前回の記事の、続きのような話を書く。
「道具で争うのではなく選手個人の能力で争う」がゆえに、「水着には基本的に既製品しかない」のだとしたら、僕がやっている行為のような特殊なケースを除いて、「水着とはこだわる対象であるべきではない」ということになる。もちろん好きなメーカーとか、ラッキーカラーとか、そういう次元の好みはあるにせよ、それ以上の理想は(本来)追求しようがないのである。やり投げの北口榛花が語っていたことだが、やり投げの槍もまた、その選手専用型という概念はないようで(あまり細工したものはルール違反になるのかもしれない)、それぞれの私物ではあるものの、大きい大会であっても、わりと選手間で貸し借りをしたりするのだという。これも聞いたときはだいぶ意外だった。特注品がないという点で、水着もそれと同じに捉えることが可能で、既製品なのならば、サイズさえ同じであればだけど、やろうと思えば選手間での貸し借りだってできる。心理的にあまり気が進まないかもしれないが、たとえば学生の大会などで、部員の誰かが水着を忘れてきたら、レースが被ってない他の部員の水着を借りる、なんてことは、普通にあり得そうだと思う。
そのことを突き詰めて考えていくと、水着の本質、イデアが見えてくるような気がする。
すなわち、水着とはただの「性器隠し」に他ならない、それ以上でもそれ以下でもない、ということだ。「選手個人の能力で争う」の究極の姿は、まさに古代オリンピックのそれで、選手はみんな全裸で競うべきだということになる。しかしそれではさすがに問題があるので、世界水泳連盟としては仕方なく、「性器を隠す布片だけは身に着けてもいい」と、決して本意ではなく、忸怩たる気持ちで許可を出している。水着って実はそんなものなのだ。
お前が、まさかお前が言うのか、という話だが、だから水着に執着するのなんてナンセンスの極みで、本当はなんだっていいのである。性器さえ隠せていれば。そして、性器を隠す最低限のもの、という言葉で思い出されるものと言えば、断然これである。
葉っぱ一枚あればいい。NOBITATTLE.
「ハワイアン」カテゴリの生地は、これまでぜんぜん琴線に引っ掛かるものがなく、スルーしていたのだが、性器を隠す最低限のもの=葉っぱという発想から、葉っぱ柄の水着を作ることに対する大きな意義を見出したので、このたび注文して作った。
そしてアンテナを張っていたということなのだろうが、ちょうどこの生地を発注して届くか届かないかくらいの時期に図書館に行ったら、その名も「アロイド」(笠倉出版社)という本を見かけ、アロイドとはこの水着で使用した生地に描かれているような、巨大な葉を持つサトイモ科植物の総称らしいのだが、それを写真とともにたくさん紹介している内容だったので、これはいいと思って借りた。それによると、葉の形態の多様さから観葉植物として人気が高いアロイド植物の、これはモンステラ属、その代表格であるモンステラ・デリシオーサを描いたものであるようだ。ちなみに「モンステラ」はラテン語の怪物(monster)から来ているのだそうで、だとすればこれで性器を隠すということは、怪物を隠す葉っぱもまた怪物であるという、とても気の利いたシャレになっているのだと言える。
もっとも性器を隠す葉っぱの代表格と言えば、世界的にはやはりどうしたってイチジクの葉ということになる。言わずもがな、これは聖書に由来するわけだが、イチジクの葉のデザインのものはショップになかったし、キャッチコピーにも拝借した南原清隆率いる葉っぱ隊は、じゃあどんな葉っぱを使用していたのかと確認したところ、もちろん本物ではなく、スタッフが作ったそれっぽいものではあるのだが、やっぱりそれはモンステラのようで、本に載っているものでいちばん似ていたのは、モンステラ・デリシオーサ・ボルシギアナという品種だった(ただしもしかしたらラフィドフォラ属のラフィドフォラ・テトラスペルマの可能性もある。モンステラに似ていて、ヒメモンステラの別名もあるという)。僕はキリスト教徒ではなく、どちらかと言えば葉っぱ隊教徒なので、そっち側に近いほうがむしろ好都合である。
さらにこれは細かい話になるのだが、なぜ生地のイラストがモンステラ・デリシオーサで、葉っぱ隊のそれがモンステラ・デリシオーサ・ボルシギアナだと思ったかと言えば、イラストのそれには穿孔が多くあり、葉っぱ隊のそれには切れ込みしか見られなかったからで、知識が付け焼刃なので間違っているかもしれないが、両者にはそういう違いがあるように思え、そう判断した。
モンステラの葉に見られる穿孔は、あれは虫食い穴では決してなく(そうだとばかり思っていた)、『樹冠下の弱い日光を効率よく活用するために、光を通しやすくしていると考えられ、さらに風通しをよくし、風圧や雨滴によるダメージを軽減する』(「アロイド」より引用)ためだとされているが、葉っぱ隊の用途から考えたら、穿孔が多くあってはまずいということになる。しかしあってはまずいということは、そこにはスリリングさがあり、オートマチックにそれはエロスへと直結するのではあるまいか。すなわち、大きい葉っぱがあったので股間を隠すのにちょうどいいと思って局部に当てたところ、概ね蔽うことができたが、要所要所に穴があるせいでそこだけは覗けてしまう。穴の大きさが微妙なので、大事な部分が見えているような、見えていないような……、というそういうエロス。宮沢りえの写真集「Santa Fe」の表紙も想起するし、あるいはかつて流行ったグラビアが裸に見える水玉コラのことも思い出す。モンステラ・デリシオーサは、天然でそれを実現する、まさにグラビア界のモンスター的大発見やもしれない。
それといろいろ思い出したついでに、無人島で葉っぱで局部を隠すエロ小説あったよな……、というのも思い出して、探ったところ、美少女文庫の「お嬢様と無人島!? 葉っぱ水着パラダイス」(七海ユウリ著)というものだった。たぶん読んだとは思うが、手元にはない。ちなみに表紙のお嬢様が身に着けている葉っぱビキニは、いちじくでもなければモンステラでもなさそうだった。刊行は2009年。この時点でモンステラの穿孔のエロスが描かれていたら、美少女文庫の未来は変わっていたかもしれない。機会があったら手に入れて改めて読んでみようと思う。
あと、なんか自分でも思っていた以上に長い話になってきたが、性器を隠すだけの葉っぱとしての水着、みたいなコンセプトで画像のものを作り、モスグリーンで普通にかっこいい感じなので、それはいいのだが、でもこれは着想の起点がそうだっただけで、実はぜんぜん性器を隠すだけの葉っぱの正しい状態じゃないよな、と思う。なにしろ全体がこの柄なのだから。だから本当に思い描いているものを作ろうと思ったら、アンサーソングの部分にだけこの葉っぱ柄の生地を用い、残りの腿から尻にかけてのぐるりの部分は、肌色の生地で作るべきだと思う。それを実際に作ったら、いよいよとんでもないことになるんじゃないかと思う。作ろうと思えば作れる。さすがに穿いて人前に出ることはできないだろうが、作れるのならば、人類のまだ掘り進めていない坑道の、僕はその先を目指すべきではないのか、とも思う。これは大袈裟に言えば、人類の進歩の拡張の話だ。



