2026年1月7日水曜日

いわおとなりて


 にわかには信じがたいことなのだけど、どうも僕の妻は、僕の日記を、ぜんぜん読もうとしない。前からうすうすそんな気はしていたのだが、去年までは1ヶ月に10記事書ければいいよね、というくらいの不定期投稿だったから、そういう感じになるのも仕方ないと看過していた。しかし新年になり、ブログが収束し、今のところ毎日なんとか記事を投稿している。それがずっと続くかは分からないが、なるべくはそうしたいと考えている、ということは3日前に書いた。そしてその翌日あたりから、僕の平日が始まり、妻と一緒にいる時間が減り、「日記を書いたから読んでよ」という声を掛けたりしなくなったことで、妻はたぶん普通に、僕の日記を読まなくなっている。本当に。普通に。
 なんて哀しいことだろう。別に妻に向けて日記を書いているわけではないが、ただでさえ人に読まれているのかどうかまったく判らないのに、とうとう妻にまで読まれなくなってしまったら、もういよいよこのブログというものは、読まれず、ただ書かれるだけの、ならば書いたそばから消え去ってもなんの問題もない、白い紙に白いペンで書いても、あるいはエア紙にエアペンで書いてもなんら支障のない、幽玄すぎる存在になってくる。
 こういうことを言うと、妻は心底めんどくさそうに、「私が読まなくても誰かが愉しく読んでるよ」などと適当なことを言うのだけど、他ならぬ配偶者である。好き合って婚姻関係を結んでいるのである。その配偶者が、配偶者の日記に興味を持たないのだとしたら、いったい誰が持つというのか。持つはずない。そんな者がいるはずない。どんな低レベルの内容でも配偶者だけは褒めてくれる、なぜなら配偶者だからだ、というふうに考えたとき、ならば配偶者にさえ見限られた日記は完全に無価値だということになる。それがこれだ。
 たとえば妻が、文盲であったり、あるいはネットとかを一切しないタイプだというのなら納得もいく。しかしもちろんそうではない。僕の妻はかつてブログマザーと崇められるほどのブロガーだった。今はもうブログはしていないが、もちろんネットはしている。生成AIとか、Xとか、ずっとやってる(ずっとやってる、と言うと怒る)。生成AIやXがよほど愉しくて、それらに較べると本当に、ただシンプルに、配偶者のブログは見劣りするので、それで読むほうに意識がいかないのだろうと思う。幸か不幸か、ここに特別な恣意はない。毛嫌いとかをされているわけでは決してない(と信じたい)。たぶんただ単に、生成AIやXのほうがおもしろいから優先するという、それ以上でもそれ以下でもない理由で、妻は僕の日記を読まないのだと思う。そんなにも哀しいことが人生に他にあるだろうか。
 この記事は一種の実験である。妻はこの記事に対していつリアクションをするか。もしかすると、苔が生すまでしないかもしれない。