2026年7月29日水曜日

夏枯れ


 夏の帰省が近づいている。毎年、直前になるまで、まだまだ先のことのような感覚があるのだが、ひとたびもうすぐなのだと感じたら、わりと目前に迫っているような感触になる。間がない。ひたひたと忍び寄ってこない。ワープして来る。
 恒例の車内プレイリストは、今年もひとり100曲(10のプレイリストに10曲ずつ)がノルマで、そのことは去年の帰省が終わったときからずっと意識していて、日々の中で気に入った曲があればチェックを入れて、来年のプレイリストに入れようっと、ということをするのだけど、そうやってピックアップした曲というのは、10ヶ月でせいぜい20曲くらいのもので、あとの80曲は、残りの2ヶ月で捻出することになる。無理やりである。普段の暮しならば1ヶ月で2曲ほどのものを、最後だけ1ヶ月で40曲やってしまうのだから、ドーピングどころの話ではない。遺伝子操作とか、人体改造とかのレベルだ。そんなんだから、実際の帰省のときに曲を掛けていて、これは誰が入れた曲なのかと確認したら自分だった、という事態も起ってくる。まあそれはそれで愉しいのだけども。
 ところで、そんな車内であるとか、SAであるとか、ホテルとか、日本を横断しているのだという昂揚感とかはとても愉しみなのだけど、肝心のそうやって移動した先、実家、すなわち横浜での過し方について、実は途方に暮れてしまっている。子どもたちは、あそこに行くのだとか、いとこで遊ぶのだとか、わりと健全に計画が立っているようなのだが、ポルガは東京での目的地はひとりで愉しみたいから絶対についてくるなと言うし(心配なのだが)、もう4人全員が中学生以上であるいとこでの交流に親の出る幕はないので、なんだかすっかり身が空いてしまっている。じゃあせっかくの横浜、せっかくの東京なのだから、普段の田舎暮しでは望めないような、テレビの中に出てくるような、あんな所やこんな所に繰り出せばいいじゃないか、という話なのだが、そうやって思い浮かぶような行きたい場所は別にひとつもなく、えっ、ひとつもないの? とびっくりし、ポルガが積極的に「あそこに行くんだ!」などと言っているのをまぶしく見るにつけ、もしかして俺はすっかり好奇心というものを失くし、枯れてしまったのだろうかと恐怖に駆られたのだけど、ファルマンに相談したところ、「あなたって昔からそうだったじゃない。東京に住んでた頃から図書館とブックオフにしか行ってなかったじゃん」と言われ、そう言えばそうか、と救われた。救われたと言っていいのだろうか。お前はいま枯れたわけではなく、人生全体が枯れているのだと僕は言われたのではないだろうか。ファルマンは、去年慌ただしく再会した友達と、今年もまた会うかもしれず、なんなら一緒に行こうよと誘ってくれるのだが、行き場がなくて妻に帯同するって、そんなん濡れ落ち葉じゃん、やっぱり枯れてるんじゃん、と想像してまたショックを受けた。こういうとき、推しがないとつらい。聖地巡礼とか、そういうのがあればいいのに。もっとも聖地という意味では、池袋や練馬あたりの思い出巡りはだいたい去年もうやってしまった。そうか、俺の聖地は自分の思い出の地なのか。しかし濡れ落ち葉を拒んで外出せず実家にいるというのもあまりにも悲惨すぎると思う。どうしても、という外出で思い浮かぶのはプールやサウナだが、プールもサウナも、白けたことを言うようだが、結局は自分の身体への刺激なので、それは横浜だろうが島根だろうが、実はあまり違いがないんだよな。わざわざ遠方に行ってやらなくてもな、などと思ってしまう。なんて冷めた考えだろうか。どうもいかんな。このままだと本当にまずいぞ。
 プレイリストの音楽は、あと20曲ほどのところまで来ている。その捻出とともに、本番までに僕は、横浜での外出先も突貫で考え出さねばならない。どうしよう。