2026年2月4日水曜日

余計に愛しい


 もう治まったのだが、10日ほど前、正体不明の咳に悩まされていた。
 洟や咳が出ることに対し、ファルマンはすぐに「風邪だ」と言い、「これは風邪ではない、アレルギー性鼻炎だ」と弁明しながら、やっぱり風邪だったりもするのだが、今回のものは本当に違った。喉も痛くないし、痰も出ない。ただ唐突にときどき咳が出るのだった。寝ている際にも発生し、睡眠に支障を来した日もあった。でも体調はぜんぜん悪くならないのである。
 その乍中でもうすうす察していたが、ここ数日それがぜんぜん出なくなったことを考えるにつけ、これは加齢と冷気の表面張力的な現象ということに違いない、と結論付けた。
 10日ほど前、ポルガの誕生日であり、大寒の時期、きちんとすごく寒かった。寒さとは水位のようなものだと思う。暑さでもいい。環境の過酷さが、水位だとする。それが真冬であったり、真夏であったりすると、高まる。「タイタニック」で客室に水が溜まり、ディカプリオが顔を天井に向けて耐える場面を思い浮かべてほしい。そういう状態だ。若くて生命力があると、そうやって耐えることができる。子どもたちは真冬でも、こちらが言わなければ、ともすればコートやダウンを着ないで外に出ようとする。強い生命力を感じる。別に自分だって、日常の中でそこまで老いを感じるわけではない。42歳、まだまだ若い。しかし寒さや暑さが、気のせいか毎年だんだんつらく感じるようになってきた気がする。容赦ない水位の上昇に対し、体が自然と背伸びをし、ものともしないような、そんな軽快さはない。ティーンと生活しているので、余計にその事実を痛感する。
 だから平穏な気候の時期にはなんの問題もなくても、いま僕は、1年でいちばん寒い、いちばん過酷な時期には、ちょうどギリギリの、表面張力のような状態で、ちょっと水が溢れるのだと思う。それがあの咳だったのだと思う。掠めるように、負け始めたのだ。細かいジャブで、ポイントを稼がれ始めたのだ。このリアリティたるやどうだろう。風邪じゃないのだ。体調を崩したけど快癒しました、ではないのだ。加齢が世界に追いつかれたのである。