2026年2月5日木曜日

ジブリの考察ブログですよ!


 先週末、作業の傍ら「魔女の宅急便」を再生していたのだけど、そのとき初めて、ジジは途中から喋らなくなるけど、実は最初からいちども喋ったりしていなかったのではないか、キキがただの鳴き声を勝手に脳内で言葉に変換していただけだったのではないか、ということを思い、観終えたあとでファルマンにそう語ったら、
「まあ二派に分かれるよね。実際に喋ってたけど途中から聞き取れなくなった派と、最初から喋ってなかった派。原作だとわりとはっきりと、魔法の力で会話ができるってことが説明されるんだけど、宮崎駿はどちらかと言うと本当は最初から喋ってなかったっていうふうに取れるように描いてるよね」
 という感じで語りはじめたので、すごすごと逃げ帰りたい気持ちになった(残念ながら自室だったので逃げ帰る場所がなかった)。
 ファルマン曰く宮崎駿がそう取りやすいように描いているという、ジジは最初からいちども喋っていなかった説に、もはや何十回目か分からないが、僕は今回の観賞で初めて思い至ったのだった。さらにはファルマンに語りかけた際、わりと本気で、俺くらいの慧眼ともなるとそういう斬新な解釈にも辿り着いちゃうんだよね、という気持ちを抱いていた。これは世界で最初に僕が気づいたことかもしれない、と。
 これは恥ずかしい。穴があったら挿入したいくらい恥ずかしい。さらには挿入だけでは飽き足らず、抽送の果てに大射精までしたいくらいの気持ちだ。
 42歳になってこういうことになる原因は、基本的に人の意見を聞かないからだろう。他人の考察など読まないし、人々が語り合っている場にも首を突っ込まない。だから自分が新たに思いついたことが、世界初のことのように思えてしまう。この分だと、何年も前から言っている、「トトロは小さいのと中くらいのと巨大なのがいるから、あれは(おそらく少女性愛者の)ちんこを示している説」も、「崖の上のポニョは精子と卵子が受精するまでの物語説」も、僕よりも早く、みんなとっくに言っていたのかもしれない。でも僕は寡聞なので知らない。僕は僕しかそういうことを言っているのを聞いたことがない。だからまあ、案外これはしあわせなことなのではないか、とも思う。