あれこれと寄り道をしたおかげで、中村橋へ向けての早すぎた出発は、気付けばわりとちょうどいい時刻になっていた。しかし中村橋に着いたはいいが、車をどこへ停めたものかとあぐねていたら、改札を出てすぐ正面の、高架下にあるSEIYUに、専用の駐車場があることが判り、そこへ駐車した。1000円以上の買い物をしたら1時間無料だという。中村橋駅直結と言ってもいいSEIYUに車で来る人はほぼいないようで、駐車スペースは5台ほどしかなかったのに、ぜんぜん空いていた。駅前なのになんだか贅沢な土地の使い方だな。たぶんほとんどの人の目に入っていないんだと思う。車で中村橋駅に来た人の目にだけ映る駐車場なんだと思う。視覚ってそういうものだ。
改札の前で待っていると、ファルマンから「そろそろ着くよ」というメッセージが届き、電車が駅に到着した。人がわらわらと出てくる中に、ファルマンとピイガ、そして友達一家がいた。友達と、その娘ふたり(大1、中2)と息子(小1)である。友達と息子には去年も会った。娘ふたりに関しては、果たして何年ぶりだろう。上の子を最後に見たのは、中学受験とか言っていた頃ではなかったろうか。というか、友達というのはわれわれ夫婦の大学時代の友達であり、つまりわれらの出会いというのが、他ならぬ大学1年生の頃だったのだ。娘がその年齢なのだ。その事実をきちんと噛み締めると、咥内に、甘すぎて苦くさえある腐りかけのトロピカルフルーツの果汁みたいなものが溢れ出る感じがした。新生児の頃から知っている友達の娘が、所沢校舎で肥大化した自意識に振り回され退廃していたあの頃のわれわれ(僕だけかもしれない)と同い年だなんて、なにか間違っている気がする。本当なのだろうか。君は本当にあの頃のわれわれと同世代なのか。本当は違って、口を開けばプリキュアの話しかしないんじゃないのか。いつまでも無垢で幼いままなんじゃないのか。まぶしい若さに対峙した気恥ずかしさから、ほとんど会話ができなかったので(大人としての余裕のなさ!)、いまだその可能性もわずかに残っている。中学2年生の次女は、ピイガと1学年差ということが信じられないほど成長していて、最初どちらが長女でどちらが次女か判らなかった。友達いわく反抗期に入っているとのことで、たしかに素っ気ない感じがあったが(前日の用事で疲れてもいたらしい)、そうは言ってもこうして親の友達の一家との交遊に参加しているのだから、体と心の成長がマーブル模様の、とても神々しい瞬間を目の当たりにしているのかもしれないな、と思った。息子は相変わらず人懐こくて、近付いてくるなり「ねえ、耳が爆発したの?」と、まっすぐな目で訊ねてきた。ファルマンが、僕が飯田橋にやってこない理由を述べる際、面倒だったので「運転中に耳が爆発した」と説明したらしい。間違ってはいないが、特撮好きの小学生男子がそれを聞いたら、いったいどう思うと思うのか。外からの見た目的には特段の異常がない僕の耳は、きっと間違いなく彼の期待を裏切ったろうと思う。そのお詫びというわけではないが、彼に向かって「おじさんがお菓子を買ってあげるよ」と、少し物騒な文句で誘い、SEIYUに入店する。そして駐車券のために、お菓子やらゼリーやらを買って渡した。ド金髪で、靴が左右で色違いで、手作りのキャスケットを被って、お菓子を買ってくれたおじさんのことを、彼はどう思っただろう。ちなみにこの日僕は「virility!」Tシャツを着ていたのだが、これは自分でアイロンプリントをしたもので、意味は「生殖能力」である、と友達に解説したところ、友達は娘ふたりにそれを説明して笑っていたので、ざっくばらんな親子関係だな、と思った。ファルマンはたぶん、大学時代の男友達の着ているTシャツの英単語が生殖能力という意味だということを告げられても、娘には伝えないと思う。人生でそう何度もある場面ではないので、確証はないけれど。
別れ際、友達は別の場所に自転車を停めていたので取りに行き、娘たちと少し話した。かつて自分たちは中村橋に住んでいたのだと伝えると、長女は少し驚いていた。東日本大震災のときは、光が丘の、先ほどとうとうたどり着けなかったコーポに、たぶん震災の翌日だったと思うが、僕の実家の面々と、この友達一家の両方がやってきて、だからそのとき撮った写真には、3歳のこの長女と、2歳の僕の姪と、そして0歳のポルガという、珍しい3ショットのものがある。人生にはそんな瞬間があったのだ。
一家に見送られ、車に乗り込んだ。次に彼らと会うのはいつのことか。ちなみにだが、練馬時代の日記に「いつもの一家」として登場するこの夫婦は、実は数年前に離婚している。人生というのは実におもしろいものですね。
帰宅すると、ポルガは既に戻ってきていて、興味のあるスポットを無事に巡ることができた喜びから、少し昂揚している様子だった。靖国神社で買った冊子などを見せてきたので、どちらかと言えば、やっぱり嫌だな、と心の中で思いつつ、パラパラと見るフリをした。
そんな感じの、8月12日の記述が、これでようやく完結した。