MAXのファンを自認している。他認はされない。真正面からMAXのことが大好きというわけではないから、なかなか認めてもらえない。でもMAXだ。MAXを真正面から大好きな人がいるはずがないだろう。その前提がまずあって、そしてファンを自認している。
たとえばサブスクの音楽サービスに、「お気に入りの曲」というプレイリストがある。聴いていて、いいなと思った曲は、ボタンをひとつ押せば、勝手にここに入れてくれる。この中にMAXの楽曲ももちろん入っている。だけど再生したことはない。「お気に入りの曲」プレイリストをランダム再生していると、なにしろお気に入りの曲ばかりが流れるので心地いいのだが、たまにMAXの曲がかかりはじめると、すぐに飛ばす。なぜなら、僕は別にMAXの曲なんか聴きたくないのだ。ただMAXがお気に入りの中にいてほしい。だから入れている。MAXの正しい味わい方というのは、つまりそういうことだと思う。
そんな僕の最新のMAXファン活動は、対話型生成AIに頼んで「MAXクイズ」を出してもらう、というものだ。
第1問 NANA はブログで、自身の性格について「実は○○体質」と語ったことがある。
A. 超心配性
B. 人見知り
C. 朝が弱い
D. 泣き虫
みたいなクイズ。こういうのを延々と出してもらう。
ただし僕は、自分のMAX知識を試そうとしているわけではないし、ましてや増やそうなどとはもちろん考えていない。(こちらが求めるものだから)次々に繰り出されるMAXクイズに、僕はいちども回答したことはないし、正解を求めたこともない。
MAXって、そういうことじゃないんだ。MAXって、好きになればなるほど、MAXにぜんぜん興味がなくなる。だから答えなんか知らなくていい。答える気がまるで起きないMAXクイズが、ひたすら積み重なっていけば、それでいい。それがいい。その感じこそが、MAXの魅力の真骨頂だと思う。
MAXってもしかしたら、道なのかもしれない。千利休の言葉に、「茶の湯とはただ湯をわかし茶を点ててのむばかりなる事と知るべし」というのがある。MAXもそう。MAXも、ただ湯をわかして茶を点てて飲むだけのことなんだよ。たぶん千利休がいま生きていたら、MAXのファンだったんじゃないかな、と思う。その場合、千利休じゃなくて、最大利休になっていたかもしれないね。しれなくないね。