早くも真夏日なんかが出始めていて、それに合わせて順調に食欲のトーンが下がる気配を感じ取っている。思えば去年の夏はひどかった。スーパーに行ってもなにも買いたいと思わず、そのため日々の献立にとても苦難した。今年はどうかあんなことにはなりませんように、という思いは強く、実は初詣でそのことを祈願さえした。そのくらい去年はつらかった。
もちろん神頼みだけではなく、自前での対策も考えている。去年やってしまった痛恨のミスとして、暑くなって食欲が減退し、献立を考えるのが少し難しくなったタイミングで、ファルマンに「なにか食べたいものはないか」と訊ねてしまった、というのがある。これを今年は絶対にやらないつもりだ。ファルマンという人は、食欲のブラックホールみたいな人で、それだとまるで食欲の権化のようだが、そうではなく、ファルマンの周囲に近づいた食欲という食欲は、そのぽっかりと開いた深淵に吸い込まれ、無になってしまうという、そういう意味である。そのくらいファルマンは食べることに関して意欲がない。その圧倒的な意欲のなさは、時空を歪め、こちらの食欲までをも吸い込むのである。
だからファルマンと食べ物の話は絶対にしてはいけない。基本的には一年中そうだが、特にこちらが弱っている夏はいけない。このことを今夏はくれぐれも肝に銘じ、たまにオレンジページなど眺めながら(オレンジページを眺めているところを食欲ブラックホールに目撃されたら、オレンジページなんかを読む自分はなんとくだらない人間なのかという気分にさせられるので、隠れて読まなければならない)、なんとか低空飛行でも渡り切ろうと思う。
水着が売れた。しかも20枚のまとめ買いである。よっしゃ。
よっしゃと思うと同時に、今回それをリクエストして買ってくれたのは、以前に10枚のまとめ買いを2度してくれた方だったので、だとすると、この人は俺の作った水着を合計40枚(おまけでプレゼントした分を含めたらさらに)持っているのだと思い至り、それってものすごいことなんじゃないかと思い始めた。
水着40枚。たぶん人が一生で買う水着の数の平均を超えている。でも買う人は買う。水着は下着ほど数多く買うものではないから、商売としてのパイは小さいという認識がなんとなくあったが、僕自身、「いちど穿いた水着はもう穿かないチャレンジ」をしていて、その行為がものすごく愉しいように、水着は実用性とは分離したところで、バリエーションを有する意義があるのだと、今回のご購入により思いを新たにした。水着って、Tシャツとか靴とかと一緒なんだ。回すだけなら3つ4つあれば足りるけど、そういうことじゃないんだ。
あるいはこれは別の発想になるのだけど、ひとりの人が40枚の水着を求めるのはやはり不自然であると考えるならば、もしかするとこの方は、なんかしらの団体の主催者なのかもしれない。どういう団体なのかは想像もつかない。想像もつかないが、そこに集う男性たちは、みんな僕の作った水着を穿いているのである。それはそれでおもしろいと思う。
とにかく在庫が捌けて嬉しい。さて張り切って作らなくっちゃ。
「トモコレ」をこつこつとやっている。日々パピローを作りまくっている。最初に(20)、その次に(25)を作り、それから5歳おきに(30)、(35)、(40)までを作ったあと、そこからは(22)と、さらには(37)を作った。そして思い描いた通りに、各年代のパピローが、たとえばパピロー(40)とパピロー(25)が友達になったりしていて、なんとも感慨深い気持ちになる。僕がブログおよび「おもひでぶぉろろぉぉん」でやりたかったのは、つまりこういうことだったんだな、と思う。いっそのこと住人の各人が、日々の出来事をブログ形式で綴ってくれたらいいと思うが、どうやらそういう機能はないようで残念だ。
島での日々は、服を着替えたり、部屋の内装を変えたりと、やはりファルマンが言うように「これはおままごと」という感じで、完全に作業として、平板な心でやっている。本当は島のことなんてどうでもいいのだ。パピローとパピローが密に絡み合えばそれでいいのだ。
先日もパピロー(30)とパピロー(35)が友達になるにあたり、なんの話題について話をするかと問われたので、年齢的にちょうどいいと思い、「友達がいないこと」と入力したら、ふたりは「友達がいないこと」で話が盛り上がり、意気投合して、友達になっていた。まるで二乗したらマイナスになる、虚数のような友人関係だと思った。
しかし「友達がいないこと」はもちろんいいのだが、パピローたちが話す話題として、本来ならば(もしも一堂に会することが実現したとしたら)、もっと下卑たテーマが出てくるはずで、「二次元ドリーム文庫」であるとか、「勃起」であるとか、「ぱぱぼとる」などのワードを入力したい気持ちがある。しかしゲームはリビングのテレビ画面でやっていて、娘たちも見るので、さすがにそれはままならない。つまり歴代のパピローと言いつつ、この島の住人はみな、エロい話を一切しないパピローたちである。そんなパピローがいるのか。それはパピローの上澄みに過ぎないのではないか。
そんなことを思いながら、日々やっている。なんだかんだでわりと愉しんでいる。