2026年5月16日土曜日

2009年を生きた25歳の僕を囲う会 ~おもひでぶぉろろぉぉん~


 もう少し25歳の僕のことを語りたい。本当はがっつり2晩くらい語りたいのだ。そして語るにあたり、話し相手がいたらいいなと思う。そうしたらもっと盛り上がるに違いない。初めて推し活仲間の存在を欲したような気がする。SNSで募ってみようか。僕が好きな人と繋がりたい。でもたぶん手を挙げるのは僕だけだ。もしかすると広大なweb上には、僕じゃない僕がいて、僕と僕について語り合ってくれるかもしれないとも思う。
 さて2009年である。17年前である。日記を読んでいてふと気付いたのだけど、この時期、僕はまだスマートフォンを持っていないのだ。僕は、と言うか、日本でのiPhoneの発売が2008年からであり、いま対話型生成AIに訊ねたところ、2009年当時の日本のスマホ普及率はなんと1%ほどだったという。まだそんな時代だったのだ。そして普及率が1%ともなると、「持っていない」という言及もするはずがないので、逆に見落としがちになるけれど、この時代、人はまだ、対話型生成AIはもちろんのこと、LINEもGoogle mapもサブスクもない世界を生きていた。いまそれらのサービスが快適にやってくれることを、どうにかこうにか、わりと自力でやっていたのだ。なんだかすごい。大袈裟に言えば、それはもう現代じゃない。昔だ。これが平成レトロというやつか。応仁の乱、マジつらかったよね。
 こんな記述がある。

 ウォークマンが壊れた。パナソニックのSDウォークマン。それの初期のほうのやつだから、なんだかんだでかなり使った。直接ポケットに入れたり鞄に入れたり、扱いはぜんぜん丁寧じゃなかったのに、ずいぶんもったものだと思う。次に買うとしたらやっぱりipodなのかな。そもそもパナソニックはウォークマンやめたっぽいし。カセットやMDの世代として、意地でもSDに固執したい気持ちがあったが、でもそういうのの魅力ってなにかと言えば、自分で編集したベストソング集の入った記憶媒体を、友達とかクラスメイト同士でやりとりするみたいな、そういう点にあるわけで、こんなにもSDウォークマンが流行っていない状況ではそれがままならず、もちろん僕もこのウォークマンを使っていた数年間で、いちどもそんなことはできず終いで、だとしたらこれはただの、ipodほど便利じゃないポータブルプレイヤーに過ぎないので、どうしようもない。ちなみに故障具合は、充電はできるのだけど、パソコンに接続してデータを落とすことができない状態。つまり今SDに入っている曲だけでずっと満足するほかない。構わないよ。ある意味これは、飽きっぽい、音楽作品を使い捨てする、てめえらipod野郎たちへのアンチテーゼだよ。このウォークマンを使うってことは、まるでボロボロの学ランを羽織っているような気分だ。エリート私立校に転入してきたバンカラのような気持ちで、しばらくは街を闊歩したい。そしてそのうちipod買おう。
(「KUCHIBASHI DIARY 2009年8月25日)

 SDウォークマン! あった! 使ってた! なんという時代の徒花アイテムであろうか。ちなみにiPodの発売は2001年、miniが2004年、nanoが2005年なので、2009年当時、iPodは既にぜんぜん一般的なものだった(こうして見るとiPodとiPhoneって思っていた以上に間が空いているんだな)。そんな状況下でSDウォークマンを愛用していたというところに、僕をはじめとする僕推し連中のトークは大いに盛り上がる。酒が進む。
 先日、映画の「間宮兄弟」を観たのだけど、この中で塚地演じる間宮弟が、好意を寄せる人妻に自作のMDを貸そうとしたところ、人妻がおもむろにトップスの合わせを開いて、そこにはiPod的なシュッとした音楽プレイヤーが首から提げられており、なのでMDは必要ないし、さらに言えばあなたからの好意に迷惑している、ということを伝えるシーンがあった。おもひでぶぉろろぉぉんでこのあたりの記述を読んだのと、その鑑賞が、ほぼ同じようなタイミングだったので、これはとても劇的に印象に残った。ちなみに映画の公開は2006年である。2006年には既にMDは時代遅れになっていたし、ましてやSDウォークマンなどというものは、話の俎上にも上がらないのだった。
 ちなみにだが、僕が自分を含めた世代のことを「MD世代」と命名するのは、2009年よりもあとのどこかである。この時代にはまだその自認にたどり着いていない。愉しみだな。
 続いてこの話の顛末ということになるが、こんな記述があった。

 ファルマンからひと足早く誕生日プレゼントをもらう。iPod shuffle(4G)だ。小さい!
 音楽の入れ替えができなくなったSDウォークマンを固執して使うことは、結局あまりなかった。割とすんなりとiPodに移ってしまった。だってひと晩充電して50分くらいしか動かないんだもの。移るほかないだろう。でもpapiroのそういう柔軟さ、僕は好きだな。
 アップルストアで注文して今日届いたのだが、そんな今日にちょうどアップルのiPod新バージョン発表ニュースがあってびびった。幸いなことに僕のもらった4Gのシャッフルは、いちばんショックが少なかったんじゃないかと思う。8800円だったものが7800円になったようで、1000円分のショック。色が3色追加されたことに関しては、それでも僕はシルバーを選んだろうから被害はない。買うとき1Gと4Gで迷ったのだが、1Gにしていたら同じ値段で今日から2Gになったみたいだから、これは割と哀しかったろうと思う。とは言えその哀しさも、nanoにしていた場合ほどではないだろう。nanoはそもそも選択肢になかったが、本当にこのタイミングで買わなくてよかった。
 ところでアップルストアで購入したため、刻印サービスというのがあるのだ。と言うか割とそれにひかれてオンラインで買った面がある。入れた文字は言うまでもないだろう。「ファルマン I LOVE YOU」だ。嘘だ。「NAYAMUKEDOKUZIKENAI」です。クリップの鏡面部分、リンゴのマークの下らへんに刻印されている。素敵。Apple×NAYAMUKEDOKUZIKENAIの、世界にたった1台のコラボモデル。iTunesの操作はまったく解らなくてムカつくのだけど、大事にしてゆこうと思う。
(「KUCHIBASHI DIARY 2009年9月10日)

 iPod shuffle。やっと持ったかと思ったらshuffle。この青年はいったいどこまでひねくれるのか。なぜ素直にminiやnanoにしないのか。そんな性分では、これから先も生きるのが大変じゃないのか。青年の多難な前途が予期され(結果として確定し)、ひとり気を揉む。
 あとこれは過去の記憶媒体の話の際、絶対的に感じることとして、数字が小さい。1ギガとか2ギガとか4ギガとか、そういう話を大真面目にしている。いや、1ギガってすごいけどね。たぶん僕は最初の頃、128メガバイトのUSBメモリを、1000円以上とかの値段で買ってたからね、その頃に較べればもちろんすごいのだけど、それでも2026年の感覚からすると、ままごとのように思えてしまう。きっと今が異常なのだけど。
 あとこれも隔世の感として、日記の記述によると、なんか値下げ的なムーブがあったらしい。これも信じられない。アメリカの企業が、商品を値下げすることなんてあったんだ。もっとも2001年に発売された初代のiPod(5ギガ)のお値段は47800円とのことで、それの持つ機能のことを思うと、今の感覚からすればものすごく高いのだけど、それでも当時は十分にその価値があったわけで、物価というのは水物だな、としみじみと思う。
 このときのiPod shuffleについては、おそらくこのあとの26歳以降の日記でも、なんかしらの記述はあるだろう。それなりに使ったような気がする。当時は都内在住で、自転車や電車を利用していたので、僕だって移動中は音楽を聴いていたはずだ。ただしその頃どんなものを聴いていたのかは、まるで思い出せない。今はもう無きiTunesで管理していたはずだが、もちろん跡形もない。はかない。こういうときMDだったら、手書きの曲目のラベルシールがあるので、ちゃんと懐かしめるのに。
 あと話はがらりと変わるのだけど、こういう記述があり、おお、と思った。

 モーニングを読んでいたら福満しげゆきの妻が妊娠していて、うわあ、と思った。火曜日のアクションのほうで「次号重大発表!」となっていたから、<ドラマにでもなるのかな>と考えていたのだけど、まさか妊娠とは思わなかった。僕は「僕の小規模な生活」から入って、「僕の小規模な失敗」とかを最近まとめて読んだ人間なので、作者の冴えない青年時代がまだぜんぜん最近のことのように思えていて、作者が今ではアクションとモーニングで連載を抱えている割と売れっ子漫画家だ、というイメージをまだあまり掴めていなく、そのために奥さんが妊娠という発想がまるで浮かばなかったのだった。しかしめでたい。嬉しい。青年時代の冴えなさを漫画で見ているだけに、今週号のモーニングのしあわせな妊娠発表はよかった。きれいに人間讃歌が決まった感じで、もう最終回でいいんじゃないかとさえ思った。だって漫画の性質上、出産後は子どもと3人での生活が描かれるのだろう。それってなんか違う気がする。もちろん愉しみな部分もあるけど、子育てコミックエッセイでは違和感も大きい。さてどうなるのかな。
(「KUCHIBASHI DIRY 2009年9月2日)

 福満しげゆきは、もうすっかり子育てコミックエッセイの印象の人になっているので、そうなりそうなことに違和感を抱いていることに、とても違和感を抱いた。そうか。ならばもしかしたら、福満しげゆきの原理主義者みたいなのがまだこの世には残存していて、現在の子育てコミックエッセイに対し、忸怩たる気持ちを抱いているのかもしれないな。
 あとこんな記述も感慨深かった。

 今日は作業的な労働をやって、その際に埃対策としてマスクが配られたので着けたのだけど、そうしたらマスクが非常に臭くて往生した。あんな狭い空間で息を吸ったり吐いたりして、唾が飛んで唾液が攪拌されたら、それは臭くもなろう。後半など大便のようなにおいさえしはじめ、なんだか哀しくなった。(たぶん)僕の口は基本的には臭くなくて、でも空気に触れた唾液にはどうしたって若干の臭さはあり、その小刻みのジャブがマスクの繊維に蓄積してゆくことによって、強烈ストレートな大便の臭さに昇華された感じだった。インフルエンザ予防って言ってあいつらみんなこんな大便のにおいを嗅いで生活してんのな。ありえんわ。臭さに呼吸が整わず、意識が朦朧として、体調が崩れるかと思った。やはりマスクの奨励には大いに欺瞞を感じる。
 それとファルマンの歯痛が続いていて厄介だ。痛くて眠りが浅かったりもするようで、「じゃあ痛み止めの薬を飲めよ」と僕は言うのだが、「薬はなるべく飲みたくない」と拒み、その一方で「インフルエンザが怖い」とか言うのだからどうしようもない。結局ファルマンは僕の言うことはぜんぜん聞かず、どこの馬の骨が書いたか知れないネットの意見ばかりを信用する。
 昨晩など寝る際に歯痛対策として「枕だと頭が高すぎて顎に負担が掛かるからタオル程度のものを敷いて寝るとよい」みたいな阿呆な記述に騙されたらしく、実行していて、そしてそれはどう見ても寝心地が悪そうで、ムカついたのでタオルを没収して枕を置き、ついでに痛み止めの薬を飲ませて寝かせた。インフルエンザが怖いのならどうか安眠して万全の体調でいてほしい。どうか軽薄な矛盾した行動は取らないでほしい。
 ちなみにファルマンの会社ではインフルエンザ対策として「人ごみに近付くな」というお触れが出ているそうで、それには販売業の人間としてひどく憤りが湧いてくるのだった。「地球最後の日になにがしたい?」「最高級フルコースが食べたい」みたいな、誰が地球最後の日にお前に料理なんか作るよ、という厚顔さを感じる。高速道路無料化に反対する「高速道路を使わない人間の税金も使って賄うのはおかしい」論法の、じゃあもうお前は近所の牧場に行って肉をもらい近所の畑に行って野菜をもらって、地方産のものは一切享受せずに生活しろよ、という感じにも近い。その人が強欲で奔放なキャラクターを標榜するならまだしも、「人ごみに近付くな」も「最高級フルコース」も「高速道路を使わない」も、正論のようにいけしゃあしゃあと、なんかしらのことを自分は言っているみたいな顔で唱えるから嫌だ。
(「KUCHIBASHI DIARY 2009年9月15日)

 2009年はまだ、(ほぼ)スマホ前だし、東日本大震災前だし、コロナ禍前である。
 この正義の青年は、ここから干支ひと回りの12年間くらいで、とてもさまざまな体験をし、そのたびに世界に対し、義憤に駆られたり、諦観したりする。そして結果的に、「この世で自分しか愛しくない」という境地へと達する。おもひでぶぉろろぉぉんはその軌跡をたどる旅。愉しい。こんな愉しいことが人生に待ち受けていただなんて。解る。俺もそう思う。俺も。俺も。俺も。よーし、じゃあ改めて乾杯だー。ウェーイ。