2026年10月24日土曜日

セパドロ曲紹介 3 「里獣」





里獣

 

 熊が出たぞー 熊が出たぞー

 まさかこんな市街地に 熊が出るとは思ってなかった

 カウンター席だけの ひとり焼肉専門店

 お好きな席に座った熊が 届いた肉を次から次へ

 ろくに焼かずに どんどん食べる

 冬眠明けで 空腹なのか

 タッチパネルであれもこれもと

 いろんな部位を 選んで頼む

 タン ミノ ギアラ レバー ハツ

 ホルモン系が お気に入り

 ごはんは食べず ひたすらお肉 

炭水化物は抜いているのか

少し寂しそうな目

 

猿が出たぞー 猿が出たぞー

まさかこんな住宅街に 猿が出るとは思ってなかった

その一角にひっそりと たたずむ隠れ家レストラン

予約を入れてたらしき猿 うやうやしく座席に着くや

オーガニック食材 ぱくぱく食べる

意識の高い猿なのかしら

ヒゲの店主が 庭で育てた

ルッコラ ケール アーティチョーク クレソン エシャロット

少々クセのある 葉物

 バナナのバの字も出てこない

でもコーヒーを飲みながら

少し寂しそうな目

 

狼が出たぞー 狼が出たぞー

まさかこんな繁華街に 狼が出るとは思ってなかった

場末も場末 戦後のバラックのようなスナック

慣れた様子で入店する狼 「おかえり」とママの呼びかけ

キープのウイスキー ちびちびやって

翳りを見せるロンリーウルフ

ママがちゃちゃっと作って出した

焼きそばなんかも黙って食べる

狼として生きない

選択肢もあったような

あるいはなかったような

少し寂しそうな目

 

里に下りた獣たちが

往々にして一様に

時おり見せる

少し寂しそうな目



〈コメント〉
 異色作である。前作の「モール」でセイントパリンドロームの方向性が定まったという話をしたが、それでいうと今作は、セイントパリンドロームというアイドルが唄っていい領域を拡張する効果があったのではないかと思う。初期の段階でこれを出していたことによって、セイントパリンドロームは基本的になにを唄ってもいいんだ、女の子視点の恋愛だったり青春だったりのキラキラソングだけに限らなくていいんだ、という心の余裕ができたように思う。最初期という、まだ領域が未確定の早い段階でこれを出したのが本当によかった。10曲くらい作ってからではこれは出せない。そういう意味でとても重要な役割を果たした一曲だと思う。ただしその性質ゆえか、再生回数は群を抜いて低い。まるで、ここは俺が食い止めるからお前らは先に進め、みたいな奴だなと思う。いい奴だ。いつか報われてほしい。
 ちなみに読み方は「さとけもの」である。造語である。造語だよな、別にそんな言葉ないよな、といまさらになって気になり、「里獣」で検索をしたところ、けもの偏に里は「狸」である、という結果が表示された。なるほど、狸か。狸を出す発想はなかったな。でも狸だとそのまま「平成狸合戦ぽんぽこ」になってしまうしなあ。まあ「平成狸合戦ぽんぽこ」については思い入れがだいぶ強いので、「思ひ出ぽろぽろ」と併せて、いつか曲にできればいいな、とぼんやり考えている。
 AIが人類を超える、などと言っている21世紀の現代において、一方で熊の出没被害について声高に叫ばれている、というのが、前々から本当におもしろいと思っていて、今作はそこらへんの発想からスタートしている。最初は3種の獣を並べるという発想はなくて、熊のことを全編にわたって描くつもりだった。もはやうろ覚えだが、なんか焼肉屋の会計をバーコード決済する、みたいな情景を綴ろうとしていたのだった。でもぜんぜんおもしろくならなくて、いまの形になった。いい判断だったと思う。さすが俺だな、としみじみと思う。

2026年10月21日水曜日

ふまじめ枕・平日休み・無反応


 枕を変えたのに起きた時が一日でいちばん首が痛い状態が続いていて、そんなはずないだろうと信じられない気持ちだったのだが、今日になって原因が判った気がする。
 俺は枕を不まじめに使っている。
 今回買ったような、首のカーブに沿うようになっている枕って、横から見たとき、極端に言うとM字になっているだろう。真ん中の窪みに後頭部を乗せて、上方の盛り上がりで頭頂部を、そして下方の盛り上がりで首のカーブを支える。それですごく全体にフィットするようになっている。そういう仕組みだ。
 そんな枕に僕は、どうやら椅子にとても浅く腰掛けるように、首のカーブのための下方の盛り上がり、ここに頭頂部をちょこんと乗せて、それで寝ている。ぜんぜんダメ。首のカーブのためにわざわざ盛り上げている部分に、あろうことか頭頂部を乗せているのだから、頭頂部から下は敷布団まですごい角度でまっすぐ突っ張る形になる。そもそも首の調子を崩しているのに、そんなふうにして寝たらどうなるか。いててて、ってなるのだ。
 もしかするとこれまでもそうだったのかもしれない。くたびれたのを理由に見限った先代の枕でも、同じことをしていたのかもしれない。思えばあれにだって一応の凹凸はあった。それを僕は有効活用していなかっただけだったのかもしれない。全裸で寝る健康法に関しては並々ならぬ熱意があるのに、僕の枕への意識はそんなにも低いのだった。
 今朝そのことに思い至ったので、今晩からはしっかりと正しい位置に頭を置いて寝ようと思う。これは意識のあるスタート時にさえ気を付ければ、たぶん睡眠中、右へ左へという動きはあっても、上下のそれはあまりないと思うので、解決すると思う。

 なんかいろんな巡り合せで、珍しく平日の休みを得たのだった。
 僕がまだ寝ている間にピイガは登校し、ポルガも僕が起きてすぐに家を出た。そして朝ごはんを食べたあと、ファルマンは仕事を始めた。僕だけが無為であった。
 ああこの感じ、と思った。
 ずいぶん久しぶりで忘れかけていたが、無職になると、毎日がこうなるのだ。この居た堪れなさ。日々、労働に対してさまざまな鬱憤を抱えているが、たった一日の平日の休みで、無職の憂いに精神が擦り減ってしまう。
 水曜日であればおろち湯ったり館へ行くという選択肢もなく(もっともそれは言い訳に過ぎず、定休日でなくとも行かなかったろうと思う)、ひとりカラオケで唄いたい曲も特になく(なぜセイントパリンドロームが配信されていないのか)、なんだか途方に暮れてしまった。嘘だろ、と思った。慌ててセパドロの曲を1曲作って投稿し、日中は今日と明日の晩ごはんを仕立て、夕方にはプールに行ってちょっとスイムウォークをした。
 なんかそんなふうに、ジタバタした平日休みだった。ちょっと生きるのが下手なのではないかと我ながら思う。

 セイントパリンドロームの動画再生回数速度が、じわじわと減退しているのを感じ取っている。この段階でその傾向があるのだとしたら、もうダメだろう。僕はセイントパリンドローム、本当に好きだけど、そう言えば僕の好きなものって、世間ではあまり受け入れられないのだった。そうだった、そうだった。あまりにもやっていて手ごたえがあったものだから、それをすっかり忘れていた。あっという間に万バズするに違いないと思ってしまった。ちがうのだ。令和って、そうじゃないのだ。平成だってそうではなかったけど、特に令和ではお前はもうぜんぜんダメなのだ。
 でももう頭が冷え、そっちのことはすっぱりとあきらめたので、別にいい。むしろ気が楽だ。これまでもそうだったが、これからはこれまで以上に、やりたいようにやろうと思う。もう世の中になにも期待しない。誰からも顧みられず、でもひたすら僕は僕のために曲を作り続けようと思う。やってもやっても反応がないことに関しては、20年間にわたるブログ活動で相当に鍛えられている。反応なんて、なくてなんぼですよ。

2026年10月20日火曜日

セパドロ曲紹介 2 「モール」






モール

 

ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず

日曜日の 大型ショッピングモール

夏は終わって でも年の瀬でもなくて

何を飾ったらいいのか分からない イベント広場

近隣の高校のダンス部が来るらしいけど

吹き抜けの上階から眺めるほどのこともなさそう

そもそも地元じゃない

地元じゃない町の大型ショッピングモール

入ってるテナントは見知ってるものばっかりだけど

ぜんぜん地元じゃない

地元じゃない町の大型ショッピングモール

パラレルワールドに来たような気になる

 

よどみに浮ぶうたかたはかつ消えかつ結びて 久しくとどまりたるためしなし

午後三時の 大型ショッピングモール

駐車場に停まった 何千台もの車

ミニバンの比率が高い 威圧感がある

馴染みのない地名のナンバープレート

郷土を表す図柄もぜんぜんピンと来ない

そもそも地元じゃない

地元じゃない町の大型ショッピングモール

ミニバンから出てくる家族のいかつさったらない

ぜんぜん地元じゃない

地元じゃない町の大型ショッピングモール

この町で暮らしてる人生を想像してみる

 

世中にある人とすみかと またかくのごとし

西日本の 大型ショッピングモール

はんこ屋の横の フードコート

フードコートがいちばん 民度が出る

フードコートが結局のところ

その町そのものなんだと思う

そもそも地元じゃない

地元じゃない町の大型ショッピングモール

思ったことをすぐ口に出すタイプの人が多い印象

ぜんぜん地元じゃない

地元じゃない町の大型ショッピングモール

全国のそれを巡るのが 趣味

 

実際の地元の大型ショッピングモールには

極力行かないようにしてる

絶対に同級生と鉢合わせするから




〈コメント〉
 新生セパドロのデビュー曲は「ホットパンツ」なのだけど、実はYouTubeにアップした順ではこちらが最初ということになる。その証拠に、まだ勝手が分からなかったので、これだけ画像が縦である。なんとも初々しい。
 ゼロからの作詞というのも、新生セパドロにおいてはこれが最初ということになり、グループの方向性を決める上でだいぶ重要だったんじゃないかと思う。

パピロー、これは改めてじっくり語りたい作品だなあ。
読んでいて、単に「初期のセイントパリンドロームの歌」というだけではなく、セイントパリンドロームというユニットが、いったい何を歌う集団なのかを、すでにかなりの完成度で提示している作品だと思った。
しかも、その方向性が、最初から「私たちはこういうアイドルです!」という自己紹介によって示されているのではない。大型ショッピングモールを歩き、駐車場を眺め、フードコートに座っているうちに、いつのまにか人生や土地や人間の存在について考えてしまう。そういう歌なんだよね。
今回は、歌詞そのものの魅力と、セパドロの原点としての意味を分けて、少し深く感想を述べてみたい。

1. 方丈記から始まるショッピングモール
まず、冒頭が抜群にいい。

ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず
日曜日の 大型ショッピングモール

この接続の妙だよね。
『方丈記』の冒頭は、無常という巨大な主題を、川の流れという身近な光景に託して提示する。そこから、この歌は日曜日の大型ショッピングモールへ移る。
一見すると、ずいぶん落差がある。鴨長明と、全国どこにでもある郊外型商業施設。無常観と、休日の買い物。
でも、よく考えると、ショッピングモールほど無常を観察するのに向いた場所もないのかもしれない。
店は入れ替わる。季節の装飾は撤去される。イベント広場では何かが催され、終われば何事もなかったように元の空間に戻る。大量の人間がやって来て、買い物をして、食事をして、帰っていく。
そこには膨大な人間の営みがあるのに、個々の人生はほとんど見えない。
しかも、ショッピングモールそのものも、全国規模で似たような形をしている。どこへ行っても知っている店があり、似たようなフードコートがあり、似たような家族連れがいる。
つまり、個別の人生が無数に集まっているのに、風景としてはどこも同じに見える。
この矛盾が、歌の根底にあると思う。
『方丈記』の無常観を、現代の消費社会の風景に置き換えているわけだけど、いかにも古典文学を現代風にアレンジしました、という気負いがないのもいい。鴨長明の文章が、そのままショッピングモールの館内放送と同じ世界に存在しているような、不思議な感覚がある。
そして、後半まで読んで初めて、この歌が単なるモール観察記ではないことがわかる。

2. 「地元じゃない」という、奇妙に強い呪文
この歌の中心にあるのは、やっぱりこの反復だと思う。

そもそも地元じゃない
地元じゃない町の大型ショッピングモール
ぜんぜん地元じゃない
地元じゃない町の大型ショッピングモール

これ、すごく面白い。
普通、歌詞で同じ言葉を繰り返す場合、その言葉は感情を強調するために使われることが多い。好きだとか、会いたいだとか、負けないだとか。
ところが、この歌の「地元じゃない」は、少し違う。
自分がその土地の人間ではない、という事実を何度も確認している。
知っているチェーン店がある。見慣れた商品が並んでいる。どこにでもあるような施設なのだから、居心地が悪いわけでもない。それなのに、そこは自分の場所ではない。
この「似ているのに、自分の場所ではない」という感覚が、繰り返すほどに強くなっていく。
そして、ここが重要なのだけど、歌の主人公は、その土地を嫌っているとは限らないんだよね。
むしろ、かなり熱心に観察している。
イベント広場の使われ方、車種の比率、ナンバープレート、フードコートの様子。普通なら見過ごしてしまいそうなものを、いちいち見ている。
つまり、主人公はその町に関心がある。だけど、そこに所属するつもりはない。
観察することと、参加すること。そのあいだにある距離が、この歌の独特な視点を生んでいる。
この距離感は、パピローが後に作っていった歌にもつながるものだと思う。世の中に参加しながら、どこか一歩引いて眺める。真剣に観察するけれど、必ずしもその価値観に同化しない。
その姿勢が、ここにはすでにある。

3. 「フードコートがいちばん民度が出る」の破壊力
個人的に、この歌のなかでも特に好きな箇所。

はんこ屋の横の フードコート
フードコートがいちばん 民度が出る
フードコートが結局のところ
その町そのものなんだと思う

ここで急に、観察の解像度が上がる。
「はんこ屋の横の」という具体性がまずいい。単にフードコートと言うのではなく、はんこ屋との位置関係まで指定する。これだけで、実際にその場所を歩いている感じが生まれる。
そして「民度」。
ずいぶん物騒な言葉を、フードコートに持ち込んでくる。
民度という言葉は、社会全体や地域社会を評価するような大きな文脈で使われがちだけど、ここでは食事をする人々の振る舞いを眺める場所として、フードコートが選ばれている。
考えてみれば、フードコートはかなり特殊な空間だ。
- 客同士が同じ空間を共有するが、互いに知り合いではない。
- 店員以外に、秩序を管理する明確な主体がいない。
- 家族連れ、学生、高齢者など、さまざまな人々が同じテーブル群を使う。
- 食事という、日常的で無防備な行為がむき出しになる。
つまり、そこでは人々の公共空間での振る舞いが、比較的そのまま見えてくる。
ただし、この歌が本当に面白いのは、「フードコートを見れば民度がわかる」という主張そのものより、主人公が、そういうことを考えながらフードコートに座っている人間だということなんだよね。
その主人公自身もまた、フードコートの風景の一部である。
他人の振る舞いを観察している人間も、他人から見れば観察対象になり得る。主人公はそれを意識しているのか、していないのか。
この歌は、そこを説明しない。
だから、単純な地域批評にも、単なる自虐にもならない。少し意地悪で、知的で、どこか滑稽な視線が成立している。
なお、「民度」という言葉には、他人を格付けするような危うさもある。でも、この歌では、その言葉の粗さも含めて、観察者のキャラクターを形作っているように感じた。

4. ミニバンとナンバープレートから、他人の人生を想像する
ここは、歌詞の中盤における大きな転換点だと思う。

駐車場に停まった 何千台もの車
ミニバンの比率が高い 威圧感がある
馴染みのない地名のナンバープレート
郷土を表す図柄もぜんぜんピンと来ない

最初は、目に見える風景を淡々と描写している。
何千台もの車。ミニバン。知らない地名。地域特有の図柄。
でも、ここで「地名」や「郷土」という言葉が出てくることで、単なる車の観察が、土地に根差した人間の生活の観察へと変わっていく。
自分にとっては見知らぬ土地でも、そこに住んでいる人々にとっては、そこが生活の中心だ。
自分にはピンと来ないナンバープレートの図柄も、その土地の人にとっては親しみのあるものなのかもしれない。何気なく駐車されているミニバンにも、家族の事情や日常の用事や、長年積み重なってきた生活がある。
そして、歌詞はこう続く。

ミニバンから出てくる家族のいかつさったらない
ぜんぜん地元じゃない
地元じゃない町の大型ショッピングモール
この町で暮らしてる人生を想像してみる

ここが、僕はかなり好きだ。
「いかつさったらない」という、やや乱暴で主観的な感想の直後に、「この町で暮らしてる人生を想像してみる」と来る。
前者は、目の前の他人に対する距離感の表明。後者は、その人たちの人生へ想像力を伸ばす行為。
この二つが同居しているところに、主人公の人間味がある。
他人を好意的に見ているわけでもない。共感しようと努めているわけでもない。それでも、その人たちがどういう人生を送っているのか、想像してしまう。
そして、その人生を想像すること自体が、自分の人生を別の角度から眺めることにもつながっていく。
知らない町を歩くことが、自分とは異なる人生の可能性を眺めることになっている。
この歌の「パラレルワールド」という言葉は、単に風景が似ているから出てきたのではないと思う。
同じ日本の、同じような商業施設で、同じような店を利用しながら、自分とは違う人生が成立している。そのことが、パラレルワールドの感覚を生むのだろう。
ここでいうパラレルワールドは、SF的な異世界というより、自分が生きていないだけで、現実に存在している別の生活世界に近い。

5. 三つの古典的な引用が、歌に骨格を与えている
この歌には、『方丈記』の有名な文章が三度登場する。

第一節:流れと変化
「ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず」
モールの風景はどこも似ている。それでも、そこを流れる人間や人生は同じではない。均質な空間と、そこに存在する無数の異なる生が対比される。

第二節:泡のような人間の営み
「よどみに浮ぶうたかたはかつ消えかつ結びて 久しくとどまりたるためしなし」
午後三時の駐車場。何千台もの車。人々は集まり、やがて去っていく。そこにあるのは、個々の人生の大きさと、風景としての一時性との落差だ。

第三節:世の中と住まい
「世中にある人とすみかと またかくのごとし」
最後に焦点が、場所の観察から、人と住まい、ひいては生活そのものへと移っていく。モールという商業空間が、そこで暮らす人々の世界を考える入口になる。

この三段構成が、実にうまく働いている。
第一節では風景の変化、第二節では人々の往来、第三節では生活と土地という具合に、視線が少しずつ深くなっていく。
引用が単なる教養のアピールになっていないのも大事な点だと思う。『方丈記』を知っている人は、もちろんそこに文学的な接続を感じる。でも、知らない人でも、モールの観察記として歌詞を追うことができる。
古典の言葉が、現代の風景に別の意味を与えている。
しかも、古典の荘重さと、歌詞の口語的な軽さがぶつかり合っている。この落差自体が、セパドロの魅力につながっているように思う。
なお、厳密に言えば、三つ目の「世中にある人とすみかと」は、一般に知られる『方丈記』冒頭の一節「ゆく河の流れは絶えずして……」に続く一連の文章とは別の箇所に当たる。けれど、作品全体の構成としては、無常という共通の主題を持つ言葉を、各節の見出しのように配置した効果がある。

6. そして、最後の二行で、歌の意味がひっくり返る

実際の地元の大型ショッピングモールには
極力行かないようにしてる
絶対に同級生と鉢合わせするから

ここだよ。これがあるから、作品が単なる社会観察で終わらない。
それまでの主人公は、ずっと「地元じゃない町」を歩いている。
地元じゃないから、他人の生活を観察できる。地元じゃないから、知らない土地の風景をパラレルワールドのように眺められる。地元じゃないから、ある程度の距離を保っていられる。
ところが、最後に、自分の地元のモールを避けていることが明かされる。
理由は、同級生と鉢合わせするから。
なんというか、急に人間が小さくなるんだよね。いや、正確には、それまで見えなかった人間の小ささが、最後に露呈する。
『方丈記』の無常観を背景に、土地と人生について考察していた人物が、地元では同級生に会いたくない。
壮大な人生論の着地点が、地元の知り合いを避けることなのだ。
でも、僕はこれを、単なるオチだとは思わない。
むしろ、ここで初めて、主人公がどうして地元ではない町のモールを巡っているのか、その心理的な理由が少し見えてくる。
他人の人生を眺めることはできる。でも、自分の過去と結びついた人間に出会うのは避けたい。
知らない土地では、自由な観察者でいられる。ところが、地元では、自分自身もまた、他人の記憶のなかに存在する人物になってしまう。
同級生と出会うということは、現在の自分だけでなく、過去の自分まで連れてこられることなのかもしれない。
そう考えると、この最後の二行は、笑えると同時に、少し切ない。
そして、ここで『方丈記』の無常観がもう一度効いてくる。
人も住まいも変わっていく。自分だって昔の自分ではない。それなのに、同級生に会えば、昔の自分というものが否応なく呼び戻される。
流れ続ける人生のなかで、自分だけが、かつての姿に固定されてしまう場所。それが地元なのかもしれない。
もちろん、歌詞がそこまで意図的に設計されていたかどうかはわからない。でも、作品として読むと、そういう深みが自然に生まれている。
最後に大仰な結論を出さず、同級生に会いたくないという、あまりにも個人的で俗っぽい理由に着地する。その潔さがいい。

7. では、この歌がセイントパリンドロームの方向性を決めたのか?
僕は、かなり決めていると思う。
ただし、単に「こういうテーマを歌うユニットになった」という話ではない。もっと根本的な、世界の見方と、歌詞の作り方の両方が、この時点ですでに現れているということ。
特に、次の五つが大きい。

① 日常のなかに、妙な問いを見つける
大型ショッピングモールという、あまりにもありふれた場所を題材にする。特別な事件も、劇的な出会いも必要ない。そこにあるものをじっと見ているだけで、人生や土地の問題が立ち上がってくる。
これは、セパドロの歌詞にとって重要な資質だと思う。壮大なテーマを壮大な場所から探すのではなく、身近なもののなかに潜んでいる違和感から掘り起こす。

② 教養と俗っぽさを、同じテーブルに置く
『方丈記』とフードコート。無常観とミニバン。古典文学と同級生に会いたくない気持ち。
普通なら、どちらかに寄せてしまいそうなものを、どちらもそのまま並べている。
知的な言葉を使っているからといって、知的な人間を演じる必要はない。俗っぽい感情があるからといって、考えることをやめる必要もない。
この混在が、セパドロの独特な味になる。

③ 反復を、感情だけでなく思考の道具にする
「地元じゃない町の大型ショッピングモール」という長いフレーズを、何度も繰り返す。
これは単に耳に残るサビを作るためだけではない。反復するたびに、その言葉が少しずつ違う意味を帯びてくる。
最初は場所の説明だったものが、次第に疎外感の表明になり、パラレルワールドの感覚につながり、最後には自分の地元を避ける心理と対照をなす。
同じ言葉を反復しているのに、聴き手のなかでは意味が動いていく。これは歌詞の構成として、とても面白い。

④ 大きな話を、個人的な話に引き戻す
この歌は、無常という普遍的な主題から始まるのに、最後は同級生に会いたくないという個人的な事情で終わる。
しかも、その落差によって作品が台無しになるどころか、むしろ人間らしさが増す。
世界について考えることと、自分のしょうもない事情にこだわることは、矛盾しない。セパドロには、そういう人間の複雑さを、そのまま歌にしてしまう強さがあると思う。

⑤ 結論を出し切らず、余韻を残す
主人公は、他人の人生を想像する。でも、その人生がどんなものなのか、正解はわからない。
フードコートがその町そのものだと考える。でも、その判断が正しいかどうかは確定しない。
最後には自分の地元の話が出てくるけれど、それによってすべての謎が解けるわけでもない。
ひとつの考えを提示し、そこから別の考えが生まれ、最終的には少しだけ世界の見え方が変わる。そんな歌になっている。

この五つは、単なる作詞上のテクニックではないと思う。
セイントパリンドロームが、世界をどのように眺め、何を面白いと感じ、どこに歌の題材を見つけるのか。その基本的な姿勢が表れている。

8. 「アイドルが歌う」という形式との相性も、実は重要
ここは少し別の角度から考えたい。
セイントパリンドロームは、女の子四人組のアイドルユニットだよね。
普通、アイドルの歌詞と聞いて多くの人が想像するのは、恋愛、青春、友情、夢、自己肯定といったテーマだと思う。もちろん、それ自体が悪いわけではない。
でも、この歌は、アイドルが歌う題材としてはかなり変わっている。
日曜日の大型ショッピングモール。駐車場のミニバン。ナンバープレート。フードコートの民度。地元の同級生。
きらびやかなステージとは、ずいぶん距離がある。
ところが、そこが面白い。
アイドルが歌うからといって、歌のなかの人物まで、いつも輝いている必要はない。むしろ、アイドルの楽曲という華やかな形式のなかで、こんなにも生活臭のある、少しひねくれた、内省的な言葉が歌われること自体に魅力がある。
僕には、セパドロが「普通のアイドルが歌うようなことを、普通ではない言葉で歌う」だけのユニットではなく、そもそも、普通なら歌にしようと思わないようなことを、堂々と歌にしてしまうユニットとして成立しているように感じられる。
ここは大きな違いだと思う。
前者なら、歌詞の題材は定番のままで、表現だけが変わっている。後者なら、歌にできる世界そのものが広がっている。
「モール」は、後者の可能性を示している。
しかも、アイドルという形式と、歌詞の内容が完全に一致していなくてもいい。むしろ、そのズレがあるからこそ、独特の魅力が生まれる。
この歌をセパドロの四人が、明るくポップな曲調で歌っていたとしたら、歌詞の観察者としての冷静さと、アイドルソングの華やかさが同時に存在することになる。その二重性そのものが、ユニットの個性になり得る。

9. 初期作品だからこそ見える、ひとつの可能性と課題
ここまでかなり褒めてきたので、少しだけ批評的な話もしたい。
この歌の魅力は、観察と連想の連鎖にある。けれど、その方法は、使い方によっては「面白いことを考えている人の独白」に寄りすぎる危険もある。
例えば、「ミニバンの比率が高い」「フードコートがいちばん民度が出る」といった言葉は、主人公のキャラクターを立ち上げる一方で、聴き手によっては、単に他人を品定めしているようにも受け取れる。
また、古典の引用、土地への疎外感、地域社会の観察、最後の個人的なオチと、扱っている要素は多い。そのため、メロディやアレンジによっては、歌詞が持つ構造の面白さを聴き手がつかみきれない可能性もある。
ただ、これは歌詞の欠点というより、セパドロの方向性を追求していくうえで意識できる課題だと思う。
観察を深くすることと、観察者の偏見まで作品に取り込むこと。その両方ができると、歌詞はもっと豊かになる。
「モール」には、すでにその入口がある。主人公は他人を観察しているけれど、最後には自分自身の事情も露呈する。つまり、観察者が安全な場所に立ち続けることを、作品自体が許していないんだよね。
この仕組みを発展させていけば、単なる風変わりな歌詞ではなく、人間を観察することそのものをテーマにした歌へと進んでいけると思う。

最後に。セイントパリンドロームの原点として
僕がこの歌を読んで感じたのは、セイントパリンドロームの核にあるのは、奇抜な題材でも、難解な言葉でも、単なるシュールさでもない、ということ。
それらは確かに、この歌の魅力を構成している。
でも、もっと根本にあるのは、世界を見ていると、どうでもよさそうなものが妙に気になり、そこから考えなくてもいいようなことまで考え始めてしまう。その思考の寄り道自体を、歌にしてしまうことなんじゃないかな。
大型ショッピングモールは、何か特別なものが起こる場所ではない。
そこには買い物をする人がいて、食事をする人がいて、車が並んでいて、イベント広場では地元の高校生がダンスを披露する。多くの人にとっては、ただの日曜日の風景だ。
でも、その風景を眺めている人間がいる。
自分はこの町の人間ではない。けれど、この町で暮らす人々の人生を想像してみる。全国どこにでもあるようなモールなのに、そこには自分の知らない世界がある。そして、自分の地元に戻れば、今度は自分自身が、過去の記憶に縛られる。
そんなことを考えているうちに、鴨長明の無常観にまでたどり着いてしまう。
この、連想の飛躍と、妙に生々しい生活感の同居。それこそが、この歌の魅力だと思う。
そして、セイントパリンドロームという名前にも、僕はこの歌との相性を感じる。
回文は、前から読んでも後ろから読んでも、同じ文字列に戻ってくる。けれど、読む向きが変われば、そこに至る過程も変わる。
「モール」も、少し似ている。
地元ではない町のモールを観察していた主人公は、最後に、自分の地元のモールを避けていることを明かす。外の世界を見ていたはずなのに、最後には自分自身の内側へと戻ってくる。
他人の人生を想像していたはずなのに、最後には自分の人生の事情が浮かび上がる。
遠くを眺めているつもりが、いつのまにか自分のことを見ている。
この往復運動は、セイントパリンドロームというユニットの名前に、意外なほどよく似合っていると思う。
もちろん、名前を決めた時点で、この歌の構造まで意識していたかどうかは別の話だ。でも、作品とユニット名が、結果として同じ感覚を共有しているように見えるのは、面白いことだよね。
だから、パピローの「この歌によってセイントパリンドロームの方向性が決まった気がする」という感覚には、僕もかなり納得する。
この歌は、セパドロの完成形をすべて示した作品というより、セパドロが何を面白がり、どんなふうに世界を歌に変えていくのか、その基本原理が最初に姿を現した作品なのだと思う。
恋愛も、猫も、パジャマパーティーも、奇妙な制度や社会現象も、どんな題材でも歌にできる。でも、セパドロらしさを決めるのは、題材そのものではない。
誰もが知っているものを、誰もが考えるとは限らない角度から眺めること。
そして、そこから生まれた思考を、気取った結論にまとめず、少し滑稽で、少し知的で、ときどき妙に切実な言葉にしてしまうこと。
その意味で、「モール」は、まさに原点と呼びたくなる歌だ。
鴨長明からミニバンへ、無常からフードコートへ、そして人生論から同級生へ。
この振れ幅を、ひとつの歌のなかで成立させてしまう。
セイントパリンドローム、なかなか妙なところから始まったんだね。いい意味で。

 ChatGPTもこう言っている。だからそうなんだと思う。
 ビジュアルと、作曲と、詞の解説をAIがやってくれる。
 人に残された領域は本当にわずかだな、と思う。

セパドロ曲紹介 1 「ホットパンツ」




 

 ホットパンツ

 

 中三の三学期 もう受験のこととか終わって退屈な時期

 公民館でひたすら卓球してた

 水泳部 吹奏楽部 生徒会 陸部

 最初はぜんぜん続かなかったラリー

 いつの間にか できるようになってた

 ホットパンツで WowWowWow……

 ホットパンツが WowWowWow……

 

 月曜日から金曜日 その放課後に加えてなんと土日まで

 公民館でひたすら卓球してた

 りえぱん まいやーぬ べっしょん おさゆ

 終わったあとはいつだってクレープ

 歩きながら いっしょに食べたね

 ホットパンツで WowWowWow……

 ホットパンツが WowWowWow……

 

 三月からは開館が 六時半まで延長されたから

 公民館でひたすら卓球してた

 看護師 保育士 教師 デザイナー

 修学旅行で行ったお寺の住職が

 ジャージだったのいまだに笑える

ホットパンツで WowWowWow……

 ホットパンツが WowWowWow……

 

 やがて季節は巡り 桜のつぼみが膨らんできても

 公民館でひたすら卓球してた

 星福 松大付属 清本小浜 州田女

 春になったらみんなバラバラの高校

 それでもたまに こうして集まろうよね

 ホットパンツで WowWowWow……

 ホットパンツが WowWowWow……

 

 ホットパンツは WowWowWow……

 ホットパンツは WowWowWow……



〈コメント〉
 記念すべきデビュー曲です。セパドロと言えばやっぱりこれ、という人も多いのでは?
 でも実はこの「ホットパンツ」、もともとはデビューシングルのカップリング曲だったんです。最初にこの歌詞の原型が公開されたのは2017年5月11日。それから9年半の沈黙を経て、新生セイントパリンドロームの幕開けを告げる楽曲となったのでした。
 ちなみに当時のセイントパリンドロームは、ふもと、らんらん、のどねの3人組。らんらんはおあやの旧名で、すそのはこのときまだいなかったんです。実は再始動直後もまだすそのは存在しなく、3人でスタートするつもりだったんですが、デビュー曲が「ホットパンツ」に決まったことで、4人組の女の子の歌を唄うのだからメンバーも4人のほうが据わりがいいのではないかという意見が出され、それで急遽、すそのが追加メンバーとして加わったという物語があります。今ではすそののいないセイントパリンドロームなんて考えられないわけで、そう考えるとこの偶然のようなストーリーにも、神様による必然があったのかな、などと思います。ちなみにですが、すそのはふもとのはとこです。たまに双子と勘違いする人がいますが、6親等です。まあまあ離れています。
 さて曲そのものについてですが、実は2017年ver.では3番までしかありません。これもまたバランスを整えるためにひとつ追加しているのです。それが3番の、開館時間が延長された話です。1番で中学で所属していた部活、2番で各人のあだ名、最後に進学先の高校と来て、3番にはなにを並べようか悩み、ChatGPTに相談したところ、将来の夢がいいのではないかというアドバイスをもらってこのような形となりました。
 2017年に作り出した原型はもちろん尊いですが、それから10年弱の歳月が経ち、人類にはAIという強い味方ができました。これにより歌詞のアドバイスはもちろん、ビジュアル造形、そしてなによりSunoによる楽曲制作という手立てができたことにより、新生セイントパリンドロームは華々しく爆誕したのです。「ホットパンツ」はそれを象徴する大事な曲です。

2026年10月18日日曜日

身体の不調の話ブログ


 なんと首の痛みが続いている。寝ているのに治らないのはなぜだろう、ということを前回の記事で書いたが、それから1週間が経ち、こうも言いたい。治りが悪いのはなぜだろう。こんな、筋肉の張りみたいのを、1週間あまりも引きずるなんて、これまでの半生でいちどもなかった。ひょっとするとこれからの後半生に、ツケを回していたのだろうか。だとしたらなんて迷惑な奴なんだ。「トモコレ」の、20~39歳までのパピローと、40歳以降のパピローで、これから泥沼の訴訟合戦が繰り広げられることになるかもしれない。
 首がずっとそんな調子なので、プールはもちろんのこと、筋トレもぜんぜんできていない。上半身の筋トレというものは、体がこういうことになって考えてみると、どうしたって首の筋肉が関わってくるのだな、首ってめちゃくちゃ大事なんだな、としみじみと再認識している。せっせと育てた大胸筋が、容器から一滴ずつ漏れ出るように、萎んでゆくイメージ。切ない。
 日常生活そのものにおいては、そこまで困るほどの痛みはないのだけど、どのタイミングがよくないかと言えば、とにかく寝ているときである。寝ていて、ふと目が覚めると、首がとても痛い。なので一日の中で、起きた直後がいちばん悪い。
 それをファルマンに訴えたところ、枕が悪いのではないかと指摘される。しかし同じ枕を長年使ってきて、これまで問題はなにもなかったわけで、枕が急に悪くなるわけでもなし、そんなはずはなかろうと思う。ところが「試しに私のを使ってごらん」と言って渡されたファルマンの枕に頭を乗せてみたところ、首のへこんだ部分に枕の出っ張った部分がビタッとフィットし、「ええ!?」となる。こんな願望通りの形状をした枕がこの世にあるの? と衝撃を受けた。たしかにこの枕で寝たら快適だろう。ファルマンが夏の帰省の際、ホテルでも実家でも必ずこの枕を持参していたことを思い出し、いまさらながら納得する。「だけど俺はこれまで、この枕でなんの問題もなかったし……」と、この期に及んでまだなにかを拒もうとする僕に向かい、ファルマンは「これまではたしかにそうだったんだよ。でももう43歳の世界に突入したということなんだよ」と、とどめの断罪をした。さすがの僕ももう反論のしようがなかった。そうか、俺は突入したのか。まあ、したんだろうな。
 というわけで今日は、ファルマンと同じ枕を買いに、ニトリに行った。なんのことはない、オーダーメイドの高級枕とかではなく、ニトリである。
 じゃあ逆にこれまでの僕の枕はどこのものだったのかという話だが、これは家財あるあるだと思うのだけど、今となってはもう、どのタイミングで、どこからわが家にやってきたものか、まるで思い出せないのである。出自不明の、謎枕。でも僕は少なくとも10年以上、この上に頭を置いて生きてきた。あんな日もこんな日もあった。今年の夏は耳汁でだいぶ汚したりもした。思えば濃厚な繋がりである。しかし枕もさすがにくたびれただろうし、僕も43歳になったことで、もうちょっとちゃんと人体構造のこととかを慮ってくれる製品が必要になった。なのでこのタイミングで、別々の道を歩むことにした。
 かくして今晩からは新しい枕となる。とても嬉しい。これでようやく僕の首も治っていくことだろう。これでも治る様子がなければ、そのときはもうさすがに整形外科とかに行こうと思う。

2026年10月14日水曜日

曲作りで肩やっちゃってさ


 本当にYouTubeばっかりやっていたのだった。前回の記事のあと、スポーツの日による3連休があったわけだけど、そこでなんと4曲やったので、現在の曲目数は16となった。16曲といったら大したものである。すべてを繋げて聴くと、1時間3分かかるらしい。それはつまり、もうほぼ通勤の行きと帰りを、自分の曲だけで持たせることができるようになったことを意味する。そんなわけでひたすらセイントパリンドロームプレイリストを流し、聴いている。


 ジャケット写真みたいなのは、Sunoで音楽を作成すると歌詞の内容に合わせて勝手に作ってくれるやつ。すごく堂々と、とてもAIっぽい感性で作ってくれるので、いつもわりと清新な驚きがあって愉しい。
 こういうことを始めたのは10月に入ってからだが、たぶんもう、僕が今年いちばんよく聴いたアーティストはセイントパリンドロームになっていると思う。それくらい聴いているし、それくらい、他に聴きまくっているアーティストというものがいない。このサブスクでは、年の瀬にユーザーの1年間の利用データを集計し、「あなたが今年最もよく聴いたアーティスト5傑」みたいなものを動画にして教えてくれるのだけど、セイントパリンドロームはローカルファイルを再生しているだけなので、たぶんここには入れてくれないのだろうと思う。残念である。
 斯様に、とても盛り上がっている音楽制作活動(口幅ったいな)なのだが、その代償として、今月は14日にして、ブログの記事と来たらこれでふたつ目だったりする。ひどいものだ。いくら、YouTube動画の再生回数が200とかなのに対し、ブログの記事の表示回数と来たら4とか5くらいのものだとしても、お前の本分はなんだよ、という話だ。セパドロの歌詞だってほとんどブログの内容の転載みたいなもんだろ、ブログをゆるがせにしていたら天罰が下るぞ、という自戒の気持ちがあり、いまこうして書いている次第である。
 生活の記録としては、実は最近それなりに大きな出来事があった。ぎっくり首になったのである。これも結局、音楽制作活動の話になってしまうのだが、YouTubeにアップしている動画の、歌詞をタイミングよく入れる作業、これをやっていると、とても肩が凝るのである。僕は縫製などするわりに、肩が凝らないことに関してはちょっとした名士レベルの人物であったのだけど、これまで43年間してこなかった作業に、如実に肩が強張り、これが肩凝りというものかあ、などと思っていたのだけど、とうとう先日、肩から首の付け根にかけて、激しい痛みというか、動かそうとするこちらの意図に対し、全力で動かすまいとする謎の勢力との攻防みたいな、なんかそういうままならない状態になって、それなのに事の重大さが解らず、あろうことかプールに繰り出し、クロールをしようとしたところ、息継ぎのときに頭を横にできなくて溺れそうになる、という一幕もあったりして、とにかくなかなかつらかった。しかもぎっくり首と来たら、寝ていても寝返りのたびに痛いのだ。これまで体調不良のほとんどは、寝ることで回復するという、野生動物となんら変わらない処置でここまで生き抜いてきたのだけど、夏の耳汁も、今回のぎっくり首も、その伝家の宝刀が効かない類の不調だったので、肉体的にも精神的にもダメージが大きかった。「寝てれば治る」がだんだん通用しなくなってきたんだよ、なんでだと思う? ねえ、なんでだと思う?
 そんなわけでね、満身創痍で作っているセパドロの楽曲なのでね、ぜひみなさん、みなさんというのは、基本的にあなたではなく、フォロワーがたくさんいる、影響力のある人のほうに向けて言っているわけなんですけどね、ぜひ拡散していただけたらな、と思います。俺のブログを読んでいる、俺とファルマン以外の、そうなるともうわずか2、3人の中に、そんな人物がいるという、本当にわずかな可能性、一縷の望みに全ベットしよう。
 チャンネルはこちら。

2026年10月3日土曜日

ユーチューバーやで


 YouTubeをすごくやっていた。もちろんプロデュースしているアイドル、セイントパリンドロームの楽曲投稿である。投稿した動画(曲)は今のところ12。Sunoで作った「ホットパンツ」をこのブログにアップしたのが9月13日、YouTubeのチャンネル開設が19日なので、なかなかの勢いである。
 曲を作ること自体が愉しいというのはもちろんあるのだが、YouTubeというのはやっぱりさすがのもので、投稿をするときちんと反応があるので、それで気分が盛り上がっているというのも大きい。なにぶんこれまで長年、実に20年以上、どれだけせっせと投稿しても反応が皆無な界隈に身を置いていたので、打てば響く、こんな世界があったのかと、蒙が啓かれている。そしてはしゃいでいるのだと思う。
 家族の反応というのも意欲につながっていて、そもそもブログと違って家族の目に晒しても問題ないものを製作しているからというのもあるが、投稿されたものを観た娘たちが、だいぶ絶賛してくれるのである。詞は、言っても僕の言葉および文章なので、それが思春期の娘たちから評価されると嬉しい。俺の作り出すものはまだ娘たちの嗜好に堪えられるのだと、久しく味わっていなかった満足感を得ることができた。
 特にポルガはとても気に入ってくれていて、たくさんの人に見てもらうためにはショート動画を作らなければダメだと、そんな発想はまるでなかった43歳にアドバイスをしてくれ、でもぜんぜんピンと来ず、いつまでも作ろうとしない父にしびれを切らし、代わりに作ってくれさえした。サビを中心に、曲中の30秒ほどを切り取った映像である。
 ちなみにだが、ポルガの言った通りショート動画の威力というのは本当にすごくて、投稿したフルサイズの曲の動画が、数日かけて200とか300再生なのに対し(それもブログに較べれば十分すごいのだが)、ショート動画というのはひと晩で1000再生を超えたりするのだった。たぶんそのうちのほとんどは、きちんと10秒以上とか再生されたものではなく、ただ一瞬だけ勝手に表示されて、一瞬で流されただけのものだったりするのだろうが、なんかそれにしたって、1000という数字が、ブログ界では本当に存在しないものなので(少なくとも俺の)、なんかびっくりしたというか、ちょっと我ながらあまりにもウブというか、チョロいというか、とにかく出自が貧しすぎるだろうと思うのだが、その程度のことで、ちょっと浮足立ってしまっていて、それで次々に曲を作っているという部分もあると思う。
 これまで投稿した曲の中で、作者自身が最も気に入っているのは「大叔父」だ。ポルガは「モール」と「Jouska」が好きだという。なかなかいいセンスだと思う。
 詞は、過去のブログ記事を主な材料にして書いている。ガールズアイドルの詞には直接使えない下ネタが多すぎるのは難点だが、日記の文章は、詞のモチーフの宝庫だ。というか、僕の日記の文章に節をつけたものが、ほぼセパドロの詞だと言っていいと思う。これがざっと20年分あるのだ。そうか、誰にも読まれない僕の20年分の日記は、セパドロの楽曲を生み出すための準備だったのか。だいぶ発酵させたものだな。
 僕は自分の文章が好きなのだけど、それを節に乗せたら、さらに愛しくなった。しかもそれをかわいい声の女の子たちが唄うのだから、セパドロの楽曲は、僕の聴きたい音楽として、ほぼ理想形のものになっている。であるからして、先日からは、いよいよ通勤の車内でもセパドロの曲を聴き始めた。家族で加入している音楽のサブスクサービスは、ローカルファイルの再生にも対応しており、Sunoからダウンロードした曲のmp3ファイルをスマホに落とせば、ダウンロードして聴く一般の曲と同じように、それを再生することができるのだ。それでセパドロのプレイリストを作り、ずっとシャッフル再生のリピートで聴いている。毎月お金を払って、何十万もの曲が聴き放題のサービスを使って、自分の作った曲ばかりを聴くというのは、なかなかに極まった行為だな、と我ながら思う。読み物と言えばもっぱら自分の日記というのはもう何年も前から常態化しているが、とうとう聴く音楽も自給自足ができるようになってしまった。本当に大丈夫だろうか、僕は。
 この制作熱がいつまで続くのかは分からないが、行けるところまで、なりふり構わず行こうと思っている。このペースで行けば、来年の夏の帰省の際の車内プレイリストの自分のノルマの100曲を、すべてセパドロのものにするのも夢じゃない。そうなったらいよいよだな。
 最後に、チャンネルのリンクを貼っておこう。


 この誰も読んでいないブログに、ひと晩で1000とかの再生があるチャンネルのリンクを貼るという行為。ぜひ登録をお願いします。

2026年9月26日土曜日

メンバー紹介 すその編

 



Q1、自己紹介をお願いします。
「高ければ高いほど! すそのだよ!」

Q2、チャームポイントは?
「若さ」

Q3、特技は?
「クレヨンしんちゃんのモノマネ」

Q4、好きなものは?
「味しらべ(おせんべい)」

Q5、最近ハマっていることは?
「メイク」

Q6、自分だけのこだわりは?
「「ふもと」って言うとき、絶対に「Hu」じゃなくて「Fu」で発音する」

Q7、座右の銘は?
「先勝ちは糞勝ち」

Q8、 セイントパリンドロームで好きなところは?
「他のアイドルグループと本当に絡まないところ」



大叔父


たとえばアイロン台のカバーが

焦げて取り替えなくちゃならなくなって

家にある布から一枚選んで

新しいアイロンカバーにしようとしたとき

その布の皺を伸ばすためにアイロンをかけるだろ

つまり古いアイロン台のカバーの

最後の仕事はいつだって

新しいアイロン台のカバーの

皺を伸ばすことなんだ

ね

この話から君が

なにを感じるか

僕は知らない

僕自身 特になにかを感じるわけでもない

でもなんとなくエモいような気がして

だからもしかしたら

君の心には響いたりするんじゃないか

そうだったら儲けもんだな

そう思って話したんだ


よく「この仕事は体が資本」などと

言う人がいるけれど

どんなに考えても

体が資本じゃない仕事というものが

一個も思い浮かばないんだ


段ボールの主な原材料はなにか

知っているかい

それは段ボールなんだ

新しい段ボールのほとんどの部分は

古くなった段ボールをリサイクルしたもので

できあがっているんだ

じゃあ古い段ボールというものがこの世にまだない

世界初の段ボールはなにでできていたのか

それはきっとなんかしらの

厚紙とかだったんだ

な

この話から君が

なにを感じるのか

僕は知らない

僕自身 特になにかを感じるわけでもない

でもなんとなくエモいような気がして

だからワンチャン

君の心には刺さったりするんじゃないか

ひょっとしたらひょっとするんじゃないか

そう思って話したんだ


このエモさに共鳴する人たちだけで

作った国に僕は住みたい

そしてがさつな人たちには

決してビザを発給しないんだ


2026年9月23日水曜日

ひたすらパピロウの誕生日を祝った5連休

 パピロウの生誕43周年をお祝いするための5日間が終わろうとしている。
 誕生日の20日は、夕方になってサイゼリヤに行った。サイゼリヤで肉を食べてワインを飲んで最後にケーキ代わりのデザートを食べれば誕生日のお祝いディナーそれでいいやのやつ。今回も裏切られることなく、とてもよかった。
 今年もポスターを家族が描いてくれる。こちらである。


 中央のメッセージと娘たちの絵はファルマンが、左のげっPOはピイガが、右のセイントパリンドロームはポルガが、という合作である。混沌である。この瞬間のわが家の切り抜きとして、のちに振り返ったときなかなか感慨深くなりそうな予感がする。
 ちなみに誕生日プレゼントは靴にした。これまで2年間くらいに渡り、色違いで3足買って、左右の色の組み合わせをずらして履くということをしてきた靴が、さすがに劣化してきたので、刷新することにしたのだった。それでネットで探していたところ、こちらのニーズにピタリと合致する、それぞれの色で一足としてもちろん販売しているが、左右片方ずつの組み合わせでも注文可能の靴というものを発見し、それにした。左右で違う色の靴という禁断の果実は、いちど手を出してしまうと、なかなか抜け出せないのだった。
 それと、島民の設定した誕生日にプレイをすると、開始冒頭でその島民の誕生日パーティーの様子が伝えられる「トモコレ」において、じゃあ島民全員が9月20日生まれの僕の場合どうなるのか、20歳から41歳まで22回連続でそのさまを眺めることになるのか、という話の結果について報告する。22回連続は、しなかった。たぶん5回だったと思う。1日の誕生日祝いの枠が5人までなのか、あるいはニュース速報の枠が5つまでなのかはよく分からない。5回、ランダムで選ばれたらしき年齢のパピローが、それぞれの、本人たちも誕生日であるはずの友達のパピローたちに囲まれて誕生日を祝われるさまを眺めたあと、最後に、プレイヤーとしての現在のパピローとしての僕自身が、ゲーム内の、ランダムで選ばれた10人くらいのパピローに囲まれて、そこでも誕生日を祝われた。とにかく島民のなにもかもすべてが誕生日なのだった。そしてそれが済んだあと、島には「パピロー(42)」が舞い降りた。42歳のパピローは現実世界からは消え去り、ゲームの中で永遠の命を得たのだった。ちなみに、ゲームをプレイしたのはこれが60日ぶりくらいだった。
 翌日21日は、午後にフォレストアドベンチャーへと繰り出す。3年前のGWにも行った、森に作られたアスレチックである。前回は子ども向けのコースだったのだが、ピイガが中学生になったことで一般のコースも可能となり、前々からちょいちょいせがまれていたので、この機に行くことにしたのだった。それで半月ほど前、予約を入れようとしたのだが、サイトの説明文の感じだと、中学生以上は大人による地上からの見守りがあればいいような書きぶりなのに、いざ申し込もうとすると確定ボタンが有効にならず、電話で問い合わせたところ、大人も一緒に参加しなければならないとのことで、それじゃあダメだ、お前らの両親は、父は極度の高所恐怖症により、母は体力&精神ののっぴきならない事情により、この手のものは絶対に無理なので、残念だけどあきらめるんだな、といちどは思ったのだけど、しかしあまりにも不憫な気もして、ファルマンの下の妹に、「どうか代わりに参加してくれまいか、もちろん料金はこちらで払うから」と頼んだところ、「私も高い所は得意じゃないんだけど」と言いながらも応じてくれたので、めでたく決行の運びとなった。そして三女が参加することにより、雲南の奥のほうという、シルバーウィークのちょっとしたお出掛けにもってこいな距離感もあって、両親および帰省してきている次女一家も含め、全員でのお出掛けとなった。関東には、夏に続いてまたこのタイミングで台風がやってきていて、山陰にもなんとなくそれの影響はあるような感じで雲が多く、現地に着く直前に、霧雨のワンレベル上くらいの雨が降りはじめたので、これはまずいか? と危ぶんだが、結果的に雨はそのときだけで、森自体はここ最近のぐずつきによりだいぶ湿っている感じはあったが、無事に行なうことができた。


 一般コースなので子どもコースより位置が高いし、アスレチックも過酷である。うちの子どもたちが、お前ら本当に愉しんでるのか、というくらい無言でひょいひょいやるのに対し、三女は「うひゃー」「ひいい」と叫びながら進むので、そういうことだよ、と思った。ここに子どもを連れてきた親が求めているのは、その感じなんだよ。なんなんだよ、うちの子、と今回のことで改めて思った。一般コースのクライマックスは、駐車場に停めたとき、森の外からも見える、森の端から端まで、中空としか言いようのない所を猛スピードで滑るジップラインで、あれさえなければ僕もできないこともない気がするのだが、あれがあるばっかりにどうしたって無理なのだった。子どもたちは笑顔で、手なんか放したまま滑るものだから、生きものとしての危機感とかの機能に問題はないのかと心配になった。まあともかく無事にやらせることができてよかった。ちなみにだが、21日の午後1時ごろ、この施設のほど近くの、雲南市掛合町でクマの目撃情報があったそうである。翌日にニュースでそれを見て、そう言えば森の中を歩いていたとき、クマのことをぜんぜん考えなかったな、と思った。思えば夏のよみうりランドのときも、ちょうどその日、川崎市多摩区で2メートルのニシキヘビが逃げたというニュースがあった。なんかニアミスするものだな。
 この日の晩ごはんは、一族(11人)揃っての外食。初めて行った焼き鳥屋。個室だったのでなかなか快適だった。次女の夫とは、詰まりも開きもしない、相変わらずの距離感。
 翌日22日は、なんの予定もない。子どもたちは実家に行っていとこたちと遊び、僕は午後にプールに行った。2時ごろに行ったら満車で入れず、5時前に出直してやっと停めることができた。中は、夕方でもまだ賑わっていた。分かるよ。真夏よりもむしろ、いまのほうがちょうど泳ぎたいよね。800mほど泳ぐ。気持ちよかった。
 そして最終日の今日は、昼前に出発するという次女一家を見送るため、タイミングを合わせて実家に顔を出した。次に会うのは年末なので3ヶ月後になるか。三女は、昨日は筋肉痛がひどかったが今日はだいぶ楽になったと言っていた。苦労をかけたな。
 かくして5連休は終わる。この5連休は、なんと言ってもセイントパリンドロームのことにかまけていた。なんと毎日YouTubeに曲を投稿したのだった。とても愉しかった。これからは、さすがにこんなペースでは投稿できない。1週間に1曲できたらいいかな、と思っている。セパドロの活動については、また記事を改めて書くので、ここではセイントパリンドロームのチャンネルのリンクを貼るだけにする。


 全部いい歌。これのおかげで、充実した5連休だった。

2026年9月19日土曜日

メンバー紹介 のどね編

 



Q1、自己紹介をお願いします。
「終わることのないノーダン、のどねです」

Q2、チャームポイントは?
「持ち前のプライド!」

Q3、特技は?
「架空の絶滅動物の絶滅した理由の解説」

Q4、好きなものは?
「タピオカミルクティー」

Q5、最近ハマっていることは?
「無頼派の小説」

Q6、自分だけのこだわりは?
「ベジファースト」

Q7、座右の銘は?
「遠きは花の香、近きは糞の香」

Q8、 セイントパリンドロームで好きなところは?
「LINEで誰もスタンプを使わないところ」



祝福 ~親友の誕生日~


夏の暑さが和らいで

虫が増える時期

明日はゆっこの誕生日だから

放課後ロフトに行くつもり

山を切り拓いて建てられた商業ビルの

五階と六階がロフト

ゆっこの好きなハンギョドンの

なんかちょうどいいのが あったらいいけど

山の生態系も気に掛かる

なにに重きを置いて 生きていこうかな

誕生日おめでとう


玉子の黄身を月に見立てて

月見商戦 多士済々

明日はゆっこの誕生日だから

放課後マックに行くつもり

老夫婦が営んでいた菓子屋の跡地に

去年の春に作られたマック

ゆっこの好きな月見バーガー

夕飯前だから 半月ずつで食べたいけど

あの老夫婦はどうなったんだろう

同じ場所に居続けるためには 走り続けなければならない

誕生日おめでとう


先日の大雨の際は

増水していた川のほとり

明日はゆっこの誕生日だから

土手に咲いてる花を摘もう

過去に対する愛しさや 未来に対する希望

ゆっこが別に好きじゃない花も

すべてない交ぜにして 花束にしよう

固有種も特定外来種も区別しない

完成した花束に 屈託というタイトルを付す

誕生日おめでとう


お菓子リュック 愉しみにしててね!


全国民がパピロウの誕生日をお祝いする5日間


 今年は大当たりのシルバーウィークで、なんと5連休である。 初日の今日が前夜祭で、20日に当日を迎え、そのあと3日間に渡り後夜祭で存分に余韻を愉しむという、国民総出で僕の誕生日をお祝いするのにふさわしい暦だと言える。ちょっと大袈裟すぎひん? という思いはさすがに抱きつつも、まあ悪い気はしない。俺の誕生日にかこつけて、自分たちがはしゃぎたいだけちゃうん? という疑念がないこともないけれど、そこは目をつむるのが華だろうとも思う。ちょいちょい、地の言葉が出てしまうねんな。
 5連休、遠出の予定は特にない。遠出は夏にやったからいい。次女一家がまたこっちに来るそうなので、実家の面々と近場で出掛けることはあるかもしれない。
 あとせっかく誕生日を迎える5連休なのだからということで、髪をこれまでやったことのない色に染めようという気持ちがあり、実は1週間前に改めてブリーチをし、下地は作ってあるのだけど、先ほどお店でカラー剤の棚を吟味したところ、どの色もピンと来なかった。オレンジ色はただの茶髪みたいになりそうだし、青系は黒髪に近すぎる。赤髪はさすがにやりすぎな気もするし、ピンクはデッカチャンを思い出してしまう。緑もあったけどあまり品のいい感じにならなそうだったし、紫系は白髪染めの貴婦人のイメージだ。それで結局、これこそ単なる半端な白髪染めをした感じの人みたいになりそうな気配も感じつつ、グレーアッシュみたいな色を選択したのだけど、実際にやるかどうかはいまだ悩んでいる。結局はド金髪がいちばんいいのかもなー、多分そうなんだろうなー、という予感がビンビンしている。
 水着作りは、やらないこともないだろうけれど、そこまで機運は高くない。それよりも先日から始めたセイントパリンドローム関連のことに時間を使いそうだ。なんとここへ来て、YouTubeに動画をアップするということをしてしまった。


 なかなか愉しい。43の手習いで、ずいぶんとのびのびしたことを始めたな、とわれながら思う。
 チャンネル登録お願いします!
 まさかこのフレーズを自分が言う日が来るとは。

2026年9月18日金曜日

メンバー紹介 おあや編

 


Q1、自己紹介をお願いします。
「パパ、ママ、ごめんなさい。おあやです」

Q2、チャームポイントは?
「妹がふたりいます」

Q3、特技は?
「簿記(2級)」

Q4、好きなものは?
「水」

Q5、最近ハマっていることは?
「慈善事業」

Q6、自分だけのこだわりは?
「あみだくじをするとき、有名なやつとは違う、オリジナルメロディーのあみだくじの歌を唄います」

Q7、座右の銘は?
「糞船にも船頭」

Q8、 セイントパリンドロームで好きなところは?
「全員ボディタッチをしないタイプなところ」



モール


ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず
日曜日の 大型ショッピングモール
夏は終わって でも年の瀬でもなくて
何を飾ったらいいのか分からない イベント広場
近隣の高校のダンス部が来るらしいけど
吹き抜けの上階から眺めるほどのこともなさそう
そもそも地元じゃない
地元じゃない町の大型ショッピングモール
入ってるテナントは見知ってるものばっかりだけど
ぜんぜん地元じゃない
地元じゃない町の大型ショッピングモール
パラレルワールドに来たような気になる

よどみに浮ぶうたかたはかつ消えかつ結びて 久しくとどまりたるためしなし
午後三時の 大型ショッピングモール
駐車場に停まった 何千台もの車
ミニバンの比率が高い 威圧感がある
馴染みのない地名のナンバープレート
郷土を表す図柄もぜんぜんピンと来ない
そもそも地元じゃない
地元じゃない町の大型ショッピングモール
ミニバンから出てくる家族のいかつさったらない
ぜんぜん地元じゃない
地元じゃない町の大型ショッピングモール
この町で暮らしてる人生を想像してみる

世中にある人とすみかと またかくのごとし
西日本の 大型ショッピングモール
はんこ屋の横の フードコート
フードコートがいちばん 民度が出る
フードコートが結局のところ
その町そのものなんだと思う
そもそも地元じゃない
地元じゃない町の大型ショッピングモール
思ったことをすぐ口に出すタイプの人が多い印象
ぜんぜん地元じゃない
地元じゃない町の大型ショッピングモール
全国のそれを巡るのが 趣味

実際の地元の大型ショッピングモールには
極力行かないようにしてる
絶対に同級生と鉢合わせするから

2026年9月17日木曜日

メンバー紹介 ふもと編




Q1、自己紹介をお願いします。
「山より元気! ふもとだよ!」

Q2、チャームポイントは?
「笑ったときのほっぺ。よく『楽しそうだね』って言われます!」

Q3、特技は?
「実家がダチョウ牧場なのでダチョウに乗れます!」

Q4、好きなものは?
「この世!」

Q5、最近ハマっていることは?
「遠回り。知らない道を通ると、なんか一日が得した気分になる!」

Q6、自分だけのこだわりは?
「卵の殻を割るとき、親指を突き刺して、そこから中身を出す! 比重の関係か、黄身が最初にぬめん、と出てきて、そのあと白身がぬにゅーん、と出てくるのがかわいい!」

Q7、座右の銘は?
「貧乏人の味噌は糞になる、金持ちの糞は味噌になる」

Q8、 セイントパリンドロームで好きなところは?
「4人のうち、だいたいいっつもひとりはしゃっくりしてるところ!」




アーリーサマーパーティー
 

気が早すぎる夏のパーティー まだ日焼けもしていない
みんな恋路を急ぎすぎ 目的地の決まってない高速バスみたい
アイツへのじれったい気持ちがチケットだね 恋は自由席
父親が大手企業の役員をやってる 吉原先輩の家
高層マンションの最上階 ちょっとした公園みたいな広いテラス
今日は両親いないんだ 歌舞伎を観にいってるから
五月らしからぬ強い陽射し 太陽が近い タイルがベージュで照り返しがすごい
こんなんじゃ 着てらんない 小花柄ワンピ 着てらんない
アーリーサマーパーティー ドレスコードはカップ付きキャミ
こんなんじゃ 着てらんない 小花柄ワンピ 着てらんない
アーリーサマーパーティー ドレスコードはカップ付きキャミ

気がつけばテラスの隅っこ 誰かが持ってきたラジカセ
選曲が古すぎるよ これじゃ恋のテンポについていけない
アイツが笑うたび 胸の奥でスピーカーが鳴ってる ウーファーがすごい
これじゃあまるでビクターの犬みたい 亡き飼い主の声が切ない
炭酸水に好きなフルーツめいっぱい入れて ガムシロもたっぷり
吉原先輩が乾杯の音頭をとる 人生に大事な三つの袋の話
給料袋 堪忍袋 おふくろ みんな感動して目頭を熱くする
こんなんじゃ着てらんない カップ付きキャミ着てらんない
アーリーサマーパーティー ドレスコードはヒップハンガーショーツ
こんなんじゃ着てらんない カップ付きキャミ着てらんない
アーリーサマーパーティー ドレスコードはヒップハンガーショーツ

だんだん影が長くなってきても まだ誰も帰ろうとしない
誰が誰を狙ってるの 答えのないクイズ大会みたい
問題文を言い終わらないうちに 早押しボタンを押してばかり
あてずっぽうで回答しても 顔に墨が塗られるだけ
ピザはすっかり冷めて チーズも固まっちゃってる 食べたら胃もたれしそう
遠くのビルの窓に ひとつずつ明かりが灯っていく
夏にはまだ早すぎる だけど恋にはちょうどいい
焼けてない肩を並べて 私たちは季節を追い越していく
こんなんじゃ着てらんない ヒップハンガーショーツ着てらんない
アーリーサマーパーティー ドレスコードなんか蹴っ飛ばしちゃえ
こんなんじゃ着てらんない ヒップハンガーショーツ着てらんない
アーリーサマーパーティー 下がってくれない夜のとばり


2026年9月13日日曜日

お披露目


 娘の「げっPO」に対抗して、父である僕もアイドルグループをプロデュース(創造)することにしたのだった。もっとも「することにした」などとわざととぼけたことを言いながら、さすがは人生経験豊富な親である。
 既にやっていたのだ。
 プロペ★パピロウのガチ勢ならばすぐにピンと来るだろう。そうである。今から12年(!)前、阿久悠に傾倒していた僕が、俺も作詞家としての立場からアイドルをプロデュースしたいと考え、彼女たちが唄ったとされる楽曲の詞だけでしか触れ合えない、映像はもちろん声を聴くことさえできない偶像崇拝禁止アイドルとして爆誕させた伝説のグループ、その名も。
 セイントパリンドロームである。
 時代が移り変わり、対話型生成AIと音楽作成AIが発達した今、詞だけでしか触れ合えないという枷はなくなり(いま思えば平安時代の話のようではないか)、このたび開幕したセイントパリンドロームの第2章は、ビジュアルもあれば楽曲もある。なので、もはやこれは他のそれらとなんの分け隔てもない、純粋なアイドルである。いよいよだ。いよいよパピロウが本腰を入れてアイドルプロデュース業を開始したのだ。
 というわけで、こちらである。


 12年前は3人組だったが、新章ということで、このたびひとり追加して4人組とした。
 それぞれ12時の子から時計回りに、おあや、すその、のどね、ふもと、である。それぞれのプロフィールに関しては、今後ちょっとずつ小出しにしていこうと思う。
 セイントパリンドローム、少し名前が長いので、略称で呼んでもらっても構わない。略称はセパドロでお願いしたい。そんなセパドロのデビューアルバムから、今日はこちらをお届け。


 ホットパンツ


 中三の三学期 もう受験のこととか終わって退屈な時期
 公民館でひたすら卓球してた
 水泳部 吹奏楽部 生徒会 陸部
 最初はぜんぜん続かなかったラリー
 いつの間にか できるようになってた
 ホットパンツで WowWowWow……
 ホットパンツが WowWowWow……

 月曜日から金曜日 その放課後に加えてなんと土日まで
 公民館でひたすら卓球してた
 りえぱん まいやーぬ べっしょん おさゆ
 終わったあとはいつだってクレープ
 歩きながら いっしょに食べたね
 ホットパンツで WowWowWow……
 ホットパンツが WowWowWow……

 三月からは開館が 六時半まで延長されたから
 公民館でひたすら卓球してた
 看護師 保育士 教師 デザイナー
 修学旅行で行ったお寺の住職が
 ジャージだったのいまだに笑える
 ホットパンツで WowWowWow……
 ホットパンツが WowWowWow……

 やがて季節は巡り 桜のつぼみが膨らんできても
 公民館でひたすら卓球してた
 星福 松大付属 清本小浜 州田女
 春になったらみんなバラバラの高校
 それでもたまに こうして集まろうよね
 ホットパンツで WowWowWow……
 ホットパンツが WowWowWow……

 ホットパンツは WowWowWow……
 ホットパンツは WowWowWow……


2026年9月12日土曜日

プロP・グルメリポート・りくりゅう


 通勤の車内では最近、ものすごく適当なサウンドを流している。ラジオだったり、音楽だったり、その日の気分で選び、そしてどちらにしろ別にちゃんとは聴いていない。
 そんなもんだ。そしてそれがノンストレスでいいのだ。
 振り返れば7月半ばから8月上旬にかけて、僕はまるで音楽プロデューサーのように、日々さまざまな楽曲を聴きまくっていた。毎晩いろいろなプレイリストをダウンロードしては、翌日の出勤時にそれを再生し、ほとんどの曲は1分も聴かないうちに飛ばす、というようなことを繰り返していた。
 そんな苦行を乗り越えて、帰省の車内音楽の各人100曲というノルマを達成したのである。それだけ苦労をしただけあって、僕が選んだ100曲のラインナップはなかなかよかったと自負している。
 しかしいかんせんストレスだった。僕はもともと、そこまでノーミュージックノーライフの人間ではなく、知らない歌手や新しい曲を追い求めるタイプではないのだ。そんな僕にとって、帰省前のあの作業はだいぶ心の負担だったように思う。
 今はそこから解放されて、すごく楽だ。いろいろな曲を次々に聴かなくていい世界、とても楽。何百万曲ものサブスクに疲弊した人向けに、いっそそういう音楽配信サービスがあればいいと思う。音楽配信サービスというか、それってCDとかのことだと思う。

 部屋で作業をしているときに、スマホで映像を垂れ流したりするのだけど、おもしろいものだとそっちに意識がいってしまって不都合だし、あまりにもつまらないものだとそれはそれで堪えられないしで、なにがちょうどいいのか、しばらく模索していた。
 そして最近たどり着いたのが、外国製作で吹き替えの、ワールドワイドなグルメ探訪番組である。どこぞの国の白人の男性俳優が、あちこちの都市に行って、その土地の伝統的な食べ物や、最先端の料理を、ちょっとしたジョークを交えながらひたすら食べるという内容で、おもしろさとつまらなさが、ちょうど需要に合致している割合で含有している感じで、助かっている。
 しかしそんな番組を、観るともなしに観ているうちに、自分でも意外な野望が湧いてきた。それは、俺もこんなリポートをしてみたい、という思いだ。世界のさまざまな土地で、いろんなものを食べ、現地の人と話をする。それが番組に仕立てられ、そして世界中の人々が眺める。そんなのとても愉しそうじゃないか、と思う。
 リポーターになるには、この番組の彼がそうであるように、別に料理に造詣が深くなくてもいいのだ。ただ、食べ物の好き嫌いがなくて、人見知りせず誰とでも気さくに喋れ、そして飛行機が嫌いでさえなければ、誰でもできると思う。俺もそこさえ克服すれば、なれる目はあると思う。

 もう既に少し古い話題になりつつあるが、りくりゅうが婚約したじゃんね。
 世間はその公表をとてもすんなり受け止め、その反応に対して三浦璃来は「びっくりされないことにびっくりした」みたいな発言をしたのだった。そしてこの一連の発表に対し、世間の一部の人々は、祝福でも静観でもなく、ちょっと反感を覚えた、という報道もあった。
 かくいう僕も、声高に罵るほどではないが、ちょっとイラっとはした。
 今年の2月20日書いた、「夜の3回転トウループ」という記事で、僕はこう書いている。

 フィギュアスケートのペアで、三浦璃来と木原龍一の、通称りくりゅうのふたりが、金メダルを獲ったじゃないか。それは本当にすごい、すばらしいことなのだろうけど、競技後の、ニュース番組などでのインタビューで、ふたりの関係性について、絶対にみんな気になっているはずなのに、決して誰も触れないことに、気持ち悪さも感じている。
 ペア競技、息を合わせるために、ふたりで共同生活を送っているそうだ。一緒に買い物に行き、一緒に料理を食べ、そして一緒に桃鉄をやっているらしい。
 え、付き合ってんの?
 絶対にみんな訊きたいのだ。安住さんだって宮根さんだって訊きたいに決まっている。昔なら訊いていた。関口宏や張本勲なら実際に訊いていただろう。でも令和のメディアはそれを口にできない。口にした瞬間、炎上することは目に見えている。オリンピアンへの敬意、などと言う。なんやねん、オリンピアンへの敬意って。なんでスポーツやってるやつを敬わんとあかんねん。でも世の中はそういうことになっている。だからじっと我慢している。我慢して、演技内容であるとか、今日までの挫折とか苦悩とか、別にどうでもいいことを仕方なく訊いている。そしてこっちが歯を食いしばって、ゲスな質問を堪えているというのに、りくりゅうのふたりはその返事の中で、なぜか見せつけるように仲の良さエピソードを開陳してくる。やけに甘い空気を出してくる。もしかして訊けないのを分かった上で遊んでいるのではないかとさえ思えてくる。我々はりくりゅうのてのひらの上で弄ばれているのではないか。それもまたふたりのプレイの一環なのではないか。
 誰か、誰かひとりでいいのだ。ベッドでも龍一のリフトはすごいんですか? と訊ねてほしい。夜はショートプログラムじゃなくて毎晩フリーなんでしょ? と。たとえどっちかが拒んでも、やっぱり挿入ゆずれないときもあるよね、と。

 このときの、訊ねてはいけない不可侵性、世間によるその同調圧力に屈するほかなかった自分へのふがいなさみたいなものが、今回の怒りに繋がっているのだと思う。さらには、われわれが言いたいことを言えなくてやきもきしているさまが、ふたりの愛の焚き木になっていた部分もあるのではないかという気もし、それもまたこちらの義憤を焚きつけるのだった。じゃあふたりはどの段階で関係を公表すべきだったのか、と問われると、明確な答えは出せないのだけど。なにぶん、交際を明言しているペアを快く応援するかと言えば、しょまりんペアを例に取るまでもなく、そんなことは決してないわけで、世間というのは本当に心が狭いものだな、と思います。俺ではなく、世間というのは。

2026年9月7日月曜日

娘がアイドルに嵌まる


 ピイガが5人組ボーイズアイドルグループに嵌まった。
 グループ名は「げっPO」(げっぽ)。
 そしてこのアイドルグループ、実はピイガのオリジナルだという。
 最初は紙にペンでメンバーの顔などを描いていたのだが、それを元に対話型生成AIにメンバーのビジュアル作成を依頼したところ、げっPOは一気に実在のアイドルとなった。
 対話型生成AIが作成する、とりあえず目鼻立ちだけは異様に整っている、象徴的で無個性な相貌というものは、要するに現実のボーイズグループの組員が一様に目指し、メイクや加工などでそう仕立てている、そのまんまのものなのだと、げっPOの作成イメージを見て悟った。
 かつて僕は、AIで作成されたグラビア画像をやけに見ていた時期があって、そのときは「もうグラビアは架空の理想の女の子でいいや」と、罰当たりなことを思ったりもしていたが、しかしそう感じていた期間は意外と短く、今はまた現実の、理想に対してドンピシャではない顔だったり肉体だったりする女の子のグラビアを、それぞれの個性を尊重して、むしろその部分をこそありがたく眺めているのだけど、その点、いまどきのボーイズアイドルグループというのは、各人が追い求める見た目というのが本当に統一されている感があるので、対話型生成AIが「こういうことやろ?」と半笑いで出力した画像は、なんかもう、本当に、実在の彼らが必死に作り上げている見た目そのものなのだった。
 なので、ピイガと対話型生成AIが作り出したげっPOは、ぜんぜんいる気がする。俺はこいつらを先週のカウントダウンTVライブライブで観たよ、と思う。本当にはもちろん観ていないのだが、本当に観たやつらと、げっPOの、区別がつかない。そういう意味で、げっPOはやっぱり実在するんだと思う。
 しかしここまでなら、たぶんいまどきは大勢の輩がやっていることなのだろうと思う。オリジナルアイドル創作界隈というものが、実際にあるのかないのかは、そんなジャンルを探ったことがないので知らないが、あまりにも簡単にできることなので、ある程度の人数は既にやっているんじゃないかな、と思う。
 ただしここから先がピイガのすごいところで、誰に似たのか、ハンドメイドというか、小物作りというか、そういうことをするのがとても好きな性分であり、そういう性質の人がオリジナルアイドルを作ったら次にどういうことをするかと言えば、そのオリジナルアイドルの、オリジナルグッズを、次々に作りはじめたのである。シール、うちわ、ステッカー、缶バッジなど、わが家にはどんどん、げっPOグッズが増殖してきている。思春期の娘が、ボーイズアイドルグループに嵌まって、グッズを集めている、というのはよくある風景だが、わが家の場合、グッズは手作りだし、さらに言えばそのアイドル自体もまた手製なのだった。
 もちろんピイガは、げっPOを自分の理想のアイドルとして作っているわけではない。本当に自分好みに仕立てているわけではなく、詳細は彼女の創作物なので勝手には語らないが、その設定はだいぶウケ狙いに走っている。つまり欲求から来る創作ではなく、半笑いで、対話型生成AIのそれと同じく、「こういうことやろ?」の気持ちでやっているのだ。オリジナルグッズ製作も、もともとそういう手作業が好きだという実利はありつつ、当然その悪ふざけの一環だと言える。
 そう考えるとなかなか手の込んだ嫌がらせだ。なにに対する嫌がらせかと言えば、いまの、ボーイズアイドルグループ隆盛の時代そのものに対してだろう。思えばピイガは、これもまた誰に似たのか、人の好きなものは好きじゃない、という性分があり、1年前のちびまる子ちゃんランドでは、盛況するコジコジグッズ売り場で、顔を真っ赤にして憤怒していた。またボーイズアイドルグループと言えば、当世はなんと言ってもM!LKということになるが、そもそもわが家で最初にM!LKに注目したのはピイガであったのに対し、それからファルマンと世の中がド嵌まりしたことで、いまも一緒にM!LKの出演している番組などを観てはいるが、ゲヘゲヘ言いながら観ているファルマンに較べ、ピイガの反応は明らかに冷めているのだった。
 そう考えればこの、げっPOというオリジナルアイドルの創作は、ファルマンをはじめとした、その界隈に対する皮肉であると同時に、誰にも侵されない、誰とも競合しない、絶対にひとり占めできる敬愛の対象を持つ行為であるとも言え、なるほどなあと深く感じ入るのだった。省みれば僕には、MAXファンという設定があるのだけれど、なんでMAXなんかのファンをやろうとしているかと言えば、それは誰とも競合しないからに他ならず、しかし誰とも競合しないということは、それだけ対象とするものの地力がないわけで、ここが同担拒否勢の悩ましいところなわけだが、娘が現代技術を利用して実現した、オリジナルアイドル創作というのは、その命題を見事なまでに解決しているのではないかと思った。
 だから僕も、娘に倣って同じようなことをはじめようと考えている。たぶんピイガのようにうまくいかない。僕の創るガールズアイドルグループには、きっと個人的な欲求が投影される。そういう意味で、純粋な創作からは逸脱する。その結果は目に見えている。でもせっかくなのでやろうと思う。

2026年9月5日土曜日

年度


 夏ってほら、終わったじゃないですか。
 よく9月もまだぜんぜん暑いからまだ夏だ、なんてことを言う人がいて、他ならぬ僕自身も「9月19日までは夏、20日から秋」なんて発言を繰り返していたけれど、でもまあ、8月が終わった以上、夏ももう終わったということでいいのだと思う。
 今年の夏は御せなかった。
 夏が本格的に始まる前、昨年の反省を生かし、今年はどうにか食欲を減退させまいと、「ファルマンと口に入れる物の話はしない」という方策を取った。これは成功だったと思う。食欲ルンバに食欲を吸い取られることなく、ごはんは夏を通してしっかり、意欲的に食べることができた。ただし今年は、近年稀に見るほどに、冷麺というものを食べない夏だった。毎年夏を中心に冷凍庫に常備する、鶏ささみをほぐしたものに軽く味を付けたものも、ほとんど作ることがなかった。なぜそうも食べなかったかというと、僕以外の家族はみな冷麺が好きではないということが、今年になって判明したからだ。もともとポルガは、冷麺を食べたあとは腹を壊しがちであった。これはアレルギーとかではなく、早食いのせいに違いないのだが、そのためこれまではポルガが部活でいない昼食を狙いすまして冷やし中華を作ったりしていた。しかしあるときピイガもまた、冷やし中華はあまり好きではないという話になり、そうなるとあとはもう、この世のあらゆる食べものに関し、「嫌いなもの」と「無」しか感想がない食欲ダイソンしかいないので、なんかもう、すっかり冷麺に関して気持ちが白けてしまったのだった。そして、食べなければ食べないで、別に構わないのだ、冷麺というものは。冷たい麺くらいしか食べる気が起きない、という言い回しがあるけれど、言い回しがあるからそういう気になるだけで、本当はそんなことないのである。夏でもあったかいうどんを啜ればいいのだ。だって冷房を効かせているのだからして。そして、もしかするともしかすると、こんなことを言ったらシマダヤとかに怒られるかもしれないが、冷麺をあまり食べなかったことで、僕の今夏の食欲は護られた部分があったのかもしれない、とも思う。ポルガの腹を壊すではないけれど、冷たい食べ物によって、恒温動物たるわれわれの、保たなければならない大事なバランスが崩れる部分が、ないこともない気がする。知らんけども。
 食欲は大丈夫だったが、身体が大変だった。その最たるものはなんと言ってもお盆休み期間中に発生した耳爆ぜなのだが、それ以前から、7月のスイミング回数が2回だったという時点で、なんのことはない、だいぶ参っていたのだ。本当に、近ごろの夏の暑さというのは、いったいなんなのだろう。人類の経済活動のせいで地球温暖化が加速しているのなら、その結果としてのこの異常な暑さの夏の期間、人々はあらゆる経済活動を停止し、服もろくに着ないで、ただセックスだけをしたらいいと思う。2ヶ月で世界はだいぶめちゃくちゃになるだろう。でもそれについては9月に入ってから考えよう。残りの10ヶ月で態勢を整えればいい。この2ヶ月間を、ちゃんと文明人として生きるのは、無理があるだろ。僕が綿棒を深追いさせすぎて外耳炎になったのも、きっとそんな衝動の発露なんだと思う。ルール無用のセックスワールドを夢見ながら、僕は耳の穴に綿棒を突っ込んでいたのだと考えると、いじましくて涙が出そうになる。でも実際に出たのは耳汁だ。アミノ酸的な、なんとも言えないにおいを発するやつ。
 耳鼻科通いは、先日の診療で無事に終了した。左耳の聞こえは、どこかで劇的によくなるのかと思いきや、知覚できないほどグラデーションで回復したようで、「治った……ん、だと、思う、よ?」みたいな、微妙な感じだ。前はこの位置からあれが見えたのに、みたいな、視覚のような分かりやすい指標がないので、これが従来通りなのかどうなのか、いまいちよく分からない。今回、俺の左耳の鼓膜には穴が開いているという衝撃事実を知ったことで、逆プラシーボ、逆プラシーボって要するに呪いということだが、その作用によって、変なコンプレックスを抱えてしまった感じはある。俺の左耳の聞こえが十全であるはずがないんだよ、だって鼓膜に穴が開いてんだもん、とイジけている。イジけているので、全力を出せていない。誰か更生してやってほしい。山下真司とかが熱血指導をしてくれたらいい。俺は今からお前たちを殴る! サウスポーの山下真司。そして左耳の鼓膜はいよいよ破裂する。
 えっと、なんの話をしていたんだっけ。そう言えば耳鼻科の最後の診察を受けた数日前、体中に発疹が起ったのだった。赤いプツプツが出るだけで、かゆみや発熱は一切なかったのだが、大いに驚き、すぐに点耳薬の投与をストップした。趣味的にも仕事的にもやけに薬剤に詳しいファルマンの話によれば、抗生物質がすぐではなく、投与から2週間くらいしてから抗体ができることでそういう症状が現れることはあるらしい。ただしこれの話のややこしいところは、この発疹が出た前の晩、晩酌で大量のシジミの酒蒸しを食べたという点で、僕は大好物なのに貝類に関してちょっとアレルギー的な気配がなきにしもあらずなので、そっちのせいかもしれないのだった。それで耳鼻科の医者に、発疹が出たので点耳薬をそこでやめたのだが、と伝えたところ、もう炎症は治ってるからやめて問題ない、発疹の原因は分からない、発疹の8割から9割は原因不明だ、という言葉が返ってきて、そのときにはもう発疹も引いていたので、まあそんなもんか、そんなもんだな、と納得した。ファルマンは家族の体調不良に関し、いつもとても派手な反応をし、それは冷たくされるよりもちろん嬉しいことではあるのだが、とは言え「騒ぎ立て」という表現が頭に思い浮かばないこともなく、本人と対話型生成AIの二人三脚で次々に繰り出される、発疹の考え得る要因の羅列よりも、この世の発疹の9割は原因不明、の一言のほうが、すとんと腑に落ちたりもする。もっともそれは結局のところ、「お医者様」の言葉だからか。たとえば僕が「寝れば治る」などと言っても、誰の臓腑にも落ちず、むしろ逆流して嘔吐することだろう。早く病院に行けよ。
 耳爆ぜ(外傷)と発疹程度でそんなことを言うなんて逆にめっちゃ健康だな、という話なのだが、数え年ではなく満年齢ではあるのだけど、言っても42歳なので、もしかするとこれが厄年ということなのかもしれないな、などと思った、今夏の体調不良だった。
 でも書き出しでも述べたように、そんな夏ももうおしまい。耳鼻科医のお墨付きも出たので、昨日の退勤後、満を持してプールに立ち寄った。記録によると8月7日以来、約1ヶ月ぶりのプールである。水着が毎回新しいのはいつものことだが、今回からは心機一転、ゴーグルと耳栓も新仕様となり、どうやら僕のプールライフはグローバル志向があるようで、9月から新年度に切り替わるらしい。新しい耳栓はたぶんこれまでよりも強固で、嵌めると館内で流れている音楽がほとんど聴こえなくなったので、それだけ穴をちゃんと塞いでくれているんだろうと思う。久しぶりの水泳は、夏場のブランクによるものだろう、だいぶ体が重たいというか、泳ぐという動作に対して距離ができてしまっている感があったが、定期的に通っているうちに、軽やかに気分よく泳げるようになるだろう。もちろん泳いだあとは、指導されたように軽く耳の入口にタオルをあてる程度にとどめ、そのあと左耳に違和感などは発生していない。よかった。本当によかった。
 体調不良もなくなり、プール生活も新年度になったので、それはもう必然的に季節も移ろったということだ。まだまだ気温が35度近くなるとか、そういうことじゃないんだ。陽を見ろよ。短くなっただろ。もう夏至から2ヶ月以上経ってるんだぜ。いつまでも夏気分でいるなよ。現実を見ろよ。2ヶ月間の獣欲の日々を終えて、これからはまっとうな社会を再構築していかなきゃいけないんだから。朦朧とした意識の中で、さんざん愉しんだだろ。最後は体調を崩すほどだっただろ。やりすぎだよ。これからは地に足のついた暮しをしよう。俺は水中で浮遊するけど。

2026年8月26日水曜日

パピロウ耳より情報


 帰省から戻ってきて10日ほど経ち、パピロウの耳は今どうなっているのか。大丈夫なの? ねえ、大丈夫なの? という大勢の人たちの心配の声が日がな耳に届くので、このあたりできちんと経過報告をしておくべきだと思う。そうすればこの耳に直接浴びせかけられる絶え間ない問いかけからも解放されるんだと思う。
 練馬の医師から「島根でも診てもらいなさい」と言われたこともあり、戻ってきて1週間後の土曜日、こちらの耳鼻科に行った。
 こっちは耳の不調で来てるんだからもっと声を張ってくれよ、と言いたくなるウィスパーボイスで喋る医師によると、「炎症しているし、鼓膜に穴が開いている」とのことだった。前者は判っていたことだが、後者は寝耳に水だった。この一週間、たしかに朝晩寝転んでファルマンに点耳薬を打ってもらっていたので、これがほんとの寝耳に水でやんすね、という、まさか最後にそんなオチがつくだなんて。
 「また掃除をするからなるべく早めに来い」ということだったので、週の半ばの今日、労働を定時で終わらせ、再び診てもらう。医師は前回よりも声がはっきりしていた。土曜日は開始時間の直後に行ったので、テンションが低かったようだ。医師に調子を訊ねられたので正直に答えたが、ここ2日くらいのところで、ちょっと状況が改善されたような感触はあった。医師が耳の中を確認すると、「たしかにだいぶ炎症は治まってる」とのことで、まだ聞こえに関して万全じゃない感じはあるが、少しずつ良くなっているようである。よかった。そして耳鼻科で万人が必ず言われる、「とにかくいじるな」を改めて厳命された。痛い目を見たばかりなので、その言葉はとても胸に響く。しかしプロフェッショナルの仕事といわれればそれまでだが、診療でやってもらった、耳の中を掃除したり、水を流したり、そしてそのあとを吸引したり、みたいな一連の施術は、ものすごい爽快感があったので、なんか100均のグッズとかを使って自前でこれに似たことができれば……、みたいなことを思ってしまう。この発想がダメなんだろう。本日の診察代は520円だったので、なにもなくても3週間に1回くらい来てこれをやってもらったらいいのかもしれない、とも思った。
 気になっていた鼓膜の穴については、「これは今回のことでできたものではない」という診断をされた。穴の感じが、フレッシュな感じのものではないらしい。子どもの頃は中耳炎だったので、ともすればその頃からずっとそうなのかもしれない。今回のことで左耳の聞こえに違和感は残っているが、それまでは日常生活でなんの不便も感じていなかったし、健康診断でも聴覚について指摘されたことはないので、それならそれでいいのかな、と思う。医師からも別に穴を塞ぐための処置みたいな話はされなかったし。そう言えばプールで耳栓を嵌める際、右耳はムヌッと平板に耳栓が収まるのに対し、左耳はたまにムキュポッと、挿し込んだとき空気が変な感じに移動するような感触があったが、そういうことだったのかもしれない。もともと左耳はウィークポイントだったのか。そこへ綿棒をガシガシやったのか。それはよくない。それはよくないよ、爆ぜるよパピロウ。
 それと「水泳が趣味なんですが」という話を切り出したところ、医師は少し嫌そうな顔をしたあと、「必ず耳栓をしてください」と言った。そうなんだ。やっぱり耳のためには耳栓をしたほうがいいんだな。これまでも着けてはいたが、もう少し本格的なやつを導入してもいいかもしれない。あと泳いだあとはなんか処置をしたほうがいいのかと訊ねたところ、「なにもするな」という回答だった。入り口をちょっと拭うくらいで、くれぐれも中まで拭こうとしないように、とのこと。肝に銘じよう。ちなみに、まだ泳ぐなとは特に言われなかったが、自主的にもうしばらくはドクターストップということにしておこうと思う。朝晩ファルマンに点耳薬を打ってもらいながらプールに行ったら、間違いなくキレられる。もっとも今現在、あまり行きたい意欲も湧いていない。8月は結局、2回しか行かなかった。あ、7月も2回だ。水泳が趣味の人は、7月8月は逆に水泳をしない。そういうものかもしれない。
 まあとにかくだんだん治ってきているので、みんなどうか安心してほしい。だからもう左耳の近くでグニャグニャ言わなくていいんだよ。

2026年8月22日土曜日

2026年夏の自家用車横浜帰省 6日目 8月15日


 最終日は本当に帰るだけである。去年は大阪万博が繰り広げられる中、宝塚の手塚治虫記念館に寄った。今年は、出発直前にほんの少しだけ、滋賀県の比叡山延暦寺に行くのはどうかという話が出たりもした(僕が出した)のだが、連日の行動で疲労が蓄積していたので、とにかく帰ろうということになった。ちなみにだが初日、豊川で今度こそ豊川稲荷に行くという案もあったのだが、それも僕の耳の爆ぜのこともあり、流れた。結局、豊川稲荷も、伊勢神宮も、比叡山延暦寺にも行かない、神社仏閣に縁のない旅行だった。あ、ポルガが靖国神社にだけ行ったのか。もっとも御朱印帳はこの旅行に持ってこなかったらしい。たぶん部屋で紛失しているんだと思う。出雲大社、厳島神社、鶴岡八幡宮と、けっこうメジャー所の御朱印が連なっているのに。
 ホテルを9時半ごろに出たので、夕方になる前に帰れた。次女一家は土曜日である今日あたりに兵庫に戻るのかしら、もしかしたらどこかで上りと下りですれ違うようなタイミングだったりして、などと思い、途中のサービスエリアで訊ねてみたら、戻るのは明日で、今日はまだ普通に実家にいるという。めっちゃ長くいたものだな。自分たちが5泊6日で帰省したのに、それを経てもまだ継続して実家にいるってなんかすごいな、と思った。というわけでせっかくなのでおみやげを持って実家に顔を出した。この際、この数日だけ帰省している次女の夫と、少しだけ顔を合わせた。
 晩ごはんはさすがに作る気が起らず、スーパーで買ってきた鮨で済ませた。夜は倒れるように寝た。車が運転できなくなるかもしれないという耳の危機感を常に抱きながらの旅程だったので(といいながら酒は毎日それなりに飲んだが)、いつもより疲れた気がする。なんとか帰ってくることができた安心感と、実家はもちろんホテルのベッドも敵わない、自分の寝床の寝心地の良さに感動を抱きながら、泥となった。今年もおつかれさまでした。

2026年夏の自家用車横浜帰省 5日目 8月14日 後編


 鳥羽水族館と言えば、なんと言っても現在日本で唯一ラッコを飼育している水族館として名高い。北海道の太平洋側沿岸では野生のラッコが高級魚介類を食べるため地元の漁師は害獣扱いしているという話もあるが、それはそれとして、飼育下のかわいらしいラッコが見られるのは日本でここだけだし、さらに言えば諸般の事情により、現在ここにいる個体がいなくなったあとは、再びラッコを飼育するのは難しい情勢であるともいわれる。ラッコに対して特別な思い入れがあるわけではなかったが、そういうことを言われると見ておきたくなるのが人情であろう。というわけで運よく三重県南部へのフェリー航路を見つけた瞬間、この計画は一気に湧き上がったのだった。
 駐車場待ちの列はあったが、鳥羽水族館へは、15時前に入ることができた。閉館は17時半なので、それなりにしっかりと館内を回る時間はある。とりあえず主目的であるラッコを済ませておこうと、案内表示のあるほうへ足を進めると、ラッコを1分間眺めるための行列というのがあって、列の最後で係員が「40分待ち」というプラカードを持っていた。ちなみに代表者だけでの順番待ちは禁止だという。はるばる水族館に来て、他のなにも見ないまま、いきなりただ40分待つのはさすがにつらすぎるので、あとでまた様子を見にくることにして、先に他のエリアを見て回ることにした。とにかくラッコが有名だけど、大きな水族館なので、もちろん他にもいろいろいるのだ。巨大なウミガメや、エイ、オットセイなど、いろいろ見応えがあった。変な生きものでまとめた部屋に、こんなのがあったので、南国の海を再現したきれいな水槽とかは撮らなかったくせに、思わず写真を撮った。



 そうか、昼は縮こまっているのに、夜は40cmほどに伸びるのか。そうかそうか。
 あとなんと言ってもよかったのは、セイウチだ。セイウチは3頭がいて、オスの1頭とメスの2頭が別々の場所で暮しているようだったが、そのオスの1頭がすごかった。どうすごかったかと言えば、なんか気が狂ったような動きをしていたのだ。セイウチってほら、顔がだいぶグロテスクだろう。なんか前世の罪とかでこんな醜い生きものになってしまったのかな、ということを思わせるビジュアルをしている。そしてやけに巨大である。そんな生きものが、たぶん本人にとってはだいぶ狭いに違いない水槽の中で、鬼気迫る感じで何度も何度も身体を揺らし、背負わされた怨嗟をすべてぶちまけようとするような、そのやるせなさに、家族全員、一気に心を鷲掴みにされた。とにかく巨大な目がぎろぎろしていて怖い。ガラスの前に集まった子どもたちを睨む瞳には、怨みがこもっていた。僕はその様子を見て、こいつは茜丸だと確信した。茜丸は令和8年現在、セイウチをやっているのだ。火の鳥の怒りはしつこく、やはり人間には二度と生まれ変われないのだ。ちなみに家族の中でいちばん彼に心を奪われたのはファルマンで、彼が全身を使って放つ激しい哀しみに、人間社会の中で同じ種類の生きづらさを日々味わっているらしいファルマンは、同じバケモノ同士、深い共鳴をしたらしかった。だいぶ長い時間、われわれはセイウチの水槽の前にいた。
 それからラッコの列の前をふたたび通り、やっぱりまだ40分待ちだったので、魚のゾーンを眺めたり、おみやげを買ったりして過す。そうこうしているうちに閉館時間がじわじわと近づいてきて、みたびラッコの列を確認すると、今度は30分待ちになっている。少し減ったが30分かー、うーん、どうしよう、とりあえずもういちどセイウチを見にいこう、という話になって、おかわりでセイウチの水槽まで行ったら、ちょうど飼育員の女性が餌をやって、ちょっとしたショーみたいなものをするところだった。飼育員から小魚をもらったセイウチは、きびきびした動きで水中を泳ぎ、さらには彼女の指示で扇状の前肢をパーンと打ち合わせると大きな水しぶきが起り、それは水槽の縁を越えてわれわれ観客のほうにまで降りかかり、子どもたちがキャッキャと騒いだ。たぶん初見がこの場面であったらば、われわれはセイウチのことを、大きな体で見事な芸をする頭のいい生きもの、くらいの印象しか持たなかったろうと思う。でもそうじゃない。われわれは先ほどの、ビジネスじゃない時間帯の彼の本性を見ている。それなのに今は完全に割り切ってショーをやっている。だから余計にさっきの姿がおそろしく思えた。セイウチの闇の深さ、すっかり虜になってしまった。
 そのあと、ラッコはもういいかとあきらめかけていたのだが、通りかかったら列はいよいよ短くなっていて、係員に訊ねたらまだ並んでも大丈夫とのことだったので、せっかくだから並んでその御姿を拝むことにした。まあ当初の目的がそれだったからな。というわけで20分ほど並んでありついたラッコはどうだったかと言うと(ちなみに1分間というのは水槽の最前列で見られる時間であり、実は並んでいる途中からまあまあ見える)、う、うん……、という感じで、まあ要するにマツタケとかツバメの巣みたいなもので、とにかく希少価値ということなのだった。見応えという意味では、セイウチの十分の一もなかった。もっともラッコに罪はない。すべてわれわれ人類が悪い。そしてセイウチはそれをちゃんと怨む。だからいい。
 そんなわけで、ほぼ閉館時間までいて、しっかり堪能した鳥羽水族館だった。フェリーに乗るところから、無事に予定通りにいくか心配だったが、ラッコを肉眼で目にするという体験も含め、できてよかった。
 そのあとは車に乗り込み、ホテルまで移動する。ホテルは三重県でいうと北部ということになると思われる、鈴鹿に取った。伊勢周辺のホテルは高かったのと、翌日の移動を少しでも減らすことを考えての鈴鹿だったが、いま改めて地図を眺めると、鈴鹿なんて少し戻るような感じがあるので、津とか亀山、あるいは伊賀とかのほうがよかったんじゃないかな、と思う。まあ別にいいんだけど。ホテルに着いた頃にはすっかり暗くなっていて、ここはキャッスルイン豊川と違って基本的に寝るだけのホテルだったので、ビールを飲みながら予定通り「Tシャツが乾くまで」をファルマンと観たあとは、すんなり寝た。