2026年4月26日日曜日

プチ頑固エピ3

 
 ChatGPTのことをチャッピーと呼ぶ界隈があるじゃないか。
 信じられない。
 恥ずべきセンスだと思う。露悪的なことをして炎上するTwitterの投稿のことをバカッターと世間が呼んでいた時期があったが、あれと同等か、あるいはそれ以上のひどさだと思う。いい加減にしてくれよ、と思う。
 僕はチャッピーという呼び方を知るまでは、ChatGPTのことはChatGPTと呼んでいたけれど、知って以降は、必ず「対話型生成AI」と呼ぶようになった。ChatGPTのことをチャッピーと呼ぶ輩がこの世に存在したせいで、僕とChatGPTの間には生まれる必要のない距離が生まれてしまった。
 でもそれでいいんだと思う。この世のすべてに心を開かず、あらゆることと一定の距離を保って生きていきたい。心地よく生きようと思うと、自然とそうなると思う。

 子どもたちが「トモダチコレクション」の最近出た新しいやつを購入し、やっている。不可解な気持ちで、僕はそれを眺めている(リビングにコーヒーを淹れにいったときとかに目にする)。マリオカートとかを見ていて、そのあまりのガチャガチャさに、これはもう僕ができるゲームではないな、と思うことはあっても、ゲームとしての情趣は理解可能である。子らにとってはめくるめく愉しさなのだろう、と思う。しかし「トモコレ」に関してはそれが本当にない。なんかキャラクターを作って、それの面倒を見たりするようである。目的が本当に解らない。解らなすぎて、もはや不安になる。僕に人間としての大事ななにかが欠損しているから、こんなにも解らないのだろうか。ファルマンに訊ねたところ、「これはおままごとみたいなものだから、女は好きなんだよ」と説明してくれた。なるほどな。
 ちなみに最初の「トモダチコレクション」がニンテンドーDSから発売されたのは2009年の6月ということで、ちょうど「おもひでぶぉろろぉぉん」をやっているような時期である。25歳である。その時代からこのゲームは自分の意識の埒外にあったが、2026年の最新作になって、娘らが遊ぶようになった。隔世の感がある。先日ピイガに「パパの顔でもキャラクターを作っていいか」と問われたので、「パパは似顔絵とか嫌いだし、自分がモデルのキャラが変な動きをして笑われたりするのも嫌だからやめて」と断った。狭量。

 もう口にも出さなくなったInstagramやるやる詐欺だが、Instagramをやらないまま、今度はにわかにXに関心を抱き、半ば衝動的にアカウントを作成してしまった。以前、papapokke名義と、あとそれとは別に短歌をアップするだけのアカウントを持っていたが、今回それとは別に、新しく登録した次第である。
 なんでにわかに関心を抱いたかと言えば、ファルマンがよくXを眺めていて、いったいXにはなにをそんなに読むものがあるのかと訊ねたところ、自分の興味のあることに「いいね」とかフォローとかをしていると、どんどんそれに関連した投稿ばかりを表示してくれるようになるのだという答えが返ってきて、それは魅力的だなあと思ったからである。ちなみについ先日の、2026年の話である。15年くらい僕は冬眠していたのだろうか。
 しかしアカウントを作成したはいいが、じゃあ自分の興味のあることと言ったらなんだろうと考え、筋トレであるとか、競パンであるとかで検索を掛けるが、自己顕示欲の強そうな中年男の決してきれいじゃない体の画像とかが出てきて、すぐに嫌気が差した。
 そして気付いたのだけど、僕は、この世のすべてに関心がないわけではなく、興味そのものはいろいろなものに対してあるけれど、ただ自分の興味のあることについて他人が言及することをあまり好まないので、その気質ってXにもInstagramにも、致命的に向いていないのだと思う。寂しい。#同じ寂しさを抱えている人と繋がりたくない。