2026年8月22日土曜日

2026年夏の自家用車横浜帰省 5日目 8月14日 後編


 鳥羽水族館と言えば、なんと言っても現在日本で唯一ラッコを飼育している水族館として名高い。北海道の太平洋側沿岸では野生のラッコが高級魚介類を食べるため地元の漁師は害獣扱いしているという話もあるが、それはそれとして、飼育下のかわいらしいラッコが見られるのは日本でここだけだし、さらに言えば諸般の事情により、現在ここにいる個体がいなくなったあとは、再びラッコを飼育するのは難しい情勢であるともいわれる。ラッコに対して特別な思い入れがあるわけではなかったが、そういうことを言われると見ておきたくなるのが人情であろう。というわけで運よく三重県南部へのフェリー航路を見つけた瞬間、この計画は一気に湧き上がったのだった。
 駐車場待ちの列はあったが、鳥羽水族館へは、15時前に入ることができた。閉館は17時半なので、それなりにしっかりと館内を回る時間はある。とりあえず主目的であるラッコを済ませておこうと、案内表示のあるほうへ足を進めると、ラッコを1分間眺めるための行列というのがあって、列の最後で係員が「40分待ち」というプラカードを持っていた。ちなみに代表者だけでの順番待ちは禁止だという。はるばる水族館に来て、他のなにも見ないまま、いきなりただ40分待つのはさすがにつらすぎるので、あとでまた様子を見にくることにして、先に他のエリアを見て回ることにした。とにかくラッコが有名だけど、大きな水族館なので、もちろん他にもいろいろいるのだ。巨大なウミガメや、エイ、オットセイなど、いろいろ見応えがあった。変な生きものでまとめた部屋に、こんなのがあったので、南国の海を再現したきれいな水槽とかは撮らなかったくせに、思わず写真を撮った。



 そうか、昼は縮こまっているのに、夜は40cmほどに伸びるのか。そうかそうか。
 あとなんと言ってもよかったのは、セイウチだ。セイウチは3頭がいて、オスの1頭とメスの2頭が別々の場所で暮しているようだったが、そのオスの1頭がすごかった。どうすごかったかと言えば、なんか気が狂ったような動きをしていたのだ。セイウチってほら、顔がだいぶグロテスクだろう。なんか前世の罪とかでこんな醜い生きものになってしまったのかな、ということを思わせるビジュアルをしている。そしてやけに巨大である。そんな生きものが、たぶん本人にとってはだいぶ狭いに違いない水槽の中で、鬼気迫る感じで何度も何度も身体を揺らし、背負わされた怨嗟をすべてぶちまけようとするような、そのやるせなさに、家族全員、一気に心を鷲掴みにされた。とにかく巨大な目がぎろぎろしていて怖い。ガラスの前に集まった子どもたちを睨む瞳には、怨みがこもっていた。僕はその様子を見て、こいつは茜丸だと確信した。茜丸は令和8年現在、セイウチをやっているのだ。火の鳥の怒りはしつこく、やはり人間には二度と生まれ変われないのだ。ちなみに家族の中でいちばん彼に心を奪われたのはファルマンで、彼が全身を使って放つ激しい哀しみに、人間社会の中で同じ種類の生きづらさを日々味わっているらしいファルマンは、同じバケモノ同士、深い共鳴をしたらしかった。だいぶ長い時間、われわれはセイウチの水槽の前にいた。
 それからラッコの列の前をふたたび通り、やっぱりまだ40分待ちだったので、魚のゾーンを眺めたり、おみやげを買ったりして過す。そうこうしているうちに閉館時間がじわじわと近づいてきて、みたびラッコの列を確認すると、今度は30分待ちになっている。少し減ったが30分かー、うーん、どうしよう、とりあえずもういちどセイウチを見にいこう、という話になって、おかわりでセイウチの水槽まで行ったら、ちょうど飼育員の女性が餌をやって、ちょっとしたショーみたいなものをするところだった。飼育員から小魚をもらったセイウチは、きびきびした動きで水中を泳ぎ、さらには彼女の指示で扇状の前肢をパーンと打ち合わせると大きな水しぶきが起り、それは水槽の縁を越えてわれわれ観客のほうにまで降りかかり、子どもたちがキャッキャと騒いだ。たぶん初見がこの場面であったらば、われわれはセイウチのことを、大きな体で見事な芸をする頭のいい生きもの、くらいの印象しか持たなかったろうと思う。でもそうじゃない。われわれは先ほどの、ビジネスじゃない時間帯の彼の本性を見ている。それなのに今は完全に割り切ってショーをやっている。だから余計にさっきの姿がおそろしく思えた。セイウチの闇の深さ、すっかり虜になってしまった。
 そのあと、ラッコはもういいかとあきらめかけていたのだが、通りかかったら列はいよいよ短くなっていて、係員に訊ねたらまだ並んでも大丈夫とのことだったので、せっかくだから並んでその御姿を拝むことにした。まあ当初の目的がそれだったからな。というわけで20分ほど並んでありついたラッコはどうだったかと言うと(ちなみに1分間というのは水槽の最前列で見られる時間であり、実は並んでいる途中からまあまあ見える)、う、うん……、という感じで、まあ要するにマツタケとかツバメの巣みたいなもので、とにかく希少価値ということなのだった。見応えという意味では、セイウチの十分の一もなかった。もっともラッコに罪はない。すべてわれわれ人類が悪い。そしてセイウチはそれをちゃんと怨む。だからいい。
 そんなわけで、ほぼ閉館時間までいて、しっかり堪能した鳥羽水族館だった。フェリーに乗るところから、無事に予定通りにいくか心配だったが、ラッコを肉眼で目にするという体験も含め、できてよかった。
 そのあとは車に乗り込み、ホテルまで移動する。ホテルは三重県でいうと北部ということになると思われる、鈴鹿に取った。伊勢周辺のホテルは高かったのと、翌日の移動を少しでも減らすことを考えての鈴鹿だったが、いま改めて地図を眺めると、鈴鹿なんて少し戻るような感じがあるので、津とか亀山、あるいは伊賀とかのほうがよかったんじゃないかな、と思う。まあ別にいいんだけど。ホテルに着いた頃にはすっかり暗くなっていて、ここはキャッスルイン豊川と違って基本的に寝るだけのホテルだったので、ビールを飲みながら予定通り「Tシャツが乾くまで」をファルマンと観たあとは、すんなり寝た。