生成AIの開発競争がすごいことになっているという話を、ニュースでもたびたび見聞きするし、ファルマンからもよく聞く(ファルマンは別に開発競争の関係者ではない)。競争は、会社単位、そして国単位の、凄絶な血みどろの様相を呈しているようで、生成AIのシュッとした利便性の陰には、なんだかものすごい体育会系の、文字通りの心血を注ぐような、数多の人々のエネルギーの凝縮があるらしい。ただしもちろん僕は文系なので、生成AIの開発に心血を注ぐという行為が、具体的に現場でどういう作業をするということなのかはぜんぜん分からない(生成AIの開発に限らず、この世のあらゆるデスクワークのことが分かっていない)。ぜんぜん分からないので、本当に短絡的でありきたりな発想になるが、「まるで魔法のようだな」と思う。そして「平成狸合戦ぽんぽこ」のことを思い出す。「平成狸合戦ぽんぽこ」の中で、物語中盤、四国から招聘した三長老を中心に、妖怪大作戦と名付けられた一大秘術を行なうシーンがある。変化できる狸たちがエネルギーを集結させ、壮大な妖怪変化を団地に出現させるのである。生成AIの開発競争の現場で行なわれているのは、要するにそんなことなのではないかと思っている。長老のひとりである隠神刑部は、心血を注ぎ過ぎたあまり、作戦の最中に血管が切れた感じで落命する。開発競争の現場でもそんなことが起っていそうだと思う。また最近よく言われる「デジタル人材」という言葉が、このイメージをさらに補強させる。開発競争はそれの奪い合いであると言われる。「平成狸合戦ぽんぽこ」の狸には、変化できる者と変化できない者がいる。それはデジタル人材かそうでないか、ということだと思う。変化ができるぽん吉は、人間に変化して、人間となって生きていく道を選ぶ。息苦しさもあるが、それはスキルを活かして時流に乗った生き方である。一方で変化できない狸は、山に残り、狸として慎ましやかに生きる(それ以外の生き方がない)。それは穏やかだが、山が開発されるような大きな力に対してはどこまでも無力だ。もっとも大きな力に対して無力でない存在など果たしてあり得るだろうか。デジタル人材が力を結集して作り出そうとしているものは、デジタル人材を必要としない世界なのではないかとも思う。君たちはどう生きるか。
気温の高まりに身体がついていかず、だるさのある日々だが、とにかく去年の二の舞にはなりたくないという思いが強く、この状態の改善のために僕が先日から取っている方策が、なんと「たくさん食べる」というもので、このまま食欲までもが減退したら、いよいよ夏を生き抜くのがつらくなるのは目に見えているので、むしろもりもり食べて、体を大きく強くしようじゃないかと考えたのである。すばらしい心掛け。とにかくエネルギーを多く摂取して、余剰を体にもたらしたい。実は消化にこそ相当なエネルギーを使うから、本当はなるべく食べないほうがいいんだよね、聡い俺はそれを知っているから効率よく最低限の摂取だけをして、結果として洗練されたボディを維持しているんだよね、みたいな胡散臭い話はもういい。うるさい。ばーかばーか。わしは喰うんじゃい! 喰って元気になるんじゃい! そういう方針に舵を切ることにした。腹八分目はたしかに食べ終えたあとの身体が楽で、満腹は苦しいのだが、そうは言ってもたまには満腹にならなければ、食べられる量が増えていかないだろうと思い、ここ数日は意識的によく食べている。体重にはまだ現れていないが、なにより精神的にいい。こちとらよく喰う健全で頑強な生きものじゃい! という自信がつく。この自信だけを武器に、夏の太陽とやり合おうとしている。蟷螂の斧。
2009年の日記を読んでいたら、「イモる」という表現があり、わ、と思った。
もちろん本気で僕自身が「マジあいつイモってんだけど」というふうに使っていたわけではなく、この頃は共学の高校に対する憧れをこじらせ、挙句の果てには「共学短歌」というものを詠むほどだったのだが、そんな日々の中で、「「BiDaN」とか「Samurai ELO」とかに出ている男はわりと不細工なのに共学に通っているばっかりに彼女がいる」ということに怒りを爆発させる文脈の中で使用していたのだった。「イモる」も「BiDaN」も「Samurai ELO」も、もうなにもかもみな懐かしい。思わず沖田十三(宇宙戦艦ヤマト艦長)みたいな気持ちになる。もちろん当時26歳の僕が本気でこの雑誌を購読していたわけではなくて、なにぶん書店員だったので、手広く目を通していたのだ。いちおう名誉を守るために断っておく。
ちなみにこのときの共学短歌というのががこちら。
・週6はマジできついし悪ぃけど今日は勘弁 指で勘弁
・ウチ マジで先輩のこと好きじゃけん一糸纏わぬ体育倉庫
・このあいだ原先輩の彼女さんに誘われてマジ イモって逃げたし
すごい。なにがすごいって、共学の解像度の低さが我ながらすごいと思う。