架空の中高一貫全寮制女子校が舞台なのだが、なにぶん架空なので、俺が理事長だったらこうするだろうという願望が、思うがままに投影されている。
 クラスは各学年6つに分かれていて、それぞれのクラス名は、僕が女の子に求めるものになっている。すなわち、「きよらか」「あざやか」「ほがらか」「すこやか」「まごころ」、そして「おもいやり」である。改めて眺めると、統一性がない。前半の4つの並びで考えるならば、あとのふたつは「たおやか」や「さわやか」、あるいは「はなやか」などでよかったんじゃないかと今なら思うが、据わりの良さをかなぐり捨ててでも、「まごころ」と「おもいやり」をどうしても入れたかった当時の青年パピローの心情に思いを馳せるにつけ、胸が締め付けられるような、特殊な感動がある。特にこれだけが5文字の「おもいやり」が泣かせる。なにがあったんだよ、青年パピロー。
 そして「宇佐木学園ぴょんぴょんブログ」は、6月1日から8月31日までの夏の3ヶ月間の風景を綴るものなのだが、この期間、生徒たちはもちろん夏服となり、その夏服というのもまた、クラス単位で変化するのだった。すなわち、「きよらか→ブラウス」「おもいやり→ワンピース」「まごころ→ポロシャツ」「ほがらか→Tシャツ」「すこやか→キャミソール」、そして「あざやか→ビキニ」という具合であった。これに関しても、前半の4つはまだいいが、問題はあとのふたつだ。それでもキャミソールは千歩くらい譲って認めるとしても、問題はビキニだ。あざやか組の生徒は、夏の間、ビキニ姿で学校生活を送るのである。音楽の授業で合唱するときもビキニ、家庭科の授業で調理実習のときはビキニにエプロン。ただし体育の授業で水泳のときは、逆にスクール水着に着替える必要がある。そして泳ぎ終えたあとはふたたびビキニに着替える。青年パピローのカルマが熱暴走を起しているな、としみじみと思う。
 ちなみにビキニの話が出たついでに言うと、宇佐木学園の期末試験はランジェリー姿で受けなければならない、ということが校則で定められている。世に言う「ランジェリー期末試験」である。これはこの年に始まった記念すべき第1回cozy ripple流行語大賞のノミネート語にも選ばれているのだが、どういう来歴の言葉かと言えば、アメリカに実際に存在するというランジェリーフットボールという競技の存在を知った僕が、ほかにどんな「ランジェリー〇〇」があればいいか考えた際、ファルマンにも意見を求めたところ出てきたもので、それが結果として宇佐木学園の校則に採用されたという次第である。つまり宇佐木学園の少女たちが下着姿で期末試験を受けなければならないのは、理事長夫人であるファルマンの思いつきによって、ということである。なかなかやりたい放題の理事長夫妻なのである。
 斯様に破壊力のある、宇佐木学園に関する振り返り、おもひでぶぉろろぉぉんは、いちどの投稿ではとても済ませられるものではない。これから何回かに渡って触れる必要がある。しかしどのように解説を展開していくのがいいだろう。「宇佐木学園ぴょんぴょんブログ」は実はひとつのブログではなく、「大神版」「中埜版」「をとめごら版」の3つに分かれており、まずはそれぞれのブログの性質について語る必要があると思うが、しかしこれら3つのブログは濃厚に絡まり合って存在しているので、ひとつひとつを単独で語るのは得策ではない。とにかく、とても慎重に読み解いていく必要がある。これから僕はしばらくこの課題に取り組んでいくことになるだろう。
 僕はいったい、誰に向けて、なにを説明しようとしているのだろう。

2026年5月23日土曜日

2009年から2024年、そして2200年へと ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 つい先日、逆ゆっこ現象の話の際、男のちんこが女のおっぱい、ということを書いた。そのことはずっと書いている。長い間とにかく僕はそれをずっと唱え続けていると思っていたが、ちょうど「おもひでぶぉろろぉぉん」で読み返していた26歳の日記にこういう記述があったのだった。

 今年の初夏はちんこについてやけに考え、そしてぱたりと興味が収束したのだけど、その日々の中で携帯電話にメモをして、それ以来ずっと残っているというちんこに関する記述があり、もう秋になってしまって、ちんこについてことさらなにかを書こうという意欲もなくなってしまったので、いっそもう消してしまえと何度か操作をして、でも消したあとでやっぱりどうしても気になって、また同じ文面をメモするなんてことを繰り返していたのだけど、このままでは埒が明かないので、いっそ書いてしまうことにする。
 おっぱいはちんこである。
 これがそのメモの文面である。薄れゆく記憶と興味をたどって内容を思い出すと、たぶんちんこもおっぱいもそこから分泌されるものがミルクと称される共通点、そこからの発想だった。
 おっぱいって人類学とかだと、本来メスのオスに対する性的誘惑の効果を担っていた尻、これが二足歩行になった結果としてオスの顔の正面に来なくなって効果が望めなくなってしまったため、その尻の代替として(ポッキーの代わりのクッキーみたいに)おっぱいを膨らませることにした、と説明されるわけだけど、これってけっこう嘘くさい説だと思う。これより多少でも信憑性のある説が提唱されたら簡単に否定されてしまう程度の説だと思う(もっともこの前読んだ本に書いてあったのだけど、女性のおっぱいが赤ん坊への授乳のために存在するのなら、おっぱいはもっと哺乳瓶に似た「吸いやすい形」になっていなければ説明がつかず、実際にはあんな赤ん坊の鼻を圧迫してしまう丸い形になっているのは、その実用性を失ってでも男性に対して性的アピールを高めるためであり、だからボインは赤ちゃんのためにあるんやなくて、お父ちゃんのためにあるんやで、っていう話は大いに頷ける。でもこれはおっぱいが性的なものだということを証明している話であって、それが尻の代替であるという理屈にはぜんぜんならない)。
 そこで僕が提唱したいのが、おっぱい=ちんこ仮説なのだ。
 ところで僕は百合と呼ばれるジャンルがまるで好きではないのだけど、これのなにがダメかと言えば、百合にはちんこが存在しない、これが大いにダメなのだ。くっつけるだけでは絶対に得られない、棒で肉を抉る感触、これが大自然を切り拓いて文明を創造してきた人間の本能に直結し、まあ暴力性と言ってしまえばそれまでなのだけど、しかしそれが人間本来の動物的な快感に結びつくことは否定のしようがない。たくましく隆起するちんこは力の象徴で、武器のモチーフや崇拝の対象にだって容易になってきた。それは歴史が証明している。
 だからつまり人間は男も女も関係なく、みんなちんこが好きなのだ。
 しかしちんこは好きだが、大抵の男は男のことが好きではない。僕ももちろんそのひとりだ。ちんこはいいが、しかし男なんてものは自分以外は極力視界に入れたくないと考えて生きている。
 そんなわけだから、純粋理性批判の主人公というのは往々にして女性的なのだと思う。純粋理性批判の主人公は見た目はまるで女の子のようで、女装させればおそろしく似合い、周囲から勘違いされ女子校に入学してしまったりする。それもこれも男なんて極力視界に入れたくない僕のような輩のための配慮である。女性的すぎる主人公は、もはや世界を彩る女性キャラクターのひとりだ。しかしその主人公にはちんこがある。これでちんこがなければ百合になってしまっておもしろくない。ちんこがあるから迫力がある。女性しかいないようなきれいな世界でありながらパワーを兼ね備えている。しかもそのちんこはその主人公の見た目からは想像もつかないくらい逞しくあったりする。純粋理性批判はこれだから尊いのである。
 それで、だから男子っていうのも結局、ちんこと戯れたい生きものなのだ。と言うか日常的に戯れて生きているのである。切っても切れぬ間柄、切っても切れぬ愛だから、という意味では、男子とちんこと結びつきは女子とちんこのそれをはるかに凌駕する。
 しかし常に思う存分いじることのできるちんこを必ずひとつ持っている男子だが、ひとつだけできないことがある。それは口淫である。これはどうしてもできないわけじゃないが、相当な熟練の技を要する。大抵の人はできない。僕ももちろんできない。
 それで他の男の体を利用する人もいる。これはこれで理屈である。でもやっぱり他の男の体なんて気持ち悪くて見られない。どうしたって触れ合うのは自分か、あるいは女子がいい。
 そこで登場するのが女性のおっぱいである。
 乳房は陰嚢の代替であり、乳首は亀頭の代替であると考えてみてはどうか。乳頭から出る母乳はもちろん精液の代替である。
 しかしおっぱいがちんこの代替なら、やはりおっぱいは哺乳瓶(この場合はそれは陰茎)のような形になっていなければいけないのではないか、という意見もあろう。それに対して上の、「乳房は陰嚢の代替」という捉え方は卓見であると思う。これは日々宇佐木学園で陰嚢に対する認識を高めていた僕だからこそ気付けた結論だろうと思う。陰茎よりも陰嚢のほうがよほど大事だ。だから女性のおっぱいは細長くなくて、丸いのだ。
 ……とまあ、多分こんなようなことを考えて、メモを残していたのだった。
 書けたので満足です。
(「KUCHIBASHI DIARY」 2009年9月25日)

 発想のルーツはまさにこのあたりの時期にあったようで、まるでファミリーヒストリーのような感動がある。さまざまな礎があって、この自分がいるんですね。
 なにぶん17年前なので、もちろん現在の考え方とは違う部分もある。たとえば、自分以外の男なんて極力視界に入れたくないという記述があるが、この気持ちは今はない。これは筋トレを始めたことが大きく作用していると思う。今は男の体も(きれいならば)好き。
 あと代替ということを言っていて、そもそもその考え方が、今とは異なる。この頃はまだ人類学とか進化論とか、そういう、大学生的なものが体にまとわりついていたようである。なにぶんまだ26歳である。今はそういうアプローチではなく、プールの更衣室で友達のちんこを触る少年を目にして、「逆ゆっこ現象!」と直感で叫ぶだけである。バカになったのか、先鋭化されたのか、自分ではよく分からない。
 ゆっこは更衣室であかりの胸を揉む際、乳房と乳首、どちらを主に攻めるかと言えば、それはやっぱり乳房だろうと思う。「どれどれ?」と、乳房の成長度合、すなわちおっぱいの発育を確かめるのだ。その際、揉みながら指先で乳首を刺激したりはしない。それはさすがに話が変わってくる。しかし上の話で言うと、乳房=陰嚢ということになり、ならば今回の男子更衣室に現れた逆ゆっこは、逆あかりの、陰嚢を触っていたかと言えば、それは果たしてどうなんだろう、と思う。僕もそこまでまじまじと見ていたわけではなく、「あいつ友人のちんこを触ったよ」とかろうじて認識できた程度なので、それが主に陰嚢だったのか、あるいは陰茎だったのかは定かではない。でも普通に考えて、こういうときに触るのは陰嚢ではなく陰茎なのではないか、と思う。ぶらぶらさせて遊ぶのは往々にして陰茎であろう。
 異議あり!
 検事の発言を許可します。
 弁護人は思い込みでものを言っています。陰嚢がやけにたぷたぷし、ぶらぶらするコンディションの時も存在します! そもそも男性器の本体は肉棒よりもむしろ金玉肉袋にあります! なのでここで逆ゆっこが触ったのも、そちらであるという可能性は否定できません!
 異議あり!
 弁護人の発言を許可します。
 検事の主張を否定します。なぜなら少年たちは遊泳を終えたあとだったからです。遊泳を終えたあとの陰嚢がたぷたぷしているはずはありません。当時は縮んだ陰茎がかろうじてぶらぶらする程度の状態だったと考えるべきで、逆ゆっこが触ったのも当然その部分であると捉えるべきです。違いますか。
 検事、異議はありますか?
 …………くそっ。
 弁護人、続けてください。
 そもそもゆっこの目的、胸を揉むことの大義名分はなんだったでしょうか。それはあかりの発育を確かめるためです。ならば逆ゆっこが逆あかりのちんこのどこを触るかは、火を見るよりも明らかです。成長もとい伸長がよしとされる部位、それは肉棒です。少年たちはいつの時代も、Seventeen Centimeterianを目指して生きるのです。もちろんなかなかそこまでたどり着けるものではありませんが。ただしここで大事になってくるのは、2009年のパピローが唱えた乳房=陰嚢理論、これが誤りであり、実際は乳房=陰茎が正しいのだとしても、一方の乳首=亀頭理論、これは正しいということであります。ゆっこがあかりの乳房を揉む際、乳首に重点は置かないにしても、どうしたって乳房全体に手を這わせようとしたら、意図せず中指が乳首に掛かることだって十分あり得るように、逆ゆっこが逆あかりの陰茎を触る際、そのとき根元・中腹・先端のどの部位を目がけるのかと言えば、それは陰茎の形状からして、どうしたって先端ということになるわけで、すなわちそれは亀頭ということになります。逆ゆっこは逆あかりの亀頭を触るのです。もういちど言います。逆ゆっこは逆あかりの亀頭を触るのです。逆あかりってなんですか。暗がりですか。
 さらに話を進めるならば、陰嚢は更衣室でゆっこ陣営が狙う対象ではないと考えた場合、ゆっこ陣営は更衣室という特殊な空間であかりのプライベートゾーンにいたずらをすることを目的とするわけだから、「水着で隠す部分がプライベートゾーン理論」の発展型として、「水着で隠す部分≒ゆっこ陣営が更衣室でいたずらする部分がプライベートゾーン理論」が提唱でき、だとすればゆっこ陣営の標的にならない陰嚢はプライベートゾーンではない可能性までもが浮上してくる。うすうすそんな気はしていた。陰嚢はたまたま(世界初のダジャレ)少しはみ出しているだけの、実は内性器であり、女性のヴァギナを掘削する凶暴性を持つ陰茎のような危険性および秘匿の必要性には該当しない。ましてやなにかを分泌する孔があるわけでもない。だから本当は、陰嚢の部分の水着の布地はなくてもいいのだ。肛門と同じく、そこはプライベートゾーンではないからだ。たぶん西暦2200年くらいの水着はそうなっている。昔はここも隠してたんだよ、と言って露出した陰嚢を持ち上げてみせる大人の言葉に、西暦2190年代生まれの少年少女はびっくりする。ウソだー! めちゃくちゃモサいじゃんよ! 昔の人たちはよくそんな恥ずかしい恰好で泳いでたもんだぜ! そんな平和な未来が訪れますように。この記事は、まさかの世界平和を願うオピニオンブログだったのだ。思想がいかつい!

2026年5月17日日曜日

記録・冊子・おもひで島

 3月から再開された今年度のプールライフで、「いちど穿いた水着はもう穿かないチャレンジ」をしている。つまり毎回ちがう水着で泳いでいるということだ。
 製作された水着は車内に置いてある専用のバッグに入れられ、プールに行く際はそこからその日の気分で1枚を選ぶ。そして遊泳に用いられると、その水着はもう車内には戻されず、家で待機となる。そういうシステムでやっている。これでいちど穿いた水着をもういちど穿いてしまうミス(たぶん世界で俺だけにとってのミス)は防げるが、さらに予防策として、遊泳後の着用姿を写真に撮り、その記録も残してある。これにより、どの日にどの水着を穿いたかというのも、必要になるかどうかは別として、明確にできる。
 ついでに言えば、月間記録表みたいなノートに、数年前から射精と水泳のふたつのデータを記録しているのだが、この水泳の書き込みに関して、その都度それが今年何回目の水泳であったかを記しておけば、それがすなわち穿いた水着のバリエーションということにもなるし、年末にわざわざ総計を数える手間が省けるのだと気づき、先日からそうしている。ちなみに今日現在までに、24回泳いでいる(つまり24通りの水着を穿いた)。3月1日から約75日でその数字なので、ほぼほぼ3日に1回のペースということになる。まあまあだな。
 射精に関しても、同じことをやろうと思えばできるのだが、もちろんしない。毎年とても盛り上がり、もはや年末年始の日本の風物詩と言っても過言ではない年精数の発表が、これをしてしまったらぜんぜんおもしろくなくなってしまうからだ。自分が何度射精したのか分からなくなるところに、射精の情趣はあるんだと思う。

 ファルマンの出身校に今春入ったポルガは、なんとファルマンのかつて在籍していた部活に入部したのだった。もちろん憧れの母の背中を追って、ということではなく、本人のやりたいことがたまたまそうだったというだけの話である。
 そんな部活動で、新入部員にとある冊子が配られた。初心者のための練習マニュアル的な、手書きのコピーをホチキスで綴じた素朴なものである。受け取ったそれを開いて内容を眺めていたポルガは、途中で「……おや?」と思ったらしい。
 これってもしかして……?
 そこで先輩部員に、これはいつ頃からあるものなのか訊ねたところ、2年生の、16歳のその先輩の答えは、たぶん何年か前じゃない? という不確かなものだったという。
 その日、帰宅して母にその冊子を見せたところ、母は「ひっ!」と言葉を失くした。
 それは今から約四半世紀前、ファルマンが上級生だったときに、主体的に作った冊子だったからだ。そのため文字やイラストは、ファルマンのものが数多くあった。だからポルガも気付いたのである。これはたぶん私の母が作ったものである、と。
 それが先月の下旬くらいの話で、ちょうど衣替えのタイミングだったため、押し入れにストーブを仕舞い、代わりに扇風機を取り出す際、ファルマンは奥深くに眠るパンドラの箱を開け、「これが元々のもの」と、見せてくれたのだった。なにをか。部に四半世紀に渡って代々伝わる冊子の、初版をだ。
 ふたつを見較べると、25年の間にある程度のブラッシュアップはなされたことが窺えるが、ファルマンの担当したページはけっこう残されていて、万感の思いが込み上げた。この万感は、エモさとキモさが、本当にちょうどハーフハーフで構成されている万感であった。25年の時を経て同じ学校の同じ部活に所属した娘にそれが届いたというのは、エモく仕立てようと思えばだいぶエモくなる気もするし、その一方でやっぱり絶対的にこれは気持ち悪い種類の話だろ、という気もする。簡潔に、思考停止気味なコメントを述べるとするならば、「さすがファルマン」というところになるだろうか。
 自宅で確認を取ったポルガだが、部活でこのことは打ち明けていないらしい。それはそうだろう。四半世紀、いまの上級生の先輩の先輩の先輩の先輩も、ずっとそれで練習してきたマニュアルの、作者の娘なのである。重すぎる。サラブレッドすぎる。隠しておいたほうがいい。そして上級生になった暁には、ポルガが主体となってこの冊子を刷新(ダジャレみたいになった)すればいいと思う。こういう伝統って、後の世代になると由来が不明だから誰も変えられなくなるわけで、それを気兼ねなくできるのは、この世でポルガだけだ。
 そしてそれがまた四半世紀受け継がれたりとか。

 なんと「トモコレ」を始めてしまう。趣向は、以前このブログに書いた通り、年齢別の僕ばかりがいる世界にした。それ以外のコンセプトでやろうとは思わない。
 昨日、最初に「パピロー(20)」を作り、今日「パピロー(25)」を作った。呼び名は、本名にしようかとも思ったが、もしかするとこのブログに画像などをアップすることもあるかもしれないという打算が働き、パピローとした。20歳のパピローは大学生なので金髪で髪が長めで、25歳のパピローは社会人なので髪は少し短めで黒い。ふたりは既に友達になった。友達になるにあたり、ふたりでどういう内容について話すかと問われたので、悩んだ末に「ファルマン」とした。それで意気投合した。ただし島にファルマンが現われることは決してない。完全に僕しかいない島にするつもりだ。もちろん誕生日はみんな9月20日だし、性別は男。そして恋愛対象は男性と女性の複数選択。さてこれからどうなっていくだろう。とりあえずなるべく1日にひとりずつ作っていこうと思う。しかし30代の自分がどういうキャラだったか、自分でよく思い出せない。おもひでぶぉろろぉぉんが間に合わない!

2026年5月16日土曜日

2009年を生きた25歳の僕を囲う会 ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 もう少し25歳の僕のことを語りたい。本当はがっつり2晩くらい語りたいのだ。そして語るにあたり、話し相手がいたらいいなと思う。そうしたらもっと盛り上がるに違いない。初めて推し活仲間の存在を欲したような気がする。SNSで募ってみようか。僕が好きな人と繋がりたい。でもたぶん手を挙げるのは僕だけだ。もしかすると広大なweb上には、僕じゃない僕がいて、僕と僕について語り合ってくれるかもしれないとも思う。
 さて2009年である。17年前である。日記を読んでいてふと気付いたのだけど、この時期、僕はまだスマートフォンを持っていないのだ。僕は、と言うか、日本でのiPhoneの発売が2008年からであり、いま対話型生成AIに訊ねたところ、2009年当時の日本のスマホ普及率はなんと1%ほどだったという。まだそんな時代だったのだ。そして普及率が1%ともなると、「持っていない」という言及もするはずがないので、逆に見落としがちになるけれど、この時代、人はまだ、対話型生成AIはもちろんのこと、LINEもGoogle mapもサブスクもない世界を生きていた。いまそれらのサービスが快適にやってくれることを、どうにかこうにか、わりと自力でやっていたのだ。なんだかすごい。大袈裟に言えば、それはもう現代じゃない。昔だ。これが平成レトロというやつか。応仁の乱、マジつらかったよね。
 こんな記述がある。

 ウォークマンが壊れた。パナソニックのSDウォークマン。それの初期のほうのやつだから、なんだかんだでかなり使った。直接ポケットに入れたり鞄に入れたり、扱いはぜんぜん丁寧じゃなかったのに、ずいぶんもったものだと思う。次に買うとしたらやっぱりipodなのかな。そもそもパナソニックはウォークマンやめたっぽいし。カセットやMDの世代として、意地でもSDに固執したい気持ちがあったが、でもそういうのの魅力ってなにかと言えば、自分で編集したベストソング集の入った記憶媒体を、友達とかクラスメイト同士でやりとりするみたいな、そういう点にあるわけで、こんなにもSDウォークマンが流行っていない状況ではそれがままならず、もちろん僕もこのウォークマンを使っていた数年間で、いちどもそんなことはできず終いで、だとしたらこれはただの、ipodほど便利じゃないポータブルプレイヤーに過ぎないので、どうしようもない。ちなみに故障具合は、充電はできるのだけど、パソコンに接続してデータを落とすことができない状態。つまり今SDに入っている曲だけでずっと満足するほかない。構わないよ。ある意味これは、飽きっぽい、音楽作品を使い捨てする、てめえらipod野郎たちへのアンチテーゼだよ。このウォークマンを使うってことは、まるでボロボロの学ランを羽織っているような気分だ。エリート私立校に転入してきたバンカラのような気持ちで、しばらくは街を闊歩したい。そしてそのうちipod買おう。
(「KUCHIBASHI DIARY 2009年8月25日)

 SDウォークマン! あった! 使ってた! なんという時代の徒花アイテムであろうか。ちなみにiPodの発売は2001年、miniが2004年、nanoが2005年なので、2009年当時、iPodは既にぜんぜん一般的なものだった(こうして見るとiPodとiPhoneって思っていた以上に間が空いているんだな)。そんな状況下でSDウォークマンを愛用していたというところに、僕をはじめとする僕推し連中のトークは大いに盛り上がる。酒が進む。
 先日、映画の「間宮兄弟」を観たのだけど、この中で塚地演じる間宮弟が、好意を寄せる人妻に自作のMDを貸そうとしたところ、人妻がおもむろにトップスの合わせを開いて、そこにはiPod的なシュッとした音楽プレイヤーが首から提げられており、なのでMDは必要ないし、さらに言えばあなたからの好意に迷惑している、ということを伝えるシーンがあった。おもひでぶぉろろぉぉんでこのあたりの記述を読んだのと、その鑑賞が、ほぼ同じようなタイミングだったので、これはとても劇的に印象に残った。ちなみに映画の公開は2006年である。2006年には既にMDは時代遅れになっていたし、ましてやSDウォークマンなどというものは、話の俎上にも上がらないのだった。
 ちなみにだが、僕が自分を含めた世代のことを「MD世代」と命名するのは、2009年よりもあとのどこかである。この時代にはまだその自認にたどり着いていない。愉しみだな。
 続いてこの話の顛末ということになるが、こんな記述があった。

 ファルマンからひと足早く誕生日プレゼントをもらう。iPod shuffle(4G)だ。小さい!
 音楽の入れ替えができなくなったSDウォークマンを固執して使うことは、結局あまりなかった。割とすんなりとiPodに移ってしまった。だってひと晩充電して50分くらいしか動かないんだもの。移るほかないだろう。でもpapiroのそういう柔軟さ、僕は好きだな。
 アップルストアで注文して今日届いたのだが、そんな今日にちょうどアップルのiPod新バージョン発表ニュースがあってびびった。幸いなことに僕のもらった4Gのシャッフルは、いちばんショックが少なかったんじゃないかと思う。8800円だったものが7800円になったようで、1000円分のショック。色が3色追加されたことに関しては、それでも僕はシルバーを選んだろうから被害はない。買うとき1Gと4Gで迷ったのだが、1Gにしていたら同じ値段で今日から2Gになったみたいだから、これは割と哀しかったろうと思う。とは言えその哀しさも、nanoにしていた場合ほどではないだろう。nanoはそもそも選択肢になかったが、本当にこのタイミングで買わなくてよかった。
 ところでアップルストアで購入したため、刻印サービスというのがあるのだ。と言うか割とそれにひかれてオンラインで買った面がある。入れた文字は言うまでもないだろう。「ファルマン I LOVE YOU」だ。嘘だ。「NAYAMUKEDOKUZIKENAI」です。クリップの鏡面部分、リンゴのマークの下らへんに刻印されている。素敵。Apple×NAYAMUKEDOKUZIKENAIの、世界にたった1台のコラボモデル。iTunesの操作はまったく解らなくてムカつくのだけど、大事にしてゆこうと思う。
(「KUCHIBASHI DIARY 2009年9月10日)

 iPod shuffle。やっと持ったかと思ったらshuffle。この青年はいったいどこまでひねくれるのか。なぜ素直にminiやnanoにしないのか。そんな性分では、これから先も生きるのが大変じゃないのか。青年の多難な前途が予期され(結果として確定し)、ひとり気を揉む。
 あとこれは過去の記憶媒体の話の際、絶対的に感じることとして、数字が小さい。1ギガとか2ギガとか4ギガとか、そういう話を大真面目にしている。いや、1ギガってすごいけどね。たぶん僕は最初の頃、128メガバイトのUSBメモリを、1000円以上とかの値段で買ってたからね、その頃に較べればもちろんすごいのだけど、それでも2026年の感覚からすると、ままごとのように思えてしまう。きっと今が異常なのだけど。
 あとこれも隔世の感として、日記の記述によると、なんか値下げ的なムーブがあったらしい。これも信じられない。アメリカの企業が、商品を値下げすることなんてあったんだ。もっとも2001年に発売された初代のiPod(5ギガ)のお値段は47800円とのことで、それの持つ機能のことを思うと、今の感覚からすればものすごく高いのだけど、それでも当時は十分にその価値があったわけで、物価というのは水物だな、としみじみと思う。
 このときのiPod shuffleについては、おそらくこのあとの26歳以降の日記でも、なんかしらの記述はあるだろう。それなりに使ったような気がする。当時は都内在住で、自転車や電車を利用していたので、僕だって移動中は音楽を聴いていたはずだ。ただしその頃どんなものを聴いていたのかは、まるで思い出せない。今はもう無きiTunesで管理していたはずだが、もちろん跡形もない。はかない。こういうときMDだったら、手書きの曲目のラベルシールがあるので、ちゃんと懐かしめるのに。
 あと話はがらりと変わるのだけど、こういう記述があり、おお、と思った。

 モーニングを読んでいたら福満しげゆきの妻が妊娠していて、うわあ、と思った。火曜日のアクションのほうで「次号重大発表!」となっていたから、<ドラマにでもなるのかな>と考えていたのだけど、まさか妊娠とは思わなかった。僕は「僕の小規模な生活」から入って、「僕の小規模な失敗」とかを最近まとめて読んだ人間なので、作者の冴えない青年時代がまだぜんぜん最近のことのように思えていて、作者が今ではアクションとモーニングで連載を抱えている割と売れっ子漫画家だ、というイメージをまだあまり掴めていなく、そのために奥さんが妊娠という発想がまるで浮かばなかったのだった。しかしめでたい。嬉しい。青年時代の冴えなさを漫画で見ているだけに、今週号のモーニングのしあわせな妊娠発表はよかった。きれいに人間讃歌が決まった感じで、もう最終回でいいんじゃないかとさえ思った。だって漫画の性質上、出産後は子どもと3人での生活が描かれるのだろう。それってなんか違う気がする。もちろん愉しみな部分もあるけど、子育てコミックエッセイでは違和感も大きい。さてどうなるのかな。
(「KUCHIBASHI DIRY 2009年9月2日)

 福満しげゆきは、もうすっかり子育てコミックエッセイの印象の人になっているので、そうなりそうなことに違和感を抱いていることに、とても違和感を抱いた。そうか。ならばもしかしたら、福満しげゆきの原理主義者みたいなのがまだこの世には残存していて、現在の子育てコミックエッセイに対し、忸怩たる気持ちを抱いているのかもしれないな。
 あとこんな記述も感慨深かった。

 今日は作業的な労働をやって、その際に埃対策としてマスクが配られたので着けたのだけど、そうしたらマスクが非常に臭くて往生した。あんな狭い空間で息を吸ったり吐いたりして、唾が飛んで唾液が攪拌されたら、それは臭くもなろう。後半など大便のようなにおいさえしはじめ、なんだか哀しくなった。(たぶん)僕の口は基本的には臭くなくて、でも空気に触れた唾液にはどうしたって若干の臭さはあり、その小刻みのジャブがマスクの繊維に蓄積してゆくことによって、強烈ストレートな大便の臭さに昇華された感じだった。インフルエンザ予防って言ってあいつらみんなこんな大便のにおいを嗅いで生活してんのな。ありえんわ。臭さに呼吸が整わず、意識が朦朧として、体調が崩れるかと思った。やはりマスクの奨励には大いに欺瞞を感じる。
 それとファルマンの歯痛が続いていて厄介だ。痛くて眠りが浅かったりもするようで、「じゃあ痛み止めの薬を飲めよ」と僕は言うのだが、「薬はなるべく飲みたくない」と拒み、その一方で「インフルエンザが怖い」とか言うのだからどうしようもない。結局ファルマンは僕の言うことはぜんぜん聞かず、どこの馬の骨が書いたか知れないネットの意見ばかりを信用する。
 昨晩など寝る際に歯痛対策として「枕だと頭が高すぎて顎に負担が掛かるからタオル程度のものを敷いて寝るとよい」みたいな阿呆な記述に騙されたらしく、実行していて、そしてそれはどう見ても寝心地が悪そうで、ムカついたのでタオルを没収して枕を置き、ついでに痛み止めの薬を飲ませて寝かせた。インフルエンザが怖いのならどうか安眠して万全の体調でいてほしい。どうか軽薄な矛盾した行動は取らないでほしい。
 ちなみにファルマンの会社ではインフルエンザ対策として「人ごみに近付くな」というお触れが出ているそうで、それには販売業の人間としてひどく憤りが湧いてくるのだった。「地球最後の日になにがしたい?」「最高級フルコースが食べたい」みたいな、誰が地球最後の日にお前に料理なんか作るよ、という厚顔さを感じる。高速道路無料化に反対する「高速道路を使わない人間の税金も使って賄うのはおかしい」論法の、じゃあもうお前は近所の牧場に行って肉をもらい近所の畑に行って野菜をもらって、地方産のものは一切享受せずに生活しろよ、という感じにも近い。その人が強欲で奔放なキャラクターを標榜するならまだしも、「人ごみに近付くな」も「最高級フルコース」も「高速道路を使わない」も、正論のようにいけしゃあしゃあと、なんかしらのことを自分は言っているみたいな顔で唱えるから嫌だ。
(「KUCHIBASHI DIARY 2009年9月15日)

 2009年はまだ、(ほぼ)スマホ前だし、東日本大震災前だし、コロナ禍前である。
 この正義の青年は、ここから干支ひと回りの12年間くらいで、とてもさまざまな体験をし、そのたびに世界に対し、義憤に駆られたり、諦観したりする。そして結果的に、「この世で自分しか愛しくない」という境地へと達する。おもひでぶぉろろぉぉんはその軌跡をたどる旅。愉しい。こんな愉しいことが人生に待ち受けていただなんて。解る。俺もそう思う。俺も。俺も。俺も。よーし、じゃあ改めて乾杯だー。ウェーイ。

2026年5月11日月曜日

25歳の僕賛歌 ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 ずいぶん長く一緒にいた25歳の僕と、とうとう別離した。
 一抹の寂しさがある。もちろんその次の記事からは26歳の僕が現われていて、そして26歳の僕というのは、25の僕に対して、まったくの別人ということではなく、実は同一人物だったりするのだが(ネタバレだけども)、しかし当時の日記を書いている僕が、本当はみんな同一人物で、すなわち現在の自分もまたそこに含まれるのだと考えると、僕はひとりぼっちということになってしまい、それは寂しすぎるので、やっぱり年齢で区切って、小学5年生のタエ子のように、僕は25歳の僕から26歳の僕へとパートナーを替えたのだと考えたい。未来の僕は、過去の僕に対して、圧倒的に強い立場にあり、どれほど相手をしてやるかの裁量は完全に委ねられている。やろうと思えば、とっかえひっかえできる。であればこそ、身勝手にぞんざいに扱うのではなく、気が済むまで慈しんでやりたい。実際、びっくりするくらい愛しい。過去の自分の愛しさ、半端ない。抱きしめてやれないのがもどかしい。
 25歳。24歳の最後のほうに入籍をしたので、既婚者としての人生がほぼここから始まっている。ちなみに26歳の5月にはファルマンの妊娠が判明し、実際のポルガの誕生は27歳になってからとは言え、やはりその時点で父親になる路線は確定したわけで、だとすれば僕の人生で、子を持たない既婚成人男性という肩書を持つのは、25歳の僕だけだということになる。そういう1年だったのだ。25歳の僕の特殊性は、そういう部分にあるのだろう。
 西荻窪のレンタルボックスでヒット君人形などを販売したのも25歳の出来事で、いま振り返れば貴重な体験であったと思う。「月刊少年 余裕」という同人誌を作ったのもこの時期。「月刊」はもちろん最初からジョークのつもりだったが、数ヶ月や、あるいは数年後くらいには、2号3号を作るだろうと思っていた。思っていた以上に作らなかったな。見切り発車でスタートし、期せずしてそれまでの日記活動の振り返りのようになったTシャツデザイン企画もあったし、「puropedia」も立ち上げ、さらにはブログの製本もした。もともとその兆候はあったが、どうもここらへんで僕の自己愛は躍動しはじめたようである。42歳の僕が25歳の僕を愛でるように、25歳の僕は20代前半の僕のことを愛でていた。
 8月31日の日記にこうある。

 製本日記を読んでいたら、昔の自分が、本を読めなくなってきている自分を憂い、その原因をこの日記にしていた。曰く、毎日ここに文章を書かなければならないから本を読む時間がなく、アウトプットばかりでインプットがまるでないから、このままでは自分は薄っぺらな人間になってしまう、ということだった。若い。「インプット」「アウトプット」という言葉が大学生っぽくて恥ずかしい。
 その頃よりもさらに本を読まなくなった現在の自分から、当時の自分へのメッセージとして、「自分」というのは必死に本を読んで保たれるような、そんな薄っぺらいものではなく、むしろアウトプットすればするほど、世界で他の誰も研究していないpurope★papiroという人格は掘り下げられ、そこから無限のインプットが生まれてくるのだ、と言いたい。
 言ったら23歳の僕はドン引きするだろうな。
 約3年後の俺、どんだけ自分のこと好きなんだよ、と。

 さらに次の日にはこうも書いている。

 つまりインプットっていうのはなにかを「入れる」ことではなくて、自分の中に「入る」ことなんだよ、っていううまいことを昨日の記事をアップしたあとに思いつき、眠る直前のファルマンにパピロートークしたら、「かんめーをうけた……ZZZ」と言ってくれたので、こうしてわざわざ書いた。

 まず間違いなく26歳のファルマンは本当には感銘を受けていないのだけど、そんな若い夫婦の閨を覗き見ている(ドラえもんのタイムマシンの穴のようなものから見ている)42歳の僕は、きちんと感銘を受けた。そうは言っても書店員だった当時に較べ、いまの僕はさらにさらに本なんか読まなくなっている。もはや書籍なんて二次元ドリーム文庫しか読んでいない。でもなんの問題もない。その根拠はまさにこのときの理論にあって、インプットなどしなくても、僕には人生で使い切れないほどの資源を蓄えた沼へ、日々イントゥプットしているので、よそから持ってくる必要などないのだ。この考え方は、25歳に確立していたのか。
 続いて9月8日の日記。

 そもそもpuropediaを作りはじめたところらへんがその序曲だったと思う。なにしろweb2.0の最大特徴というのは「集合知」だった。みんなで知識やデータを持ち寄って、wikipediaなりYouTubeなりの巨大データバンクを作り上げる時代、それが2.0ってことだったろう。だからそれに対してのpuropedia。パピフェス。宇佐木学園ぴょんぴょんブログ。
 一向に全貌が明らかにならない宇佐木学園ぴょんぴょんブログだが、実を言うとこれは架空のブログであり、ガーターリングテイオクオフショーツソックスやランジェリー期末試験など、学校にまつわる言葉がこのクチバシダイアリーで出た際、「あはっ、これ宇佐木学園ぴょんぴょんブログの校則にしようっと」と言うときに名前だけ登場する、そういう存在なのである。
 このブログは新しい。画期的だと思う。ブログと言いつつ実はブログじゃないのだ。幽玄の存在。web2.0とか3.0とかそういう次元じゃない。だってweb上には存在しないブログなのだ。それは僕の心の中にだけある。こんなブログ見たことない。でもあるいは逆に、誰もがこんなブログを抱えて生きているのかもしれない。みんな誰かの愛しいブログなのかもしれないね。
 そんなわけで、webマイナス3.0、開幕です。

 web2.0って懐かしい。3.0ってあったの? SNSとか? それとももうあんまりそういう言い回しはしなくなったのだろうか。ともあれ、僕はここでマイナス3.0を宣言し、存在しないブログを存在させ始めた。この時点で既にブログを作りすぎていて、リストカットを繰り返す人が痛覚をなくすように、尿道が緩い人が小便を漏らしていることを知覚できなくなるように、もうブログを作る感覚が狂ってしまったらしい。
 宇佐木学園ぴょんぴょんブログは、はじめ存在しないブログとして存在していたのだ。そのことにびっくりする。なぜなら、そのブログは2026年時点で、実際に存在しているからだ。虚構がいつの間にか現実になっているから、webマイナス3.0はやっぱり幽玄の、量子論的な、存在と不在が遍くマーブル状に入り乱れる、捉えづらい観念なのだと言える。
 25歳の僕は、宇佐木学園ぴょんぴょんブログの実体を持たなかった。26歳になった瞬間、僕はそれを持った。なぜならそれは、25歳の僕が、「いろいろ一生懸命がんばった25歳の自分へのご褒美として」自分に贈ったものだからだ。自分と言いつつ、25歳の僕から26歳の僕へのプレゼントなのである。25歳の僕はそんなことまでしたのだ。愛しすぎるだろう。

2026年5月6日水曜日

2026GW


 5日間のGWが終わろうとしている。
 しっかり堪能したかと言われると、「あたぼうよ!」とは言いづらいが、ぜんぜんよくなかったかと言えば決してそうでもなく、まあ順当なところに落ち着いたかな、という感じだ。毎年だいたいそんな感じ。ちなみにGW開始前の記事で宣言したように「おもひでぶぉろろぉぉん」をやって、無事に26歳ゾーンに突入したのだが、まさにその誕生日あたり、というのも僕の誕生日はシルバーウィークと呼ばれる期間中に在ることが多く、2009年もまさにそうだったのだが、世間では今年のGWと同じ5連休が展開されたらしい。しかしながら当時書店員をしていた僕は、その5日間中、4日間出勤していたのだそうで、それ以降も、わりと転職をちょいちょいしてきたので、世間一般の大型連休が自分にとっては大型連休ではない、という境遇に身を置いていた時期は少なからずあり、その頃のことに思いを馳せるたびに、今回のような5連休に対し、「まあ順当なところに落ち着いたかな」などとホザいている自分のことをふがいなく感じたりもする。われながら面倒くさいな。
 今年、具体的にどんな感じで過したかと言えば、もちろん遠出はせず、いつものように義妹一家は帰省してきたので、それらや実家の面々とともに、海に行ったり、山に行ったりした。海にも山にも、などと言うと張り切った大レジャーをしたかのように聞こえるが、なにぶん、海も山も、近いのである。そう考えれば贅沢な話なのかもしれない。都会人にとっての大レジャーが、我々にとっての「近場で済ます」なのだから。
 あと今回のGWのメインイベントとして、義両親の古希の祝いがあった。誰が主導で言い出したかと言えば、だいぶ義両親自身からの働きかけがあったような気配だったが、日取り決めから場所決め、プレゼント決めまで、実は春先からこの日まで、長女であるファルマンを中心に、まあまあ煩わされていた。「煩わされる」はだいぶ言葉が悪い感じがあるけれど、しかし祝う気持ちがないわけではもちろんないのだが、いかんせん面倒が勝つのだった。大所帯だし、なにより義両親の祝われたさが強い。そのあたりの問題に、いろんな面で折り合いをつける必要があり、長女の夫としてもまあまあ気を揉んだ。
 結局、わりと実家の近所にある、隠れ家的な和食の店で昼餉の祝いとなった。まあ悪くなかったんじゃないかと思う。もっともこういうものは、成功とか失敗とかそういう尺度の話ではなく、とにもかくにも、やることに意義がある。オリンピックと一緒。勝つとか負けるとかじゃなく、参加することが大事。人との繋がりって、得てしてそんなものかもしれない。
 個人的な活動を言えば、おもひでぶぉろろぉぉんについては序盤でも触れたが、とうとう26歳に突入した。なので25歳の日記を読んで思ったことを、いろいろ書きたい。これは順次やっていこうと思う。水着作りは、GW用に仕入れた生地で、きちんと自分用と販売用の2枚ずつを作り上げた。しかしすぐに販売は開始できない。なぜできないのか。これについてもまた別の記事で改めて書こうと思う。
 まあそんな感じで、平穏と言えば平穏に過したGWであった。季節は移ろう。カエルの鳴き声がうるさい。陰毛を全て剃った。

2026年4月3日金曜日

永遠の蛹 ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 ファルマンが43歳になった。
 僕はまだ42歳で、そしておもひでぶぉろろぉぉんの僕はいまだに25歳のままである。本当に、25歳の僕とこんなにずっと一緒にいることになるとは思っていなかった。
 でも、どうして25歳なんだろう。

 日曜日の短めの労働の出勤と同時にファルマンも出発する。してしまう。これで労働から帰宅してもファルマンはいない。ファルマンおらんて。意味わからんしマジで。
 労働しながらファルマンからメールが来、無事に新幹線に乗っただの岡山に着いただの報告を受ける。そして僕の労働が終わる3時前に、無事に出雲市に到着したという。いいなあ、出雲か。俺も行きてえよ。外国生活が長かったフリして義妹にCHUしてえよ。
 誰もいない家に帰るため、駅から歩く。
 道の途中で、手負いの鳩に2匹のカラスが襲い掛かるという、都会における最大級の劇的シーンが展開される。こんなの初めて。住宅街だったため僕以外に人はいなく、僕の3メートル横くらいでそれは激しく展開された。カラスが肉をつついてくるのか、鳩が激しく抵抗し、鳩の羽が何十本も道路に散った。なぜこのタイミングでこんなことが巻き起こるか。ファルマンが家にいたら帰ってすぐにしゃべるのに、家には誰もいない。どうしようもない気持ちで走って逃げた。
 走っていたら夕立に遭う。ぽつぽつと降り始めた雨が、みるみるうちに勢いを増し、ガーッという音がするほどの雨になった。家まであと200mくらいの地点でそうなったので、しょうがなく全力疾走した。200mダッシュ。マスターベーションの疲労感か。皮肉なことに、カバンのなかには買ったばかりの今月の純粋理性批判が3冊入っていた。これが重い。重いエロ小説を抱えて、マスターベーションと同等の疲労感を獲得する俺。もちろんそれなりに身体を濡らしながら。
 そして帰るとファルマンがいない。さんざんだ。
(KUCHIBASHI DIARY 2009年8月9日)

 入籍が08・08・08なので、結婚1周年という時期である。ファルマンは夏休みに入り、出雲へと帰省する。僕は異様に寂しがっているが、なんのことはない、この3日後には僕もまたサービス業の短い夏休みながら、出雲へと赴くのである。
 25歳の僕は、なんだかやけにアンニュイで、か弱い。精神性はそこまで変わっていないような気がしていたけれど、この頃に較べれば、いくらかはふてぶてしくなったようだ。さすがにそれはそうだろう。42歳にもなって、25歳の頃と同じセンシティブさを保持し続けていたら、それはだいぶ厄介なことに違いない。もっとも、じゃあ威厳だったり貫禄だったりが備わったのかと言えば、決してそんなこともないと思う。ただ世界に対して、達観したというか、開き直ったんだと思う。じゃあそれはどのタイミングだったんだろう。それを探るのも、おもひでぶぉろろぉぉんの目的のひとつかもしれない。
 それにしても、あまりにも25歳の僕と長く一緒にいたので、いよいよやけに愛しくなってきた。こんなことを言うと、24歳の僕や26歳の僕は拗ねるかもしれない。でも24歳の僕も、26歳の僕も、そして42歳の僕も、みんな僕だ。僕が何歳かの僕を愛しく思うということは、それは結局のところ僕という総体を愛しく思うということだ。
 この半月ほど、日記と少し距離ができていた。年始から続けていた毎日投稿も、3月の中旬で途絶えてしまった。20代の頃はやけに毎日日記を書いていて、そのさまは「ひたむき」と言うほかなく、なんだかきらめいて見える。そのおかげで僕は日々とても愉しませてもらっている。毎日投稿がままならないということは、今の僕は日記を書くということに対して、往時のひたむきさは持ち合わせていないということであり、時間は有限だから仕方ないとは言え、少し義理を欠いているような後ろめたさがある。この原因としては、裁縫や筋トレなど、昔はしていなかった趣味に目覚めたというのもあるし、書こうとするたびに必ず目に入ってしまう、それまでに投稿した記事の閲覧数が、それぞれ3とか4とかしかないことに、モチベーションが奪われるというのもある。しかも3や4のうち、ファルマンが(読んでくれれば)1回で、あと僕が投稿した直後に自分で1回、次の日に昼ごはんを食べながらもう1回読んだりするので、このブログはいよいよほぼ誰にも読まれていないということを意味する。読まれるために書いているわけではない、というのは、志としてはたしかにそうなのだけど、実際の心はそこまで強靭ではない。どうしても萎えてしまう。
 しかしつい先日、このような境地に至った。
『僕は僕のために日記を書いているのではない。僕は僕のために日記を書いているのだ。』
 日々時間を割いて日記を書くことは、僕のためになるとは言い難い。限られた時間は奪われ、しかもワールドワイドウェブに公開しているのに他者が読んでくれるわけでもない。現状、書くことでなにかが満たされるということはまるでない。しかしそれでも僕が日記を書くことで、確実に喜んでくれる存在がひとりだけいる。僕である。42歳の僕が25歳の僕の日記を読んで愛しく思うように、42歳の僕が書く日記を、いつかの僕は必ず読んで愛しく思ってくれる。これは確かな保証である。さらに言えば、逆に25歳の僕もまた、42歳の僕も日記を書いていることだろうと思っているに違いなく、だとすれば25歳の僕の一部分は、42歳の僕の日記への愛しさでできているわけで、もちろんそれは25歳と42歳に限らず、すべてのあらゆる僕と僕が密接に呼応して、すべてのあらゆる僕と僕を形作っているわけで、だとすれば僕という人間は、どうやらあまりにも僕なんじゃないか、ということを喝破した。
 日記を毎日書いても僕だし、毎日は書かなくても僕。どう転んだって僕なのだから、引け目など感じず気の向くままに振る舞えばいいのだ。そんな地点にたどり着いた42歳の僕を、他の全僕が拍手している。僕もまた君たち全員に拍手を返したい。

2026年3月5日木曜日

フェーズとプレース ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 2009年7月。3月に結婚式を済ませた、25歳と26歳の、新婚夫婦である。

 短めの労働を終えたあと、最寄駅まで帰ってきてファルマンと合流した。正午から美容院で縮毛矯正をやってもらっていたファルマンが、こちらがちょっと待ってようやく終わる。4時間もよくやるものだ。仕上がりは「ほほう」という感じ。縮毛矯正直後っていつも「ほほう」という感じになる。
 帰宅して、ふたりともお腹がぺこぺこだったので、半端な時間だが冷やし中華を作って食べる。ビールが冷やしてなかったので飲めなかったのが残念だったが、麺はおいしかった。
 食べたあとちょっと昼寝をして、起きてから都議選の投票に行く。
 直前まであんまり行く気がなかったのだけど、起きたら頭がちょっともったりしている感じがあったので、じゃあ散歩ついでにせっかくだから行くか、となる。
 家から5分ほどの場所にある小学校が会場だった。投票をつつがなく終えて帰る。
(「KUCHIBASHI DIARY」 2009年7月12日)

 子どもがいなかった当時は、ファルマンはまだ縮毛矯正とかやっていたのだ。隔世である。ちょうど昨日、ファルマンと子どもたちはショッピングモールに出かけ、子どもたちはドラえもんの映画を鑑賞し、その間にファルマンはモール内にある簡易な理容院で髪をちゃちゃっと整えてもらって帰ってきた。そして近々白髪染めをする予定らしい。
 フェーズというのは、こうも変化するものか。そして縮毛矯正をするとかしないとか、そういう次元の話以前に、いまのファルマンは、もう美容院という空間に4時間い続けることが、精神的にできないだろうとも思う。ファルマンは出産後から家で働くようになって、本当に外の世界が苦手になった。もうその印象が長いので、ずっとそういう人だったような気がしていたが、OLだった当時は縮毛矯正をする意欲があったし、そのためならば美容院に4時間い続けることもできたのだ。
 そしてフェーズも違うが、プレースもまた大きく異なる。都議選! そうか、かつて我々は都民として、都議選の投票に行ったことがあったのか! 都議選なんぞ、いったい誰に投票したのだろう。都議会のなにを知っていたというのだろう。ちなみにだが、2009年当時の東京都知事は、石原慎太郎であった。石原慎太郎! 名前を聞いただけで、ぶわっと昭和の香りが立ち込める。しかし石原慎太郎は2012年まで都知事だったそうなので、ポルガが練馬で生まれた際の首長は石原慎太郎だったのだ。令和の申し子のような顔をしているが、お前だってまだまだ昭和の、大橋巨泉とか、山城新伍とか、そういうものの気配が残っている時代に生まれたんじゃないか。あまり大きな顔をするもんじゃないよ、と思った。
 それにしたって25歳。17個下。現在のポルガが15歳。その10個上。なんかおかしい。なんか捻じ曲がってないか。俺、30代あったっけ? 30代の日記、ちゃんと10年分、あるのかな。おもひでぶぉろろぉぉん、これから愉しみだな。

2026年3月3日火曜日

拝啓25の君へ


 17年前の自分の日記の絞り汁の養分で生きている、と昨日書いたけれど、実は「おもひでぶぉろろぉぉん」をそんなにやっていない。本当にずっと2009年にいる。25歳の僕が、いつまでも26歳にならない。先週末、ファルマンの上の妹の一家が、こっちで車を買って、その受け取りのために慌ただしく帰省していて、少しだけ邂逅したのだけど、その娘の下のほう、つまり幼児のほうは、GWのあたりが誕生日なので、「次に何歳になるんだっけ?」と義妹に訊ねたら、「4歳」とのことで、早いなあ、とも思ったし、若いなあ、とも思ったが、3歳児が順調に年を重ねるのに対し(3歳児以外も重ねるが)、25歳の僕は本当に年を重ねない。もはや永遠の25歳だ。永遠になるのだったら、25歳でなく、別の歳のほうがよかったような気もするし、その一方で、たしかに25歳こそ永遠に残すにふさわしい年齢だな、とも思う。
 別にもったいぶっているわけではなく、早く26歳の僕にも出会いたいのだが、なかなか作業は進まない。この理由はなにかと考えて、それは過去の日記を読んでいて、センサーに少しでも引っ掛かった部分は、「おもひでぶぉろろぉぉん特設サイト ~フレーズで振り返る20年の歩み~」にコピペする、という作業があるせいだと気づいた。これがあるがために、すきま時間に気軽にスマホで読み進めるということができないのだ。なので撤廃ではないけれど、とりあえずこの作業のことは放り投げ、これからは読み進めることに注力しようと思った。読んで、心に残った部分、語りたくなった事柄は、これまでのように「おもひでぶぉろろぉぉん」として思いの丈を綴ればいい。そうすることにする。
 なのでこれからは「おもひでぶぉろろぉぉん」の割合が増えていくと思うし、26歳の僕にもすぐに会えると思う。26歳の僕は、25歳の僕よりも、少しだけ大人だと思う。意外とね。

2026年2月12日木曜日

抱きしめたい ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 おもひでぶぉろろぉぉんで「KUCHIBASHI DIARY」を読んでいたら、こんな記述が出てきたのだった。

 柄にもないことをしてみる。メールフォームの設置だ。
 左のサイドバーにある。これはこのKUCHIBASHI DIARYのほか、俺ばかりが正論を言っている、STITCHTALK、NAYAMUKEDOKUZIKENAIに共通のもの。つまりこれによりどのブログからも僕と交流を持つことが可能となった。やったじゃん、みんな、夢かなったじゃん。
 メールフォームでは自由選択で好きなブログを選ぶ項目があって、上記の4つに「うわのそら」を足した5つから複数選択できるので、みんなどしどし「うわのそら」以外の4つにチェックを入れて投票したらいいと思う。本当に待ってます。
 パピロウってネットでの交流を拒んでる感じだからメッセージとか感想とか別にいらないのかな、ってみんな勘違いしてると思うんだけど、言っとくけど僕は褒められるの大好きだからね。ミクシィやってる人の5万倍は好きだからね。なのでみんな褒めちぎればいい。ちぎってちぎって、世界は分断され、小さな政府が濫立すればいい。たとえばcozy rippleトップページのモジャジャかわいい、とかでいいのだ。これは誰も言ってくれないから俺ばかりが言っている。俺ばかりが正論を言っている。暇さえあればトップページを眺め、モジャジャかわいいってステッチトーク(ひとりごと)してる。なやむけどくじけないよ。
 ちなみに返信はJCかJKでもない限りしないです。甘く見んな。
(KUCHIBASHI DIARY 2009年7月6日)

 慌てて確認したところ、たしかに「メールフォーム」というリンクがあって、クリックしてみたら、FC2のそういうサービスのページに飛んだ。まだ生きていたのだ! なんかすごくびっくりした。そう言えば、コメント欄とか、web拍手とか、読者からの反応を求める試みを、もはや20年を超えたブログ人生の、前半期はわりとやっていたように思う。でも途中からすっぱりその発想は捨てた。山之辺と一緒だ。冷凍睡眠の人が目覚めるのを5000年間、愉しみに待っていたが、5300年目に山之辺が蓋を開けたら、中身は粉々に砕けていた。それ以降、山之辺はとうとう人間という存在から逸脱する。そんな感じだ。
 試しにすべてのブログにチェックを入れて、メッセージ欄に「大好きだよ」とだけ記して送信してみた。しかし送信先のアドレスがなんだったのかももはや思い出せず、確認することさえできない。願わくは、いま僕の送ったメッセージが、web空間上の時空を超えて、2009年の、メールフォームを設置したばかりの希望に満ち溢れた僕のもとに、届きますように。2026年の僕は、2009年の僕のことが、大好きだよ。強く抱きしめたいよ。もっとも2026年の僕はJCでもJKでもないので返信はないだろう。JCとJKの親ではあるけれども。

2026年1月2日金曜日

降り積もるおもひでぶぉろろぉぉんとブログの夢


 目が覚めたら一面の銀世界であった、というほどではないけれど、ほどほどに白くなる程度には雪だった。幸い、別に用事はなにもない。大掛かりな買い物は明日や明後日に行けばいいので、家でおとなしく過すことにする。ちなみに初夢は、なんかしら見て、本式に起きる前の明け方、布団の中で、あれが初夢かー、地味だなー、という感想を抱いたのは覚えているのだが、あまりに地味すぎたのか、もうぜんぜん覚えていない。
 昼ごはんはおにぎりと味噌汁と少々のおかずという、地に足のついたもの。大みそかと元日のあとは、いつもこういうものが食べたくなる。4日ぶりくらいにごはんを炊いた。
 午後、子どもたちがやはりいとこと雪で遊びたがったので、実家に連れていく。ファルマンは雪道の運転に不安があるということで、送迎だけしてやることに。
 戻ったあとの自宅ではひとり、裁縫や、おもひでぶぉろろぉぉんをして過した。最終回を宣言できていないブログもいくつかあるものの、最近ちゃんと活動していたものを中心に、基本的にブログは全て収束させたわけだが、ただし「おもひでぶぉろろぉぉん特設サイト ~フレーズで振り返る20年の歩み~」に関しては、これはもともと「プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ」の報告対象外であったし、性質上どうしてもこの「OREGAYO」と一緒にするわけにはいかないので、このままの形を継続していくことになる。もとよりあれはブログというより、自分の作業のためのデータ置き場的なものだ。
 ちなみに今日読んだ「KUCHIABSHI DIARY」の2009年6月の記事の中で、雑誌「SEVENTEEN」の水着特集について触れている箇所があり、それによるとこのときの、2009年7月号の水着ページのモデルは、桐谷美玲、波瑠、武井咲という3人だったそうで、いま考えるとなかなか豪華なメンツだと思う。もちろんもう手元にないのだが、2026年のいま、ずいぶん価値が出ていたりするのではないかと検索したら、あまりそんなこともなかった。ついでに、綾瀬はるかが表紙モデルだった「電撃姫」(2002年7月号)はどうかと見てみたが、これも思ったほどではなかった。そういうものか。
 夜になって、今回の収束で最終回を迎えた各ブログに、「(ブログ名)は「OREGAYO」に収束しました」という記事を投稿する。そんなのはぜんぜんするつもりでいなかったのだが、ファルマンに「絶対にしなければダメだ」と言われ、やった。やってから、そうか、僕は拡散した各ブログへは、誰もが必ず「プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ」を経由して来るものだと思っていたから、そこにさえ新ブログのリンクを貼っておけばそれで済むと思っていたが、それは想像力の足りない自分勝手な考えで、全ての人が作者の思い描くシステムどおりに動くはずはなく、「おこめとおふろ」だけをブックマークしている人もいれば、「nw」にweb検索でたどり着く人もいる。その人たちは、「プロペ★パピロウのブログ投稿報告ツイートブログ」に行かないことだって十分に考えられる。だから各ブログの最上部に新ブログへの案内は絶対に必要なんだ、と気づいた。まったくブログに造詣の深い妻はありがたい存在だな。