以前、モンステラ柄の水着を作ったという話のとき、水着なんてただの「性器隠し」に過ぎないんだ、ということを書いた。しかし厳密に性器に限るのだとしたら、肛門は出していてもいいことになるし、女性の乳房もまた蔽う対象ではなくなってくる(男水着チャレンジ!)。
ここで思い出されるのは、ポルガが小学生だった頃の授業参観で、よりにもよって教科は保健だったのだけど(いま思うと嫌だな)、その際「プライベートゾーン」という言葉の解説として先生が、「プライベートゾーンとは、要するに水着で隠す場所のことです」と言っていたことだ。
だとすれば水着とは「性器隠し」と捉えるより、「プライベートゾーン隠し」と言ったほうが正しいようである。そしてプライベートゾーンとはどこなのかと言えば、それは水着で隠す場所のことなのだ。まるで言葉の説明文にその言葉自体を使ってしまっているパターンのようだが、水着とプライベートゾーンの関係性というのは、互いに補完し合って成立する、それくらいとても強固なものらしい。
つまり水着を設計することは、同時にプライベートゾーンを設計することを意味する。こういう発想のもと、製作される水着はだんだん面積が小さくなっていくようだ。ここはまだパブリックな部分なのに隠しちゃってんな、と思うたび、水着は正しい「プライベートゾーン隠し」へと肉薄する。肉薄するあまり、飛び越え、逆にここはプライベートな部分なのに公衆に出しちゃってんな、という事態もある。
この線引きはあくまでパーソナルなもので、たとえば僕の極北ボックスに関し、これはもう一線を超えてしまっていると思う人もいるだろうし、もっと攻められると思う人もいるだろう。その差異にこそ水着というファッションの情趣があるように思う。
女の乳房がプライベートゾーンであるのに対し、男の同じ部分はそうではない、というのもおもしろい所で、女性にも参政権があるのが当たり前の時代において、男性が唯一、女性に対してパブリックな部分で優位性を保っているポイントあるのだとすれば、それは乳首だということになってくる。乳首を公衆の面前に堂々とさらす行為にこそ、男は現代においてほぼ失われかけている男性性の誇らしさを実感するべきだ。今後は右の乳首をパブリック乳首、左の乳首をオフィシャル乳首と呼ぶことにしよう。俺はどちらかと言うと左のオフィシャル乳首のほうが弱いかな。ただし向かい合うあなたにとっては右側の乳首ということになるから、その点だけは注意してほしい。