起きてニュースを見たら、千葉県がすごいことになっていた。なにかが少し違えば、それは神奈川県の横浜市だったかもしれない。昨日の雷雨はたしかに激しかった。千葉にその本体があって、当地ではあれがずっと続いたのだろう。おそろしい。
さて2026年の夏の帰省も、今日からいよいよ復路となる。この日はこの日で予定を詰めていたため、わりと早めの出発となった。母と祖母に見送られ、8時半くらいに実家を出た。
神奈川県を出て静岡県、静岡県から愛知県と、いつも通りにルートを進むが、豊橋市あたりからいつもと違う道を進む。岡崎市のほうではなく、田原市の方面。それはつまり、渥美半島を行くということである。渥美半島、分かりますか。愛知県の、クレーンゲームみたいになっているふたつの半島、西にあるのが知多半島、東にあるのが渥美半島。それを突端に向かってグングン進んだ。半島の先っぽなんかに行ってどうすんだ、と言うと、つまりこういうことである。
渥美半島の先っぽ、伊良湖港という所から、対岸の三重県鳥羽港にはフェリーが巡航しており、これに乗れば愛知県と三重県を陸路でぐるっと回らずとも、三重県の南部にワープ(所要時間60分)できるのである。もちろん車ごとである。画像は他ならぬ伊勢湾フェリーからいただいた。それで、三重県南部へと進出したわれわれは、2年前にたどり着けなかった伊勢神宮にとうとう行ったのか、と言えばそうではない。目的地は鳥羽水族館である。
旅の計画を練っていたとき、地図を眺めていて、ここに………とフェリーの航路を示す線があるのを見つけたときは、テンションが上がった。渥美半島といういつもと違う道も愉しいし、フェリーに車ごと乗るのも愉しいし、しかも鳥羽水族館に行けるのだ。関東では思い出巡り以外に行きたい場所がなく、自分の好奇心の低下におののいたが、実はこの旅のクライマックスには、こんな隠し玉を用意していたのだ。
というわけで伊良湖港を目指して車を走らせる。初めて走る、そしてたぶんこれっきりだろう渥美半島の風景は、なんか白昼夢のようだった。海沿いの道のはずなのに海はほとんど見えず、赤土の田園ばかりが続く。ガソリンスタンドとコンビニはあるが、スーパーマーケットがぜんぜん見当たらない。また真夏の真っ昼間なので当然だが、通行人はぜんぜんいなかった。そしてそんな風景が、だいぶずっと続く。三重県南部に行こうとしているのだから仕方ないが、実家から伊良湖港までは4時間半くらいかかった。出発前のイメージでは、これはだいぶ時間の短縮になるなあ、車内音楽のプレイリストはだいぶ余ることになるんじゃないかなあなどと思ったが、どっこいそんなことはなかった。日本は広い。愛知県の、クレーンゲームみたいになっている部分は、けっこう長大なのだ。
ようやく着いた伊良湖港の周辺は、恋路ヶ浜などという地名があったりして、急にリゾートっぽい、こじゃれた雰囲気を放っていた。ここがロマンチックな立地なのはまあ分かるが、ここに来るまでがちょっと大変すぎないか、と思った。駐車場に車を停め、フェリーの切符売り場に行くと、これに乗れたらいい、乗車数オーバーで次のになったら少し嫌だな、と思っていた便に乗れるということで、ほっとした。しかも鳥羽水族館との提携チケットということで、だいぶお得に双方のチケットを入手することができたので助かった。
かくして車ごとフェリーに乗り込む。たしかこれって前にもやったことがあったよな……、と思い、記憶を探ったのだが、直島、大久野島、そして宮島、どれのことを思い出しても、車ごと乗る理由が見つからず、帰宅後に日記をきちんと確認したら、やっぱりやっていなかった。フェリーに自家用車ごと乗っている人を見て、自分がしたような気になっていただけだったのだ。なので実体験はこれが初めて。なかなか愉しかった。タイヤが動かないようストッパーみたいな器具を置くんだぜ。かっけー。車から降りて、デッキに上がる。船はそれからわりとすぐに出航した。出航するときの勢いというのはわりとすごく、飛行機の離陸のそれを一瞬だけ連想して心がざわついたが、これは空中ではなく海上なのだと考えると、それはifの世界で機上の人となっている僕に対して圧倒的なアドだな、と安心した。船内はそこまで人が多くなく、ボックス席も確保できたが、結局ほとんど外にいた。
デッキで海を眺める僕とポルガ。日本地図で見ると、渥美半島の先っぽと三重県は、伊勢湾をほとんど塞ぐかのように接近しているように見えるが、実際に海に出てみるときちんと海なのだった。じゃあ太平洋とかマジででけえじゃん、と3日前のペリーにも思いを馳せる。ちなみに今回、ペリーとフェリーが旅の予定に組み込まれていたため、計画を話し合う際に聞き間違えてややこしい、という事態が何度か発生した。
甲板にも少し出た。陽射しがすごかったので他に誰もいなく、われわれも短時間でまたデッキに降りたのだが、少しだけ写真を撮った。
これは甲板に立っている、国道を示す標識。渥美半島で走ってきた国道42号線は、なんとこのフェリーの航路も含め、三重県まで続いているのだった。道という概念が根底から覆されるウルトラCの荒業である。わざわざ写真を撮ってもらったのは、42がちょうど年齢であることと、またその下の259は語呂合わせで地獄とも読め、42歳で地獄かー、なるほどなあ、と思ったからで、ポルガにお願いして、1年前の火の鳥のモニュメントと撮ったやつと同じ感じの構図で撮ってもらった。パピロウ、あなたはもう42歳で、東京へ行ってもかつての若かった頃の思い出を巡ることしかできない地獄に足を踏み入れてしまったのよ……、そしてそれはこれから死ぬまでずっと続くのよ……。
そんなこんなしているうちに、1時間の船旅は終わりに近づき、車に乗り込むようアナウンスが流れた。渥美半島を走っているときは、こんなんワープでもなんでもねえな、と思ったが、海上でリフレッシュして、そして我が身は陸路ではなかなか来られない三重県南部にあるのだから、やっぱりこれは一種のワープかもしれないな、と思った。ちなみにだが、横浜と東京で頑なに公共の乗り物に乗らなかった僕だが、こうしてフェリーには乗ったわけで、これにより僕がこの1年間で乗った公共の乗り物はフェリーだけ、ということになった。これはなかなか特殊性が高くていいと思う。
降り立った鳥羽港から鳥羽水族館はだいぶ近いようだぞ、と地図を見て思っていたが、近いもなにも、目の前だった。わー、鳥羽水族館だー!
というところで後編に続く。この日はさすがに前後編で終わると思う。


