今年も無事に決行され、そして戻ってくることができた、本州横断帰省であった。
ちなみにこの「無事に」というのは、あくまで決行されたか否かの部分にだけ掛かっていて、道中で何事もなかったという意味ではぜんぜんない。わりと波乱に満ちていた。
2年前、初めてこの形式での帰省をしたとき、お盆の1週間前くらいに宮崎県で大きな地震があり、それは南海トラフ地震の前触れかもしれないから警戒するように、などと言われ、そんなタイミングで山陰に住むわれわれが、近畿および東海地方をひた走って関東の実家に行くのかよ、という状況の中、それでも実行し、結果的に南海トラフはなかったのだけど、復路である横浜の実家を出発する際は、関東に台風が接近していて、東海道新幹線が計画運休などする中を、ギリギリでかわすように豊川まで脱出するという、なかなかのアドベンチャーがあったが、今回もそれを彷彿とさせるレベルでスリリングだった。
なんてったってこの進路である。
通常通りの、西から東に進む台風ならば、数時間程度にしろ、できる範囲で予定をずらして対応することもできるだろうが、真っ向からやってくる相手には対処のしようがない。正面から立ち合って、がっぷり四つの構えを取るしかない。要するに、なすがまま、ということである。それにしたって本当にすごい進路だ。ほぼわが家の通ったルートじゃないか。ご丁寧なことに、熱帯低気圧に変わるのは山陰沖だという。もしかするとわが家の道程は、台風のための露払いだったのか。そしてなぜ僕はこんなに台風を相撲に喩えるのか。
それで、実際に移動の際の天候はどうだったかと言えば、10日の時点ではまだ台風は太平洋沖にいたので、そこまでではなかった。往路の宿泊先は安定のキャッスルイン豊川だったのだが、9時にこちらを出発し、幾度かの休憩を挟みながら、目立った渋滞もなく、最後に少しだけ雨はあったものの、16時前には到着した。
それ自体はとても順調だったのだが、ひとつ問題があり、僕の耳が爆ぜたのである。
急になにを言い出したんだ、という話だが、実を言えば前兆はあった。半月ほど前から、左耳が詰まるような違和感が時折あって、嫌だなあと思っていた。それで、いま思えば絶対によくなかったのだが、詰まっている感じのなにかを排除しようと、わりと綿棒をやっていた。さらにはひとつ前の記事で報告したように、あろうことかそんなタイミングでプールに行ったのである。これもきっとよくなかった。だからたぶん、出発の時点で僕の耳の状態はだいぶよくなかったのだと思う。そこへ、ふたつだかみっつだかの台風に取り囲まれた日本の、起伏のある道を爆走したのである。それはもう、爆ぜるよ。走っている途中で、詰まるとか、プツプツする感じとかとは別種の、物理的な違和感を感じて、ティッシュを耳にあてたら、嫌なにおいのする無色の液体が出ていた。うひゃあ、と思った。
ただ液体が出るだけで、痛みなどは特になかったため、1年ぶりのキャッスルイン豊川で、サウナに入ったり、ビールを飲んだり、という部分はしっかり堪能した一方で、部屋のベッドで横になり、左耳から液体が滲み出る感触を気にしながら、「悪化したらどうしよう」という絶望に近い危機感を抱いていた。想起したのは2015年の夏にやった、めまいだ。めまいになったらとても車の運転などできない。だが、できなかったらどうするのか。だって6時間あまりかけて愛知県に来てしまっているのだ。愛知県に車を置いて、電車で帰り、回復してからまた取りに来なければならないのか、などと暗澹たる想像が浮かんだ。このとき、その不安を実際に口に出すことはなかったのだけど(けなげだなあ)、旅程の最終盤、どうにか自宅に帰ることができそうだという算段がついたところで、「実はあのときそういう恐怖を抱いていたのだ」とファルマンに打ち明けたら、「そんときゃ私が運転したわ!」と即答された。そう即答されて、自分があんな状況に置かれてもなお、ファルマンに高速道路を運転させるという選択肢が、頭の中にほんの一片も存在しなかったのだと気づいた。たぶん僕の中でファルマンの持っている免許証は、「オートマ限定」であると同時に、「子どもの送迎がメインで、あとはせいぜい銀行と病院くらい限定」で、高速道路は(法律上)運転できない区分なんだと思う。それくらいその発想が抜け落ちていた。
幸いなことに、結果として悪化はせず、めまいも起らず、ファルマンにハンドルを握らせることもなく済んだ。しかし翌日に待ち受ける台風との正面衝突も含め、なかなか不安感の強い、1日目の夜だった。
