2026年9月12日土曜日

プロP・グルメリポート・りくりゅう


 通勤の車内では最近、ものすごく適当なサウンドを流している。ラジオだったり、音楽だったり、その日の気分で選び、そしてどちらにしろ別にちゃんとは聴いていない。
 そんなもんだ。そしてそれがノンストレスでいいのだ。
 振り返れば7月半ばから8月上旬にかけて、僕はまるで音楽プロデューサーのように、日々さまざまな楽曲を聴きまくっていた。毎晩いろいろなプレイリストをダウンロードしては、翌日の出勤時にそれを再生し、ほとんどの曲は1分も聴かないうちに飛ばす、というようなことを繰り返していた。
 そんな苦行を乗り越えて、帰省の車内音楽の各人100曲というノルマを達成したのである。それだけ苦労をしただけあって、僕が選んだ100曲のラインナップはなかなかよかったと自負している。
 しかしいかんせんストレスだった。僕はもともと、そこまでノーミュージックノーライフの人間ではなく、知らない歌手や新しい曲を追い求めるタイプではないのだ。そんな僕にとって、帰省前のあの作業はだいぶ心の負担だったように思う。
 今はそこから解放されて、すごく楽だ。いろいろな曲を次々に聴かなくていい世界、とても楽。何百万曲ものサブスクに疲弊した人向けに、いっそそういう音楽配信サービスがあればいいと思う。音楽配信サービスというか、それってCDとかのことだと思う。

 部屋で作業をしているときに、スマホで映像を垂れ流したりするのだけど、おもしろいものだとそっちに意識がいってしまって不都合だし、あまりにもつまらないものだとそれはそれで堪えられないしで、なにがちょうどいいのか、しばらく模索していた。
 そして最近たどり着いたのが、外国製作で吹き替えの、ワールドワイドなグルメ探訪番組である。どこぞの国の白人の男性俳優が、あちこちの都市に行って、その土地の伝統的な食べ物や、最先端の料理を、ちょっとしたジョークを交えながらひたすら食べるという内容で、おもしろさとつまらなさが、ちょうど需要に合致している割合で含有している感じで、助かっている。
 しかしそんな番組を、観るともなしに観ているうちに、自分でも意外な野望が湧いてきた。それは、俺もこんなリポートをしてみたい、という思いだ。世界のさまざまな土地で、いろんなものを食べ、現地の人と話をする。それが番組に仕立てられ、そして世界中の人々が眺める。そんなのとても愉しそうじゃないか、と思う。
 リポーターになるには、この番組の彼がそうであるように、別に料理に造詣が深くなくてもいいのだ。ただ、食べ物の好き嫌いがなくて、人見知りせず誰とでも気さくに喋れ、そして飛行機が嫌いでさえなければ、誰でもできると思う。俺もそこさえ克服すれば、なれる目はあると思う。

 もう既に少し古い話題になりつつあるが、りくりゅうが婚約したじゃんね。
 世間はその公表をとてもすんなり受け止め、その反応に対して三浦璃来は「びっくりされないことにびっくりした」みたいな発言をしたのだった。そしてこの一連の発表に対し、世間の一部の人々は、祝福でも静観でもなく、ちょっと反感を覚えた、という報道もあった。
 かくいう僕も、声高に罵るほどではないが、ちょっとイラっとはした。
 今年の2月20日書いた、「夜の3回転トウループ」という記事で、僕はこう書いている。

 フィギュアスケートのペアで、三浦璃来と木原龍一の、通称りくりゅうのふたりが、金メダルを獲ったじゃないか。それは本当にすごい、すばらしいことなのだろうけど、競技後の、ニュース番組などでのインタビューで、ふたりの関係性について、絶対にみんな気になっているはずなのに、決して誰も触れないことに、気持ち悪さも感じている。
 ペア競技、息を合わせるために、ふたりで共同生活を送っているそうだ。一緒に買い物に行き、一緒に料理を食べ、そして一緒に桃鉄をやっているらしい。
 え、付き合ってんの?
 絶対にみんな訊きたいのだ。安住さんだって宮根さんだって訊きたいに決まっている。昔なら訊いていた。関口宏や張本勲なら実際に訊いていただろう。でも令和のメディアはそれを口にできない。口にした瞬間、炎上することは目に見えている。オリンピアンへの敬意、などと言う。なんやねん、オリンピアンへの敬意って。なんでスポーツやってるやつを敬わんとあかんねん。でも世の中はそういうことになっている。だからじっと我慢している。我慢して、演技内容であるとか、今日までの挫折とか苦悩とか、別にどうでもいいことを仕方なく訊いている。そしてこっちが歯を食いしばって、ゲスな質問を堪えているというのに、りくりゅうのふたりはその返事の中で、なぜか見せつけるように仲の良さエピソードを開陳してくる。やけに甘い空気を出してくる。もしかして訊けないのを分かった上で遊んでいるのではないかとさえ思えてくる。我々はりくりゅうのてのひらの上で弄ばれているのではないか。それもまたふたりのプレイの一環なのではないか。
 誰か、誰かひとりでいいのだ。ベッドでも龍一のリフトはすごいんですか? と訊ねてほしい。夜はショートプログラムじゃなくて毎晩フリーなんでしょ? と。たとえどっちかが拒んでも、やっぱり挿入ゆずれないときもあるよね、と。

 このときの、訊ねてはいけない不可侵性、世間によるその同調圧力に屈するほかなかった自分へのふがいなさみたいなものが、今回の怒りに繋がっているのだと思う。さらには、われわれが言いたいことを言えなくてやきもきしているさまが、ふたりの愛の焚き木になっていた部分もあるのではないかという気もし、それもまたこちらの義憤を焚きつけるのだった。じゃあふたりはどの段階で関係を公表すべきだったのか、と問われると、明確な答えは出せないのだけど。なにぶん、交際を明言しているペアを快く応援するかと言えば、しょまりんペアを例に取るまでもなく、そんなことは決してないわけで、世間というのは本当に心が狭いものだな、と思います。俺ではなく、世間というのは。